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二章 不変の信頼

 

 動植物の囁き深深たる森。

 魔物の巣窟として有名なフロートソアーが程近くにありながら早朝だからか朝露に紛れたように獣くささが漂っていなかった。森に隠れるように、または、森が守るようにして存在するのがテラスの移住先モカ村である。深い緑と影によって外から垣間見ることもできない村の風景。神界宮殿で地図を観ていなかったらここに村があるとテラスは考えもしなかっただろう。

 巨大ヘビ討伐の際、空中から落下したテラスを受け止めるため、馬車を反転させてくれていた心優しき御者。テラスを実際に受け止めたのはカクミであったが、テラスはツィブラのお蔭もあって命拾いした。いつも誰かに守られている。そんな自分を変えようと思ってはみたが、カクミやカインに言わせれば、誰しも弱点がある。運動神経のなさを現在のテラスでは補いきれるものではなく、助けを借りてもいい、と、いうことであった。テラスの胸にさらに沁みたのはほかならぬツィブラの、信頼の言葉であった。運動神経がなく守られてばかりのテラスでも、魔法を使えば魔物から彼を守れた。その事実を胸に刻み、実績を信じて以後の活動に役立てていけばいい。追放から短い時間で、そんな大きな収穫を得たテラスは、森の前で馬車を降り、カイン、カクミとともに御者ツィブラを見送った。

「テラス様、次の乗車、待ってるよ。話ならいくらでも集めておこう」

「はい、よろしくお願いします」

 ツィブラの連絡先をしっかり者のカインが受け取り、手を振り合って別れた。馬車を呼ぶ日がいつになるかは判らないが、機会があったら必ず彼を呼ぼう。

「さってとぉ」

 と、カクミが腰に手を当てて森を振り返った。「どうします?」

「入ってみましょう。地を写した図によればここにモカ村があります」

「地図なんて持ってないじゃないですか。記憶、当てになりますか」

 似たような森があったら。

 ……いわれてみると不安になりますね。

「ああもぉん、冗談ですよ〜、困り顔も愛くるしいっ。ツィブラがここで降ろしたんだから場所は間違いないですよ、きっと」

「そうでした。ツィブラさん、疑ってすみません……」

「こちらで仰っても聞こえませんよ」

 と、カインが首を回した。「参りましょう。結界や幻影などが仕掛けられていたというデータがありませんから、道なりに進めば村に行きつくでしょう」

「あたしが一番(いっば〜ん)。カインはシンガリよろ〜」

「よかろう。テラス様は、カクミの後ろにお願いします」

 隊列のようなお堅いものでもないが、運動神経のないテラスを前後でフォロする意味があった。深い森は足場が悪く転ぶことが想定できれば、毒性のある動植物による害も考えられる。カクミが前を進んでそういった動植物に警戒し、カインが後方を注意しつつテラスの保護に回る配置である。

「お二人にサンドイッチされて進むんですね」

「おしくらまんじゅうでもしながら進みます〜?」

「あっ、面白そうですっ、やりましょう」

「阿呆な提案に乗らないでください。毒虫や毒蛇に嚙まれて三人一緒に地獄行きという最期は遠慮願います」

「テラス様と一緒ならどこでも天国でしょ」

「カクミさん……」

「んふふ〜、テラス様……」

 ぎゅう〜。テラスとカクミは阿吽の呼吸、身長差があるので歳の離れた姉妹のようである。カインが頭を抱えた。

「外回りが多いわたくしの目を盗んで、テラス様にあらぬことをしておらぬだろうな」

「なぁにカイン〜、羨ましいのぉ?」

「これがきっと、大事な娘に変なムシがつく気分なのだ」

「だいじょぶ、あたしはいいムシだから」

「ムシなのは否定せぬのか」

「テラス様のことですからムシも可愛がってくれますよね〜」

「はい。ところでカクミさんはいつムシさんの姿に戻るんですか」

 テラスはまじめに尋ねたつもりだが、カクミとカインが同時に項垂れた。

「テラス様?今のはヒユですよ、ヒユ」

「比喩ですか」

「テラス様、元主神なのですから、いい加減、擬人化の概念くらい覚えてくださいね」

「擬人化というと岩や水が女の子になって現れる精霊のようなものですか」

「カクミの漫画の影響を受けすぎた捉え方はともかく、なぜ逆のパターンを理解されないのです」

「逆のパターンですか。女の子が岩や水になるということですね」

「えぇっとですね、ちょっとお間違えです。つまるところ女の子を岩や水に喩えるわけです。岩っぽいとか、水っぽいとか、そういうことです」

 カインの説明が理解できず、テラスは首を傾げた。

「岩は硬くてしなやかさに欠けるので点に圧を掛けると弱い性質があります。水は通電率が高く重力にも逆らいにくく扱いにくい性質がありますね。あ!強い圧で壊れる女の子と重力でぺしゃんこになる女の子が擬人化ということですね」

「何か違います」

「なぜですか」

「むしろわたくしが『なぜですか』と問いたいっ」

 匙を投げたカインが、額を木に当ててぼやく。「くっ、過保護のせいか、わたくしのせいなのかぁッ!」

「おーい、カイン〜、あらぬ方向にテンションマックスってるけど戻ってこーい」

「ムシに窘められるとは」

「本の虫はいいムシでしょ〜」

「参考書を落書き帳にする輩を本の虫とはいわぬわ。無駄話が過ぎました。テラス様、そろそろ参りましょう。ほら、ムシ、さっさと歩け」

「脚六本のひとどこですかぁ?」

「いいから歩けぇぃ」

「へいへぇい」

 森の入口で一歩も進んでいない三人であった。

 頭の後ろに両腕を回して胸を張って歩くカクミを先頭に、森を進み始める。外からも判っていたことだが、足を踏み入れてみるとなお理解できる。この森は深い。横から射す朝日もほとんど入ってこないようで、影が濃く、背の高い草もあって足下が全く観えない。カクミが先陣を切ってずんずん進んでくれなければ、前へ進むことも難しかろう、と、テラスが思ったとき、

