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四章 消えゆく暗部

 

 行きはよいよい帰りは恐い、とは、飽くまで自分で進んだ場合に用いるのが適切であるのだろうが、カクミに抱えられて家を出たテラスは入居時に眠っていたから家の場所が判らず、暗い村内を彷徨い歩くことになった。

 ……困りましたね〜。

 あまり動じていないが、眠くはなってきたテラスである。村に住むひとびとが自分や皆の家を知らないはずがなく、表札がない。いずれも暗がりの家で、まさか打ち解けてもいないのに押しかけて自分の家か確かめるわけにもいかない。

 こっくりして歩くこと数分、

「ハォ〜」

 鳴声につられて畑を観る。何かがいる(?)じっと見ていると、トウモロコシを銜えた四足歩行の動物が茂みのような畑の陰から姿を現し、テラスを振り向いた。

 目が合った。わずかな光を返す毛並は茶色と白色の二色だろうか、ずんぐりとしたウマのような体とウサギのような耳を持つ生き物だ。

「あなたは……ウサギュマさんですか」

「ヴォ」

 口が塞がっているからか、くぐもった返事だった。

「カインさんの調べで読んだことがあります。あなたがカクミさんの言っていた仔ですね」

 少し目が覚めたテラスは、その生き物ウサギュマに歩み寄って背中を撫でた。「あったかいですね」

 両腕で背中に抱きついてみると、もっふとしている。「毛がくすぐったいですね〜」

「ヴォウ……」

「なでなで。ウマさんより長い、コシのある毛並ですね……」

「ウォう〜……」

 背中に顔をうづめると自然の動物のにおいがして、テラスは気に入った。

「土のいい香りがしますね〜……」

 ウサギュマが後ろに歩いて器用にテラスを背中に乗せると、歩き出す。緑と大地、冷えていく空気の香り。揺り籠のような温かい歩調に再びこっくりすること数分、

 ……ここは……。

 蛍火のように明るんでいる空間に気づいた。

 光源は目の高さになく、もっと上。眠りかけた意識には大きく観えたが、それは非常に小さな、まこと蛍火のような光源であった。森内層の一〇〇メートル級の巨木、その枝先で光るものがなんなのか見上げてみてもよく判らなかったが、その光が温かい何かであることは判った。

「おやすみなさい」

 光にお辞儀したテラスを乗せて、ウサギュマが道を引き返した。迷ってしまうばかりか魔物に襲われる夜の森を、ウサギュマも知っているかのようだった。

 テラスを保護したのは無論カクミとカインであった。コウジが魔物の警戒に入ると代行の二人はお役御免で、テラスが家に戻った旨を聞いて村の中を捜し回っていた。随分長いこと運ばれていたのか、それともその背中が心地よかったのか、ウサギュマと別れたときテラスは少し目が覚めていた。家に案内してくれるカクミとカインに感謝し、コウジとの話の内容を伝えていると、狭い村だ、すぐに家に到着した。

 これからの我が家を、テラスは見上げる。

「柔らかい木のにおいがしますね」

「森の空気がダイレクトに流れてきますしね、ここ」

「それによって一部の菌は死ぬそうだがな」

 空気を読まないカインの言葉にカクミが呆れたが、

「テラス様、入りましょっか」

 と、テラスの背を押して笑った。「テラス様めっちゃ冷たっ、路地裏の空き瓶みたいに」

「そういえばさっきからすごく眠くて……」

「カクミ、早う中へ」

「囲炉裏に火ぃ入れて」

「火は『熾す』ものだ」

「早く行けジジイっ」

「せっかちも老化を招くのだぞ」

「永遠の美人になんてこというのよ」

 愉しそうな二人の声を聞いて、テラスは瞼を落としていた。


 それはいつ頃からか知れない。

 テラスは眠りに落ちると時折不思議な体験をする。

 姿見で観た自分とよく似ている人物、でも、少しだけ大人びた人物が、目の前にいる。その人物は、とても澄んだ眼していて、いつも言うのだ。

「あなたはそのままでいい。全て、わたしに任せなさい」

 幼い自分を、どこかで守ってくれるひとがいる。それを忘れぬよう、夢の中でも自分の胸に刻んでいるのかも知れない。

 守ってくれるみんなのために立派な主神となって、必ず恩返しをしよう。

 テラスはそう思った──。



 深い眠り。こうなると、テラスが起きることはまずない。放っておいたら一二時間は眠ったままの彼女をカクミはお風呂に入れてあげて、布団に寝かせた。

 カーテンを閉めたままの空室にカインの用意した布団を敷いただけであるから殺風景だが、

 ……これもテラス様のため。

 暗殺者の襲撃を警戒してのアイデアだった。

 ──寝室はあっちじゃなかったっけ?

 ──お主はムシ改めウマシカか。

 ──はっきりバカと言えっ!

 そんなやり取りをして、本来の寝室ではなく空室を選んだ。寝室にはベッドがあった。カインが最初に訪れたときには用意されていたベッドだ。カインをこの家に案内したティンクが脅されたり結託したりなど暗殺者と繫がっていたら間取りは筒抜けで真先に寝室が襲撃される。空室はスルーされる可能性が高く、暗殺者の襲撃に合わせて撤退することもできるだろう。

 ──暗殺者なんかあたしの銃で一発なのに。

 と、カクミは提案した。カクミの魔弾はサイレンサをつけなくても消音が可能である。おまけに意図して音を立てることもできる。テラスを起こさないように暗殺者を射殺することも、強烈な発砲音を立てて脅すことも自由自在だ。が、想像の範囲であれ事実であれ、この世の暗部をテラスに伝えないようにするにはテラスを起こさず争いの痕跡が残らないような対処をしたい。相手が流血するような攻撃は発砲に限らず避けたく、空室を寝床にするのがいいだろう、と、意見が纏った。

 テラスの夜間警護はカクミの仕事。すやすや眠っているテラスを眺めて、カクミは壁に凭れて立っていた。いつ観ても変わらないテラスの寝顔に心がほぐれる。

 ……、……。


 カクミは宮殿騎士団に所属して、母とともに路地裏から宿舎に移り住んだ。

 簡単にとはいわないものの、勝手に宮仕えを辞めて宿舎を出ることになってしまったカクミは、テラスを追う前に謝罪のため母を訪ねた。

「──。あんた、本当に辞めちゃったの?」

「ごめん。ここ出ることになるから、急だけど、よろしく」

「何があったの」

「テラス様が追放されたから」

「そんな、どうして──」

 母も言葉を失った。会えばテラスの話を聞かされていた母であるから追放されることを考えてもいなかっただろう。

「一つだけ解ってて」

「何?」

「テラス様は何も悪くない。たぶん、どっかに悪い奴がいるんだと思う」

「……テラス様が悪くないってのは解るけど、あんたはどうするの。テラス様が追放されたっていうならあんたは……」

 宮殿に入ることを決めたのも、宮殿騎士団にいたのも、テラスの近くにいるため。テラスのために動くカクミであるから、

「決まってるでしょ。どこでだって、テラス様を守らなきゃ」

「……変わらないね」

 いつでも変わらないテラスに感化されたのだろう。カクミは、そんな自分が好きだ。


 快く送り出してくれた母だが、カクミが宮仕えでなくなったため神界宮殿の宿舎から出ていかざるを得ず、路地裏生活に逆戻りしている。生活費を送る予定があるがカクミは無職。今後の自分達の生活を考える上でもどこかで働く必要がある。テラスをカインに守ってもらっている昼間がその時間になるだろう。マイ曰く村にお金は不要で、お金が巡っているか怪しいので村内就職は厳しいか。考えにくいが、特産品というモカ織は物物交換で外に出しているということか。しかしながら、あんな高等な織物をカクミは観たことがないわけで──。

