三章 村の陰
木木の編み込む涼風の村に胸が刻むような美しい手織りの音楽。
心地よく眠る主を抱っこしたカクミは、じゃれてくるウサギュマをなでなでして村の子達と別れ、カインの案内で平屋に入った。そこが村長ティンクの用意したテラスの新しい家でありカクミとカインの下宿先だ。
カインが入念に屋内を観て回ると危険物はない。ティンクから聞いた話を共有されたカクミは、宮殿にあったテラスの私室より広い家に戦戦恐恐とした。
「無職のあたしらで家賃払えそうなの、ここ」
「タダだそうだ」
「ゴミでも金になるのにここがタダ。恐っ」
囲炉裏のある居間にカインが落ちつくと、斜向いの席でテラスを後ろから抱え込むようにしてカクミは座った。
「カクミよ。テラス様が主だ。北席へ寝かせてやらぬか」
「どうでもいいじゃん、そんなの。形だけこだわってる連中と同じ考え方よ、それ」
「形が大事なこともあるのだ。主が軽んじられてもよいと思っているなら構わぬ」
「……そういう言い方は卑怯くさい」
カクミはテラスを抱き締める。「今はいいでしょ。寝かせたげるなら寝室を使うわ」
「……よかろう」
カインが少し前のめりになって火箸を取り、点いていた火を強めるように木炭を転がした。
「しばし眠るとよい。緊急事態が起きたら起こす」
「あんたは」
「担当時間帯だ。夜間はゆっくりさせてもらう」
「そう。なら、遠慮なく」
「ちょっと待て」
「何よ」
「テラス様を正面から抱き締めておく必要があるか」
横になった途端そんなツッコミが入るから、カクミは溜息が出た。
「いい?あたしはテラス様の盾になるからいいの。こうしてたほうが起立も離脱も早いから効率的。あたしは立っててもいいけどそれじゃテラス様が休まらない。OK?」
「……ほどほどにな」
「大丈夫。ちょっとお尻さわるくらいだから」
「それがいかんといっておる」
「ジジイみたいなこといってると本当にジジイになるよ?」
「……もうよい、とっとと眠れ」
「あは、拗ねたぁ」
「早う寝ろ」
「へいへぇい」
カクミはテラスを放したくないので抱き締めている。理由は出任せだったが、いざとなったら盾になる。そこに噓はない。
……優しい香り。
囲炉裏から漂う木炭の香りもあるが、抱き締めているテラスの香りは癒やし効果がある。いつからそんなことに気づいたかといえば、思い出せない。ただ、テラスとふと擦れ違ったときには彼女の香りが好きになって惹かれていた。それ以前、宮殿騎士団に所属しようと考えたのだって、テラスが主神だったことが動機だ。テラスの傍に行きたくて、カクミはがむしゃらに働いて銃を買い、地獄のような特訓をして銃の腕を磨き、思わぬきっかけで宮殿騎士団に所属することとなって、ひたすらに訓練をこなして──、ここにいる。それを取ったら自分ではなくなるというほどに、カクミの世界の中心はテラスだ。
……大好きよ。
友人、親友、あるいはそれ以上。もしくは、それ以前からの──、そんなふうに妄想させるような出逢いだった。使い古された言回しをすれば、これが「運命」というのだろう。いや、もう少し気取って「宿命」としてもいい。それはとても、とても、大切な出逢いだった。
下流階級のカクミは母とともに首都テラウスの陰でネズミのように暮らしていた。
どこを彷徨ったか。母に連れられて歩いた路地裏から瞥た明るい表通り。小さなカクミは、自分とさほど変わらぬ小さな少女を馬車の荷台に見つけた。吸い込まれるように目が行っていた。見たことのない荘厳な馬車に乗った少女は黒髪の美しいお姫様のよう。表通りに思わず駆け出ていたカクミに、その少女がにっこり微笑みかけて手を振ってくれた。
それが、主神テラスリプル・リアとの出逢いであった。
何も特別なことはなかったのだ。ただ間違いなく、カクミの胸には感じたこともない炎が灯った。
……あの子の近くに行きたい。
路地裏に染まった体で、そう思った。
少女が主神の座を引き継いでいたことを母から聞いて、思いがますます膨らんだ。
……あの子を守ってあげなくちゃ!
自分だって非力だった。聞けば少女より年下かも知れない自分だった。カクミはそれでも、地べたを這うようにして働いて、銃を手に入れた。母に見つからないよう夜間に町の外へ出ては銃で魔物を討伐した。強い意志が銃に弾を装填した。魔法で形成した銃弾である〈魔弾〉、それを物理的な銃に装填して発射する技術を、独学で習得していたのである。
……これなら無限にも倒せるかも。
恰好の的が魔物だった。よくよく考えてみるとひとびとを襲う魔物を討伐すること自体がいいことに思えて、実弾が切れたあとも訓練がてら魔物を討伐し、実戦の中で腕を磨くことも忘れなかった。
夜な夜な聞こえる銃声。カクミの自主訓練は不気味な噂となって町に流れていた。やがて、当時の宮殿騎士団のトップである銃士長アイアストに呼び出されて神界宮殿へ赴いた。きつく叱責された。大事な銃を取り上げられた。
倒れた魔物は姿を消す。魔物が落としたものに興味がなかったカクミは、魔物討伐の証拠を持っていなかった。銃を返してもらう理由が、思いつかなかった。
そのときだった。
「返してあげましょう」
テラスが、現れた。
幼くとも主神。宮殿内を観て回るのが彼女の日常だったようで、その日は宮殿騎士団の訓練場にやってきた。
夢にまで見た「お姫様」との再会にカクミは銃を取り上げられたことも忘れて感激していたが、カクミの感情がいい意味で爆発するような言葉が、彼女の口から放たれたのだった。
「彼女は、魔物を倒していただけです。いつも部屋から観ていました」
彼女の私室は宮殿内でも高い場所にあるものの銃声が聞こえるほど近くもないはずだった。それでもカクミの訓練風景を見つめていたのは、彼女が星を視て夜を過ごしていた。
町の外、暗闇で弾けるカクミの魔弾は、まるで星のように綺麗で、見蕩れていた。
なんとなく気になって、毎日観ていた。そんなとき、テラスはふと気づいた。息絶えた魔物が消え去るときに放つという光の粒子が、魔弾が弾けたあと天に昇っていく様子に。誰かが魔物を倒している。
夜な夜な銃弾を放っている人物をアイアストが呼び出したと聞いて、テラスはぴんと来た。魔物も倒しに行けず民を守ることができていない自分の代りをしてくれているひとだ、と。テラスは銃の使い手にお礼を伝えたくて会いに行った。そこにいたのが、カクミだった。