「あ、あれ、なんじゃこりゃ」

「外に出ちゃいましたね」

「カクミ、何をやっている」

「道なりとかいいつつ道なんかないじゃん。それにちゃんと前に進んでたってば。テラス様、あたし、どっかで曲がったりしてました?」

「木を避けるときくらいで、概ね前に進んでいたと思います」

「カインは。あんたシンガリなんだからしっかり行先の指示してよ」

「そこは先頭であるお主の領分だ。踏み出すたびに転ばれるテラス様をキャッチするだけでわたくしは忙しかったのだ」

「あわっ、カインさん、ごめんなさい」

 日のもとに出たカインが草塗れ。テラスは謝りつつ両手で払ったが、手を止める。「そういえばモカ村の森に育つものは固有種が多いという話でした」

「ええ、わたくし調べですが」

「カインさんに絡みついたものをちゃんと回収して村の皆さんに預かってもらいましょう」

「ちょっと考えすぎじゃないですか?料理したらうまそうですけど、ただの草ですよ、それ」

「でも、ほら」

 テラスは植物の丸っこい部分を掌に載せた。「ここが種ですね。失ったらこの草はもう次に生えてこなくなってしまうかも知れません」

「やっぱ考えすぎな感じしますけど。ま、荷物になるもんでもないですし、あたしが預かっときますよ」

「カクミさん、ありがとうございます」

「カイン、ちょっとじっとしてなさいよ?」

「早くしてくれ。鼻に花が入り込んでムズムズしておる」

「知ってた」

「このムシめが……」

「てか自分で取ればいいじゃん?テラス様に取ってもらいたくて仕方ない構ってちゃんなんだからぁ」

「ぐっ……、テラス様の教育のためにあえて待っていただけなのっぶふぇくしょんっ!」

 鼻に入り込んだ細い花を抓み取ってカインがくしゃみをした。カインに絡みついた植物を一つ一つ丁寧に回収し、テラスはカクミのウエストポーチに入れた。

 肝心の問題が解決していない。

「さぁて、どうして森を出たんだろ」

「ふむ。入った場所とは位置が違うようだな」

 カインがそうしているように、テラスも辺りを見回してみた。左手から正面に、ところどころ丸い岩のある平野が観え、右手から後方に掛けて森がある。森に入る前と岩や木の並び方が違う。フロートソアーが遠方に覗いていることは同じだが、距離が遠くなったか。

「わたくし達は東側から入ったが、南側に出てしまったのだろう。森はそこまで広くないはずだが、カクミ、魔力探知を掛けながら進んだのか」

 魔力探知を掛ければ、村に複数住んでいるであろう有魔力個体を目印にして森を進むことができる。

「小範囲で索敵だけよ」

「警戒をしていたことは認めよう。カクミはそのまま索敵を続けてくれ」

「解ってるって」

「わたくしが村民と思われる魔力反応を探って行先を指示することにしよう」

「そうして。魔力探知、あたしは得意じゃないし」

 カクミが右手に拳銃を握って、「テラス様はあたしにぎゅう〜っと抱きついててください」

「はいっ。ぎゅう〜」

「うはぁ〜、幸せ〜……」

「はい〜……」

 カクミの優しいにおいが大好きなので、テラスも幸せ気分。

「幸せなのは大層よいことだがな、カクミ、早く進め」

「焼餅〜?男の嫉妬って超キモす、ぷぷっ」

「ぬ……テラス様に妙な振舞いを教えるなという意味だ、断じて妬いてなどおらぬわ」

「テラス様とっと行きましょ〜、二人だけの楽園へッ」

「はいっ」

「こら、カクミッ!テラス様もお乗りになってはなりませんっ」

 再び森へ。カインが行先を指示したお蔭で、今度は森を出ることなく進むことができた。

 日も通さない深い森の奥には、一〇〇メートル級の巨木が生み出す木洩れ日の空間があってふと目を細めた。眼が慣れると、蒼蒼と実る稲をいだいた水田が真正面に広がり、その向こうに広場と藁葺き屋根が並ぶ小さな村であった。歩き疲れた体を癒やすのは、

「水と土と緑、それに何かおいしそうな香りがしますね。それからなんでしょう、初めての音が聞こえます」

「機織り機ですね。モカ村の特産品を作っているのでしょう」

「これが機織り機の音……」

 どこからともなく、聞こえてくる。

 カッタンカッタン、トントントン。

 カッタンカッタン、トントントン。

 リズミカルで、一つの音楽のように胸に沁みる。

「んぅ〜…………」



 抱きついていたテラスがどんどん重くなってきたので、カクミは銃をしまって彼女を抱きかかえた。カクミより少し年上だといわれている彼女だが体は小さい。

「心地よいのは解りますが、まだお眠りにならないように」

「んふぁ……、はい〜」

 カインの呼掛けに応じている認識がなさそうな、重そうな瞼だ。

「カイン、テラス様をちょっとあそこで休ませるわ。いい」

 水田の奥の広場にベンチがある。

「そうだな。わたくし達も小休憩としよう」

 テラスの乗った馬車を追って数百キロメートルを全力疾走してここにいるのがカクミとカインである。

 砂場が中央にどーんと陣取る広場。砂場脇のベンチにテラスを横たわらせると、仕事柄、立ったまま体を休める。魔物や悪魔といった外敵を探ってはいるが、それらしい気配がないので回復していく。

