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エピローグ 自宅警備隊は思ったより大変なお仕事でした

 カルミア様に誘拐されてから一週間後、私はタジーク様のお屋敷にある彼の部屋に初めて足を踏み入れていた。

「ここがタジーク様のお部屋……」

 ずっと扉の前までは通っていたけれど、一度も中には入れてもらえなかった彼の部屋は落ち着いた雰囲気の、本棚が立ち並ぶ部屋だった。

 中央奥には執務机らしき重厚感のある木の机。

 その手前には応接セットの成れ果てであろう、簡易ベッド化したソファーと本が積み上げられたテーブルが置いてある。

 執務机の両脇には一つずつ扉があり、彼の話によると片方が寝室、片方が部屋付きの簡易のお風呂と洗面所になっているらしい。

 足の踏み場がないという程ではないけれど、明らかに人を招き入れるような状態ではない。

 けれど、そんな何処か雑然とした印象を受ける室内も、タジーク様の部屋だと思うととても特別な場所のように感じられた。

「座ってくれ」

 そう言って促されたのは、彼の簡易ベッド化されたソファーの向かいにあるもう一つのソファー。

 元々はそこにも本が積まれていたのだと思うけれど、私を座らせる為にか、今は不自然に人一人座れる分のスペースだけ本が退けられていた。

 私はタジーク様の部屋に招き入れて頂けた事に感動しつつ、指定された席に座り彼に向き直る。

「……さて、何から話をしようか」

 そう呟いた後、彼は何かを考えるように虚空を見上げた。


 あの日、カルミア様に誘拐された先の屋敷からタジーク様の屋敷に戻った私は、タジーク様の屋敷に着くなりミモリーの襲撃を受けた。

 普段は何処か冷めた雰囲気のある彼女が、目尻に涙を浮かべ私をギュウギュウと抱きしめて離さなかったのだ。

 そんな彼女の様子に意外さを感じつつも、彼女の私を思ってくれる気持ちと、それだけ心配させてしまったのだという事実を痛感させられた。

 屋敷に残っていたジヤルトさんやバーニヤさんの話によると、ミモリーは駆け込むようにタジーク様に手紙を渡し事情を話した後、即座に屋敷を出て私の許に駆け付けようとしたらしい。

 ……タジーク様のお屋敷にあった、箒を借りてそれを片手に。

 そのあまりの剣幕に驚き固まってしまっていたタジーク様含む屋敷の人達だったが、カルミア様の危険性をお屋敷の人達はとてもよく理解していた為、飛び出して行こうとするミモリーを慌てて止めたそうだ。

 その時、もみ合いになり、何人かの使用人がミモリーに引っ掻かれたらしいけれど……後日、手作りのお菓子をくれれば良いと言われた為、ミモリーと一緒にお菓子を作って謝罪と共に渡して許してもらった。

 一先ず、カルミア様からの手紙を見てみようという事になり、タジーク様が手紙を読み、事態が発覚。

 タジーク様が大急ぎで王宮に行き、部下を集めて対処に向かおうとする中、一緒に私を助けに行くと訴えるミモリーを宥めたのはバーニヤさんだった。

 実際、ミモリーは護衛を兼ねた侍女……なんてものではなく、ただの侍女でしかない。

 もちろん、戦闘能力なんて皆無だ。

 大体、武器代わりに箒を手にしている時点で、どの程度戦えるのかなんて事は簡単に予想が出来る。

 きっと勝てて、野良猫や野犬くらいだろう。

 バーニアさんに戦闘力を持たないものが付いて行った所で邪魔になり、更に私を危険に晒す事にしかならないと諭され、不承不承お留守番をする事になったようだ。

 そして、屋敷でずっと私を待っていてくれたのだけれど、彼女は待つ間ずっと私の事を心配し、落ち着かない様子で同じ場所を行ったり来たりして過ごしていたらしい。

 そして結局、そこまで不安にさせてしまったミモリーを放置する事も出来ず、私自身もくたくたになってしまっていた為、その日はタジーク様のお話を聞く事なく、迎えに来て下さったお兄様に連れられ、馬車でお兄様の家まで帰った。