そこに銃の使い手がいるかどうか判らなかったからテラスはこっそり窺っていた。黒い肌に真赤な髪、うちに秘める熱い意志を感ぜさせるような力強い瞳。すぐにも声を掛けようと思っていたのに、どきどきして足が前に出なかった。そうこうしているうちに、彼女が銃を取り上げられた。困り果てた彼女を助けたくて、脚が勝手に動いた。
瞼を開くと、健康的な黒い肌。
……カクミさんのにおい。
落ちつく。何がどうとはいえない。ずっと一緒にいたような香り。変な話だ。生まれも育ちも違う。テラスはカクミにそれほどの繫がりを感ずる。
眼前のカクミの胸に顔をうづめて、また、彼女に抱きつくようにして、深呼吸した。
……甘い、お菓子みたいです。
とある日に宮殿を訪れたおばさんがくれた饅頭を思い出す。
「はむっ……」
気づけば、テラスはカクミの鎖骨を唇で銜えており、その瞬間、
「ふぉぉぉっ!」
と、カクミが飛び起きた。「にゃにななななっ!」
「おはようございます、カクミさん」
「ふぉっ、て、テラス様、平然っ?」
「なんのことですか」
テラスは遅れて気づいた。「あ、お饅頭です、町の女のひとからもらったものですよ」
「ん、ん?ど、饅頭なんてどこに──、あ」
カクミが座って落ちついた。「宮殿のときの話ですね。もう、いきなり昔のこと持ち出さないでくださいよ〜」
「ごめんなさい、カクミさん。おいしそうでつい」
「黒糖饅頭のことですよね。あ」
カクミがはっとした。「そ、それならいっそ、あたしのオッぶふぅっ!」
カクミの頭を巻物でぶん殴って発言を止めたのはカインである。背後からの不意打ちに、カクミが激昂した。
「ちょっ、カイン、何すんの、イイトコなのにっ」
「上着を脱ごうとするな破廉恥アバズレ尻軽女めが」
「なっ、少なくとも尻軽じゃないわよぉっ」
「アバズレまでを認めるでないっ、テラス様の情操教育に悪いわ愚か者」
「あたしの肌は生まれつきじゃぁ〜ッ!」
「肌のことと違うわ阿呆ッ!」
「ひとをアホ呼ばわりすんのもジョーソー教育に悪いっしょっ、はッ」
「ぬ、この破廉恥アバズレ害虫めが」
「まだいうかぁ……」
起き抜けに罵倒されて腹に据えかねたか、カクミがテラスを抱き起こし、「もういっそ誘拐しちゃらぁ!」と、叫んで外へ跳び出した。
「あ、こらっ、戻らんか!」
「戻れといわれて戻るかクソこきジジイ〜っ!」
「どこでこいた──」
カインの声があっという間に遠くなる。カクミが途轍もない速さで誘拐したものだからテラスは止める間もなく森の中だった。夕暮れどき。村が観える位置の大木に隠れてカクミがテラスを降ろした。
「なんかすいませんね、カインがやかましくて」
「うふふ、どたばたして愉しかったので気にしていません。けれど、カクミさんはよかったんですか」
「何がです?」
「カインさんと仲良くしたくありませんか」
「えっ、いや、別にアンニャローとは別にどうでもいいですけど」
「あんなにお話が弾んでいましたし、もったいないですよ」
「火花散らす感じだったと思うんですけどね」
カクミが咳払いして、「それよりテラス様、せっかく目を覚ましたことですし村を歩き回ってみません?」
「それは名案です。案内、お願いしてもいいですか」
「任せてくださ〜い、っつっても、あたしも全然知らんのですけど」
カクミがいうにはテラス達が通り抜けてきた深い森に入ってはいけないので、家屋の密集している集落部分から水田までが探索範囲。
朝も訪れたという広場に立ち寄るとカクミお勧めの三頭のウサギュマがいなかった。
「残念、あのブサカワを是非撫でてやってほしかったんですけどね」
「次の機があります。そのとき、ゆっくりなでなでしちゃいましょう」
「っはは、そうしましょ。あたしが撫でたら嚙みついてきましたけど、服を銜えて構ってほしそうにしてたんで、テラス様には絶対懐きますよ」
「会うのが今からとっても愉しみです」
ウサギュマを探した目が、砂場の小さな宮殿を見つける。
「わたしは、こんなに小さなところにいたんですね」
「え──」
「あ、宮殿のことです」
「確認までに訊きますけど、それ、作り物ですよ?」
「うふふ、解っています。この宮殿を観ていたら同じに感じました」
「住んでた宮殿と」
「はい」
小さな砂の宮殿とは、間違っても同じサイズではない。が、遠くから観てみれば、神界宮殿だって砂の宮殿と同じ。ちょっと離れるだけで小さくなる。そんな場所にいた。
……この村は、どうでしょう。
「テラス様……、この村も同じだと感じたんですよね」
「はい」
何か考え込むように口を閉じたカクミに、テラスは問いかける。
「村の皆さんは何に守られているんでしょう」
「……え」
「村の皆さんは、いつも愉しく過ごしているんでしょうか」
「あ……」
「村の外でやりたいことや話したいことは一つもないんでしょうか。それか、村の中でやりたいことができていないということはないんでしょうか」
「……っはは」
カクミが思わず笑ったようだったから、テラスは首を傾げる。
「カクミさん、どうかしましたか」
「いや、……やっぱりテラス様はテラス様だなと思って。そうですね、」
カクミがにっこり笑って、「村民に不自由があるなら、何か手伝えることがあるかも知れませんし、みんなの話を聞いてみますか。何に守られてるかって話も、たぶんそこで聞けるでしょうし、そもそもテラス様はずっとそれをしたかったんでしょう」
「はい」
みんなの話を聞きたい。ツィブラのようにみんなが日常のあれこれを話してくれたら、カインを始めとする現地調査部隊の調べた紙面の情報ではなく、なまの世界を知れる。
そう言おうとしたテラスの向こう側に、カクミが突如として銃を向けた。
「あんた誰」
カクミの問掛けに応えなかったのは、槍を携えた男性である。
「レディの後ろに無言で忍び寄るとか無礼ね、名乗るくらいしたら?」
「無礼はお前らのほうだろうが。何様だ、宮殿のネズミども」
「ネズミってのは誰の──、テラス様……」
彼女の腰にそっと抱きついてぎらついた黒眼を落ちつかせると、テラスは、男性の前に立った。
「初めまして。テラスリプル・リアといいます。あなたはモカ村のひとですね。いきなり押しかけてすみません」
「……お前が、元主神、か」
「はい」
「いかにも世間知らずの箱入り娘だな。ぬくぬく育ったのが顔に出てる」
「あんたねぇ、」
「銃を下ろしましょう」