 テラスの寝顔がとても穏やかだ。宮殿暮しでも同じだった。彼女は何も変わらない。規則が多くて面倒な人間関係も多かった宮殿より表情が穏やかに観えたのは、カクミの思い做しである。ただ、穏やかに眠る反面、テラスの右手に魔力が溜まっていく。溜まった魔力は集束して魔法化、氷の結晶になって辺りを氷漬けにする──。そうなる前に、カクミの右手の銃を使って結晶を撃ち抜き、凍結を防ぐ。

「今日は、穏やかね……」

「そうだな……」

 カインとは言争いが絶えないものの、テラスを見守るという意見は一致している。そう思っているカクミとしてはどうしても聞いておきたいことがあった。

「この村、ただの村なの?」

「どうしてそう思う」

「テラス様を追放した連中が決めた移住先よ」

 何か、仕組まれている気がしてならない。

「議事録は読んだか」

「そんな暇なかったじゃん」

「では要約しよう。議事録にはこう書いてあった。──」

「──。それをあんたは信じたと」

「わたくしはテラス様のようには信じない。が、全てが噓とも考えていない」

「つまり」

「うむ」

 村に、テラスに対する罠が仕掛けられていない保証もない。

(もと)主妃(しゅひ)、テラス様のお母さん……、その容疑も影響してて、その上、テラス様の不出来が影響してる。一部議員の憶測が入ってるとしても追放を避けられなかったって納得するしかないんだろうけど、『不出来』ってことに関してはツィブラみたいに理解してくれる民もいるんじゃないかなぁ、って、思うわ」

「楽観視だな。命の危険に瀕した民を救えば劇的な変化を期待できるが、何度も訪れる機会は疑わしいだろう」

 テラスの主神としての能力不足は否定することができない。それなら、テラスとは直接関係がないことを咎める動きだけでもどうにかならないものか。

「早い話、問題の核心は議員が暴走してるってことよね?チーチェロ様が『自分は無実だ』って証明してくれればいいのに。失踪してるって話だけど、今頃どこにいるんだろ」

「居場所はとっくに判っている。だが、手が出せないのだ」

「どういうこと」

 チーチェロによるテラクィーヌ殺害事件(?)はカクミに取って生まれて間もない頃の話であるから事情を把握していなかった。宮殿で勤めるようになったあともテラスの近くで働くためだけに懸命で、ほかのことには目もくれなかったからあらゆる事情に疎いともいえる。

 カインが、そんなカクミを理解して話す。

「お主の浅学さが逆に信頼性を高めてくれる」

「バカにしてんの」

「いいや、本気で褒めている。学がある輩が暴走するより対処しやすく、学がないからこそテラス様を任せられるという側面もあるのだ」

「嬉しいような嬉しくないような。で、どういうことよ、チーチェロ様の居場所について早く教えてよ」

「ハイナ大稜線だ」

「な、はいぃ?」

 耳を疑うしかない。ハイナ大稜線といえばフロートソアーにも劣らない危険地帯のはずである。魔物こそ少ないと伝え聞くが、猛烈な寒波で主神級の魔力を持っていても凍死を避けられないといわれている。

「……でも、そうか、テラス様のお母さん、氷属性魔法の使い手なら、寒波を凌いで……逃げられる」

「その認識をここで改めてくれ」

 カインがテラスを見下ろした。「チーチェロ様の容疑は、疑いようもない事実だ」

「……は?」

「チーチェロ様は、間違いなく、テラス様の父であるテラクィーヌ様を殺害した」

「ちょっと待って。改めろっつったら普通、逆方向に改めろって意味じゃないの?」

「いいから聞け、大事なことだ」

「……。解ったわ」

 カインがカクミを見つめて、切り出した。

「かつて、発光中央坑道に魔竜が出現したという話を聞いたことはないか」

「魔竜──、あたしが生まれた頃のことで、戦いのどさくさに紛れてチーチェロ様がテラクィーヌ様を殺したんだって話ね。前銃士長のおっさんがあたしにだけ話すっていって教えてくれたことだけど、あたしは眉唾だと思ってた……」

 以降、廃坑であるという理由以前に発光中央坑道は宮殿内で禁忌の地として立入禁止となっている、とも、カクミは聞いた。

「そう、それが事実に掏り替えられてしまった」

「誰がそんなこと、って、議会しかないか」

「そうだ、と、言いたいところだが判然としていない。フルヤモントの話によれば、気づけば議員の中でそんな話が浸透しており、彼奴も押しとどめられなくなっていたようだ」

 議員からチーチェロへの疑惑が湧いたことは間違いなさそうだが、

「そもそも、チーチェロ様はなんでテラクィーヌ様を殺したわけ。テラス様の性格はきっと両親から継いだものなんだと思ってたんだけど……、仲が悪かったの?」

「仲云云ではない。チーチェロ様がテラクィーヌ様を殺したのは、魔竜を封じるための不可抗力だ」

「不可抗力?生け贄にされたってこと?」

「生け贄とは遠くて、近いか……。わたくしも想像の域を出ないが、テラクィーヌ様が魔竜を引きつけ、その間にチーチェロ様が封印の魔法を施したのだろう。ハイナ大稜線の寒気を用いた強力な氷の封印魔法だ」

「廃坑は丸ごと凍結してるわよね。あれは、封印魔法だったんだな。知らなかった……」

「テラクィーヌ様の死と直結している事柄だ。魔竜出現や封印に関する推測は刺激が強すぎるとわたくしから相談してフルヤモントが箝口令を出し、宮殿内で話す者はまずいない。それ以前に、テラクィーヌ様を崇めてきた我我世代はあの方の死もあって誰も話したがらない。先代銃士長アイアストが後任であるお主だけに話したように、わたくしも、こんなときでもなければ話すつもりがなかった……」