 ……この村、何かがおかしいな。

 何が、とは、まだ言えない。カインが起きたら意見を聞くのがいいだろう。認めたくないがカクミよりは頭がいい。

 ……あたしを認めてる、か。

 テラスを介して聞いたことだからカインが本当にそのように表現したかは判らないが、

 ……ま、少しはあたしも認めてやるかな。

 テラスを見守るために神界宮殿を抜けてきた彼には見所がある。間違っても議員のようにテラスを追いやるようなことはないと信ぜられる。

 ……ん、来たか。

 いくつかの気配を感じ取ると、全身の神経を研ぎ澄ませた。……玄関先に三つか。

 魔物警戒のため村を巡回している男性陣だ。一人はマコトで、ほか二人は顔見知りではないものの、じきに隣家の玄関先へ向かった。こういった巡回は魔物が出没する小さな村落でよく観られる。

 テラスの寝顔を視る。

 落ちついている。

 ……このまま何もないのが一番ですよね、テラス様。

 辺境への追放で議会が満足し、暗殺者は存在せず、テラスは狙われていない。そうであればこれ以上テラスが憂き目を見ることはないので構わない。ただ仮に暗殺者が現段階で存在しなかったとしても、永遠に存在しないとは限らない。テラスが村民として生きていく未来が想像できないし、テラスにはこの神界を導いていける器があるとカクミは思っているからである。

 ……あなたは、村に収まるひとじゃない。

 村落を軽んずるのではなく、モカ村を含む全ての集落や都市に住むひとびとに威光を届けられるはずだ。贔屓目も多少あるだろうか、しかしカクミは本気でそう思っている。

 静かな森の村。

 少しずつ冷え込んでいくようなのは、夜の影響だけでなくこの部屋にテラスが眠っているからだ。

 氷属性の強い魔力を宿したテラスがそこにいるだけでどんどん室温が下がっていく。眠っている間に無意識に繰り出す魔法と同じようなものだが、室温に関しては低すぎる体温の影響であるから止めようがない。ごく稀にテラスが体調を崩すのでカクミは部屋を暖めるようにはしている。両手で包むようにして魔法の炎を灯し空気を熱して対流させ、室温低下を防ぐ。テラスを起こしてはならず、暗殺者や魔物に居場所を教えるようなこともあってはならず、木造建築物であるから燃え移らせては当然ダメであるから、弱火を心懸けた。

 ……ゆっくり眠ってくださいね、テラス様。

 そう思いつつも、眠りが深いことをいいことにほっぺをさわり倒そうかと一歩進んだカクミであったが、

 ゴトッ!

 ……誰だ。

 明らかに屋内の物音。火を消して目のみ動かして音の立ったほうを視た。あのカインが物音を立てるとは考えにくい。襖を隔てた奥、食堂を挟んで寝室のほうから聞こえたようだったがはっきりとは判らない。

 ……気配がない。

 カインの気配はもともと感じない。よくよく考えると暗殺者が簡単に気取られるように動くことはないか。カイン以外の何者かが入り込んだのだとしたら、影を確かめるほかない。

 畳を軋ませないように、寄った襖を隙間程度開けて覗く。食堂には誰もいないようだが、

 ……寝室の開き戸が開いてる。

 侵入者か。カインのことであるから一人で対処しただろうが、……っ!

 カクミは右手の銃を握って間髪を容れず後方を撃った。

「っ……!」

 ミシッ……。

 わずかの呻きとともに、カクミ以外の足音があった。テラスは眠っている。

「動くな。頭、ぶち抜くよ」

 感覚は数多の魔物を駆逐した経験から成る。畳の撓る音と足裏に伝わってきた振動、空気の震えなどから後方の人物のおおよその体重・身長、可動域を含めた頭の位置、撃たれた相手がどのように動くか、どこを撃てば確実に仕留められるかまで、一瞬間で割り出した。

「こちとら元銃士長よ。舐めんじゃない」

 カクミは振り向いた。

 踏み出した爪先がテラスのほうを向き、両手で握った刀が暗闇に浮き出ている。黒い外套のその人物は頭巾を目深に被って顔が観えないが、誰であろうが構わない。

「はぁ……、やっぱりいんの、暗殺者」

「……」

 この空室には、目立つ大窓のほかに小さな窓がある。ついていたはずの格子が外れた小窓から入ってきたのは間違いない。ほとんど物音を立てず気配を感ぜさせない手練れだ。

「飼主は誰。吐けば事情を聞いてやってもいいわ」

「……」

「こっちはテラス様を起こさないように手加減してる。ちょっとかわいそうだけど、起こす前提ならいくらでも手があるわよ」

 影の腹にぶつけて消えるような紛い物ではなく。「あたしはこの村が好きよ。だからあまり傷つけたくはない。けど、テラス様に手ぇ出すヤツは骨も遺してやらない」

 それくらいのことは容易い。〈神炎(しんえん)〉。そう呼ばれるほどの火力をカクミは持っている。

「……」

「まだだんまり?あんたらが何人いるか知らないけど、村や森に潜んでるってんなら、焼き尽くしてやるだけよ」

「っ……」

「動揺してるわね。さすがにあたしがそこまで強いとは想像つかなかった?護衛役の女に大した実力なんかないって高を括ってた?」

「ぐっ!」

「動くなっつったでしょ……」

 刀を振り下ろそうとした暗殺者が独りでに壁際に吹き飛んでいた。落ちた刀が畳に刺さる前に回収しておく余裕もカクミにはある。なぜなら、この空室には既に一〇を越える魔弾が潜んでいる。暗殺者の動きを予測して配置したもので触れれば撃たれる仕様だ。カクミ以外には避けようもない。

