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八章 望むひと

 

 テラリーフ湖への出発前──、

「今日はどうです?」

「少しずつ、大きくなっています」

「そうですかね?全然変わってないような気がしますけど」

「近い日にはきっと木になりますよ」

「気が早いですねぇ、もう」

 ──彼女の部屋で、そんなやり取りをした。

「いってきます。今日も、皆さんに取って、いい日でありますように」

 みんながくれた初めての給金袋と芽が出た鉢植え、それらを拝むことから一日が始まる。それが、いつからか彼女の習慣になった。

 ……ホント、律儀なひとだなぁ。

 優しくて、優しすぎて、ひとを裏切ることをしない。誰にも優しくて、誰にも愛されて、たとい暗殺者が相手でも、傷つけられることがなかった。

 尊く、愛おしい。どんな手を使ってでも守ろう。彼女と出逢ったあの日からずっと心に決めていた。それなのに──。


 ……ッ!

 弾かれたように上体を起こす。横の布団に、彼女テラスが眠っている。

 ……モカ村、か……。

 いつぞやの空室にして、今はテラスの私室。

「起きたな」

「(カイン、)……」

 布団脇で見守っていたであろう彼に、言葉を発せられなかった。

 吐いた息が、白い。

 テラスの寝顔は、あまりに穏やかだ。それでもって気を失う前の感覚が噓だったとカクミは思いたかった。痛みが、出来事を否定しない。なんと伝えたらいい。自分がついていながらテラスをひどい目に遭わせてしまった。人生唯一の決意・目標・目的、全てが打ち砕かれ、有言不実行の不甲斐なさを思い知るや喉が潰れた。

「お主も傷ついた。横になるとよい」

「……あたしの傷なんてどうでもいい。テラス様の、傷は……」

「ヒロオ殿が治療し、傷は癒えたよ」

 モカ生粋の村民でありながら治癒術者であるヒロオは、村の怪我人を一手に癒やしている。

「……」

 喉を潰すのが不甲斐なさなら、声を絞り出したのも不甲斐なさだった。「あたしはなんのために生きてる……。テラス様が、何をしたってのよ……」

「……苛立ちは理解する。だが、落ちつけ」

「……」

 落ちついてなどいられない。

 息が、白い。

 部屋が凍りついている。テラスの、無意識の魔法だ。

「すまぬな。わたくしでは、ここまでの氷は消せぬ」

「……魔物が──」

「言ってくれるな」

「知って、るの?」

「同性のカオル殿にも、見てもらった」

「……」

 ほんの一瞬、息も、心臓も、時間も、止まった錯覚。それほどの強い衝撃。噓を願った感覚の再確認・再認識であった。

「カオルは、……、……なんて言ってたの」

「すまぬ、訊いてくれるな……」

 腹に響くような低い声だった。

「ごめん」

「……お主を責めるつもりではないのだ」

「解ってる。あたしが不躾で、過敏なだけ」

 暗く重い、そのくせ、氷の煌めく沈黙であった。

「テラス様、自覚、してるのかな……」

「自覚があるからこその状態と考えるが、テラス様はもともとこれをやっておったからな」

 部屋が氷漬けになるほどの魔法。眠っているあいだの無自覚の魔力集束は今に始まったわけではない。神界宮殿で暮らしていた頃からたびたびあって、カクミが傍にいなかったとき、こうして部屋ごと凍りついていたことが何度かある。今日の氷はいやに分厚く、傷ついた自覚がテラスにあることを示すようだった。が、不可思議にも、

「いつもの寝顔ね」

 気を失う直前に瞥た寝顔がフラッシュバックする。何も変わらない、いつもの寝顔だった。それはいっそ不気味なほど穏やかで、現実の景色に反している。

「どういうこと、テラス様……」

「お主も頭が混乱しておるのではないか」

 混乱していないと言いたいのはやまやまだが、どうやって帰ってきたのかも思い出せない。

「テラス様を運んでくれたのはマイ?」

「ああ。シンがお主を運んでくれた。二人ともぼろぼろだった」

「怪我をしたの!」

「精神的なものだ。一生には、及ばない」

「それならよかった……」

 言いながら、よくはない、とも、カクミは思った。子どもが精神的なダメージを受けるほどテラスがひどい傷を負った。

「テラス様……、あたしが代わってあげられるなら──」

「テラス様が望まぬ」

「んなの解ってる!……解ってるわよ」

 枕許に置かれた二丁拳銃を、それぞれ握る。

「どうするつもりだ」

「自害なんてしないわよ」

「シン殿が言っておった。お主が呻きの合間に、『魔物が』と、発していたとな」

「黒い人型、コウモリみたいな大きな翼があった」

「其奴がテラス様とお主を」

「突然だった、──」

 覚えている限りの状況をカインに伝えたカクミは、引金に指を掛けぬことに必死だった。その手を、カインがそっと触れ、銃を手放させた。

「──、カイン……」

「今は休め。お主が手も足も出ぬ相手だ。相見えたとておよそ勝ち目がなかろう」

「……あんたが冷静で、助かったわ」

 頭に血が上っている。居場所も判らなければ、指摘された通り勝機もない。最悪、今日にも死んでいた。たまたま生き延びている。それなのに、どうしてもあの魔物に銃口を向けたくて仕方がなかった。

「魔物が、あたしらを見逃したってことか。シンやマイは襲われてなかったんでしょ?」

「お主が四阿から動くなと指示したお蔭だ。ツィブラ殿が到着する夕暮れどきになって戻らなかったため、心配して捜したと話しておったよ」

「……二人はテラス様のこと、解ってる?」

 どんな目に遭ったか。

「お主の痛ましい姿を自分のことのように感じていたと考えられなくはないが、マイ殿は薄薄理解しておるだろう、ひどく泣いておったからな……」

 カインが銃を置いて、重重しい口を開いた。「今後のことを考えて村民にも伝える予定だが、お主には先に伝えておきたいことがある」

「……何?」

 テラスが傷ついたという事実以上のことはない。その考えは、一瞬の楽観だった。

「テラス様は、穢れを植えつけられておる」

「……え──、穢れ……?な、なに、それ、あたしの不埒な言動が伝染したとか、そういう冗談とかじゃ、なく……」

「ジョークであれば口に出さぬよ」

 笑い飛ばせることなら笑い飛ばしたかった。冷たい空気に、ただただ圧されるようだった。

「……教えて。穢れって」

「聞いたことはないか。魔物が持つ特有の魔力だ」

「テラス様が言ってたやつか……。聖水がそれを打ち消すから、それで命を失うから、魔物はテラリーフ湖に近づかないんだって──」

 テラリーフ湖に程近い山になぜあの魔物が現れることができたか、その理由は判らない。これまでの魔物とは比べ物にならないほどの化物だったからそんなことが可能だったのではないかと推測することしかできない。聖水を浴びせてやれば放逐くらいはできたのだろうか。あとの祭だが、カクミはそう思わずにはいられなかった。