 ゆっくり休んで、体力を回復した所で、いざ話をと思ったのだけれど、今度はタジーク様があの事件の事後処理に追われる毎日。

 もう引きこもり騎士の汚名を返上したのではないかと思う程、朝から晩まで王宮に行き働いているらしく、なかなか会えない日々が続いた。

 そして、一週間経ってやっと、彼と話をする時間が取れたのだ。


 今、この部屋には私とタジーク様以外には誰もいない。

 秘密を私にだけ打ち明けたい、部屋には私以外入れたくないと彼が望んだ為、ミモリーにも一階で待っていてもらうようにお願いしたのだ。

 本来、未婚の貴族令嬢としては殿方と二人きりになるのは好ましくない事だけれど、ここは信頼できる人を厳選したタジーク様のお屋敷だ。

 私達が口を滑らせさえしなければ、外にその事がバレる事もないだろう。

 こうして彼の部屋で向かい合って座る事になった私達。

 そんな中、彼は暫く思案をした後、ゆっくりとその重い口を開き、過去の辛い出来事から現在に至るまでの話を、国家機密も含めて語ってくれたのだ。

 ……そう『国家機密』も含めて。

「要するに、タジーク様のご両親が持っていて、現在タジーク様が保管しているというその書類は、王家から預かっている物という事ですか?」

 あまりの事の重大性に、若干頭を混乱させつつも必死で話を整理して確認する。

「まぁ、そういう事になるな。それが王家から賜った我が家の役割だからな」

 話の途中で、バーニアさんが持って来てくれた紅茶を優雅に飲みつつ、タジーク様がサラッと答える。

 タジーク様の話によると、カルミア様が狙っていた王家の秘密が書かれた書類というのは、ガーディナー家が王家から命を掛けて守るようにと密命を受けて代々守り続けて来たものらしい。

 あまりにも話が大き過ぎて、私にはいまいちよくわからなかったのだけれど、王家やそれに連なる貴族達には、国を安寧を守る為に、時に裏で手を回し、表立てる事が出来なかった密約や裏の歴史というものがそれなりに存在するらしい。

 例えば、劇的な恋愛の末、敵国の王子と結ばれ妊娠し結婚せざるを得なくなった王女を、婚姻という名の下に人質に取られ国に不利益が生じないように輿入れの旅の途中、賊に襲われ亡くなった事にして別の場所に匿っていた等がそれにあたる。

 私はその歴史について、表の話しか知らなかったから、ラブロマンスの果ての悲劇だと思っていたが、実際は『劇的な恋愛』というのは敵国の王子の策略で、王女を落として自分の許に来ざるを得ない状況を作る為に演出されたものだったとタジーク様に教えられた時はちょっとショックだった。

 まぁ、とにかく、要するに国を運営していく為には必要だけれど、それが表立ては人心が乱れたり他の問題を呼び込む可能性のある歴史の記録や契約書をタジーク様の一族は代々陰で守り、管理してきたらしい。

 これらの書類が、何故王宮で保管されていないかというと、王宮はあまりに多くの人が出入りしておりスパイも多く潜んでいる上に、機密書類だからと厳重に保管すればする程反対に狙われやすくなると考えた為、王家が信頼を置ける忠臣何家かに密命としてその保管を任せたらしい。

 この書類の保管は、一応は世襲制にはなっているが前代が次代に役目を任す事が出来ないと判断した場合は、他の家に役目を託したりする事もあり、タジーク様がお父上が亡くなり役目を引き継ぐ事になった時も、同じ役目を持つ他の家からは、ガーディナー家の預かっている書類を引き受けようかという提案があったらしい。

 ……別にタジーク様が信頼が置けないというわけではなく、単純に役目を引き継ぐにはまだ幼く、それが重荷にならないか心配されてだ。

「俺は十歳の時に、父からガーディナー家の裏の役割について教えられた。そして、その重要性についても。だから、父が役目を立派に果たして書類を守り切ったのを知り、その心を引き継ぐべきだと思ったんだ」

「……タジーク様」

 ギュッと両手を組んで握り締めるタジーク様の様子に、まだ父親をなくし途方に暮れつつも決意を固めた子供頃のタジーク様を見た気がした。

「まぁだが、両親を失ってすぐの頃、引きこもりになっていたのは実は事実だ。信じていた乳母が裏切り両親が死ぬ切っ掛けを作った。けれど、両親の死によりまともな当主引継ぎ作業もしていないまま家を継ぐ事になった俺には、何の力もなくあいつを捕まえる事も出来なかった。その上、親戚の一部は甘い言葉を吐きつつ俺から当主の権限を奪おうとしていた。人を信じられなくなっていたし、人と接する事に疲れていたんだ」