「撃つ時間を与えたんだから一〇〇発浴びる覚悟をしなよ」

「……」

「呻き声で判ってたけど、男よね」

 カクミは暗殺者の肩を足蹴にして左手の切っ先で頭巾を剝いだ。

「はい、終了。もう顔は割れたし観念しなさい」

「カクミ、もうよい」

 とは、襖を開けたカインが言った。カクミの魔弾を感じ取ったか、入室は控えている。

「そっちも襲われたの?」

「なんということはない。お主の部下のほうがよほど鍛えられている」

「こいつが首だと思うわ」

「……そうだな、長だ」

 カインがその場から暗殺者を見下ろす。「事情を話してもらえるか、ティンク殿」

「その名前、聞き覚えあるわね」

「村長だ」

「……じゃあ、カインが処理したヤツは」

「村民だ」

「そう……」

 普段からフロートソアー由来の魔物と戦っている村民なら気配を消すことくらいはできるだろうが、そういう問題ではない。

「明日はあんたらと話し合うんだって、ずっと聞きたかったみんなの話を聞けるんだって、テラス様、本当に、嬉しそうにしてたのよ?なんで裏切るようなことしてんのよ……」

「……」

「だんまりはうんざりよ」

「ティンク殿はまだそのことを聞いていなかったのではないか」

 と、カインが問うと、

「いいえ、存じていました」

 と、暗殺者ティンクが言った。

 知っていた。それで、なぜ、テラスの命を奪いにやってくる。カクミは、カッとした。

「殺す……」

「やめよ、カクミ。御前でやることか」

「だったら、外へ連れ出す」

「話を聞け」

 魔弾を擦り抜けてカインが歩み寄り、カクミの持つ刀を奪い、ティンクを見下ろす。その眼には──、

「あんただってキレてんじゃん……」

「当り前だ。わたくしとて聖人ではないのでな」

 カクミのように荒っぽくはないが、カインの語気が強い。

「聞かせてもらおうか。村民を従えてまでなぜ暗殺じみた真似をした」

「……言えません」

「言わねば村を焼くぞ、カクミがな」

「あたしかい。でも、焼くわよ、確実に」

 村民が暗殺者であるなら容赦の必要がなくなったともいえる。

「どこからどこまでが暗殺の件を存じている。正しく言わねば、無辜の民まで焼き尽くすことになる」

「隠し事の苦手なマコトさんや子ども達には伝えていません。ほとんどの大人は、存じています」

「わたくしの調べでは各家に未成年の子どもがいる。これを狙ってのことではなかろうが焼討ちは不可能だな」

「罰するなら、村長のわたしだけでお願いします。暗殺に否定的な村民も、確かに存在しました」

「コウジ殿だな」

「長老のことだっけ?」

「うむ。寝室を襲撃した暗殺者の一人がコウジ殿であったが、もう一人の暗殺者を止めてくれた。拘束はしておいたが、彼の意思は明白だ」

 みんなと話せる場を用意する。コウジがそう約束してくれたともカクミはテラスから聞いていた。

「長老は分別があったみたいね。村長のあんたはどう。未だにテラス様を殺したいわけ」

「急くな」

 と、カインが遮ったのにはきちんと理由がある。「理由が解らぬ」

 理由が解らなければ対策できず、同じことをされるかも知れない。テラスの安全確保のためにはティンクの事情を知る必要がある。

「暗殺を命じられたとして実行するメリットはなんだ。まさか、テラス様が悪神めいた悪辣な主神だったと思い込んでのことではないのだろう。コウジ殿の話を聞き及んだならな」

「……言えません」

「いい加減、クチ割んなさいよ」

 これだけどたばたやっていて未だ熟睡のテラス。カクミは彼女の前で撃つ気はもうないが、ティンクの額に銃口を突きつけはする。

「吐け。死んで困るのはあんたじゃなくて村のひとなんじゃないの?」

「っ……」

「こんなくっだらない脅し、させんじゃないわよ……」

「……、……解りました。しかし、どうしようも、ないことなんです」

 ティンクが口を割ったのは、村民のため、ひいては村のためであった。

「わたしどもモカの村民は、特産の織物を神界宮殿に納品しています」

「神界宮殿に?マイが売ってないって言ってたような気がするけど」

「それは……建前です」

「神界宮殿に納品しているというのは事実だ」

 と、カイン。「一年に一回のペースで、宮殿騎士団の装備品の裏地として──」

「あ〜っ!」

「こら、大声を出すでないっ」

「ご、ごめん、つい……」

 カクミは思い出したのだ。双子ちゃんの服をさわって、どこかでさわったことがあると思ったが、それは宮殿騎士団の鎧の裏地だった。

 ……めったに装備しなかったから忘れてた。

 部下にはよく「着てください」としつこくいわれていたが、昔から軽装だったので堅苦しい重装備を毛嫌いして裏地を触れる機会が少なかった。強いていえば、ダサくて重い鎧に関心がなかったから記憶からすっぽ抜けていた。

「そうか、あんとき気づくべきだった。お金が不要な村なんてあるわけないじゃん。宮殿騎士団への納品で稼いでたわけよね。で、なぜか子どもはそれを知らない、と」

「それには掟が関係しているのだろう」

 ……あのヘンテコな掟か。

「カインさんの仰る通りです。掟を守らせるためには、外界への興味を削ぐ必要があります。そのためには、外界との絶対的な違いを持ち、共通項を排除する必要がありました」

「それがお金、か……。確かに、お金は村落を越えた共通価値だし、それがない村ってなるとかなり変わってるわよね」

 そこで生まれ育ったなら、そこでしか生きていけないとも思い込む。

「わざとやってんならマインドコントロールじゃん。子ども達がそれで幸せになるとでも思ってんの?本気で?」

 カクミの問掛けに、ティンクが閉口した。自分達、大人の押しつけが子どもを、あるいは、村の未来さえ誤った方向に導いている。それを大なり小なり認識しているからだろう。

「そうでもしなきゃ守れない掟なら変えたほうがいいと思うけどね。少なくともテラス様は、あんた達が不幸になるのを見過ごせないと思ったから、話そうと思ったんだと思うわ……」

 ティンクが俯く。カクミの言葉が届いたか、それともテラスの行動が刺さっていたか、どちらにせよ、暗殺者の顔ではなくなっていた。

 カインが話を進める。

「要するに、お主らは、神界宮殿、いや、議会に脅されて凶行に及んだというのだな。理由は受注の打切りだろう」

「モカ織は、宮殿のみに納品している大事なもの。同時に、一本の綱であることも事実です。絶たれれば、村はたちまちフロートソアーに転落するでしょう」

「喩えはどうでもいいけど、真剣な話だからマジで聞いてよ?あの布、すっごいいい出来よ」

「あ、ありがとうございます」

「でさ、あれだけの布だったらどこでも売れると思うのよね。なんで宮殿だけ。はっきりいってもったいないわ」

 一本の綱。それに頼ったばかりに脅されているのだとしたら、ほかの綱を作ればいいだけの話ではないか。カクミはそう考えたのだが、それほど簡単な話でもなかった。

「モカ織は、特産品であると同時に村の財産です。きちんと管理できると保障された相手でなければ売ることができないんです」

「どういうことよ。きちんと管理っつったって、たかが布じゃない。ボロになった服を雑巾にしたりするけど、そういうふうにしたらヤバイってこと?」

「いいえ、そういうことではなく……」

 ティンクが、思い切るようにして言葉を発した。「モカ織は、半永久的に失われることがない布なんです。それゆえ、返却してもらわなくてはなりません」

「ちょっと待って、どういうこと?マジで解んない」

 モカ織を神界宮殿が買う。不当な転売や契約内容に反した取扱いは許されないとしても、装備品の裏地などとして使用する分には契約内容で許されたことであって、咎められることはないはずである。一方で、ティンクによればそうして使われていたモカ織はモカ村に返却しなければならない。