「──、そうだわ!」

 カクミは気づいた。「テラス様に聖水を飲ませましょうよ。穢れを消せるんじゃない?」

 起こった出来事が全てなくなるわけではないとしても、魔物が植えつけたという穢れを消して、せめて、痕跡の一つを消すことくらいはしてあげたい。

 が、カインが首を振った。

「それは、恐らく無理だ」

「どうして!テラス様に追打ちを掛けるようなこと、したくないのに……」

「解っておる。が、聖水を飲ませることがテラス様の命を奪う結果になるかも知れぬのだ」

「は……?」

 カインは、何を言っている。「ちょっと待ってよ……、どういう意味?テラス様が聖水を飲んで、なんで、命を、(あれ、待って、あのとき、テラス様、どうして──)」

「気づいたか」

「!」

「……マイ殿から報告を受けた。テラス様が湖に入った際、溺れかけたそうだな」

「……」

 あのとき、テラスはなぜむせた。なぜ、急速に顔色が悪くなっていた。湖から出てすぐ顔色がよくなったのは──、答は、

「テラス様は、魔物ってこと──?」

 そうとしか考えられない。

 けれども、変だ。カクミは、数多くの魔物と対峙した経験から、魔物を魔物としてすぐに認識できる。感覚に頼ったものでしかないが、穢れを探知して魔物と認識していたのだろう。それなのに、テラスに対しては穢れを全く感じない。

「思い込みか?あたしの、テラス様への感情が感覚を鈍らせてるとか?」

「それはあるかも知れぬが、そもそも論、テラス様は魔物と似て非なるものだからな」

「……テラス様が溺れたのは穢れを植えつけられる前だった」

「……うむ」

「あんた、何を知ってる……?何を知ってたの」

 テラスが魔物に類似する存在になったのは今日昨日のことではないだろう。カインはテラスの正体を知りながら、聖水誤飲以前から黙っていたのである。

「いつから。……言いなさいよ、いつから黙ってた」

「お主は、テラス様が魔物であったら忠誠を破るのか」

「そういうことを言ってんじゃない!」

 何者だろうが何も変わらない。「何も変わらないのに……あたし、テラス様に信じられてなかったってこと?」

 あんなに素直で、あんなに裏表がなくて、黒人の自分を真先に助けてくれた、そんな彼女が本当は自分を信じてくれていなかった。カクミは涙が止まらなくなった。どこで、何を間違っていたのか。信じてもらうために、もっと何かできなかったか。そう思えてならなかった。

 ……あたし、テラス様に、全然信用されてなかっ──。

「それは違う」

「……」

「黙っていたのでも、騙していたのでもない、ましてや、お主を信用していなかったのでもない。テラス様も、自分の正体を知らぬのだ」

「……、どういうこと」

 感情が混沌として、物事を整理できていない。

「順を追って、説明しよう」

 カクミを落ちつけるように、カインがゆっくりと語った。

「テラス様はもとより純粋な神としては生まれていない。チーチェロ様が精霊だったからだ」

「チーチェロ様が、精霊……?」

「テラス様、そしてテラスプル様も、神と精霊の混血ということになる」

「神と精霊の。そんなことがあるんだ……」

「うむ。テラス様の場合、それだけではなかった。発光中央坑道に魔竜が封印されたと話したが、憶えているか」

「憶えてる。テラクィーヌ様や騎士団ごと、チーチェロ様が氷の魔法で魔竜を封じ込めてるって話よね」

「そうだ。その出来事の少し前、テラス様が生まれる前のことに遡ろう。発光中央坑道で採掘作業が行われていた頃、テラクィーヌ様とわたくし、それから専門家数名で同坑道に調査に入った。頻発する地震で脆くなっている危険性を考慮し、魔物の出現含め坑道の安全性を確かめるためだった。そこで、わたくし達は魔竜と遭遇した」

「あんたも、魔竜と会ったことがあったのね」

「そのときも、居合わせたチーチェロ様の封印魔法に助けられたのだ」

「チーチェロ様が、そこに?」

「何を隠そう、テラクィーヌ様とチーチェロ様が出逢ったのがそのときだった。魔竜封印のため力を合わせたことがお二人を親しくしたのだろうが──、わたくしが話したいのは、あの日チーチェロ様が魔竜の攻撃を受けていたことだ」

「チーチェロ様が怪我をしたってこと?」

「ああ。そのとき、チーチェロ様は穢れに冒されていたのだ」

「──」

 そこまで話してもらえれば、カクミにも解った。チーチェロが穢れに冒されていた原因をカインがいま話したのは、

「チーチェロ様に植えつけられた穢れがテラス様に遺伝した、とか……?」

 カインがうなづいた。

「そんなことが起こるか、と、訊かれると、わたくしも困るところだ。穢れの遺伝など聞いたことがなかったからな。しかし現実として、テラス様には穢れがある。無論、わたくしとてずっと認識していたわけではなく、今日の今日まで半信半疑だったのだ」