ボルテージが上がらないようテラスは二人のあいだに入って、男性を見上げて話す。「あなたのお話を聞かせてください。村のお困り事などを教えてほしいんです」
村を回ってひとびとに声を掛けようと思っていたので、テラスとしては好都合だった。
が、男性の目的とは一致していない。槍をカクミに突きつけた一瞬でテラスを抱きかかえて逃走したのである。
「あわわっ」
「動くな元主神」
「はい」
「すぐに大人しくなるのもどうかと思うが……」
「走りにくくなりませんか」
「……」
途中、藁葺き屋根に跳び載った男性が、カクミを見下ろす。
「ついてこれるか宮殿育ち」
「路地裏育ちじゃボケぇ!」
「ふん」
「だっ、そこの中年、止まれ!」
「止まれといわれて止まるバカがどこにいる」
「どっかで聞いた言葉をぅ……」
胸に突き刺さったか、攻撃されていないのにダメージを受けたカクミが追う。カクミの足は速いが、土地勘のある男性が一枚上手か。男性がいくつかの屋根を跳び移り、小路を縫って、家屋に滑り込んでカクミを撒いた。
「ふん、宮殿の連中も大したことねぇな」
テラスを下ろした男性が槍を握ったまま、「そこに座れ、元主神」
「お話を聞かせてくれますか」
「立場が解ってないのか。連れ去られたんだぞ」
「はい。でも、わけが解っていません」
「とにかく座れ。連れ去った理由は『余所者だから』ってだけだ」
テラスは正座した。
「森がひとを拒むようでした。あれは村の志なんですね」
「言い得て妙だな、その通りだ。村は余所者を排除する」
「わたしを追い出しますか」
「いや──」
槍を突きつける男性。
「名も教えてもらえないんですか」
「死んだあとじゃ他人の名前なんざ意味がねぇだろ」
「わたしなら、そのひとが愉しく過ごしているか知りたいです」
「幸せそうなら地獄から呪い殺すってか」
「幸せならいいんです」
「は」
「それなら」
「っ……」
男性が目を見張る。
テラスは、穂先を両手で握っていた──。
「わたしを刺すことも意のあることなんだと思います」
「……」
自分の知らない価値観を男性から教えてもらえていたことに、テラスは気づいた。
「座ったらお話をしてくれましたね。言の葉を守ってくれてありがとうございます」
テラスは会釈して、男性の眼を視る。「何かを憂いているようです。村への想いにも突き動かされているんですね。とっても尊いことだと思います」
「何も話しちゃいねぇが、オレのことを解った気になってるのか」
「間違っていたらすみません」
テラスは自分の考えが間違いとは思わなかった。男性が、槍を押しも引きもしないのだ。
「あなたはさっき、わたしを連れてきたわけを『余所者』だからといいました。元主神であることを知っているのに、それが一番のわけじゃなくて、位に関わりなくこの村に入ってくるひとを拒んでいるんです」
「……その通りだ。が、それが解ったところでお前は終りだ。村に他民は要らねぇ」
なぜ、そこまで頑ななのか。穂先に伝わる男性の怒りを、テラスは感じ取った。
「モカ村には掟がありますね」
「それくらいは知ってるか」
「一に、〔力なき者、外層に入るべからず。力ある者も森を出るべからず。〕二に、〔他民と関係を持つべからず。〕三に、〔男は女子どもと夜を守り、女は家と仕事を守るべし。〕合っていますか」
「知ってるならオレが話さない理由も理解しろ」
「どういうことですか」
「村民は、他民と話すことすら禁じられてるんだよ。それをお前らは、ひとが寝てるのをいいことに子どもから手懐けようとしやがって──」
「あの、すみません、順を追いませんか。お話が観えません」
男性が寝ているうちに子どもから手懐ける。なんのことだ(?)テラスが全く解らないのは当然のことだ。
「寝てたのはあんただけじゃないわよ、バーカ」
「!」
男性が横を見やる。「いつの間に──」
壁に凭れて銃を拭っているカクミがいた。
「カクミさん、こんにちは」
「こんにちは、テラス様、ってか、両手怪我して何してんですかっ、もう!」
「わたしが刺されることでこの男のひとが幸せになるそうなのでいいんです」
「それ、かなり曲解ですよ。……」
カクミが呆れながら、男性を敵意なく視る。「まだやる気?子どもと話してたのはあたし。そんときテラス様は疲れ果てて寝てたわ」
「……」
「そんでもっていわせてもらうけど、良くも悪くも、テラス様はこういうひとよ。なんでも許すわよ、あんたが幸せなら、ね」
男性がテラスを向き直る。
「……手を放しな」
「不幸せになったりしませんか」
「ならねぇよ。けど、幸せにもならねぇ」
「でしたら刺してください」
「テラス様」
カクミが銃を男性に向け、「それ以上やるなら、あたしがこいつをどん底に落とします」
「あ……」
村を想っている男性が、村を離れるような目に遭って幸せなはずがない。死なせてはならない。
テラスは槍を放した。
すると男性が槍を床に転がして、胡座を搔いた。
「……ったく、調子狂うぜ。お前、本当に主神だったのか」
「はい。皆さんのお役には立ちませんでした」
「……お人好しすぎるんだよ、たぶんな」
男性が頭を搔いて、「話が違う──」
「なんのこと」
と、カクミが窺う。「テラス様と宮殿をごっちゃにでもしてたとか?」
「わたしと宮殿をごっちゃっ。すごいです、わたしにそんな力が!」
「握り拳で嬉しがらないでください。合体システムとかありませんからね?」
「……えっ」
「マジでそんな力があると思ったんですか」
「もし使えたら皆さんを助けに行けるはずです。宮殿騎士団の皆さんも疲れずに魔物を倒しに行けるでしょうし、わたしも皆さんを迎えに行けます。ほかの宮仕えさんも同じように送り迎えできて愉しそうですし、いろんなところのひと達との繫がりが持てますよっ」
「いや、いや、それ、一部は主神の仕事と全く違いますって」
「そんな……」
「本気で落ち込まないでくださいっ、もとからそんな力ありませんて」
会話を黙って聞いていた男性がふと、
「……マコトだ」
「は?何がまことよ。合体システムならないわよ。あんた、男のロマンを胸に秘めてる痛い中年なの」
「変な属性くっつけんじゃねぇよ。ッゴホン。名前だ、サカキ・マコトたぁオレのことだ」
「知らねぇわ」
「だろうけどもなっ」
「いや、ごめん、苗字は知ってたかも。あんた生意気小僧のオヤジか」
「そう、生意気小僧の、って、ひとんちの息子をよくもっ」
「あんたも無意識に認めてたじゃん」
「ごっ……、まあな」