「半永久的に使えるってのも考えにくいんだけどさ、それが本当だとして、返却前提の販売ってことなの?」

「はい。ですから、魔物に討たれるなど不慮の事故にでも遭わない限り紛失せず、しっかりと返却してくれる相手でなければ納品することができません」

 信用第一というのは商売では当然のことだろうから納得として、

「さわってみてすごいとは思ったけど、モカ織って、そんなにすごいものなの?」

 カクミの疑問に、カインが応える。

「なぜ命を守る装備品の裏地に使われているかを考えれば簡単に解る。モカ織には、優れた耐久性があるのだ」

「そういえば、鎧を着てる部下は案外タフだったわね」

「お主のような俊敏な者はなかなかいない。戦闘では傷つくことが当り前だ。そんなとき、命を守っているのが、鎧であり、裏地であるモカ織なのだ」

「触り心地だけじゃなくそんな大事な役目があるなんて……」

 ますますこの村が好きになった、と、カクミは感動しかけたが、首を振った。「だからってテラス様を狙うのはナシで。契約相手がいないなら頑張って開拓しなさいよ」

「そうですな……」

 ティンクの浮かない表情が、その難しさを物語っている。村の外へ出る姿を子どもに見せるのは掟破りを助長することになりかねないから控えていたのだろう。契約先確保のためでも長期外泊はもってのほかということになる。すると、契約先は宮殿一本に絞らざるを得ず綱を増やすことはできない、と。

「あたし達はテラス様を殺させたりしない。そしたらあんた達の首が締まる。二本目、三本目の綱を探す努力はやっぱ必要じゃない?」

「それは当然であろうが、ティンク殿、もう一つ訊いておきたい」

 カインが最後に問うのは、「脅すような相手と話し合おうとする相手、どちらが本当に信用できるかすら判断がつかなくなっておるのか」

「それは……──」

 ティンクがはっとしたようだった。自分がどこかで感じていた迷い、躊躇い、不信感、その核心がカインの問掛けに凝縮されていたことに気づいたからだろう。

 カクミは、ふっと息をついて、ティンクの肩を手で払った。

「足蹴にして悪かったわね」

「カクミさん……」

「なんていうか、あんたも必死だったわけでしょ、村民や、村そのものを生かすために」

「……言訳は、できません。元主神を手に掛けようとしたことに、噓はありません」

「だとしてもよ」

 カクミは容易に想像がつくのだ。「テラス様なら『わたしは無事でした』って言うわ。危ない目に遭っても、あんた達が幸せになる道筋にあるならどんなことだって受け入れる。そんなひとよ……」

 ぐっすり眠っているテラスを、だからカクミは信じている。だから、ほかのひとにも信じてほしい。

「テラス様のこと、信じてくれない?なんなら、余所者のあたしとカインが、新たな受注先を見つけてきてもいいわ」

「そ、そんな、村外の方にそのような──」

「じゃあ訊くけど、あんた達に村の外のことが解る?ロクに森の外にも出られない身じゃ信用できる相手がどこにいるかもサーチできない。綱探しも手探りなんじゃないの?」

「それは、……はい」

「だったら、自由に外に出られるあたしらを利用してみなさいよ」

 カインが、「勝手な表現をしたものだ……」と、呟きつつも看過したので、カクミは気にせず提案を続けた。

「あんたらはもう村民だけじゃ立ち行かなくなってる。でも掟に縛られて身動きできない。なら自由の利く第三者に頼るくらいしなさいよ。幸い、あたしらはそこらの魔物より断然強いし馬車より足が速い、さらにはっ、首都以外にも顔見知りが結構いる。信用できるヤツも、何人か思い当たるわ」

「っ、本当、ですか!」

「っはは、噓いってテラス様を暗殺されたらたまんないわよ。だから、信用して、利用しなさい。いいわね」

「……カクミさん──」

 いい話で纏まりそうだったが、カクミは気づいてしまった。

「できればお金ちょうだい、給料ね、正当な!」

 ティンクとカインが苦笑してしまったが、村での生活にお金が必要であることはティンクが認めたのである。

「いつまでも無職じゃ暮らしてけないの。それに、あたし達はあんた達にテラス様を狙われてると思えばこの提案を白紙にはできない。そう考えたら取引的に信用できんじゃない?」

「なるほど、確かに」

 ティンクがうなづき、カインを仰ぎ見る。「カインさん、よろしいですかな」

「わたくしもテラス様を狙われるのは避けたい。それが村民の手によるものとなればなおさらだ。カクミの提案というのがいささか癪だが異論はない、手伝おう」

「ありがとうございます」

 ティンクが深深と頭を下げて震えていた。カクミはカインと顔を見合わせ、テラスを一瞥、ティンクの顔を上げさせ、居間へ移動した。カインが縛り上げていた村民とコウジ、それからティンクを交えて囲炉裏を囲むと、モカ織を扱ってくれそうな信用高い契約相手について協議した。カクミとカインの人脈が活きて交渉の目処が立ったので一旦解散、ティンク達を見送るとテラスの眠る部屋に戻り、カクミは一つの疑問、いや、疑いをカインにぶつけた。

「あんた、ティンクが暗殺者ってじつは知ってたんじゃないの?」

「確証はなかったが」

 疑惑はあったよう。

「モカ村の現地調査はあんたがしてたんだもんね。モカ織が宮殿に売られてることも、それが村唯一の収入源ってことも知ってたわけで」

「ティンク殿はカクミのことを知っているようだった。ある程度の実力者である、とな」

「……なるほど、議会の連中に警戒を促されてたわけだ。カインのことも、ね」

「テラス様とともに移住することまでは予測していなかっただろうが、障壁と成り得るとすれば世話役や護衛役のわたくし達くらいだからな。特にテラス様に友人のように接していたお主については警戒度が高く、名指しで危険視していたことだろう」

「で、なんでティンクを放置してたわけ」

 万一のことがあったらどうしていたのか。「テラス様に一つでも傷がついたら覚悟しなさいよ」

「問題ない。そんなことにはなりはしない」

 どこからそんな自信が湧くのか。

 ……ま、あたしの魔弾を避けて歩くくらいだし。

 小癪であるがカクミの考え方をよく理解している証拠だ。

「どうしてここに入ってきたわけ。魔弾が仕掛けられてる場所、察してたの?」

「お主は口は悪いが、無闇にひとを殺すような真似はすまい。敵の逃げ道、また、わたくしの通り道になる場所には仕掛けていないと踏んだ。テラス様の周囲を天蓋のように覆っているのではないかと想像するところだ」