「カインは知ってて黙ってたんじゃないの?」

「わたくし自身は知らなかったに等しい。何せテラス様に宿るという穢れを認識できぬのだからな」

「そこはあたしと同じか……。それならどうして、テラス様に穢れがあることを知れたの?」

「チーチェロ様から伺った。彼女は精霊ゆえかわたくしどもより鋭い部分が多多ある。テラス様に遺伝してしまった穢れに気づき、気をつけるようにとわたくしに仰った」

「あたしが銃士長や世話役になったとき、そんなこと聞かなかったと思うけど」

 穢れを宿しているのだと知っていたら、湖に入れてむせさせたりしなかった。

「ったく、あんたの仕事が不完全なせいでテラス様がむせることになったわ、バカバカバ」

「バが多い……。引き継ごうにも、こういった夜間の無意識魔法しか穢れ由来と思しき言動がなかったのだ」

「そっか……」

 テラスの世話役に就いたとき、そのことについては聞き、「注意しろ」と、言われた憶えがカクミにはある。テラスの命に関わるかも知れないことだから用心しなくては、と、肝に銘じたことだ。

「これが穢れ由来だったなんてね。言われてみれば納得。ひとを傷つけかねない魔法はテラス様らしくないもんね。魔物の魔力が、テラス様の意志に反して悪さをしてるんだ」

「確たる証拠はないがな、そう考えるほかないのも事実だな。話を戻そう」

 カインが前屈みになって話した。「問題は、その穢れを打ち消すこと、浄化するのが危険だということだ」

「今日の魔物に穢れを植えつけられた……、それだけなら、浄化ってのをしても問題なかったのよね」

「それも『恐らく』だ。テラス様が聖水でむせ顔色が悪くなったと聞いて、気をつけろというチーチェロ様の言葉の真意が解った気がする。テラス様が聖水を飲むことでお命に関わる事態に陥ることを、チーチェロ様は懸念しておられたのだろう」

「生来の穢れがテラス様を魔物と同じような存在として成り立たせてる。だから、穢れを浄化したら命を脅かす。そういうことよね」

「ああ……」

「なんてことなの……」

 魔物に襲われ、怪我をし、穢れを植えつけられた。それだけでも致命的なダメージだというのに、じつは生まれたときから危険因子を受け継いでいた。そんなことが知れたら、追放どころの騒ぎではない。危険な存在として、モカ村の中ですら迫害されかねないではないか。魔物は全ての神の敵、倒すべき存在というのが常識である。

「テラス様が何をしたってのよ。誰も傷つけてない、それどころか宮殿を出てからたくさんのひとに想われるようになったのよ。そのあとに待ってるのが迫害だなんて、あんまりだ……」

「しかし話さぬわけにもいくまい。外部からまで穢れを植えつけられた可能性が高い現状だ」

「念のために確認していい?穢れの植えつけは、確定なの?」

「チーチェロ様の場合、出血こそひどかったが軽傷だった。テラス様の傷は、重すぎる……」

「……」

「それに、生かされた。それが、何を意味するかだ」

「あたしも、よね──」

 テラスとともに、重傷を負わされた。穢れを植えつけられたことを疑う余地はない。感覚的に自分を魔物として認識できないのは穢れを植えつけられて馴染んでしまっているからか。ともあれ、カクミは聖水を飲めば済む話だ。テラスは、そうはいかない。

「テラス様が人格を保てる可能性は低いかも知れぬ。穢れを持ち続けると魔物化することが、古くから伝わっている」

「魔物化……」

 話には聞いたことがあるが、それが穢れによるものだということは不勉強。カクミは魔物の攻撃を受けたことがなかったから、マリアの忠告も無視して攻撃された際の危険性を勉強しなかった。聖水のことを知らなかったのもそのせいだ。もっと早く勉強していたら、魔物を見つけた瞬間に聖水の利用を思いつき、効果的な銃撃ができたかも知れなかった。

 優しいテラスが魔物化することも、ひとを傷つけることも、想像できない。けれども、楽観的に見守って誰かを傷つけてしまったら、テラスが傷つくことになる。

 凍りついた部屋を眺める。カインが除けてくれたか、テラスが大事にしている鉢植えと給金袋が無事のようだ。

「テラス様が生来の穢れで魔物化しなかったのは、この氷を発し続けてたお蔭かも知れないんだな……」

「あるいはとうに魔物化し、無意識魔法が魔物としての言動であったか。テラス様の善性も、無意識魔法に支えられているものなのやも知れぬ」

「民を想う反面、ずっとひとを傷つけようとしてたってことか……」

 が、起きているあいだ・意識のあるあいだにテラスはそうしなかった。明らかな敵対姿勢を見せた相手ですら受け入れてきた。

「テラス様の求めるもののためには、村民に話しておかないとね……」

「村から出してもらおうと考えている」

「誰もいないところへ移動しておくってことね」

「村にいるよりは危険性が低下する。それが、テラス様を守ることになる……」

「……」

 カクミ達は、あらゆる意味でテラスを守りたかった。体が脅かされた今、せめて心は傷つかぬように先回りで動かなくては。

「(先回り……。)ねえ、おかしくない?」

 カクミは、はっとした。「チーチェロ様は、テラス様の穢れに気づいたのよね」

「ああ」

「そもそも、そもそもよ?チーチェロ様は自分に植えつけられた穢れをなんで放置してたの」

「己が身に植えつけられた穢れに気づいていなかったのだと考えていた。自分のことは、案外解らぬものであろう」

 ……今のあたしと同じ、か。

 自分からは魔物感を覚えない。「だとしても、遺伝した娘の、テラス様の穢れには普通、対処しようとするんじゃないの」

「そうだが不可能だったはずだ。当時、テラリーフ湖のことを宮殿が把握しておらず、わたくしも知らかった。チーチェロ様はわたくしと同じくこの星の生まれでないと仰っていた。テラリーフ湖や別の聖水の在り処を知っていたとは考えにくい」

「……それでも、探そうとはしたんじゃないの、聖水の在り処をさ。そんな動きすらなかったんでしょ?」

「ああ……」

「なんで?」

「……判らぬ」

 カインが過去を振り返るように瞼を閉じた。「わたくしが思い出せることは、気をつけろと仰ったことくらいだ」

「テラス様が生まれた当時の話よね」

「うむ」

 一〇〇万年以上も前の話であるから、細かいことが記憶から抜け落ちている可能性を否定できないか。それでも、おかしい。

「我が子でしょ。聖水のことを知ってたんなら、あたしだったら絶対、探すわ……」

「精霊は自然界のことをよく知っている。それゆえ、チーチェロ様が聖水自体の存在や特性を知らなかったとは考えにくい。探さなかったことには、確かに、疑問があるな。──、前提が間違っているとしたら」