男性改めマコトが溜息一つ。「こっからは真剣な話をするぜ」
「ああ、刀剣マニアだったの?合体ロボ派だと思い込んでごめんなさいね」
「ああ、昔は刀剣マニ……って、違うわ、なんの話じゃ」
「その言葉遣い、じつは爺さんなの?」
「田舎弁じゃわ。話が進まぁんっ」
マコトが苛立ちを通り越して涙すら流しそうなので、
「マコトさんのお話を聞きたいです」
と、テラスはお願いした。「いいですか」
「あんたも大概邪魔したけどな」
「すみません、つい……」
「……いや、いい」
マコトが膝に手を置いて、項垂れるようにして口を開く。「宮殿、もとい、議会の連中を牛耳ってるのが主神のはずだった。それが元とはいえ、あんたのことだとしたら、オレ達はあんたにも言いたいことがあったんだ」
「主神ではなくなってしまいましたが、村のひとびとの気持を議会に届けたいと思います」
「……先代、いや、先先代というべき、あんたの父親の代の頃からこの村は変わってない。その上での話だが、オレ達は、村は、変化を望んじゃいない」
まっすぐな瞳が、テラスに向けられていた。
カクミが銃をホルダに戻して言うのは、
「早い話、宮殿があんたらになんかしらの干渉をしてるってこと?」
「元主神のテラスリプル、あんたが指示してないんだとしたら、決定権があるのは議会なんだろうがな」
「……村や村の周りを調べるよう言ったのはわたしです」
モカ村の現状を知るための調査。テラスがある程度の情報を摑めているのはそのお蔭。勿論全ての情報はモカ村に承諾を得て録っている。宮殿側が独自に行っている魔物生息域の調査結果も、防衛上有利な情報であるからモカ村に共有されている。それらは議会決議によって営まれているが、最終的に司令を出すのは主神のテラスだった。ただ、テラスだって議会の出した結論だからとなんでもかんでも司令を出していたわけではない。一つ、一つ、必要があるかないか、自分なりに考えて司令を出し、実務に反映していた。テラスが「嫌だ」と言っても現神界宮殿の体制として決定事項は覆らないが、少なくともテラスが「これは要らない」と思った司令は一つもなかったはずだった。
ところが、マコトの不満が目の前にある。何かしらの司令が不満に繫がったとしたら、テラスの責任が皆無ということはあり得ない。
「オレがいいたいのは、一つ。村の掟を破るな、って、ことだ」
「だからマコトさんはわたしを刺したかったんですね。掟を守ることが村のみんなの幸せになるから」
「ああ。掟はオレが生まれる前からあった、村の根幹だ。それを崩すってんなら、主神だろうが宮殿だろうが、オレがそっちを崩して間違いを解らせてやる」
変化を求めない村。情報だけでも判っていたことだが、村に住むひとの思いは情報には載っていなかった。
……こんなに熱くなれるんですね。
自分の生まれ育った場所を守るために。
テラスはといえばあっさり追放されて、今は戻ろうとも思っていない。宮殿に対して思い入れが少なかったためだろう。両親など血の繫がったひとが一緒にいたらマコトのように熱くなれただろうか。
「だからってやりすぎよ、あんた」
と、カクミが苦言を呈した。「テラス様は追放された身だから、はっきりいえば宮殿とはもうどうやっても埋められない溝ができてるわけ。あんたらがテラス様に何をいっても宮殿には届かないのよ」
「そうか。でも、このちっこい元主神は無責任でもないみたいだぜ」
「……」
テラスは、マコトと向き合っていた。
「村の掟は村の礎。それを誰が作ったか解りますか」
「……いや、知らねぇが」
「知らねぇの?」
と、カクミが目を丸くすると、マコトが腕組をして、動揺した。
「あ、あぁ、いや、さっきも言った通り生まれる前から、あいや、物心ついたときにはあったというべきか。とにかく、昔からあったから誰が作ったとか気にしてなかったぜ。大地があって草がある。それを不思議に思うような奴がいねぇのと一緒だろうが……、それがどうかしたのか、テラスリプル」
「『テラス様』ね」
「どっちでもいいだろ」
「長いですよね」
と、テラスは愛称を勧めた。「楽に呼んでください。──この村に住みたいんです」
「……受け入れられねぇかも知れねぇのにか」
「ほんの少しだったとしても、マコトさんはわたしのことを受け入れてくれました」
「……」
上を一瞥、場都合が悪そうな顔だった。「ま、否定はしねぇ。思ってたのと違いすぎて、あんたのソレがどこまで正気なのかも量りかねる」
「テラス様はずっとこんなだってば。世話役がこのあたしよ。──」
と、カクミが自分を指差して。
身の回りの世話をする人材だけ主神は自分で選ぶことができる。日常に溶け込んでもいい相手を選ぶため、相応に心を許せる相手であることが前提である。テラスが選んだのは、物心ついたときから躾役としてついていたカインと、後に出逢ったカクミ。
「──。カインはあんたらと同じ黄色人種、あたしは観ての通りの黒人、この世界の少数者であるあたしらを傍に置くことを選んだ。勿論あたしにはそれだけの実力と魅力があるのは否定のしようがないけどもっ、──それだけで選ぶひとじゃないから、追放されたテラス様にあたしはついてきた」
「まさしく崇めてるわけだ」
「早い話そうね。でも、崇めてても不要になったらポイってのがそこらの信奉者よね。神なんて崇められてナンボ。アリにたかられる砂糖も同じだわ」
「このちっこいのは砂糖じゃない、か」
「風味が独特なんだろうけど、あたしは砂糖より断然好き」
……好き──。
「アリも生きるのに必死なんだよ、甘さに縋りたいヤツはどこにでもいる」
「なるほど。まあ、そういうことよね、あたしはアリじゃないだけでムシとは呼ばれるし」
「カクミさんは才が豊かなんですね」
「テラス様ー、あたしに変態性質はないですからね?ね?」
念を押されてしまったが、テラスはカクミがムシのように飛んだりできるのではないかと真剣に考えていた。見えている脚のほかに見えない脚が四本あって、それだから足が速いとか。
「あ、なるほど!」
「テラス様ぁ、たぶんソレなるほどってないですー」
「そんな、カクミさんが飛べないだなんて……」
「ムシはムシでも羽虫扱いですかっ」
ワチャワチャ騒いでいると、
「っははははは」
と、マコトが大口を開けて笑った。「ただのガキじゃねぇか」
「女は男より精神年齢高いんで!」
「会話は立派にガキだったぜ」
「ぐ、それは否定しないけどさ」