 たった十二歳の男の子にそれだけの出来事が一気に起これば、それは引きこもりにもなるだろう。

 私だったら逃げ出していたかもしれない。

 引きこもりという形でも、そこに留まる事を選択したタジーク様は偉いと思う。

「そして何より俺の中で伸し掛かって来たのは、父が命がけで守った物を俺自身が守り切らないといけないというプレッシャーだった」

 タジーク様がおもむろに立ち上がり、本棚に向かって歩き始める。

 私もそれに倣って立ち上がろうと腰を浮かすと手で制された為、私は座ったまま彼の行動を見守った。

 彼の手が一定の規則性を持って本棚に入れられた本を動かしていく。

 とても複雑な動きで私には覚える事は難しそうだ。

 彼が何度か手を動かした後、動きを止めると何処からかキィという小さな物音が聞こえた。

 彼が反対の壁側にある寝室に続くという部屋の扉を開く。

 そして、中には入らず扉を開けてすぐの天井に手を伸ばした。

 彼が何度か天井の一部分を指でスライドさせると小さな鍵穴が出てきて、彼はそこに自分の首から下げていた鍵を取り出し差し入れる。

「っ!!」

 彼がカギを回すと、ガチャリッという小さな音と共に、天井の一部分が下へと降りて来た。

 そしてそこには、古びた紙の束が積み重ねられていた。

 中には今主流になっている植物から作り出された紙ではなく、羊皮紙も混ざっているようだった。

「父が命がけで守った物がここにある。そう思うと、俺は自分の知らない内にそれが奪われるのではないかと怖くなり、この部屋を出られなくなった。文字通り、俺はここで自宅警備をする事にしたんだ」