「穢れを察知できてなかった?それだとしたらあんたに注意を促せない」

「これもそもそもだが、テラス様の穢れは遺伝であり浄化すれば命に関わることが想像できるが、生まれた当時からそうだったのだとしたら、どうだ」

「そんなことって……。ひょっとすると、チーチェロ様はどっかで聖水を飲ませてた?」

「この星の外で飲ませた可能性なら大いにあるだろう。結果がわたくし達の知るものと同じであったとすれば、フリアーテノア内で探すのは徒労。しかも我が子を殺めることになる。それこそ望みに反したのではないか。求めるべきは、テラス様の健やかな成長だったはずだ」

「……健やか──」

 今のテラスもそうであってほしいと思うが、そうとは思いきれない。

 テラスの身を慮ると、カクミは、チーチェロにも思いが及んだ。

「チーチェロ様自身は穢れをどうしたの。最初は穢れに気づいてなかったとしても、テラス様に遺伝してたって気づいた時点で自分が冒されてることに気づくわよね。テラスプル様にも穢れが遺伝してるかもで、テラスプル様が生まれたあとには自分も冒されてるって気づいてていいはずだけど、聖水を探してた様子はない。それって、自分の身を冒す穢れを放置したってことにならない?」

「それについては全く判らぬ。問題ないと考えられる何かの要素が精霊ゆえにあったのだとしたら、神であるわたくし達の知るところではない」

「精霊って謎だらけだもんね……」

 モカ村の森に住んでいるという森の声なる存在についてもテラスが精霊と捉えているが、村の女性陣がときたま声を聞くこと以外に情報がない。どのように生まれてくるか、何を目的に生きているか、判っていない。神や魔物、人間や悪魔と異なり、超自然的な存在であり摑みどころがないということだけが判っている。

「チーチェロ様ってどんなひとだったの?」

「まさに『精霊』であったよ」

「摑みどころがなかった、ってこと」

「あえて言えば、テラス様に遺伝していると感じる部分が多いな」

「ひとがいいとか」

「そこは、……」

「えっ、悪いひとだったの」

「いや、そうではないが、わたくしの常識とはズレていたことは確かだ。テラス様を通してお主が観ておることもあろう」

「もしかして、服を着ようとしない?」

「正解だ」

「まさかの遺伝……」

「体温もそうだがな」

「あ」

 テラスの体温が異常に低いときがある。「あれは、チーチェロ様の体質を継いでるんだ」

「チーチェロ様の周りはいつもひんやりしていたことを憶えておるよ。純粋な精霊でないテラス様はそこまでではないが、体温が低くとも命を失うことがないのは精霊としての体質を受け継いでおられるからなのだろう」

「風邪を引いたことはあるけど、別要因だったかも知れないしなぁ。あ、そうだ、もしかして精霊って瞬間移動なんかもできる?」

「うむ。チーチェロ様は神出鬼没であったよ。出し抜けに背後にいて驚かされたことが一度や二度ではなかった」

「なるほど」

 思い起こせば、モカ村に初めて訪れた日にテラスが巨大ヘビを倒すため空を跳躍していた。カクミは一瞬その姿を見失っており、テラスが凄まじい運動能力を発揮したのかと感心していたのだが、その直後落下して受身も取れなかった彼女を観て察するべきだった。あのときも瞬間移動をして巨大ヘビの背後に回っていたのだ。

「あたしの眼は節穴だな……」

「どうかしたのか」

「いや、こっちの話。ただね、」

 テラスを窺う。「知ってたつもりで、全然知らなかったんだな、って、思ったわ」

「テラス様に騙されたと感じたか」

「ううん、全然。だって、テラス様だって自覚ないんじゃない?テラス様が瞬間移動で目的地に向かってるとこほとんど見たことないもん」

「ああ。テラス様のは無自覚だ」

 そう、重大な緊急性が生じたとき。そんなときだけだ。

「穢れから来る無意識魔法。精霊の血を継いでるからできる無自覚瞬間移動。無自覚体質と穢れの遺伝。テラス様って、つくづく不思議なひとね」

「……嫌いにならないか」

「なるわけないじゃん。むしろ惚れ直したっ!だから、」

 嫌われたくない。「あたし、もっと頑張らないとね。テラス様、たぶん、自分でも解らないところで頑張ってる、ううん、頑張ってきたと思うから」

 そんなテラスに求めてもらえるように、努力を惜しんではならない。テラスの、唯一絶対の守護者。それが自分だとカクミは考えていた。自信が崩れ去った。そんな今だからこそ、立ち直らなければならない。

 カインが、落としていた瞼を持ち上げ、微笑む。

「お主は、ぶれぬな」

「惚れた?」

「尊敬しよう」

「っ、褒めてもなんも出ないわよ」

「異色の料理で構わぬさ。お主は、そのままがよい」

「……あんたも、そのままでいてよね」

「わたくしはジジイだからな、頭が固いことは知っておろう」

「そっか。……安心した」

 テラスが傷つき、穢れに脅かされた危機的な状況。闇の中にいるかのように見通しがつかないが、追放の日と同じようにカインが横にいてテラスを追う自分がいる。変わらない関係が強い支えになっている。目頭が熱くなるほど、カクミはそれが嬉しかった。状況がどんなに悪化しようと何も変わらないことがあると実感できたから心が穏やかになっていく。

「テラス様、それにチーチェロ様も、魔物化するかも知んないのよね」

「発光中央坑道の封印が活きている。それはすなわちチーチェロ様の健在を示すとともに、魔物化していないことをも示しておろう。先にも触れた通り、チーチェロ様の場合、精霊ゆえに何かしらの対策を得ていた可能性もある。テラス様のことは──」

