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一四章 穢れの純真

 

 夜明け迫り、未だ見ぬ夜明けに身を焦がす。

 いつ解き放たれる。

 いつまで堪えよう。

 左様な思考では何も動かすことができない。

 飛び立て。

 打ち破れ。

 求めるもののために、強く願え。

 そうして、時は来たる。



「思いもしない展開になっちゃったわね」

 とは、窓に腰を掛けてカクミが言った。

 父母が過ごした部屋。戻れると思いもしなかったテラスは、テラスプルの意向で運ばれていた自分のベッドに座った。殺風景そのものの部屋もカクミとカインがいると賑やかで、不思議と座り心地に懐かしさがなく。

 テラスプルがテラスにお願いしたのは、魔竜討伐作戦における最前線での実働であった。フリアーテノア最大の兵力たる宮殿騎士団もドラゴンブレスには手も足も出ない。前回魔竜が封印された際の兵力──全体の約二〇%──を知るカインの知恵もそこには含まれていた。坑道ゆえ万一の生き埋めも恐ろしいが、戦力として機能しない人員を率いる意味がない。しかも、今回は発光鉱石の危険性が判っている。発光中央坑道には未だ大量の発光鉱石が埋没しているため、大勢で乗り込むと味方が敵となって魔竜の有利を生み出してしまう危険性があるのだ。発光鉱石を警戒して少数精鋭で慎重に進行、魔竜討伐を果たす。と、いうのがテラスプル及び神界宮殿の基本方針である。

 方針決定直後、テラスは瞬間移動で母の安否を確認、ぴんぴんしていた母に封印解除の段取りを持ちかけ、了承を得た。テラス一行が去ったあと母はフロートの襲撃を受け封印が一時弱まったとのこと。それゆえにドラゴンブレスを発せられてしまったことが推察できた。

 魔竜討伐作戦の具体案──関係する部隊全体の動きを細かく考えた案──を宮殿内で練りつつ、作戦予定日をすぐにも決める予定で、テラス一行並びに叩き起こされた一部宮殿関係者は休息の時間を迎えた。

「討伐の人員はあたしら四人ってことだけど、大丈夫?少なくない?」

「テラス様、カクミ、マリア殿、わたくしの四人。テラス様にはチーチェロ様の氷杖があり、状況が整いさえすれば勝機を見出すことはできよう」

 母の封印魔法と同様にハイナ大稜線の厳しい冷気を用いて、魔竜の活動を生物的に停止させることを考えている。宮殿の作戦に従って細かな打合せを詰めていく必要があるが、魔法力に優れるテラスがメインアタッカとなり、カクミ達がそれをサポートすることになるだろう。

「プルは高みの見物?」

「発光鉱石の放棄を聞き入れてくれたのだから十二分の貢献だ」

「参戦せずに安全圏、ってのは変わらないわよね」

「放棄に係る公的業務に我我が関与すれば要らぬ波風を起こすは必至。放棄を実行させることが我我には成し得ず、彼女には際立った戦闘能力がない」

「そう言やぁプルは戦闘筋(せんとうきん)を鍛えてる感じじゃなかったわね」

「運動神経は並以上にあるようだが、リセイのサポートがあるテラス様と異なり戦闘では不安が大きい。適材適所だ」

「要するに、あたしらは放棄交渉の、プルは戦闘の、足手纏いってことね。鉱石が残ってたんじゃ足下が不安だし、主神が怪我でもしたら周りは泡食うし、分担が妥当かぁ」

「今後の神界運営を考えてもテラスプル様の無事が最低条件だ」

「あたしらの無事もね」

「無論だ」

 テラスプル達との話し合いが終わったあと、テラスは一人で村の様子を確認しに行った。炎の塊が落ちた場所には巨大なクレータが形成されていた。一〇日後には田植え予定だった米の苗、涼やかな水田、みんなで食べるはずだった野菜、ぬくもりに溢れた家家や小屋、機織り機の調べにペンシイェロの森、森社──、黒い絶望が広がっていた。