不服そうなカクミを瞥つつ、テラスはマコトに話す。
「できないわたしにカクミさんが合わせてくれているんです。とっても優しくて、カインさんも認めるすごい銃士なんですよ」
「へぇ、その小娘がそんな玉か」
マコトが感心してカクミを見やる。
テラスが褒めたことにカクミが感動のかんばせだったが、ふと真顔になった。
「カインがあたしを認めてる?それ、マジですか?」
「マジですよ」
カクミの反応からして本人の口で伝えられたことはなかったようだが、隠すようなことではないとテラスは感じている。
「カインさんは控えめで心を伝えづらいんでしょう」
「村で何度か見かけたことがあるぜ。宮仕えならいろいろと気を遣うことが多くなって慎重さが染みついちまったんだろ。職業柄だ。それが大人の男ってヤツだよ」
「話を戻すけどさ」
「このヤロっ、いい話をしたのにぶった切りやがったな」
「話、進まないじゃん、頭の回転遅い中年のせいでー」
「このヤロ──」
「同じ言葉を短いあいだに使うって老けてる証拠だけど」
「んぐ、だが、頭の回転が遅いわけじゃねー」
「はい、次の話〜」
今度のカクミは本気だった。場の空気を塗り替えるほどの強圧に、地を揺るがすような重みがある。
「テラス様を狙うのはやめなさい。これは誰かの命令とか、圧力とか、そういうんじゃない。あたしが、それを許さない、絶対に」
「なるほど。そこらの魔物だったら尻尾巻いて逃げらぁな。凄まじい殺気だ」
「あたしは本気で言ってる。あんたも本気で応えろ」
マコトがテラスの手を一瞥。
「怪我がもう治ってんな。さすが元主神、ちびっこといってもそれなりの能力があるわけだ。守りたいって気も少しは理解できる」
カクミを見つめて、マコトが応えた。「この行動は飽くまでオレ個人の行動だ。村の連中がどう思ってるかは知らねぇし、代表して発言できる立場でもねぇ」
「それでよく誘拐なんて無茶したわね」
「マコトさんが村や皆さんをそれだけ想っているということだと思います」
彼の心情をこう察する。「村の外から来たわたし達に子どもが連れていかれてしまうのではないかと憂いていたんです」
「掟を破らせたことにキレてただけだぜ」
「本当にそうなら、わたしにそう伝えるだけでよかったはずです。でも、わたしをあえて連れ去りました。マコトさんが感じた虞を伝えたかったんですよね」
「そんな回り諄いことじゃねぇさ。最初は本当にあんたを刺すだけのつもりだった。掟を破った息子達がどうなるか知れねぇってのに、破らせたあんたらが処罰されねぇんじゃ親として納得いかねぇ」
「ちょっと待って」
カクミが上した疑問は、「無罪放免ってのはこっちも気が咎めるんだけど。それに、あたしの肌って目立つから子どもの興味を引くのって仕方ないんじゃない?」
外見がどうこう、と、いうのは悪い意味ではしたくなものだが、いい意味でも外見は目立つことがある。
「あんたの息子はおバカとして、ほかの子はめっちゃいい子だったわよ。ただただ興味津津だっただけの、普通の子」
好奇心が成長の糧となることも多い。
「それを咎められるんだとしたら、掟なんてロクなもんじゃないわね」
「守るべきもののためにある取決め。それがルール、掟ですね」
と、テラスはカクミの意見を支持した。「マコトさん」
「なんだ」
「わたしが罰を受けます」
「小娘の代りにか」
「もし起きていたらわたしもカクミさんとともに息子さん達と話して、遊んでいました。掟を知っていながら、きっとそうしたんです。ですから責任はわたしにあります」
「それは責任の肩代りってんだよ。なかったことを前提に責任を負うのは間違ってるぜ」
「なら、こう考えてみませんか」
テラスは両手を合わせて筋道を遡る。「カクミさんに掟のことを伝えていなかったことが問われるべき点でした。それに、カクミさんが村にやってきたのはわたしが追い出されたから。わたしが追い出されたのはわたしのせいです。わたしが追い出されていなければ息子さん達とカクミさんが話すことはあり得なかったわけです。従って、わたしの責任です」
「掟のことを伝えてなかったのはそうだが、そのほかはこじつけだな。どうあってもあんたの責任にしたいわけだ」
「間違いとは思いません」
過去に功績がなかったから追放の今がある。ほかの未来に足を運べた可能性もきっとあったが、カクミとカインを巻き込んでモカ村にやってきたのがテラスの現実、カクミと子どもが話したのも現実である。
「わたしは元主神です。皆さんの働きにわたしの責任があります」
「威光が足りなかったってことか」
「はい。マコトさんがこうしなくてはならなかったこともわたしの責任です」
「……」
閉口して額を押さえたマコトに、
「解った?」
と、カクミが笑って言った。「これが、テラス様よ。ついでにいわせてもらうと、あたし、カインからなんとな〜く掟のことは聞いてたから全く知らなかったわけじゃないわ。それでも話したのがあたしよ」
「そう、か。……こりゃ、参った」
マコトがテラスを見下ろす。「あんたがあんたなら小娘も小娘、か。追放ってのも納得だ」
「どういうことですか」
マコトが愉しげに笑っている。悪いことではないのだろう、と、テラスは漠然と理解した。
「テラス」
居住いを正したマコトが、言った。「悪いが、あんたに、長老と話してもらいたい」
「長老さんですか」
「はいはーい」
と、カクミが手を挙げた。「長老って、村長のこと?」
「村長が村の長ってのは違いないが、モカ村にはまだ、村を代表する年長者がいるんだ」
「それが長老さんですね。掟を作ったのも長老さんなんでしょうか」
「作った本人かどうかは知らねぇが、作った先祖や関係者を知ってるかも知れないな」
「はいはーい」
「なんだ、カクミ」
「これって、湧いて出る長やらリーダやらと連戦、って流れ?」
「戦闘にゃならないと思うが、そうだな、小さな村だから、村民全員と会ってもらいたいってのが本音だ。受け入れてくれるかどうかも含めて、そこで話してもらうしかない」
マコトの提案は、テラスのやりたいことと合致している。
「要するに、テラス様本人にくっついてきたあたしらも受け入れてもらわないと、って、ことよね」
「ああ。その結果を受けてオレもあんたらを受け入れることにする」
口ではそう言ったものの、マコトは半ば受け入れてくれている。そうでなければ、こんなに好意的な提案をしてくれるはずもなかった。