 生来の穢れと追打ちの穢れがある。

「猶予があるとは、考えないほうがいいわね」

 カインがうなづいたので、カクミは一つ提案する。「チーチェロ様に会いに行くわよ」

「何を言っておる」

「考えてみてよ、緊急事態なのよ。精霊ゆえの対策!」

「……テラス様に、応用できる可能性があると」

「障害は大きすぎるわ。ハイナ大稜線の大寒波は主神クラスの神でも凍死するって話よね。でも、そんなこと言ってらんないの。あたしは!あたしは……」

 何も変わらぬ穏やかな寝顔を、「守りたいの。誰にも奪われたくない。あたしは、あろうことか魔物に見逃されて生きてる。あのヤローを後悔させてやるわ、テラス様を助けて、魔物化なんかしないで、二人揃って生き延びてやる」

「……その頭数にわたくしも加えてほしかったものだが」

「寂しん坊?」

「そうではなく、流れでだな」

「解ってるわよ。仲間に入れたげる。だから、お願い」

「ともに行けと」

「あたし、チーチェロ様の顔も知らないから」

「そうであったな」

 写真一つ残っていないチーチェロ。「彼女は写真を嫌っていた。魂を抜かれると」

「何時代なのよ」

「ツッコまれても困る」

「でもま、ないものねだりはよくないわね。よろしくっ」

「マイペースなやつだ。が、嫌いではない。年寄に鞭打つように走り回るのが若者だ。見守ろうではないか」

「ドMみたい」

「同行せんでもよいと」

「永久凍土ならぬ永久寒山に女二人で向かわせるつもりなんだ、へぇ〜、ナイス甲斐性なし」

「なんという言い草っ」

 テラスのためならカインも労力を惜しまない。労力を惜しむくらいならここにいない。

 魔物化する危険性のあるテラスを独りにしてはいけないこととチーチェロがハイナ大稜線を離れられないことを考慮すると、テラスをハイナ大稜線へ連れていき、穢れ対策を直接聞く必要がある。それもまた村外活動に当たるため、テラスの穢れについて説明するとともに魔物化の危険性を伝え、問題解決への理解を村民に求めることにした。

 ハイナ大稜線へ向かうにはテラス本人の理解と了承ももらわなければならない。そのため、事実を伝える必要がある。暗殺の件で村の男性陣が謝罪に訪れた日の翌日、疑惑払拭のためチーチェロを捜すようテラスにお願いされていた。発見に至っていないとの報告を聞いて毎度残念そうにしていたので、ある程度の居場所が判ったと伝えれば悦んでついてきてくれることが推測できた。心配なのは、暴行による後遺症を負っていないか。

 ……それ次第で、気持が暗転しててもおかしくない。

 目覚めたときの彼女の様子を注意深く観察しなければならない。

 部屋を炎で暖め、少しずつ氷を溶かしていく。氷が彼女の穢れの意志であるなら打ち払う。氷が彼女の凍りついた心であるなら温めてあげる。やることは同じだ。この先も、何も変わらない。

 ……テラス様。あたしのところに、ゆっくりでいい、戻ってきて──。

 全てを焼き尽くすような力任せな武力ではない。ひたすらに想いを込めて、炎を灯した。



 今日はひどく冷え込んでいるようだ。それを心地よく感ずるのは、氷の魔法を扱うからか。テラスはそんなふうに思った。鏡に映った我が身のような、大人びた自分と向かい合う。

「あれはあなたの──」

 彼女が声を発したが、その意味をテラスは理解していなかった。

「──、彼は幸せになってくれたと思います。わたしは、それがいいんです」

「傷ついて健やかといえる。あなたの論理は矛盾している」

「体の健やかさと心の健やかさは異なります」

「論理の掏り替え。あなたのそれをわたしは過ちと表現する」

「わたしは過ちを繰り返しきました。長らく宮殿に引き籠もっていたこと──。村で過ごすうち、あの長い長い時の中で、たくさんのことができたのではないかと思うことが増えました。それすなわち、一刻一刻の、重い罪です。償っていかなくてはなりません」

「ならば問うわ」

「なんですか」

 大人びた自分が問うのは、テラスの姿勢そのものの、根源。

「あなたはひとに尽くすことで自立していると考えている。けれどそれは依存と同義。真理、最後は独り。独りで生きられなければ自立とはいえない。尽くすことでひとに縋っている自覚はないの」

「あなたの考え方は解ります。でも、ひとは独りでは生きられません。いつも誰かに支えられて生きています。それを忘れるべきではありません」

「今一度、問うわ。あなたは自覚しているはずよ、ひとと関わることで罪を犯してきたと。ならば独りで生きるべきであり、その手段は一つとは考えない。何もなく誰をも脅かさない霊峰に登ることを考えない。あなたなら可能な手段を採らない。なぜ」