「……」

 観えなくても、解っているからすごい。もっとすごいのは、部屋に入ってきたことだ。実際に入ってみたら予想外のところに魔弾があるかも知れないのにカインは踏み出したのである。

「吹っ飛ぶ程度の魔弾だったけど、失明くらいするわよ」

「目の高さに仕掛けていたとは考えにくい。同じ理由で致命的なダメージを負う高さでもないだろう。転倒を狙った膝下の位置もあろうが転倒した際にテラス様に覆い被さる危険性から後退を狙った腹部・胸部位置が最善。そして逃げ道や通り道がある」

「それ、思い込みかもよ。あたしを理解しきってるとかキモい言い方やめてくんない?」

「お主がテラス様を大切に思っていることを信じておる」

「……何それ、なんかムカつく」

「それはすまなかった」

 カインが寝室へ向かう。「ひとまず眠る。テラス様の警護を頼む」

「はいよ」

 いろいろと見抜かれて癪に障るが、カクミはゆったりと座ってテラスの寝顔を見守った。



 瞼を開くと、大窓の照らす世界。

「おはようございます、テラス様」

 カクミの眩しい笑顔が横にあった。

 彼女をぎゅうっと抱き締めて、テラスはこっくりした。

「おはようございます……、おやすみなさい……」

「寝ちゃダメですよ、もう」

「ふわぁ……」

「あらま大きなお口。思い返せば村に来てから何も食べてませんから、何か食べましょうよ」

「…………たまごのさんどいっちです」

「へ?サンドイッチ」

「……はい」

 宮殿騎士団の面面がいつか話していたもので、魔物討伐に出掛けていたときにカクミが作ったものだそうだった。

「カクミさん、おねがいできますか」

「な、なな……」

「どうかしましたか」

「腕の中のテラス様が上目遣いでお願いしてくれると凄まじいエネルギになるなぁ、と」

「それはいいことですか」

「無論いいことですっ、がんがんやっちゃってください、あたし限定でっ」

 強めの押しで迫るカクミのほっぺを両手で挟んで落ちつかせると、テラスは彼女に引かれて立ち上がった。

「と、服を持ってきますから待っててくださいね」

 カクミが襖を開けて部屋を出ようとすると、屈んで何かを拾った。「あんのヤロー、準備がいいというかなんというか……」

「カクミさん、なんですか」

 少しずつ目が覚めてきたテラスはカクミの腰に引っついて、その手許を観る。「布ですか」

「服です。カインが用意してたみたいですけど、これでいいですか?」

「カクミさんはその服でいいですか」

「あたしの趣味で着せ替えたいわけじゃないですからね?信じられないって顔しないでくださいよぉ」

 テラスの服選びとなると嬉嬉とするカクミを何度も観ているから、テラスは首を傾げていたのだった。

「まあ、とりあえずこれに着替えましょう、ちょっと趣味悪いですけど……」

「そうですか」

「そうですよ、どこからどう観ても──」

 ダボッとした長尺パンツにトップスも暗めで露出を減らすことを念頭に置いた中年コーデだということをカクミが熱弁した。テラスにはほとんど理解できなかったが、要するに、

「──、テラス様には似合わないっ、あり得ないっ、なんてオヤジくさいのっ」

 ぶーぶー。カクミの毒が延延飛び出しそうだったので、テラスは彼女の唇を上下で抓んで止めた。

「むぐ、何するんですかぁ」

「わたしは裸でも構いませんよ」

「裸族思考やめてっ」

「では、その服を着ましょう」

「無念」

 カクミが渋渋にも納得してくれたところで、料理の話だ。

「サンドイッチ、わたしも作ってみたいです」

「テラス様も?」

「宮殿ではご飯を作ったことがないので、挑んでみたいと思いますっ」

「いいですね、応援します。あ、けどちょっと待っててくれます?」

「何か差障りがありましたか」

「材料を調達してないなぁと思って」

 バッグ一つで引っ越したままであるから食材があるわけがない。

「村で調えるのは、いけませんね」

「畑や鶏小屋(とりごや)なんかもありましたから粗方揃いそうなんですけど、そうですね……、まずは受け入れてもらうことが最優先です」

 話し合いが先だ。コウジが村民を集めてくれる。

「お腹は空いていませんから、コウジさんの知らせを待ちましょう」

「じゃ、居間でだべりましょうかね〜」

 できれば一人で着替えたかったが、初めての服で着方が判らずズボンに腕を突っ込んでしまったテラスは、今日のところはカクミに手伝ってもらった。

 廊下を挟んですぐのところに食堂、食堂の南に居間があった。

「この囲いは儀に用いるものですか」

「ギっちゅうか、日用品みたいなもんで、囲炉裏っつ〜んですよ」

「囲炉裏。灰の上に炭があります。魚を象った棒の先に変わった形の器が吊られています。火を熾すところですね」

「ほら、横にあるこの箸で薪や木炭を転がして火力を調整、吊られた鉄瓶の中の水を沸かしたり、鍋に替えて料理を温めたりできますよ。防虫なんかに役立つナンチャラ〜っていう成分が出てたり、夜間に暖を取ったりもできるってカインが言ってました」

「とっても役に立つものなんですね」

「あ、でも、でも、煙が出すぎると眼とか肺に悪いんで注意しましょうね」

「はい、気をつけます」

 炭からか、嗅いだことのある香りが漂っている。「昨夜の森と同じ香りがします」

「周囲の森から伐り出した薪を使ってるんでしょうね。てか、たぶん家もそうですよね。あ、テラス様はこっちの席へどうぞ。はい、座布団」

「ありがとうございます」

 テラスが座ると、カクミがぴゅ〜んとどこかへ行って戻り、左斜(ひだりはす)の席に座った。その手に木製タンブラ。鉄瓶から湯を注いでくれた。

「テラス様、こんなで悪いですが白湯でもどうぞ」

「いただきます」

 火加減が絶妙で、火傷しない程度の温かいお湯である。「体に染み渡ります」

「なんかお婆ちゃんみたいですね」

「カクミさんもどうぞ」

 テラスはタンブラをカクミの口許へ。

「い、いただきますっ」

 と、カクミがそっと口をつけて、「お……、これは確かに、なんかうまい……」

「森に湧き水の川があって、村ではそこから水を引いて各家で使っています」

「じゃあ、これもそこの。開発の進んでない村だと水もヤバイんじゃないかって勝手に思ってたんですけど、テラウスのと比べてもうまいですよ。これならいろいろ使えそうです」