「一応引越し当日でテラス様も疲れてるから休ませてあ──」
「わたしなら健やかそのものです、行きましょう!」
「うぉ、めっちゃやる気っ。ならいいんですけど」
窓を見ると、外が暗くなってきている。
カクミが心配してくれているのは解っているので、テラスはマコトに断っておく。
「今日は長老さんのところへ行きます。明日から日を掛けて、皆さんとお話します」
「そう言ってくれると思ったぜ。できれば、もっと早くあんたに会いたかったよ」
「ごめんなさい。できない主神だったばかりに……」
「……責める必要はない。見所はあるが、あんたはまだ子どもだ」
「テラス様、こう見えて一五星霜生きてるけどね」
「はっ、噓だろ」
と、マコトがびっくりしたのは、一五星霜というのが一五〇万年を意味するからであるが。
「てっきりシンより下かと……。けど、首都のほうじゃそれでも子どもだろ」
「モカ村でも一五星霜は子どもですか」
「う〜ん、あんたを見ちまうと子どもな気がするが、いや、逆にあんたは大人なほうか。ともかく、村じゃ一五星霜が子どもと大人の境界だな」
「村の習わしに従って生きます。責任もあり──」
「あぁ責任云云はもういい。みんなと会ってくれるんだろ」
「はい」
「オレは、あんたなら村に入ってもいいんじゃないかと思えたからな……。掟は大事だが、ちょっと、息苦しくもあるんだ」
「それ、あんたが一番掟を破りたかったふうに聞こえるけど」
「ガキが生まれて思ったんだよ。子どもの可能性を狭めてんじゃねぇか、ってな」
両手を広げるようにして、拾った槍をテラスのほうへ掲げるマコト。「オレには、これしかなかった……」
「数えきれないほどの魔物を斃して、皆さんを守って生きてきたんですね。夜の見守りは目も疲れるでしょう。苦しい日も、数えきれないほどあったでしょう」
「それがオレの役目だった。子どもんときからいつの間にかそう考えてて、大人になったら順当に槍を握って、立ち番して、嫁迎えて、……森に入った嫁が魔物にやられてシンが忘れ形見になっちまって──、気づいたらこの歳だ。体に染みついた掟のままに生きてることに反発もなかったし、違和感もなかった。逆らうのがどうかしてるとも、思ってた。だが……」
「シンさん、ですね」
「ああ。息子が掟を破ったって聞いて、血の気が引いちまった。どうなっちまうんだ、って、そればっかり頭んなか回ってた」
涙ぐんで語ったマコトが槍を置き、腕で目許をがしがしと拭った。「そんなときに、あんたらを見かけた。あいつらのせいだって思ったら居ても立ってもいられなかった」
連れ去りはそうして発生した。
「……テラス、それに、カクミ、あんたらは、オレの思ってるような他民じゃないように感じてる。この村を、いや、まず、オレと、こうして話して、泣いてくれてる」
「──別に泣いてないし」
カクミが天井を仰いでふっと息をついて話を戻す。「あんたは、村の掟を否定するヤツらが他民だと思ってたわけよね」
「まあ、な。そんなオレが、こうして掟を破っちまってるわけだが」
「……」
「……テラス様、黙り込んでどうしました?」
「考え事でした。ところでマコトさん、長老さんの家はどこですか」
テラスは立ち上がって、前のめりである。「シンさんやほかのお子さん、マコトさんの罰をなくすための話し合いをしたいんです」
「あんたらの移住の件を話すんじゃなかったのか。てか、そんなことできるのか」
「テラス様、なんか閃いたとか?」
テラスは両拳を握ってうなづいた。
カクミと顔を見合わせて首を傾げたマコトだが、テラスを向き直ると願い出る。
「なんか策があるなら、子どもだけでも助ける方針で頼む」
「いいえ、マコトさんも罰せられることがないように話します」
テラスは握った拳のように力強く応えてみせた。そうして、マコトの案内で長老宅へ向かうこととなった。
ここはマコトの家の一室だったらしい。玄関へ向かうためマコトが襖を開けると、片膝立ちで耳を澄ませた少年がいた。
「盗み聞きとはいい度胸だな、シン」
「ひっ、父ちゃんっ!」
シンが気づかなかったのも無理はない。盗み聞きを察していたマコトが忍び足で歩み寄った襖を勢いよく開け放ったのだから。
マコトに捕まって説教を食らっているシンを眺めていると、父子の二人暮しはとても愉しそうで、
「──羨ましいですか」
「微笑ましくも思います」
「ですよね……」
テラスには両親がいなかったから、と、いうだけでもない。そのような暮しが自分にもあったかも知れないという想像は止められない。決して手に入ることがないと解っていても過ぎ去った可能性も全否定したくはなく、ともすれば現在にその暮しを移すことができはしないかと理想を思い描いてしまう。
「カクミさん、お話が終わって皆さんが事なきを得たら、ともにご飯を食べませんか」
「村のみんなでってことです?」
「お話が終わったらちょうど夜ご飯の頃合だと思います」
「なるほど。いいですよ。……あたしが作っていいんですか」
「はい。お願いできますか」
「ふふ〜んっ、腕に縒りを掛けますよぉっ」
カクミの料理は宮殿騎士団で有名だったそうだが、テラスは食べさせてもらえなかった。コックが調理したものを食堂で食べるしかなく、一方で、一般神の差し入れてくれた饅頭などは食べることを許されていたので、テラスはカクミの料理をいつか食べたいと思って機会を窺っていた。話が丸く治まる保証はないが、もしうまくいったら、自分へのご褒美にカクミの料理を、と、考えれば俄然やる気が湧いた。
説教が終わったか、シンが泣きっ面でテラス達の前に立ち、
「盗み聞きしてすいませんでした」
言わされている感がたっぷりだったが、謝ってくれたのでテラスは彼の頭を撫でてあげた。
「いい子ですね」
「っ、こ、子ども扱いすんな、ガキンチョっ」
「おいこらシン、テメェぶん殴んぞ」
「ひっ」
「マコトさん、脅かしてはいけません。ほら、こうして抱き締めてあげなくては」
「ちょちょっ、ナニ抱きついてんだよぉっ」
慌てるシンにカクミがデコピンした。
「鼻の下、伸びてるし。ガキのクセにあたしのテラス様に色目ぇ遣うなや、おぅ?」
「なんでオイラが怒られんだぁ」
「ってーか、お前のテラスじゃねぇだろうよ」
と、マコトがツッコんだところで、「デレデレしてないで放してやれよ、シン」
「だからオイラは手をつけてないってばっ。離れろよぉ〜」
「あわわ」