 答は単純だ。

「カクミさんやカインさんとともにいろんなことをしたり、皆さんが愉しそうにお話しているのを眺めると、心が和みます。失いたくありません」

「あまりに無知。傷ついたことすら理解できない鈍重な知性に言葉はない」

 俯き加減の彼女に、テラスは会釈した。

「ありがとうございます」

「何に対して」

「あなたはわたしが傷ついていると教えてくれたんです。わたしはそうとは思っていませんが、お話をして、わたしのことが違う点で解りました」

「無知が過ぎて口ほど理解をしていない」

「皆さんに憂いを掛けないよう、もっと頑張らなければならない。そういうことですよね」

「……忠告するわ。あなたは皆と違う」

「……」

「性格・意思・功労、後付けできる意味合では塗り消せない、あなたは、異質。あなたが無防備でも、ひとはあなたに穢れた壁を作る」

 思いも寄らないことを聞いて目を見張った。

「……皆さんが、わたしを」

 大人びた自分がうなづいた。

「必要もなく、名乗り遅れたわ」

「わたしはテラスリプル・リアといいます」

「知っている。わたしは『リセイ』」

「リセイさん」

 寒気に相応しい暗闇。そこへ、蠟燭の火が灯るように、ぽっと明るさが差し込んで、リセイの姿が薄れていく。

「最後に一つ、伝えておくわ」

「……なんでしょうか」

「何を忘れてもこれだけは胸に刻んで。あなたであるわたしだけがあなたを守れる、と」

「……」

 明るさが増すとリセイが姿を消し、

 ……あったかいですね。

 よく知るぬくもりが、意識の覚醒を促した。

 瞼を開くと月明りにカクミの胸許。

「──目が覚めましたか」

「おはようございます」

「っ、」

 一瞬言葉に詰まったカクミが、応じた。「──こんばんは」

「あ、そうですね、こんばんは、カクミさん」

「はいっ、こんばんは、テラス様……」

 ……──。

 テラスは部屋を見渡し、「カインさんはどこに」

「話をしにみんなんとこです」

「お話ですか。今はいつ頃ですか」

「……深夜ですが、ちょっと、その、大事な話なんで」

「どんなお話かわたしにも教えてくれますか」

「それは勿論。その前に、あたしから伝えておきたいことがあります」

 カクミがテラスを抱き締めて話した。「予定から話します。早ければ今日の夕方にも村を出てチーチェロ様に会いに行くことにしました」

「見つけ出してくれたんですね」

「過酷な場所ですが、テラス様にもついてきてほしいんです。いいですか?」

「はい。お母様はどこにいましたか」

「ハイナ大稜線のたぶん一番高いところ、つまり頂上です」

 宮殿から観える山脈は、テラス達のみならず首都暮しのひとびとの目に馴染んでいる。

「そんなに近くにいたとは思いませんでした」

「わけあってチーチェロ様はそこにいなくてはいけないらしいので、こっちから出向くことになりました」

 周知の険しい雪山。過酷な登山となることが予想されるが、カクミが心配するのは道中のことではない。

「居場所は飽くまで予測なんで、チーチェロ様がいないこともあるかも知れません。激しい風や吹雪の中を長く歩くことになると思いますけど、それ以前に、テラス様には伝えないといけないことがあります」

 カクミが深刻な表情で伝えたのは、「テラス様、昨日のこと……、覚えてますか?」

 質問だ。よくある、簡単な類の。

「カクミさんの玉子ハムサンドをおいしく食べましたね」

「……」

 カクミの表情が曇っていくことは判ったが、理由が解らなかった。

「カクミさん、どうしたんですか。あ、バルハムさんのことですか」

「……、いいえ、その……そのあとの、ことです、テラリーフ湖の山がいきなり爆発したみたいになって、モカの木とか社とかが潰れそうになって、それで、っ……」

 言葉が出ず、ひどくつらそうな彼女をテラスはしばらくおろおろと見つめていた。暖かい空気に反したものが肌を搔くようだった。

「テラス様……」

「はい。なんですか」

「……ごめんなさい」

「え」

「ごめんなさい……、あたしが、守れなかったばっかりに、傷を負わせて……」

 いったい、なんのことだろうか。

「痛むところとか、ありませんか?」

「はい。カクミさんがあったかいです」

 いわれてみればそこかしこが痛むような気がしないでもなかったが、彼女の体温のお蔭で薄れている感覚だった。

「わたしに取ってカクミさんはお薬のようなものなのかも知れま──」

「……」

 ぎゅ──。

「カクミさん……」

「……生きててくれて、よかったです」

「カクミさんこそ」

 命の危険に曝されるようなことをテラスは全く認識していなかったが、世間知らずが祟って気づかぬうちに危ないことをしていたのかも知れず心配させてしまったならテラスは謝りたかった。そうして心配してくれるひとが傍にいることのありがたみを、常日頃感じている。

「ありがとうございます。いつも傍にいてくれて」

「……」

「わたしはこの上なく幸せ者です。皆さんを助ける力がまだ足りないと思いますが、カクミさんやカインさん、そして村の皆さんがいてくれて、わたしが思うよりたくさんのひとに尽くせる。そういう気持が湧いてきます。お礼ひとつではとても伝えきれません」

 思いを確かめてカクミの背中で両手を合わせる。みんなに対して言葉や態度で表して、いつか、もらった以上のものを返していきたい。

 そんなテラスに、

「驚かないで聞いてください。──」

 カクミが前置きして、震えながら伝えたのは、生来の穢れについてと、昨日テラリーフ湖で植えつけられた穢れとその経緯であった。

「──。テラス様は覚えていないかも知れませんが、これは、事実です……」

 テラスは、今日の彼女がいつもの彼女とどこか違うように感じていた。その理由も、突然謝ったりした理由も、穢れに関わることと判ってテラスはほっとした。

「カクミさん、気にしないでください。わたしの気持は変わりません」

「不安とか、恐いって気持、湧いてきたりしません?大丈夫ですか……?」

「はい」

 ただ、カクミの話で解ったことが一つある。

 ……彼は、魔物だったんですね。

 テラリーフ湖で遭遇した懐かしいにおいの黒いひと。名も知らぬ彼の望みを、テラスは受け入れた。そうして彼が言ってくれた。幸せだ、と。

 テラスはそれで満足であったし、記憶にある彼も満足そうであった。テラスはいつの間にか眠ってしまったようで、彼と手を振り合って別れた記憶がない。カクミによればテラスに致命的なダメージを負わせて彼は去った。眠っているあいだに穢れを植えつけられたこともカクミが話してくれたが、生来の穢れと同じように、テラスは実感を持てず、自分が魔物化する恐れも同様であった。

 一方では神界での魔物への認識と魔物の扱いを知っている。穢れを取り除いてみんなを安心させなくてはならない。それに、みんなを不安にさせたのは忸怩たる思いである。

「彼の望みを叶えることで、さまざまな憂いを皆さんにいだかせてしまうことに思いが至りませんでした。ひとの幸せは皆さんの幸せになると思っていました」

「その論理は、ある意味では間違ってないんです。相手が魔物であったことが問題なんです」

 そういったカクミが、「いいえ」と、前言を打ち消した。「あたしは、テラス様がどんな形であれ傷つくのが嫌です。だから、体も大事にしてほしいんです」

 ──その瞬間、世界が滅びたような気がして……。

 自分を見つけたときの彼女の心情を聞いたから、テラスは意見を素直に受け入れた。

「わたしが男のひとの望みを聞くことは、カクミさんをまた傷つけてしまいますか」

「テラス様は……本当に、世間知らずですね」

 カクミが抱き締めたまま言う。「元護衛とか配下とか、世話役とかじゃなく、まじめに、女として言うんで、そこんとこ、了解してください」

「……」

 いつにない真剣な声音に、テラスは気圧された。

「聞かせてください。カクミさんのお話を」

「お話ってもんでもないけど……。好きになったひととなら、好きなだけそういうことしてもいいわ」

「好きになったひと、ですか」

「この『好きなひと』ってのは、あたしやカインや村のみんなとか、そのほか多くの好意的なひとのことじゃなくて、人生を預けられるような、パートナのこと。要するに、男として信頼できて、一生ついてきたいって思える相手のことよ」