 彼はまるで両親を悼むようにそっと切なそうな顔でその紙の束を撫でている。

 ただ国家機密だからという理由だけではなく、彼にとってそれは両親の……祖先の命の重みが合わさった物なのだと思う。

「……タジーク様、そんな重大な秘密を私に教えてしまってよろしかったのですか?」

 正直、タジーク様の行動をしっかりと記憶し再現するだけの能力は私にはない。

 けれど、きっと頭の良い人だったら、そういった事も出来るだろう。

 つまり、それだけ危険性を伴う開示だという事だ。

 それ位は私にもわかる。

 ……わかるからこそ、手と同時に心が大きく揺さぶられた。

「もちろん……駄目だろうな」

「えっ?」

 自分で開示しておいて、まさかの「駄目だろう」発言。

 いけないのに何故そのような事をやっているのだろうか、このお方は。

 意味が分からず混乱していると、タジーク様が手早く書類の入っていた隠し棚を元の位置に戻して私の方へと歩いてくる。

 そして、私の前に立ち……跪いた。

「本来、書類の在りかは役目を任せられた一族の血が流れる者以外にはその伴侶にしか教える事が許されない事になっている」

「は、伴侶?」

 言葉の意味は理解出来てるはずなのに、混乱していて彼が何を言っているのか頭に入って来ない。

 戸惑い固まっている内に、彼が私の手をそっと握った。

「そうだ。だから……秘密を知ってしまった君はもう、俺の妻になるしかない」

 そっと持ち上げられた私の指先に、彼が唇を落とす。

 上目遣いに見つめられたその紫水晶のような瞳は、あのパーティーの日、私を捕えて離さなかったものと同じもの。

 なのに、あの時とは比べ物にならない程の熱量を孕んでいた。

 そういえば、今日は珍しく屋敷にいるのに身支度がしっかりとしているなぁなんてどうでも良い事が頭を過ぎった。

「えっと、あの……わ、私……」

 ずっと望んでいたものがすぐ目の前にある。

 他でもない、タジーク様自身が私が望んでいたもの……彼の妻という地位を私に差し出してくれている。

 嬉しくて、嬉しくて、涙が溢れて止まらないのに、心臓がバクバクと激しく鳴り過ぎて口から飛び出しそうで声が上手く出せない。顔も真っ赤だ。

 彼も私の返事なんてとうの昔にわかっているはずなのに、彼は私がしっかりと言葉にするのを待っていてジッと私を見つめたまま動かない。

 彼に握られていない方の手で胸を押さえてゆっくりと深呼吸をする。

 何度か繰り返して、少し落ち着いた所で彼に視線を向けた。

「ほ、本当に私で良いんですか?」

 声は情けないくらい震えていたけれど、それくらいは許して欲しい。

「……君くらいしか、引きこもりで臆病な俺の相手は出来ないだろう?」

「タジーク様は臆病なんかじゃありません!!」

 タジーク様の自分を卑下する言葉が気に入らなくて反射的に文句を言えば、思っていたよりも声が大きくなってしまった。

 そんな私に彼はいつもの呆れたような苦笑を浮かべる。

「それでもきっと俺は君ぐらい素直で単純で隠し事が出来ないタイプじゃないと信じる事が出来ないんだ」

「……それ、褒めてます?」

 何となく、もっと素敵な言葉が貰えると思っていた私は思わずジトッと彼を見てしまう。

「もちろん、褒めている。最高の誉め言葉だ」

「……」

 なんか納得がいかない。

 まぁでも、彼にとってはとても重要なポイントなのかもしれない。

 それならば、彼の事が好きな私にとっては悪い事ではないのは確かだろう。

「また、誰かに騙されるかもしれませんよ?」

「その点は少し気を付けては欲しいが……その分、俺が警戒するから大丈夫だ。それに、君にはしっかり者のミモリーもついているだろう?」

「今、ちょっとミモリーを頼ろうとしましたね?」

「……」

 黙秘された。

 でも、私自身もミモリーを頼りにしている部分があるから彼の事を一方的に攻める事も出来ない。

 それに、きっとミモリーは私が結婚する事になっても付いて来てくれる。

 前にそんな事を言っていた気がするから、多分大丈夫だ。

「……俺も昔と違って、きちんと誰かを守れるだけの地位も人脈も築いている」

 彼の言うのはきっと騎士団や信頼できる使用人達、そしてお兄様の所の団長さんのような存在の事だろう。

 第六騎士団は元々、表向きは『名誉騎士団』なんていう全く活動していない貴族の坊ちゃん向けの名前だけの騎士団だけど、その本質は隠密行動がメインの騎士団なんだそうだ。

 何人かカモフラージュの為に本当にやる気のない使えない騎士も雇ってはいるが、その大多数が実は隠密活動をしやすいように、『職場にほとんど来ないやる気のないダメな奴』を演じているだけらしい。

 タジーク様が当主の仕事にも慣れ、使用人達の支えもあり徐々に引きこもりから立ち直り始めた頃、お兄様の所の団長さんが突然家に来て、タジーク様に第六騎士団長を務めるように勧めたらしい。

 団長さんはタジーク様のお父上の友人で、タジーク様の事もよく知っており、ずっと気にも掛けてくれていたらしい。

 そこで、彼が自分の役割をしっかり全うしようとしてるのを知り、それができるだけの地位や人脈を築けるように、国王様にも掛け合って今の地位に推挙してくれたのだそうだ。

 まぁ、元々第六騎士団長の地位に就く人を探していた時に、丁度引きこもりという都合の良い状態だったタジーク様がいたから声を掛けたという面もあるようだけれど。

 もちろん、その地位をむやみやたらに私事に使う事は出来ないだろうけれど、彼や妻となる私が危険に晒されるであろう可能性が一番高いのは王家から託されているその書類を巡っての事だろうから、それを守る為にという事であれば特に問題はないのだろう。