「じゃあ、テラス様もチーチェロ様については」

「居場所の予想は教えていない」

「万一を考えたら危険だもんね……」

 砂場の小さな宮殿。それを眺めたカインが余韻もそこそこに話を続けた。

「チーチェロ様が大稜線にとどまっておられるのは、魔竜の封印が解けないようにするためだと考えられる」

「それでテラス様を一人にするしかなかったのね。弁解も、できない……」

 誰かが聞取りに行くこともできない厳しい雪山。魔竜の封印が解ける恐れがあるためにチーチェロが下山する選択肢はなく、疑惑が晴れることはない。

「追放までされて、テラス様がかわいそうじゃん。チーチェロ様だって、そんなことを望んで封印を選んだわけじゃないだろうに……」

「一縷の望みがあるとすれば、テラクィーヌ様が生きておられることだ」

「──そうか、封印魔法で凍結してるだけで、魔法が解けた瞬間に息を吹き返す可能性もあるってこと!」

「チーチェロ様の魔法を観たことがあるわたくしの実感からいえば確率は極めて低いがな」

 カインの注釈。「テラクィーヌ様が生きておられたとしても、魔竜も復活することが容易に予想できる」

「あ……、テラクィーヌ様とチーチェロ様、二人揃って封印するしかなかったほどの魔竜。テラクィーヌ様が生きていられる程度の封印魔法だったら、魔竜へのダメージは……」

「強いていえば、そこに宮殿騎士団も二万人超いたがな」

「宮殿戦力の二〇(パー)くらいよね」

「ああ。その当時出せる戦力を全て使って、そこに主神・主妃揃って、封印が限界という判断が現場でされたのだ。魔竜を倒せる保証がない現在、封印解除の動きは避けねばならない。疑惑由来の非難に解決策はなく、実力不足に関する非難もどうしようもない部分がある」

 話を戻せば、そんなテラスの移住先をモカ村にした議会だ。議長であるフルヤモントがチーチェロへの疑惑を流した様子はないとのことだが、追放案に賛成したことは事実である。

「あたしはフルヤモントを信用できないわ。テラス様をここに送ったのだって、罠に掛けるつもりに決まってる」

「例えば」

「疑惑があるチーチェロ様の血を引いてたとしても、テラクィーヌ様の娘ってことも変りないし、テラクィーヌ様って未だに信奉者が多いじゃん、それを警戒してんじゃないの?」

「議会はそれで何をしようとしているというのだ」

「テラス様の暗殺よ」

 カクミは拳を握って、最大限声を小さくして言ったが、どうしても声が大きくなった。

「あんたは荒唐無稽っていうんだろうけど、あたしは、テラス様を狙う輩が現れると思えてならない。だから、常に傍にいて、守ってあげるの。それで、ちゃんと見守ってあげるの」

「……」

「何よ、黙って」

「いや、」

 カインが憮然と腕組。「思考回路は全く異なるはずだがな、お主はテラス様のこととなると思考がフル回転だな、と」

「おちょくってんの?」

「わたくしも同じことを考えておった」

「意外」

「そうでもなかろう。わたくしどもはテラス様を見守る、と、気持を同じくした」

「……そうね」

 テラス本人に神界宮殿への反逆意思や主神の座への執着がなかったとしても、前主神テラクィーヌの信奉者に祭り上げられてそういった形になる可能性が残る。細かな懸念に先手を打つのが政治。議会決定によって神界宮殿が宮殿騎士団を派遣するという表立った動きを含めて、テラスの暗殺という手段が講ぜられる危険性を否定できない。

「暗殺といったら、カインはどこが思いつく」

「議員が昼間の宿屋で暗殺された、などという話があるが、」

 カインが周囲を見渡す。「(あちら)に篝籠がある。目立った燈はそのくらいだ。暗殺者がいたとしたら、見咎められにくい夜が定石であろう」

「辺境の村……、こうやって観ても、あんまりひとがいないわね」

 見当たるのは、先程から砂場で遊んでいる子どもと広場脇に繫がれた四足歩行の生き物が三頭。大人の姿はない。

「あの動物って何?なんかブサカワね」

「ぶさかわ……」

「ブサイクだけどなんか可愛い、の略」

「略すと解らぬ。首都など町では馬のほうが多いから見かけぬが、地方の運搬作業はもっぱらあの動物の仕事だ。名は〈ウサギュマ〉という」

「ウサギュマ、テラス様も気に入りそうね。ウサギュマ、うさぎゅま……、あ、ウサギウマってこと?」

「長い耳とちんまりとした体格で四足歩行動物という外見はそうともいえそうだな。と、」

 カインが咳払い。「話を戻そう。モカ村には情報収集のために何度か訪れた。男衆は夜間に魔物を警戒し、日中は床につくようだ」

「昼間は」

「わざわざ説明させるな。逆だ」

「逆って?」

「魔物の活動が控えめな昼間に女子どもが活動しているということだが、テラス様の子守唄となっているこの音」

 カッタンカッタン、トントントン──。

「機織りの音だっけ。あ、そうか、大人は仕事してるのね」

「それで昼間は表に出てこない」

 人影の少なさは納得として、暗殺者の出現が心配される夜はどうか。

「夜は男どもが起きてるんでしょ。見咎められるんじゃないの」

「どうだろうな。夜に活発化するとはいっても魔物も見つけやすい相手を狙うものだ。北の燈付近に男衆が集って一挙に相手をする防衛形態、各家の玄関にも人員を配置するとしても、テラス様の家に人員が割かれるかどうか。危険を取り除ききれない」