「一生ですか。カクミさん達とは何が違うんでしょうか」

「……こうなってみると、もっと早く話しておけばよかった、って、心底後悔だわ。女として話すってもう言ったから、手加減抜きでいく。覚悟はいい?」

「っ、はいっ」

 カクミの抱き締める力が苦しいほど強くなって、テラスは半ば息ができなかったが──。

「あんたは毛繕いもできなければ餌も作れないガキンチョの中のガキンチョなの。常識もぶっ飛んでて危なっかしくて騙す側からしたらいいカモなのよ。そんなガキンチョが自分の価値を量れるわけないでしょ……。せめてっ、どこの骨とも知れんヤツにカラダ許すんじゃないわよバカタレッッ!」

「──!」

 耳がキーンと鳴るほどの大声であったから、抱き締める強さと相乗して、彼女の気持が爆発的に流れ込んできた。

 ……わ、わたしは、間違っていたんですね。

 叫んだ次には嗚咽を怺えて背中を撫でてくれる彼女。目の前にあった望みと自分の過ちに、テラスは気づかされた。

 ……大切に想ってくれているカクミさんを、わたしは、蔑ろにしていたんですね……。

 ひとの望みを叶えることは、主神としてできなかったがゆえに永遠の課題。そこにはカクミの望みも含まれている。誰かの望みを叶えることで誰かの望みを潰えさせることは、テラスの望みではない。欲張りか、みんなの願いを叶えたい。そのために、みんなの話を聞いているのだから、誰一人不幸にしたくない。

「カクミさん、ありがとうございます。わたしは、……」

 カクミの顔を視て思いの丈をぶつける。「皆さんの役に立ちたいと思い、摘師になってからそれができているつもりでした。大きな間違いでした……」

「解ってくれたみたいですね」

「はい。こんなに近くにいるカクミさんの望みすらまともに叶えられていなかったことに今の今まで気づけず、恥ずかしい思い上がりでした。ですから、もっと、もっと、頑張ります!大きくなって、毛繕いがてきるようにも餌を作れるようにもなります!」

「えっ、そ、毛繕いはともかく『ご飯』を作ってくださいね!」

「はい、小鳥さんのご飯もわたしの餌もしっかり作ります!」

「いやだからもうっ、そうじゃなくて逆でっ、比喩で、──」

 しばしカクミから誤解を正されたテラスは重要なことを理解した。

「──。では、一人で服を着ることから始めます」

 立ち上がったテラスだったが、痛みで膝をついた。

「テラス様!大丈夫ですか?」

「あ、はい。なんでしょう、木の根を滑ってぶつけたときのような痛みが変なところに……」

「相手のことばっか考えて自分の痛みなんか感じてなかったんでしょう……。無理しないで、お願いだから」

「無理はしていないんですが」

 ゆっくり立ち上がれば響かなかったが、じわじわ・ずきずき・ずしずしと感ずる、複合的な物凄い痛みだ。

「さ、カクミさん、服を持ってきてもらえますか」

「流れ的に否定しづらいんですが、テラス様、それじゃ一人で着たとはいえません」

「そうでした、いけませんね」

「ええ、全然いけませんね」

 カクミが呆れつつも、タンスから服を取り出して枕許に置いてくれた。

「さて、赤ちゃんに戻りましょ」

「赤ちゃんですか。抱っこされたり、はいはいや喃語ですね」

「ナンゴとかよく解りませんがたぶん違います。服ですよ、服。寝たままでもいいですし、座ったままでもいいんで、着てみましょう。とはいってもいきなり着るのは無理でしょうから、手取り足取りっ、レクチャしますよ」

 いつもの調子に戻ったカクミが、テラスを座らせて後ろについて服を広げると、袖はここ、襟はここ、腕をここに通して、頭をここに通して、と、細かく教えてくれたので、テラスは実践してみた。が、