 料理が上手だというカクミが唸るほど、モカ村の湧き水はおいしい。

「そういえば昨日お風呂入ったとき、なんの違和感もなく入れましたしね……」

「お風呂があるんですね」

「やっぱり覚えてないですか、テラス様は寝てましたし」

 昨日はこれまでで一二を争うほどよく動いた一日だったはずだが、体がさっぱりしている。

「今度はわたしが背中を流しますから、起こしてくださいね」

「えっ、そんなもったいぃ……」

「『そんな持った意』。古い言の葉か何かですか」

「あいや、そういうんじゃないっすけどもね、まあ、その、解りました、起こします」

 カクミが妙に慌てた様子で、「でも、宮殿のお風呂と違ってかなり狭いので、ゆったり入れなくなると思いますけど、いいですか」

「入るところが狭いなら、くっついて入りましょう。きっといつもより温かいですよ」

「ぶふぉ〜っ」

「カクミさんっ」

 突然に後方宙返りして頭で不時着したカクミが鼻血をぶっ放しているので、テラスは動転してしまった。

「どどどどうしたんですかっ、か、カクミさんっ!」

「ごごごご……」

 脳天を打っているのだから悪いところも何もないのだが、カクミが悪いところでも打ったように震えている。テラスはさーっと青ざめた。

「か、かかカインさ〜んっ、カクミさんが血をっ、てて、手あ、手当を〜!」

「朝っぱらから大声を出さないでください」

「なぜか上から降ってきましたねカインさん、ごめんなさい。ですが一大事ですっ」

「このダメージはいつか役に立つのでほっとけばよいのです」

「そんなっ」

 テラスはカクミの体を起こして袖でカクミの鼻血を拭ってあげた。

「カクミさんがこんなに血を流しているところは初めて観ました……戦いでも傷つけられたことがないと話していたのに、どうしてこんなことに……」

「一種の患いとは表せましょうが平気です。ヘンタイは総じてタフなものです」

「も、もしかしてカクミさんがムシであることと関わりがあるんですか」

「そのネタ未だに引っ張るんですね、いやしかしそうですね、飽くまで擬人化でしかありませんがムシであることとヘンタイであることは近いでしょう。その鼻血はサナギになるための準備なのですよ」

「な、なるほどっ、でも物凄く痛ましいです。サナギになるにはこんな労があるんですか」

「ムシは厳しい自然界を日日生き抜く猛者達です。その程度の苦労に音を上げることはありません。どうしても心配であるなら、以前教わったことを実践してみては」

「カインさんが教えてくれたことですか」

「わたくしも教えましたが、主にマリアが教えたことです」

 カクミの元部下、水魔法が得意な銃士である。

「そうでしたっ、驚いていて見落としていました」

 水魔法の中には治癒魔法がある。テラスは水属性魔力も宿しており、マリアから水の治癒魔法をよく教わっていた。機会がほとんどなかったので使うことを思い立たなかったが、

「カインさん、ありがとうございます。速やかに使いますっ」

 カクミの背中をカインに支えてもらい、テラスはカクミの鼻に魔法を施す。水色の淡い輝きがカクミの鼻を覆って、血痕を見る見る薄め、五秒も経てば鼻血を止めていた。

「できました。これで──、あれ」

 カクミがまだ震えている。「そうです、頭を打っていたので、頭にも……」

 鼻と同じように治癒魔法を施す。外傷がないようなので外見的な変化は観られないが、

「ごごごご……」

 まだ震えている。

「カインさんどうしましょうっ、癒やしの魔法が効いていないようです!」

「傷は治ったのでいつか勝手に目覚めます」

「なら、どうして震え続けているんでしょうか」

「混沌たる妄想世界を彷徨っているのです。往往にして少年が陥るものだと思いますがカクミはどうやら少年の心を持っているようですね。こちらが拒んでもゾンビのように復活しますのでほっときましょう」

 カインの話が難しくてテラスは理解できなかった。その間もカクミが震えているので心配でならない。

「ひょっとすると、息ができないのでは」

「え」

「息の手助けをしてあげましょう。こういったことは早いに越したことはないといいます」

「ちょちょちょ〜っ」

 カインが慌ててテラスの口を手で塞ぎ、「あなた様は阿呆ですかっ、人工呼吸だけは絶対やらせません」

「カクミさんが命を落としたらわたしはわたしを呪います!」

「ジーのようにしぶといので間違っても此奴は死にませんっ」

「ジーとはなんですか」

「まじめに訊かれると応えにくいのですが、要するに害虫です」

「わたしに害はありませんでした」

 救わねば(!)

「だからっ、させませんてばっ」

「息の手助けです」

「大丈夫、息はあります、ほら手を翳して確かめてください」

「あ、本当ですね」

 吸って吐いて、吸って吐いて、を、ちゃんと繰り返しているから、呼吸不全ということも窒息しているということもない。ならば震えているのは呼吸とは関係がないということだが。

「はぉっ!」

「あわわっ」

 突如として自分の脚で立ったカクミを見上げて、テラスは驚くもほっとした。

「カクミさん、健やかですかっ」

「健やかも健やか、一〇日は眠らず過ごせるエネルギが湧き上がってます!」

「異常だ。安らかに眠れ」

「あんたいたの?」

「重症だな……」

 何やら項垂れたカインの脇でテラスはカクミの脚に抱きついて頰ずりし、朝の騒動はひとまず終りを告げたのだった。

 鼻血を出したからではなく、夜間魔物の警戒をしてくれていたというカクミを和室で寝かせて、テラスは居間でカインからいくつかの報告を受けることとなった。

「昼、コウジ殿が皆を集めてくれるとの旨を伝えてくれました」

「集まるところはどこですか」

「水田の北、村民が中央広場と呼んでいる場所です。あちら以外に村民全員が集える開けたところがないようですので」

「解りました」

 うなづいたテラスに、カインが懸念を隠さない。

「コウジ殿から策について聞きましたが、本当に実行するつもりですか」

「はい」

「迷いなく首肯なさらないでください……。奇策どころか、失策になりかねません」

「コウジさんからも言われました」

「……それでもやると」

「はい。わたしは譲りません。村の皆さんが幸せになるための礎を、きちんと築かなくてはいけません。誰かを縛ったり、体に鞭打つような掟であってはいけないと思います」

「……その点は同意します。決意が固いようですね」

「憂いをいだかせて、ごめんなさい」

「謝ることではありません。わたくしとしては、とても、そう、嬉しく思うのです」

 心配を掛けられて嬉しいとは。

「どういうことですか」

「いつか、テラス様が親になられたときに解るかも知れません」

「そう、なんですか」

 幼い自分が親になる。そんな想像はとんとできないが、カインの微笑みを観て、テラスは心がふわっとほぐれるようだった。

「次の話ですが、」

「はい、お願いします」

「テラス様の話が受け入れられた場合、モカ村は確実に変化することが予測できます。その際には、他民との交流が増えることも見込まれますので、まずは顧客、モカ織の販売及び回収先を広げることになります」

「宮殿騎士団以外にということですね」

「はい。収入源が多ければ村は豊かになりますし、掟に縛られて狭量になることもないでしょう。わたくしとカクミの人脈を活かした顧客先候補との交渉に出向きますのでお許しを」

「カインさんもカクミさんも、もうわたしの下にいるわけではありません。巻き込んでしまったことは申し訳なく思っていますが……、わたしに縛られずに生きてほしいと思っています」