押された拍子にすてんっと転ぶと、
「全く、何をされているのです」
と、背中を支えてくれた人物にテラスは会釈した。
「カインさん、こんにちは」
「もうすぐこんばんはですがこんにちは」
「『いつの間に……』」
「テラス様が拉致された瞬間からずっといたが」
驚く親子と平静のカイン。
「あんたも大概ヘンタイよね」
「至極まっとうな尾行だ」
「ヘンタイになったらマジヤベぇタイプじゃん?」
カクミに手を引かれて立ち上がったテラスは、改めて挨拶をした。
「マコトさん、シンさん、わたしはテラスリプル・リアといいます。これからよろしくお願いします」
「こ、こんちはっす……」
と、シンがつられて挨拶。「って、また掟破りになっちまうじゃう!」
「気にするな」
と、マコトが言うが、シンにはシンの言い分がある。
「いつも、掟、掟〜って煩いのは父ちゃんじゃんか」
「まあ、そうなんだが……」
反論できないマコトに代わって、テラスは口を開いた。
「わたしに任せてみませんか」
「どうするってんだよ。掟はずっと昔からみんなが守ってきたもんなんだぜ」
子どもでも知っていること。カクミ、カイン、マコトが口を閉じる中、
「きっとどうにかなります。勇んで任せてください」
と、テラスはシンの頭を撫でた。
「オレよりちっこいクセにナマイキなんだよ、あんた。大人や長老が掟破りを許すわけないって……」
「では、マコトさんはなぜわたしと話してくれたんでしょう」
「え」
「マコトさんは、わたしとたくさん話してくれました」
そっぽを向いていたシンが、テラスに顔を向けていた。
「村のこと、親と子の昔のこと、切なる想いをたくさん。わたしはその想いを守りたいです」
向き合ったシンが、父マコトを見やる。
「父ちゃん……」
「なんだ」
「こいつ、ホントに、泣いてたの……」
「服を観れば判るだろ」
テラスの服は当分乾きそうにない。
「それが証拠だ」
「…………」
シンが俯き、しばらくして零した。「オイラ、母ちゃんのこと、ほとんど憶えてないんだ」
「こいつが小さいときに亡くなったんでな」
と、マコトがシンの肩を抱いて、「いろいろ不自由させてしまってる。その上、掟で縛ってるなんて、どんだけ不自由なんだかな」
「掟は守ったほうがいいと思うけど……」
と、シンが言いつつ、掟破りをしてしまったがゆえに思うところがないわけではない。「ふとしたときに破っちまって、それを全力で叩くのがこの村だとしたら、オイラ、それはちょっと、違うような気がしてる」
「あんたはあたしを避けようとしてたしね」
と、カクミが理解を示した。「みんながあたしらに興味持ってるのが判ったからでしょ?遠ざけるためにやたらつんけんしてみせた」
「……うん、一部本音だったけど」
「っはは、いい度胸じゃん。そういうの、あたしは嫌いじゃないわ」
カクミが窺う。「テラス様、なんとかできます?」
「はい、なんとかします」
テラスはシンを向き直る。「シンさんは掟を変えたいですか」
「そんな急に、そうとは思えないけど、……父ちゃん」
「ん」
「話さなかったら、こいつらのこと、信用できなかったよな」
「そうだな。誤解したまま、刺し殺してただろうよ」
「だったら、話したほうがいいときもあるんだろうな、って、思う……」
テラスを視たシンが、ぎこちなく言う。「あんたを信用していいのかまだ解んないけど、村のみんなが母ちゃんのこととか話してるとき一緒に話せないの、なんか、嫌だった。オイラ、あんた達を仲間ハズレみたいに、してた、よね……」
深い反省が上半身に顕れていた。「悪かった、ごめん……」
なでなで。
「……、なんで両手で撫でるんだよ、へんなの」
「褒めています」
「何を」
「ひとの痛みを解ろうとする心です。わたしはやっぱり、マコトさんやシンさんと話してよかったです」
掟に縛られ、変化に乏しい村。けれども心あるひとびとが生きているのだ、と、感ずることができた。
「ま、生意気小僧だけどねー」
と、カクミがシンの頰をつっつくので、カインがその手を止めた。
「よいのか。お主がそうして茶茶を入れることでテラス様の就寝時刻が後倒しになる」
「それは困るわね。ここは勘弁しておいてあげるわ」
と、カクミが手を引いたので、
「じゃあ、そろそろホントに行くぜ」
と、マコトが歩き出した。
シンを留守番させると、マコトの先導でサカキ家の東又隣にあるミサト邸を訪ねた。マコトの緊張感が伝わってくるようなぴりぴりとした沈黙が、ほかの家屋と同じ藁葺き屋根の平屋を少し大きく観せているようだった。
「立派な門構えですね」
「うちとさして変りないっての」
「あんたんちの門構え、暗くて観えなかったし」
「それもそうか……」
日が落ちたか、門前が暗くなっていたサカキ家と対照的に篝火で明るくなっているのがミサト家である。と、立ち竦んでいたわけでもなく門構えを観察していたテラスの前に、一人の老人が現れた。
「……」
「こんばんは。押しかけてすみません、テラスリプル・リアといいます」
テラスが挨拶した横で、
「現長老ミサト・コウジだ」
と、紹介したマコトがコウジに持ちかける。「話、聞いてくれないか」
「……」
コウジが無言でうなづき、「警戒の時間です」
「夜の立ち番だな」
とは、カインが言った。「コウジ殿の代りに我我が立ち番を担えばよいのか」
コウジがカインには応えず、「行ってください」と、マコトを促した。
「カクミさん、カインさん、わたしはコウジさんとお話します。そっちをお願いします」
「カクミ、行くぞ」
「テラス様……」
「なんの憂いもありません」
懸念を拭うことはできないだろうが、テラスが背中を押すとカクミが篝火の点けられた北へ向かってくれた。カイン、マコトの背も一緒に見送ると、コウジが自宅前の篝籠から薪を取り出して砂箱に沈めて鎮火、屋内へ手招きした。魔物を警戒するため、カクミ達が向かった北以外は村から燈が消えている。
静まり返った涼しい森。平屋の玄関は魔物が開けた大口のよう。
ぎしぃぎしぃ……。
ぼんやりとした背中について歩くと、眩しいほどの部屋。向かい合う座布団。奥にコウジが座ると、テラスも座った。
蠟燭に照らされた表情は柔らかい。
「不敬を働き、申し訳ありませんでした」
と、コウジが両手をついて頭を下げた。
そうされたからではなく、テラスには一つの確信があった。この辺境の村モカは、「血」を守っている、と──。