「そういやぁテラス様の家ってどこなの」

「わたくしも聞いておらぬ」

「はぁ?何やってんの、馬鹿なの?」

「お主もな」

「穴があったら入りたいっ」

 テラスの追放が決まった直後に辞表を書き、受理されるのを待ってただちに神界宮殿を飛び出してきたカクミである。聞けばカインも似たような流れで飛び出してきている。

「認めたくないんだけど、あたし、カインと似てるわけ?」

「心外だな。わたくしは後先考えずということでもない」

「何よ、強がっちゃって。テラス様の家も知らないクセに」

「ぬ。お主もであろう」

「ぐぬ……、も、もう、これ以上反撃なしで」

「……そうだな、話が進まぬ」

 テラスの家があるか、そこに人員が割かれるかが問題だ。家がなければ作るところから始めなければならないし、家があっても人員がないならカクミとカインが寝ずの番をすることになる。カクミとカインで日中・夜間を分担する。

「あたし夜ね」

「では、わたくしが昼を担当しよう」

「と、なると、あとは家ね」

「移住についての通達が村に届いていないとは考えにくい。村長を訪ねよう」

「村長が移住許可を出したはずってことね」

「ああ。テラス様はまだ起きそうにないか」

「ぐっすりよ」

 無意識の魔法を繰り出す気配もなく、本当に穏やかである。

「テラス様の警護を頼む」

「村長んとこ行くの?」

幾許(いくばく)もなく夜の帳が下りよう、その前に家に入りたい。野宿することになるとしても、それまでに燈や食料など必要物資を調えたいところだ」

「そうね。じゃ、よろしく!」

「……」

「何よ、見つめちゃって。もしかしていまさらこの美少女銃士の魅力に気づいた?」

「へー、ビショージョ、スゴーイ」

「恐ろしく棒っ」

「イタズラするでないぞ」

 ……保証はできないや。

「黙るでないわ」

「早く行ってよぉ」

「……一応、信用するぞ」

「任せなさい」

 カクミは左腰の銃に触れて、「何があってもテラス様は守る」

「うむ。そう、そう、村の者にみだりに話しかけるでないぞ」

「なんで?」

「あとで話すが、村の者はそうして生きてきたからだ」

「ふうん。(ルールかなんかか?)」

「ではな、大人しくしておるのだぞ」

「へぇい」

 カインが風の如く消えて、カクミは「むふっ」と笑った。

 ……これで邪魔者がいないわ!

 カクミは間違っても暗殺者のような物騒な存在ではないが、人目を忍ぶようにして砂場に背を向けて屈み、テラスの頰をつんつん。

 ……あぁ、このもっちりしたほっぺ。可愛いなぁ、もう。

 起こさないように、でも、弾力を確かめるように。ここが外でなければもっと積極的にイロイロやるのだが──。

 ……う。

 視線を感ずる。殺気立ったものではないが、複数だ。ウサギュマか。

 ……愉しみの邪魔をするのは、だーれだ。

 後ろを振り返ると、子どもだ。予想していたので慌てない。

 じー。

 カインにはみだりに話しかけるなといわれたが、これはどうしたものか。視線を向けられるというのは話しかけられたようなものではないか。それに応ずる形なら話してもいいのでは。