「咎める必要はありません。わたくしもカクミも、テラス様の配下だから・だったから、そうするわけではないのです。自分の意志で、そうしたいと考えて行動しようと決めたのです」

「ごめんなさい、早とちりをしてしまいました」

「……かといって、テラス様がどうでもいいということではありません。ご自分を軽んじないでください。それが我我の決意と行動をより縛りなきものにします」

「解りました。努め、励みます」

「……お願いします」

 宮殿騎士団に対するモカ村の寄与をテラスは知っている。変化した村でより多くのひとびとを守るモカ織を広げていけたらいかに素晴らしいことか。そのためにも、自責の念に囚われて時間を無駄にしてはならない。カインの言葉はそんな叱咤激励であるのだとテラスは捉えた。

「報告は以上ですが、追加でお伝えします。わたくしの行っている顧客との交渉ですが、何件かは纏まる寸前で待ってもらっています」

「本当ですか!さすがはカインさん、素晴らしいです」

「カクミの人脈も頼りにしたいところですが、その前に、」

「はい、わたしと皆さんとの話し合いです」

 それがうまく纏まらないことにはカインが待たせた顧客が待ちぼうけになってしまう。

 そわそわして待つこと数刻、皆を集めたことをコウジが知らせてくれた。テラスは気を引き締めて中央広場に向かった。

 砂場で遊ぶ子達、その周りで落ちつかない様子の大人の姿。カインを伴って現れたテラスに視線が集まったのは村民でないこともあって自然なこと。掟を信じ守ってきたがゆえに元主神の話とは言え聞いていいものか躊躇いがあったことだろう。村民の心情を全て推測することは難しく、ならば話すことこそが最善の道であるとテラスは皆の前に歩み出た。

「皆さん、こんにちは」

「『……』」

 挨拶が返ってくることはないが、動じないテラスである。

「集まってくれてありがとうございます。わたしはテラスリプル・リアといいます。元主神です」

 主に子どもから驚きの声が漏れた。子どもでも知る神界の統治者、それが主神であるから、元であってもその席にテラスが就いていたことに驚かないわけがなかった。一方、全く驚きの表情を観せなかったのが大人である。テラスが主神だったことも、追放されてここにいることも知っている。それが能力不足によるものであることも──。テラスは怖じない。

「元主神として訊きます。わたしには何が足らなかったんでしょう。力及ばずとはいわれましたが、そのほかにはないんでしょうか」

「『……』」

「皆さんに取って、理想の主神とはどんな主神でしょうか」

 立て続くテラスの問掛けに、マコトが応える。

「理想の主神といえば当然前任のテラクィーヌだろう」

 その言葉に多くの大人がうなづいている。

 ……お父様はやはりすごいんですね。

 皆がまだ言葉を発してくれたわけではないが、父の威光がモカ村にもきちんと届いていたことを実感してテラスは感動した。

「皆さんが知るように、お父様はすごいんです。と、いうわたしはお父様の記憶がほとんどなくて……、なので、じかに知っている皆さんから教わりたいんです。教わったことをもとに、皆さんに尽くしていきたいと思います」

 大人が俄に騒がしくなった。

 マコトが声を張り、特定の層を促す。

「要するにだ、オレ達の知ってるテラクィーヌの偉業を教えてやればいいんだろ。だったら、オレ達より村のことを知ってるジジイどもから話してやれよ。前代から取引を引き継いでくれたのがテラクィーヌ、この村で生計を立てるためにも()が必要だってよ」

「な、マコト、君──」

「なるほど」

 と、テラスは皆の視線を集めるように手を合わせた。「村が長く栄えるために大切なことですから、しっかりお金のやりくりを考えていかなくてはいけませんね」

 お金のことは子どもに内緒になっていた。ゆえに、今度は子どもが騒がしくなった。

「お金ってなんのこと」「『村にもお金が必要なの』」「お金は要らないはずじゃ……」

 慌てふためく大人。その中の一人、中年の女性が一人、声を発する。

「でたらめいうんじゃないよ、この村に金は要らない!」

「わたしは元主神です。お金のやり取りがあったことは間違いありません」

 公的に情報を記した議事録を取り寄せるのが今は難しいが、カインにコピを取ってきてもらうことはできる。

 お金のやり取りを隠そうとする大人の焦燥感から場に緊張が張りつめ、それを察した子どもがさらに騒がしくなっていた。

「元主神だかなんだか知らないが、あんたのせいで収拾つかない!どうしてくれるんだい!」

 と、先の女性が苛立ちを隠さず声を発すると女性陣が止まらなくなった。

「テラクィーヌ様の娘って話だが無能ってのは本当だったんだね!」「政治に首を突っ込んじゃいけないってことさ」「村の掟を蔑ろにするなんてよくないよ!」「これで村を支えるひとがいなくなったらどう責任取ってくれるんだい!」

 男性陣が押し退けられるほどの猛烈な怒声にテラスもいささか気圧されたことを否定できないが、そこで黙ってもいない。

「昼を守る女のひとはこういっていますが、夜を守る男のひとはどう思っていますか。聞かせてください」

 押し退けられていた男性陣が口を開き始めた。

「無能は黙ってろ!」「黙る必要はないだろ」「なんだと」「金は必要だってガキどもも知っとくべきだっつってんだ」「馬鹿なことを。外の価値を知れば出ていく子どもが増えるとみんなで結論を出したのに」「隠し立てはもうできない。解釈違いを今こそ正すべきだ」「戦うべきはオレら村民同士だ」

 女性陣の勢いが物凄かっただけに男性陣も口を開けばあっという間に沸騰した。

 喧嘩させることは目的と反するし、大人の勢いに怯える子が現れている。カインが両手をパンッパンッと大きく叩いて皆の視線を集めたところで、テラスは満を持して言葉を発する。

「お話を聞かせてくれてありがとうございます。お気づきでしょうか。もう皆さん、『掟破り』です!」

「『!』」

 多くの大人がはっとした。それは、モカ村の外からやってきたテラスを「他民」と捉えている住民である。他方、

「いや、あんたは移住してきたんだから『他民』じゃない」「そもそも他民と通ずるって意味が違うんだよ」

 など、掟への解釈を通じて受け入れる、あるいは理屈を見つける男性もいた。テラスはそれも制する。

「いいえ、『掟破り』に変りはありません。今はお昼です。三つ目の掟によれば、男のひとは眠っている頃です」

「『っ』」

 ぐうの音も出ない。

「ちょっと待ちなよ、あたしらはなんの掟破りもしちゃいない」

 と、女性陣が息を吹き返すが、テラスはそれをも制する。

「男のひとが掟破りになることは予め解っていたはずです。ここに集まることを止めなかったのは、女のひとが男のひとの掟破りを見過ごしたも同じです。が、果して、掟破りを見過ごすことがあるんでしょうか。厳しく掟を守っている皆さんが見過ごしますか。そうでないとしたら、わざと見過ごしたことになりませんか」