「もし、それでも危険な状態であれば……一緒に自宅警備をすればいい」

 要するに一緒に引きこもっていれば、安全性は確保しやすいと。

 何だかタジーク様らしい理論で思わず笑ってしまった。

「危険な時はそれで良いですけど……私はタジーク様とデートをまたしたいので、問題がない時には部屋や家から引きずり出しますよ?」

「…………ほどほどに頼む。人込みは苦手だ」

「周囲に気を張り巡らせるから?」

「そうだ。これはもう癖になっているからそうそう直らない」

 憮然とした表情ではあるけれど、即座に拒否をしないあたり、少しは譲ってくれる気があるようだ。

 出てこない頃の彼の事を思うと、もう別人なんじゃないかくらいの譲歩だと思う。

「タジーク様!」

「……何だ?」

「大好きです!! 私と結婚して下さい!!」

「っ!!」

 未だに私の前で膝をついているタジーク様に、私は勢いよく飛びついた。

 あれだけ頑なだったタジーク様が私に対して心を開いてくれた。

 そう思ったら、もう彼を好きだという気持ちが爆発してしまって、どうしようもなくなった。

 まだまだ問題は山積みかもしれないけれど、好きな人に選んでもらえたのだ。

 私はいくらでも頑張れる。

「たくっ、危ないだろう」

 私の勢いに押されて、少しバランスを崩し掛けるけれど、それでもしっかりと受け止めてくれた彼に対して、私は満面の笑みで頬に口付けた。

「っ! 淑女がそういう事を自らするもんじゃない!!」

 私の暴挙に目を驚いたように目を見開いたタジーク様が、眉間に皺を寄せ仏頂面になる。

 しかし、その耳は少し赤みを帯びていて照れているのは一目瞭然だった。

「……自らじゃなければ良いんですか?」

「そういう問題じゃ……全く君は……」

 タジーク様が何か文句を言おうとしていたけれど、聞こえないふりをして彼に向けて少し顔を上向けて目を閉じる。

 私の好きな恋愛小説の最後はいつもこんな風に終わっていたはずだ。

 それにずっと憧れていた。

 期待と羞恥に顔を赤らめつつ、彼の反応を待つ。

 彼が戸惑うように身じろぎしているのは、彼の首に回した私の腕から伝わる振動でよくわかった。

 もしかしたら、いつもみたいに怒られて終わるかもしれない。

 そんな諦め半分の気持ちで彼を待っていると、「ハァ……」という深い溜息の後、唇に柔らかく温かいものが一瞬だけ触れた。

「……っ!」

 自分でせがんだ事なのに、実際のその感触に驚き瞼を開け唇を両手で抑える。

 目の前には耳どころか顔全体を真っ赤に染めたタジーク様が、そっぽを向いて折角整えてあった前髪をグシャリと握りしめていた。

 眉間に皺を寄せ、気まずそうに口をきつく閉じているその姿はいつもの格好良い姿とは異なり、少し可愛いとすら思えた。

 暫く、無言の時間が過ぎる。

 私はタジーク様の姿をジッと見詰め、彼はこっちを向こうとしない。

 視線は合わないのに、この瞬間が何よりも幸せだった。

「……今度、オルセウス殿に礼を言わないといけないな」

「え?」

 諦めの滲んだ深い溜息と共にそんな言葉がタジーク様の口から零れ落ちた。

 私は突然の言葉に意味がわからず首を傾げる。

 タジーク様がチラッと私の方を見た。

 ……あ、目が合った。

「余計なお節介だと思っていたが、彼の紹介でこうして伴侶を得る事になってしまった。礼の一つ位はしないといけないだろう?」

「あっ! でしたら、私も一緒にお礼を言います。いっぱいいっぱいお礼をします!!」

 彼の言葉の意味がやっと理解出来た。

 そして、それが私にも関係ある事だとわかると、笑顔で何度も頷いた。

「全く。これでオルセウス殿にはまた頭が上がらなくなる」

「そういえば、タジーク様の引きこもり緩和の立役者も団長様なんですよね?」

 タジーク様を気に掛け、タジーク様が役目を全うし自分を守れるように力を貸したのは団長様だ。

 よく考えるとそのお陰で、今の私も無事でいられるのかもしれない。

 そして何より、私をタジーク様に出会わせてくれた。

 団長様は私達の恩人だ。

「私、いっぱいお菓子を作ります。それを持ってお礼に行きましょう?」

「オルセウス殿なら菓子より酒だろうな。まぁ、奥方やご令嬢は喜ぶだろうから、作って行けばオルセウス殿も喜ぶだろうけど」

「初めての運命の共同作業ですね!」

「オルセウス殿へのお礼がか? ……それは何だか微妙だな」

 顔を顰めたタジーク様と顔を見合わせる。

「フフ……」

「ハハ……」

 いつしか私達はお互いの顔を見つつ笑い始めていた。

 きっと、ここからが本当のスタートだ。

 彼と開いた扉の先には、今までの守られた平穏はないかもしれない。

 けれど、大変な事もある分、楽しい事もいっぱいあるだろう。

 一緒に笑って泣いて、時には喧嘩をするのも良いに違いない。

 だって、それらは狭い部屋に一人で引きこもっていては絶対に得る事の出来ない経験なのだから。

 そして、その先にある未来がどうか明るいものでありますように。

これにて一先ず本編完結です!!(この後手直し等はするかもしれません)

ここまでお付き合い下さった皆様、本当に有難うございましたm(__)m


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