「あんた達、なんか用」

 じー。

 ただ見つめられるのはなんとも居心地が悪い。男の子と女の子が二人ずつで敵意はないが、追放直後とあって油断するのもどうか。

 ……まさか子どもが暗殺者ってことはないだろうけど。

 子どもが殺傷事件を起こさないわけでもない。テラスの安全を確保できるように距離を意識して子どもに対する。

「美人に見蕩れるのは理解するわ。でも、名乗らないで見つめるのは失礼よ」

「……、誰がビジンだよ」

 と、小枝を持った少年が真顔で。

「子どもには判らない美なのよ。で、そっちの女子達はなんでこっち観てるわけ」

 少年と同じようにわずかの沈黙を置いて、年長らしき女の子が口を開いた。

「可愛い子だなぁって思ったんです。あ、ワタシはミサト・マイといいます。小枝を持って生意気なのが──」

「誰が生意気だ」

「生意気でしょう。コレがサカキ・シンです」

 不服そうな少年を放置して、マイが年少の男子と女子をそれぞれ抱き寄せた。「こっちが双子の姉タチ・サキと弟タチ・アキラです」

「『こんにちは』」

 双子がシンクロでお辞儀。カクミも「これはごテイネイに」とお辞儀した。

「シンっつったっけ。この双子を見習ったほうがいいよ、あんた」

「なんで姉ちゃんにそんなこといわれなきゃなんないんだよ」

「そうしたほうがいろいろ得だからよ」

 カクミは双子の柔らかほっぺをなでなでして、「こうして可愛がられるチャンスをあんたはみすみす逃しちゃってるわけ、もったいないと思わない?」

「えー、そんなのどうでもいいし」

「ま、いいわ。あんた、見ず知らずのあたしに怒られても聞きゃしないでしょ。無駄だからもう言わないわ」

 シンの相手をするより、双子のやわやわほっぺを撫で回すほうがカクミは愉しい。「あぁ、この感触ぅ、テラス様に及ばないまでもいい感じよ〜」

「『うぅ〜、やめて〜』」

 反応までシンクロするので可愛くてしようがない。

「あ、そう、そう、あたしはカクミルフィ・ゴズフォムっていうのね。長ぇ(なげ  )から気楽にカクミって呼んで」

「カクミ姉さまですね、解りました。サキ、アキラ、ご挨拶して」

「サキです」

「アキラです」

 名前こそ違うが同時だった。

「『よろしくお願いします』」

 とは、完全一致の挨拶。

「サキ、アキラ、よろしく。マイ、あんたもよろしくね。姉さまなんて呼ばれるのは、くすぐったいけど」

 カクミは下流階級出身であるから、年下にだって呼捨てにされるのが普通だった。

「シン、あんたもよろしく」

「黒いヤツとなんて仲良くするかよ」

「人種差別主義かぁ、子どものクセに一丁前ねぇ」

 テラスと対照的な肌色を蔑視する者が神界宮殿にもいた。最初は気にしていたカクミだが、

「あんたは黄色人種よね。フリアーテノアじゃ白人が多いって知ってる?宮殿じゃ白人以外は好奇の目に曝されるかもって意味であたしと一緒ね」

「ふん、黒いヤツよか綺麗な肌だっつーの、一緒にすんな、ババア」

 小枝をぶん投げて去っていくシン。

 投げつけられた小枝をぴっと指先で受け止めて、カクミは鼻で笑った。

「マイのいう通り生意気なガキンチョね」

「ごめんなさい、……余所のひとを警戒しているんだと思います」

「(そうだろうと思った。)こっちも大人げなく挑発したし、謝ってきたら許してあげるわ」

「ありがとうございます」

 マイが会釈して、それまでもちょくちょくそうしていたように、テラスを覗く。「そっちの子はカクミ姉さまの友達ですか」

「可愛いでしょ〜。自慢の──、友達よ」

 テラスが主神だったときは、大っぴらに友人とはいえなかった。口に出さなくても関係が変わるわけではなかったが、誰にだってそうと言える今がとても貴重だ。

 ……いつかテラス様が主神に戻ったら、また主従関係よ。

 そうしなければテラスの立場が悪くなる。人種差別同様、階級差別がないわけではない。黒人であり下流階級出身のカクミがテラスに近づくことを嫌う者もいれば、テラスがカクミを気に入っていることに対して反発する者もいて、多くは当然白人や上流階級であった。

「『みんなが生まれを選べません。──』ってね」

「それは……」

 マイが窺うので、カクミはテラスの髪を撫でて応えた。

「あたしを下に見る奴らがいてね、このひと、テラス様が一喝してくれたときの言葉よ。一喝っていっても、すごく優しい声だった。でも、そこにいたみんなが圧倒されてた」

 真理を説くテラス。民にその威光が届くことがなかったかと思うとカクミは悔しくてならないが、もしもテラスが自由に宮殿の外へ出ることが許されていたなら、もっとひとびとの信仰を集め、主神として崇められていただろう。それほどに優しく、誰をも守れる器がある。ほかならぬカクミが彼女の言葉に救われたから、そう断言できる。

 マイが気づく。

「カクミ姉さまが様づけするということは、もしかして、この子は──」

「こう見えてこのひとのシモベなの、あたし。嫌ならついてかないけどね」

「『お姫様』」

 と、双子ちゃんが首を傾げた。

「(まぁ間違ってはないわね。)そう、あたしに取ってはお姫様も同然よ」

「『服がひらひらで可愛いね』」

「でしょっ、あたしが選んでるからね」

 テラスは素っ裸でも気にしないひとなので服選びに無頓着だが、カクミの選んだものなら悦んで着てくれるので、その点だけは宮殿内部でも評価が高かった。「主神を裸でフラフラさせるわけにはいかんっ!」と、宮仕えが皆てんやわんや。カクミが宮殿に勤めるようになって銃士長に駆け上がってテラスの世話役となったあとからそんな騒動は数えるほどになった。

「そういやあんた達、変わった服を着てるのね」

 普段からテラスの洋服を選んでいるカクミだが、マイや双子ちゃん、立ち去ったシンも、あまり観たことのない服を着ている。

「テラウスはともかく、テラウス・ニーズでもあんまり観ない服だわ。和装っていうのかしらね、ちょっとさわっていい?」

「『いいよ』」

 双子ちゃんの襟・袖・裾、順にさわってみると、カクミは吐息が漏れた。

「物凄くいい布を使ってるわね。(小さな村にこの服、いや、布を買える財力があるのか?)この服って、どうしたの?買ったの?」

「作っているんですよ」

 と、マイが教えてくれた。「〈モカ織物(おりもの)〉、村の特産品でモカ織と略して呼ぶことが多いです」

 カインがいっていたものだろう。

「へぇ、こんな上質な服を作れるんだ。すごいわね」

 そこかしこに技術が光っている。垢抜けないデザインを見直せば首都テラウスのブランドショップで売られていてもなんら不思議ではない品質なので、カクミは本気で感心した。

「糸は?どこから調達してるの?」

「糸も村で作っています。一から十まで、モカ織は村でのみ作られているので、村のひと以外には作れないんです」

 だから出回っていないのか。

 ……でも、この感触、どっかでさわったことがある気がするなぁ。どこだっけ。

 ぱっと思い出せない。他人の空似ならぬ他布(たふ)の空似か。

 水田で育てる米などの主食があり、森もあるので果物や葉物には困らないだろう。が、優れた織物があって売りに出さないのはなぜか。まさに現金の話だが儲かるだろう。デザインは外部委託が可能であろうから、特別な問題とは思えない。

「外に売りに行かないの?」

 と、ずばり訊いてみると、

「この村、お金が要りませんから」

 と、マイが笑った。

「なるほどなぁ。あそこのウサギュマも村の力になってるのよね」

「ああ見えてすごく力持で重い荷台を曳いてくれるので、お昼の力仕事は頼りになるんですよ」

 ……ひとを雇う必要も今んとこないってわけだ。

 生まれたときから首都テラウスに住んでいたカクミはお金に縛られた人生であったから考えもしなかったが、お金が必要のない場所もこうして存在したということに驚きと感動が湧いたのである。