「二つ目の掟。マコトさんは、大きく捉えているようでした。それは、思い込みともいえるかも知れません。なぜ正さなかったか、教えてくれますか」
他民と通ずることを禁ずる掟。これによってマコトは他民と話すことすら禁じてきたようだが、もともとの掟の意図は違ったはずである。他民と密かに繫がりを持つこと、及び、他民とのあいだに子を設けることを禁ずる内容こそが掟の真意なのだ。マコト、シン、コウジ、三人がフリアーテノアでは希しい黄色人種であることや、極めて危険なフロートソアーの近くに村を作って暮らしていることが確信を支える大きな柱である。
「東以外をフロートソアーに塞がれたところでなくても、辺境といわれるようなところはたくさんあります。誰もが知る危ないところ、その近くであることに、重きを置いているのがモカ村ですね」
「仰る通りです。先祖の意も薄れ、掟の解釈変化も起きている村です。あるいは血を絶やすのは掟を守ってきた儂達であるのかも知れません」
そう考えているなら解釈を正すことはしてもよかったはずだが、
「変化した解釈を曲解と片づけてよいものか、と、儂達は考えてもおるんです」
「掟のまことの意が、長老さん達も、もう解らないんですね」
「はい……」
言うまでもなくコウジが作った掟ではなく、真意を直接聞けるような祖先が作ったわけでもない。それほど昔から存在し、この村を縛っているのが、掟。テラスやコウジの解釈こそが曲解ではないか、と、言い返されたら否定できないので、長老であるコウジの解釈を広めようとしても難しい状況にある。
「儂達にも若い頃がありました。ときに体罰によって、掟をきつく教え込み、守らせました。そこまでして教えたことが変化したのです。今の解釈変化は、儂達のせいもある……」
どこから変化したかは定かでない。ただただ突然変異のように、「他民と話すな」という意味合が生まれ、根づいてしまった。定着した考え方を覆すのは容易ではない。
「悪習といえばそれまでです。が、多数派も少数派も等しく村民の意見であって、数少ない村民の大切な心です。無視して潰すことは、したくない」
「掟をなくすことはできませんね」
「はい。解釈を意図して変えることも、まず無理です」
解釈はある程度個個に委ねられている状況にあり、その個個の解釈に従った罰則がある。それがモカ村の掟を破った者への罰の形なのである。従って、個人への罰は掟への解釈次第。
「──、とは言っても、これまでに破った者がいませんでしたから、処罰された者すらいないのが現実でした」
「わたしの世話役をしてくれているカインさんが辺りを調べるために村長さんとお話していたと思います。それはどのように扱われていたんでしょうか」
「村長のみ、宮殿の使いと調査業務について話すことを許されていましたが、ほかの者の解釈を考え、私語を慎んでいます。掟破りが発生したなら、罰せねばなりません」
コウジによればマコトの解釈が多数派。マコトへの罰は当然、マコト自身の解釈による厳しいものになる。シンも父であるマコトと同じ解釈をしているようだから、同じ罰が待つ。
「ほかにもカクミさんと話した子がいましたね」
「はい、三人です。タチ家の末裔サキとアキラ、それから、ミサト・マイです」
「マイさんはコウジさんの──」
「孫に当たります」
長老だろうと掟に逆らってはならない。長老の孫でも同じことだ。
「マイさんは、掟をどんなふうに捉えているんですか」
「シンさんと同世代でしてね、同じように、厳しい捉え方をしています。……マイさん曰く、テラスリプルさんに見蕩れて、つい、側にいたカクミさんに声を掛けてしまった、と」
「……」
謝る前にやるべきことがある。「今回の、掟破りをした皆さんへの罰はなんですか」
「永久追放です」
一時の好奇心で今までの生活を失う。あり得ないこととはいえない。テラスのように追放されることで得る自由もあるかも知れない。が、幼い子どもが村を追い出されることで受けるダメージはいかほどか、生まれ育った村に戻れないことでどれだけの心痛があるか。しかも、テラスのように家が用意されているならまだしも追放される村民に村外の家はないだろう。強いられる事態をなんとしても避けなくては。
「わたしが、皆さんとお話します」
「解釈変更を説くと」
「いいえ。わたしが言っても掟は変えられません。でも時の流れで少し変わったというなら、変わらないわけではないんです」
コウジが首を傾げたが、テラスは両拳を握って笑った。
「任せてください。元主神であるわたしが『悪人さん』になればいいんです」
「悪人さん、ですか」
「はい。──」
耳打ちで伝えた作戦にコウジがぎょっとした。
「──、いや、いや、奇策といいますか、ちょっと、それは不可能では……。それに、テラスリプルさんの立場がまずくなるのでは」
「わたし達より長生きの掟です。変えるには、それだけの意を賭さなくてはいけません。それに、マコトさんやシンさん、まだ会っていませんが、マイさんやサキさん、アキラさん、ほかの皆さんともたくさん話したいので、そのためにも、皆さんが幸せなまま、誰一人欠けることがないようにしたいんです」
「──あなた様は、そこまでして儂ら年寄の尻拭いをしてくれると仰るか」
「わたしがそうしたいからするんです」
「……そうですか」
コウジが、ふわっと笑って、「老いてなおあなた様のようなひとと出逢えた運命に、儂は感謝したい。あのマコトさんがまさか他民方と一緒にここを訪れる日が来るとは思いもしませんでしたからな」
ほかの村民の考え方が変わるかも知れない。コウジの期待をテラスは強く感じていた。
主神ではなくなった今になって民の声に応えることができるというのは皮肉なことであったが、テラスはといえばただただ村民との対話を前向きに考えていた。
予定は明日。コウジに村民を集めてもらい、対話することに決めた。
「では、また明日お願いします」
「はい、こちらこそ」
お辞儀して別れる前、コウジが「あ、お待ちください」と引き止めたが、「……、いいえ、なんでも、ありません」
と、口を閉じ、お辞儀した。「よろしくお願いします。必ず、皆を集めます」
「はい」
コウジが村の北へ向かうとテラスは新たな自宅へ向かって歩いた。
……明日が、村の大きな変り目です。
頑張らなくては。そのためには、……ゆっくり眠らないと!
まだまだ眠り足りないテラスであった。
──三章 終──