「できました!」

「ズボンを頭に被ったひとの言葉じゃねぇですよぅ」

「でも、顔が出ました。素晴らしい進歩ですね」

「世の中じゃそれを退化といいます。妙ちきりんさが可愛いですけど、先が思いやられるっ。そんで右腕は完全に出ちゃってるじゃないですか。そんなカッコで外へ出ますか」

「ちゃんと立ち上がれますし、歩けますよ」

「実演してみても説得力ゼロですって」

 すぽーんっとズボンを剝がれたテラスは、

「はい、服はこっちです」

 と、服を手渡された。「あたしが持ってる服を差し置いてズボンを手に取るその感覚からしてお先真暗な気がしてきましたが、まだ諦めませんよ」

「よろしくお願いします。……どうやって着るんでしたか」

「テイク(ツー)っ。腕を通すのがここで頭を通すのがここで──」

 カクミが根気強く教えてくれた数分後、

「お主達、何をしておるのだ」

 と、カインに声を掛けられたときテラスはまだ服を着られていなかった。

「カインさん、おかえりなさい」

「戻ったわね。観ての通りテラス様に服を着せる練習をしてるわ」

「それをいうならテラス様が服を着る練習では。で、なぜ袖に頭を通している」

「リングワンダリングしてるから無駄なのよぉ」

「歩みを感じておるはずなのに無駄といってしまったな。ぐるぐると同じことを繰り返している、と、いうことか」

「ふふふ、その通りよ」

「進歩がないのは退化にも似るな」

「退化しか感じないっ」

「まあ、そうであろうよ」

 と、カインが半ば諦めたふうだった。「仲睦まじいことはよしとして、声を掛けたら返事をしてほしかったな」

「出た。寂しん坊カイン」

「男は孤独なものだ」

「言葉だけカッコよくてもダメでしょうよ」

 何十回目か、カクミにすぽーんっと服を剝がされたテラスは下に着ていた服を抓んで観る。

「形はなんとなく覚えられている気がします」

「これだけやって『なんとなく』とっ。摘師の仕事に田畑や動物の世話、洗濯もある程度できるようになってきたから今なら、と、思ったんですけどね。おぉ、徒労感……」

「ご苦労。無駄と割りきって別のことを頑張ってもらうほかあるまい」

「まさに徒労」

 カクミが項垂れるもへこたれない。「よし、料理っ、負けじと料理に向かいますよっ」

「はい、着替えはできませんでしたが、煮炊きはできるように頑張ります」

「着替えの失敗で料理の結果も予想できますが」

 と、カインが苦笑して、「そちらはわたくしが担いましょうか」

「カインさんが教えてくれるんですか」

「何故わざわざ訊きました。そんなに意外でしたか」

「煮炊きはカクミさんに任されているものと思っていました」

「わたくしも自炊できます。見た目ならわたくしが圧勝ですが味優先ならばカクミがやや上、と、いうことです」

「希し〜、あんた勝ち負けにこだわってる?」

「超克すべき問題という意味で中身・外観を観測するのであれば当然比較が生じ得て──」

「小難しい説明はいいってば。あたしが上だからあたしが教える。それでOKよね?カラフルになるけど」

「我我は鮮やかな色合から避けられぬ運命なのか」

「避けられるわよ、餓死するけど」

「生きられる分は幸せか」

「そうよ、食わせてもらって贅沢いうんじゃないわよ」

 今日も愉しげにカインとやり取りしたカクミだが、ふとまじめになった。カインも相応である。

「話は?」

「うむ。テラス様に状況を伝えたか」

「うん。そっちの状況も全部話していいわよ」

「了解した。テラス様、村民との話し合いについてですが、」

 と、カインが話し始めたので、テラスは前のめりで、

「了解を得られましたか」

「ええ。ただし、」

「ただし」

「村民より言づけです。『無事に帰ってきてください』と」

 その言葉が重く、そして、じんと迫った。何もできない自分に期待してもらった。今はまた心を配ってもらった。その気持に、応えたい。テラスは無論、

「はい」

 と、うなづいた。

 若若しい芽と給金袋に合掌して、カクミから教わって調理を手伝いお弁当をこしらえたら、残りもので作った昼食を食べた。そのあと、テラスは家の掃除をした。大切に使わなければ、譲ってくれたティンクに申し訳ない。

 モカ村での普段着であり摘師としての仕事着であるモカ織を、今日の外着に選んだ。

「いってきます。必ず、帰ります」

 日差と雨を与えられるよう拝んだ鉢植えを庭に置いて、カクミとカインを伴ってテラスは家を出た。テラリーフ湖へ行くときのようにツィブラが東の森の出口付近にやってくる。一行は実る畑を背に、まず北の内層へ向かう。

「テラス様が世話した野菜、もっと食べたかったですね」

「帰ってきたら採って食べましょう。サンドイッチに使ってください」

 キュウリにレタス、トマトもあるので玉子ハムサンドにも合うだろう。

「そのときはわたくしもいただこう」

「カインも〜?」

「なぜ渋る」

「カクミさん」

「解ってますって、カインにも作ってあげますとも」

「よければ、村の皆さんにも」

「ふふっ、解りました、作りましょう」

「一部からは拒絶感が湧きそうだがな」

 三者、それぞれに笑う。

 と、森に入る手前、伸びた影の先に村民が待っていた。

「──、こちらにいらっしゃると思いました。テラス様」

 村民代表のティンクが前に出て手を伸ばした。「こちらを受け取ってください」

「はい、なんでしょう」

 手を差し出すと、ぽとっと小さな丸い物。「これは──」

 黒い皮の木の実。試験において自らの力で採ることができなかったものだ。

「ご存じの通り、とても希しい木の実です。食べていただいても構いませんし、ずっと持っていてくださっても構いません。ただ、わたしども、たった一五人の村民──」

 ティンクに続いて、皆がお辞儀した。

「テラス様のご帰還を心からお待ちします。その木の実が、村の総意です」

 過ごした時間が短くても、想いを向けてくれた村民。

「──ありがたくいただきます!」

 仲良くなった一人一人と抱き締め合って、手を振り合って森へ入ったテラスは、少しだけ心が零れそうになった。

「なんだか、とっても、勇ましいです」

「いいひとびとに、巡り逢えましたね」

 と、殿のカインが微笑んだ気配。「宮殿を追放された頃、わたくしめは不遜にも、テラス様が村民に受け入れられ、斯様に求められる日が来ることを思いもしませんでした」

「できない主神でした。カインさんの考えが正しかったと思います」

「ですが、テラス様はその想いと行動で村民を動かしました。大稜線でも、必ず成果を摑めると、わたくしは信じます」

「ありがとうございます。お母様を見つけて、皆さんの言づけを必ず守ります」

 北の森へ入り、少し進んだところで二人を待たせて、テラス一人でいくつか木の実を採取して歩んだ。やはり黒い皮の木の実は見つけられなかった。村民の惇い気持を袖にしっかり収めて辿りついたのは森社、高さ二メートルほどの森の声の社だ。背丈を超える祭壇に採取した木の実を供えて、両手を合わせた。

(森の精霊さん、どうか健やかで。村の皆さんのこと、見守ってください)

(待っているわ)

(……ありがとうございます。いってきます!)

(いってらっしゃい)

 森を踏み荒らさぬことに慣れ、筋肉痛もほとんどなくなってきた。ここでまた摘師の仕事をしたい。お腹が減ったとき木の実を摘まみ食いしたり樹液を飲んだり、小鳥や虫と遊んだり木の葉と戯れたり、森の声と話したり、そんな日常に戻ってきたい──。

 テラスの中には大きな疑問があった。人型の黒い彼。魔物の彼をなぜ懐かしいと感じたのだろう。なぜ、彼は穢れを植えつけていったのだろう。なぜ、自分を見逃してくれたのだろう。複数の疑問はそのまま、カクミとカインの疑問でもあった。魔物の生態は多くが謎に包まれているという。彼の行動はそんな謎多き生態の一環にあるのか。

 穢れ対策を知っているであろう母との再会で全てが解決するわけではないだろうが、疑問は疑問として持ち、期待がくれる勇気を糧にテラスはハイナ大稜線へと向かった。




──八章 終──




 

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