「『な──』」

 わざと掟破りをさせた、と、決めつけられたのだから女性陣が呆れ果てて言葉を失ったのは当然のことだが、そこで男性陣が激する。

「お前ら、僕らを嵌めたのか!」

 と、女性に摑みかかる男性が現れたので、

「そこまでです!」

 テラスはとっさにその手を止め、皆に、最後の問掛けをする。

「掟を守ることは、本当に正しいんですか。──子どもを観てください」

 摑みかかった男性と、それに抵抗しようとした女性陣、大人達の目線の先に、怯える目線や侮蔑の目差があった。大空の花火が消えたように、場を占めた熱が一気に冷めて、大人達の目にも冷静さが戻っていく。

 テラスは、男性の拳が下りたのを認めて、口を開いた。

「『掟破り』というのは、わたしのこじつけです。でも、皆さん解ってくれましたよね。皆さん、それぞれ大切に想っているひとがいます。そのひとを守るために、掟を、村を、守っているんです。それなのに、守りたいひとを傷つけるようなことをし続けるのは、そうするようにして掟を言訳にし続けるのは、掟の核心を歪めることになりはしませんか。掟は、なんのためにこそ、あるんですか」

「『……』」

 今度の沈黙は掟破りをせぬための頑なな閉口ではない。テラスはそれを認めて、

「みんなを縛るためではなくて、恐怖させるためでもなくて、みんなを幸せにするための、解り合うための、村の礎……、それを、皆さんで話し合ってください」

 皆に一礼した。「わたしのお話は終りです。聞いてくれて、ありがとうございました」

 年長者から子どもまで、いくつかの虚実で隔てられた層によって分断されていた意識の違いが、今まさに混ざり合って混沌としているだろう。が、そうさせたテラスを「他民」として一致団結すれば十二分に理解し合える。彼らは、紛れもないモカの住民で、一つの民族なのだ。掟への解釈変化はきっとこれまでにも何度も起きてきたはずで、そのたびに民の意識が分断されていたとしても辺境で存続した。今回も必ず乗り越えていく。彼らには、そんな力強さがあるから、ここで生き抜けている。

「……事後の感想を伺います。本当に、これでよかったのですか」

 と、後ろをついてきたカイン。

 テラスはうなづいた。中央広場を離れて、西の森の前であった。

「わたしがもっと早くモカ村に訪れていたら、主神として、(わか)たれていた皆さんの心をもっと穏やかに、導くことができたはずです」

 村民が集まったのは、掟破りをしたかったとか、させたかったとかではなく、移住者を歓迎するためでもなく、「元主神の挨拶」を聞くためであろう。ならば「主神の言葉」を穏やかな心持で聞き、受け入れることもあったかも知れない。テラスは、それをさせられなかった。

「場を荒らす役目を担ったわけですか。災害のあと、ひとは団結して復興するものですから」

「わたしはひ弱な一人のひとでしかありません。けれど、自らの歩みの遅さで皆さんの心を乱すことになった責を担わずして、元主神を名乗ることはできません」

 担えたはずの責任が全くなくなったわけではなく、追放されたからこそ負わねばならない責任がある。果たさなければならない役割もきっとある。テラスは、村民の敵意の的になることを決めた。

「受け入れてもらうための話し合いの場だったはずですが」

「はい、でも……」

 追放の身。誰からも受け入れられるとは端から考えていない。テラスが考えるのは一つ。

「皆さんが幸せなら──」

 カインが頭に手を置いて、そっと撫でてくれた。テラスは瞼を閉じて、胸のうちから零れそうなものを怺えた。

「あなた様は主神ではない。もう背負う必要はないというのに」

「背負ったつもりはありません。そうしたいから、そうしているんです」

「だったら、くよくよしてはいけません。あなた様の歩もう道は先代が歩んだ強者の道です。いかな風にも流されず、己を突き通してください」

 カインの手が離れると、テラスは瞼を開き、

「はい」

 と、うなづいた。

 主神ではない。けれども、主神のように、あるいは父のように、テラスはひとびとを幸せにしたい。そのためにはカインがいうように強くなくてはならない。

「カインさん、先に戻っていてくれますか。少し、この大きな木を観ていきます」

「奥へ入られないよう」

「一つ目の掟です。わたしはそれを守ります」

 モカ住民として。敵意の的となった今も、永劫に解り合えないなどと悲観的には考えていない。いつか解り合うためには分断なき村民との話し合いが必要だと思い、そのための一手が村民の一致団結だった。テラスらしからぬ不穏なやり方だったといえばそうで、それゆえに悟られることがないと踏んでいた。が、男性が女性に摑みかかることまでは予想していなかった。見通しが甘かった。一歩遅かったら取返しがつかない衝突が発生していた。テラスのせいで、誰かが傷ついていた。掟がある種の恐怖を植えつけて皆の心をそれほどまでに縛っていることを、コウジの話から予測し得たのに。

 カインが立ち去ると森を見上げた。闇はなく暖かい。緑を感ずる空気が今日もおいしく、昨夜のような光は観えない。心が上向きになるよう、前向きを心懸けなければならない。どんなことが起きても、どんなに苦しくても、ずっと前を見つめなくては──。

 瞼を閉じて深呼吸する。と、

 ことんっ、ころろ……。

 何かが鳴った。瞼を開けて、屈んで、足下を観る。

「これは……」

 見つけたとき、くるくると回っていたそれを拾い上げた。掌サイズの、(いが)のようなもので、思ったより触り心地がいい。

「種ですか……」

 もう一度巨木を見上げる。遠くて暗んでいるので同じものがあるか窺えない。

 足下を観る。ほかに毬のようなものは落ちていないが、木の実がたくさんある。しっかり見下ろしてみないと、零れ落ちたものが近くにあると気づけなかった。

 ……──ときには、下を観るのも大切ですね。

 上を目指して前を見てばかりではいけない。テラスはモカ村に来て日が経っていないのだから、皆の足下に何があるかまだまだ知らないことが多いだろう。それどころか自分の足下に何があるのかすら見落としていた。思い通りにならないことがたくさんあって、つらいことが続いたとしてもなんら不思議ではない。あとになれば、今回のことがその一つに数えられるだろう。

 足下を確認できてから前を向こう。一つ一つ確実に乗り越えよう。

 巨木が応援してくれたように感じて、テラスは種子を両手で包んだ。

「ありがとうございます。しっかり、頑張ります」

(──そう)

「……」

 声が聞こえた気がして、森の奥を見つめた。

(それはあなたにあげる)

「っ、こちらの、種のことですか」

(ええ。大切にして)

「はい。あなたは、森の精霊さんですか」

 何分か森を見つめていたが、ついぞ応答がなかった。

 ……こんなことは初めてです……。

 精霊かどうかも判らないが女性の声だった。もしかしたら、森に住む彼女が種子を落とすことで元気づけてくれたのかも知れない。先住民であろう彼女にテラスはお辞儀して、両手で種子を包んで、しっかりと家路についた。




──四章 終──




 

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