「(暗殺者が来るかも知れないけど、)すごくいい村ね!あたし好きになっちゃった!」

 お金に縛られない。空気がおいしい。その二点だけでも非常なる幸福。

「マイと双子ちゃんも可愛いし、あそこのウサギュマもブサカサで最高よ!あたしここに住んじゃっていいよね!」

「あ、もしかして、カクミ姉さま達がお祖母さま(ばあ  )達の言っていた──」



 村長邸の客間でカインは村長ティンクの話を聞き終えた。内容は、テラスの家が用意されていること、そこに住むことを村長が許可したこと、それから、

「──テラス様は村の外に出てはならない、と」

「話した通り、そのようにお達しが来ています」

 宮殿議会からだ。「元主神テラスリプルの安全に配慮し、村の者を配置することもお約束しましょう」

 ……今度はこの村に閉じ込めるつもりか。フルヤモント。

 公務以外で初めて宮殿を出られたテラスだが、不自由な状況が変わらない。けれどもカインは交渉の余地を見出した。

「テラス様は村民の自由を尊重しておられる。ゆえに警備はわたくしどもで行い、逆に、わたくしどもが村で役に立てることを行おうと考えている」

「それは──」

「テラス様は村民の声を聞きたいとお考えだ」

 それが本音であることは無論大事だが、仮に暗殺者が村民の中に潜んでいるとしたら、牽制も必要だ。その牽制手段がテラスに筒抜けになる形は避けたくもある。

 ……命を狙われているなどと、わざわざ教えたくはない。

 一見、追放について前向きに捉えている様子のテラスだが、カクミにいつも以上に引っついているように見受けたカインである。全くストレスがない状況はひとを弱くするが、強いストレスを与え続けるのもよくはない。

「まずは村の中だけでよい。自由に出歩かせてもらえないか、ティンク殿」

「いいでしょう。村の者に通達しておきます」

 ティンクがお茶を啜って、「ただし森の外層へは侵入しないよう、お願いします」

 モカ村を覆う森は喬木が構築しているが、大きく二つの輪状区域に分かれている。一〇〇メートル級の木が並んでいるのが〈内層(ないそう)〉で村に近い位置にあり、植栽密度が低いため採光ができるようになっている。一方、二〇から三〇メートル級の木が並んでいるのが〈外層(がいそう)〉で、転びまくるテラスをキャッチするためカインが草塗れになった区域であり、比較的背の低い木が高密度で育っているためひとの侵入を妨げている。魔物はその限りではないので、夜間の外層は魔物の巣窟といっても過言ではなく、危険だ。

「こちらとて無闇に命を落としたくはない。外層への侵入は生活に慣れ、周辺に生息する魔物を再調査してからだ」

 カインは何度もこの村に現地調査に訪れているのでティンクと顔見知りであり、魔物の調査も都度行っている。変化の乏しい村と対照的に、フロートソアーに程近いため魔物の種類が多彩で変化が激しい。再調査で現在の魔物の生態を知り、対策に活かす。なお、これはモカ村にも共有する情報で、村の存続にも関わる大事な調査だ。

「外に出てはいけません」

「それは、テラス様に限った制限であろう」

「危険なものは誰にも危険です」

「安心しろ。わたくしはかの主神ほどではないが弱くもない」

 テラクィーヌやチーチェロ、彼らのように圧倒的な剣術や魔法力があるわけではないが、彼らにテラスのお守りを任されるくらいには力がある。

「では、カインさんと、カクミさん、でしたか、お二人の外出は認めましょう」

「うむ──」

「飽くまで移住者はテラス様お一人、村の掟に従う必要があるのもテラス様お一人です」

「その掟も、いずれ変わると思うがな」

「古来より続いています。変わりません」

 テラスが村の外に出てはならない理由として議会のお達し以前に村の掟がある。掟では、村の者が出てもいいのは森の外層まで、それも戦闘能力のある者に限られている。テラスは魔法力こそ優秀だが実戦はカイン達のサポートが必要だ。一人では出歩かせられない。

 ……来る戦いのために、いい経験になればよいが。

 巨大ヘビの討伐で少しは自信をつけた感があるが、テラスはそれでも実力不足だ。のんびりとした性格が祟って運動神経を今から鍛えるのは難しい。それでも、魔竜との対峙を見越して村の外に出られるくらいにはなってもらわなければならない。いざというときは村の掟を無視して強行外出することも視野に入れるが、規則を破るような真似をしては「やっぱり主神不適格だった」といわれかねない。もしもテラスが必要な運動神経を獲得できなかったときのために、「村の外に出てはならない」などという村の掟のほうを変えておく必要もあるだろう。

「村が時代に取り残されていくことを我我は憂いている。無論、強引な改革をしたいのではないが、其方らとて、何一つ問題を感じないわけではあるまい。でなければ、追放された曰くつきの主神など迎え入れる必然性がない」

「……」

 何か事情があって黙らざるを得ない。不都合があるか、箝口令が敷かれているか。何にしてもカインはテラス追放にのみ目を向けているわけにはいかない。

「お主や村に事情があることは察する。それを話してくれるなら、前向きに協力し、解決を図ることは言うまでもない。いつでもよい。話す気になったら、話せ。よいな」

「……テラス様の家に、案内しましょう」

「頼もう」

 場所は聞いていたので一人でも行けたが、情報収集の進捗を期待してティンクを伴った。

 村長邸の西隣。ほかの家屋と同じく藁葺き屋根の平屋で、村長邸より広い。居間・台所・食堂・浴室・寝室──、テラウス内の下流階級より設備が調っている。

 ……これで納得しろ。そういうことだろう。

 あるいは、暗殺者を嗾けるつもりなら油断させるための舞台ということも考えられる。

「いい家だと思いますが、どうでしょう」

「雨風に曝される心配がないのは助かる。ときに、この家はいつから用意していたのだ」

「一年ほど前に建てたもので、わたしが住む予定でした」

 一箇月前に同じことを聞いた。そのときはこの家を外から観た。

「ティンク殿は先程の、以前の家に戻ったということか」

「はい。少し観ていただいた通り、わたしの家は築年数が嵩んで傷んできています。この家を引き渡した際に補修しましたから問題はありません」

「そうか。移住の件はいつ届いたのだ」

「一箇月ほど前です。それがどうかしましたか」

「いや──」

 少なくとも追放案は一箇月前には固まっていたということか。また、テラスの移住を見越して家を建てたのだとしたら一年以上前から追放案を練っていた可能性もある。が、

 ……なんだ、この違和感は。

 追放案の作成をカインは察知していなかった。フルヤモントが上手に暗躍していたということになるが、噂すら聞こえなかったのはどういうことか。その期間が一箇月なら不服ながら調査不足とカインは吞み込むが、一年以上前から準備されていたのだとしたらさすがに納得できない。根本的におかしな点がある。毎日のように各地へ出向いて調査業務に当たっていたカインがテラスへの不平不満を耳にしたことがなかった。テラクィーヌの側近だったカインを特別に警戒して議員が揃って口を閉ざしていたという可能性もあるが、人の口に戸は立てられないともいう。一箇月もしくは一年以上追放案について全く漏れ伝わってこなかった、と、いうのはおかしいのではないか。

 ……何か、嫌な気配を感じる。

 議員が堅固な意思で口を閉ざしていたというなら理解はできるが、果してそれだけか。民心がテラスから離れていたのなら各地で不平不満が聞こえるべきであるし、そうであったなら議員が固く口を閉ざしていたことも納得ではあるが、そうではないように感ずる。

「カインさん、どうしましたか」

「囲炉裏があるな」

「そうですな」

「それだけだ」

「そうですか」

「これまで忙しかったのだがな、急に暇になってやることを探すことに必死なのだ」

 と、いうのは話を逸らすための噓でもなかった。テラスを魔竜討伐作戦の中核に据えるとしても、それまでにやるべき訓練や各所とのパイプ作りをまさか神界宮殿の外で一から始めることになるとは思いもしなかった。宮殿の人員の中でも特に戦力となる宮殿騎士団との協力はテラスが主神であることが前提であっただけに極めて痛手である。どこからどう手をつけ、魔竜討伐作戦まで持っていけばいいか、考えが纏まっていない。第一にテラスの魔法力の強化と密かに運動神経の強化を目指すとしても、そのあと、大規模な討伐隊を編成するにはやはり宮殿の力を借りる必要がある。そこに辿りつくにもテラスの生存が不可欠であることから暗殺者の警戒が当面の仕事だ。

 ……やれることを着実にこなさなくてはな。

 囲炉裏。心穏やかに過ごすにはとてもいい設備だ。

 議会の動きなどを間接的に窺えないかと考えてティンクを伴っていたが、新たな情報がないまま彼を見送ることとなった。

 再燃させた木炭の秘めるような熱を見つめてカインは今後を考える。

 森に閉ざされた、いや、森に引き籠もったような村に外部情報が自動的に入ってくることはないだろう。宮殿の状況や世界の動きを調べる時間が必要だ。テラスの警護をカクミに任せる夜間、カインが調査をするのがよい。日中のテラス警護から夜間までぶっ通しの労働である。体力の限界値が低い人間の世界では過重労働やブラックといわれるレベルであるが、カインは自発的かつ身の丈に合わせているので問題がない。

 収集すべき情報は今のところ二点。議会の動きと魔竜関連だ。現代の神界宮殿は議会を中心に回っているので、議会の動きを知れば宮殿全体の動きが判る。そこからフリアーテノアの治安維持を担う宮殿騎士団の動向も判る。封印されている魔竜に関連した情報はないことが前提で調べるが少しでも噂が立っているようなら危険な状況と捉えられる。事実確認が済み次第、いかなる苦境でも討伐作戦を実行する方向で動くことになる。戦力の中核と成り得るテラスが成長不足だったとしても、あの魔竜が復活すればフリアーテノアは滅亡の危機だ。逃げ遂せることはできないのだから宮殿騎士団に掛け合って総力戦を挑む方針である。

 とは考えてみるものの、無謀な戦いは避けたいのが本音である。魔竜が復活する前にテラスを鍛え上げ、かつ、宮殿との協力態勢を確固たるものにしておかなければならない。宮殿騎士団は質より数の治安維持組織であるから戦闘支援や住民の避難・保護に回ってもらうことになろう。今日まで宮殿騎士団を纏めていたカクミにはテラスと魔竜討伐に当たってもらい、運動能力の低いテラスの物理的な盾になってもらう、と、いう荒っぽい扱いではない。宮殿騎士団の中でも極めて稀な高能力、それがカクミなのである。長命な神において年を重ねていないことは弱さと等しいが、カクミは若くして銃士長に昇りつめただけでなく、長命なカインにも優る瞬発力と魔力をも兼ね備えており、戦闘能力は一般的な主神クラスである。それゆえに、宮殿騎士団の銃士長に就いていてくれたことが来る魔竜討伐作戦で有利に働くとカインは考えていた。テラス追放で計画が狂った。カクミを慕う騎士は多いが、今のカクミに宮殿騎士団が組織として従うことはない。

 ……宮殿騎士団との繫がりは確保しておかねば。

 カクミを介すればパイプができやすいだろうと想像するが頼りすぎて失敗してもいけない。飽くまで好転要素の一つと捉えるにとどめよう。辞表こそ出したがカインはOBであるから宮殿に出入りすることに難はない。情報収集と合わせて宮殿騎士団への交渉を進める。それも一筋縄ではいかないだろうが、厄介事を処理するのがカインの仕事である。

 ……ひとまずここまでだな。

 杞憂で済めばいいが予測される暗殺者の出方も気になる。カクミ一人でもテラスを守れるとはいっても万一を考慮せずゆっくりもしていられない。テラス達を家に案内することにして、カインは立ち上がった。




──二章 終──




 

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