 守るための戦いで失うわけにはいかない。たった一度のドラゴンブレスで村を壊滅させてしまう魔竜だ。細心の注意と揺るがぬ決意で立ち向かう必要がある。

「魔竜はフロートみたいに炎を操るんだったわね」

 と、カクミが確認した。「あの炎の塊、ドラゴンブレスも脅威だけどテラス様の氷で炎に対抗、って、いまさらながらヤバくない?」

「魔法的に、氷は炎に弱いな」

「解っててカインは止めなかったわけね。逆境を撥ね退けるような作戦があるとか?」

「テラス様が提案した通り、ハイナ大稜線の冷気を利用するのがよかろう。ただし、それだけでは封印魔法同様綻びがあるやも知れぬ」

「結論から言って。どうすりゃいいのよ。あたしの炎は氷魔法の邪魔になるから控えろってマリアもいうし、斃すとなったらテラス様の魔法にしか頼れないんだからさ」

「マリア殿はこうもいっていたであろう。テラス様の氷魔法を水魔法で強化する、と」

 水と氷は相性がいい。氷が溶ければ水になり、水が凍れば氷が増える。炎に対して弱い氷も、溶ければ水となって炎に有効に働く。それらの性質を利用した一定の戦闘継続が可能である。炎が迫った場合、テラスとマリアの水魔法で凌ぎ、魔竜の隙を窺うことができる。その間に発生させた水を転用することで、テラスの氷魔法の威力を格段に高めることができる。防戦のたびに場の水が増え、攻撃に転ずる際の氷魔法の威力が上がっていく。おまけに、水が増えることで雷魔法を使えるカクミの出番もある。防戦時に魔竜が水を被っていれば通電率が高まるので、ちょっとした雷魔法でも理論上は動きを鈍らせることが可能で、威力を高めれば体力を削ることにも貢献できる。

「──、都合よくいけばの話ではある。魔法で発生させたものは時間が経てば消失する。消失までに次の攻撃や防御に用いること、それを継続し途切れさせぬことを前提として有利に運ぶ作戦ゆえに、途切れさせれば途切れさせるほど消耗の観点から討伐が難しくなろう」

「あたしが程良く雷で牽制して魔竜に隙を作ればテラス様達が猛攻に転じられる。全てはあたしらの仲良し連携に掛かってるわけだ」

「仲良し連携、か。和やかにはいかぬだろうがそうだな、魔竜討伐においては連携が全てと考えてよかろう」

 宮殿にいた頃は、テラスを中心にしてみんなで魔法の練習をしていた。ともに過ごした時間が連携の正確性を証明してくれる。

「と、なると、よくあるアレも必要なのかな」

「アレとはなんだ」

「ほら、あるじゃない、ざっこい主人公がチートな相手に勝つために地獄の特訓を乗り越えるのよ。んで、アホみたいに強くなる」

「アホて。寝たきりの病人がリハビリもなく健康体になるかのような現象だな。脈絡もなく強くなることなどあり得ぬ」

「夢がないなぁ。特訓のあとは必ず強くなるもんよ。あたしもそうだし」

「幼少期に魔物相手の特訓……」

「地獄でしょ」

「いかにも。……が、やはりそううまくはいくまい。相手は魔竜だ。一人の力が魔竜を上回ることなどまずないと考えてよい」

「魔竜より強くなるぜ〜って吠えてないと男が廃るわよ?」

「要するに、わたくしに馬鹿になれということだな」

「気合があれば強くなれるわよ。さあ、潔く吠えるのよ、カイン」

「同類に引き込もうとするでない」

「……」

「……」

 沈黙が続くと、カクミが切り出した。

「……テラス様、どうかしたんですか。ずっと黙ってますね」

「あ、はい」

 何も考えていないわけではない。二人の話を聞いて、魔竜討伐作戦に思いを馳せていた。

 カクミがテラスに飛びついた。

「やっぱり、テラス様も主神がプルになったことショックでした?」

「皆さんが活き活きと働いていて、プルさんも愉しそうですよね」

「……そうですね、あたしはテラス様がいればイキイキでピチピチですけど」

「わたしが主神だった頃にも皆さんがあのように働ける場を作ることができたかも知れないと思います。プルさんが主神になってくれて、わたしは幸せです」

「テラス様はいかがです」

 と、カインが尋ねた。「一般神でありながら魔竜と戦う。その立場に、満足しておられますか。その状況を、幸せと感じておられますか」

「満ち足りていて、とっても幸せですよ」

 答に躊躇いはない。得たいものが得られて、それらのために戦える身であることが幸せだ。それができたはずの過去を、後悔するくらいに。

「……それならばよいのです。くれぐれもご無理をなさらぬよう」

「はい」

「では、わたくしは少少フルヤと話をして参ります。これがあるうちに」

 と、入場許可証を示してカインが窓から跳び出した。現主神であるテラスプルの部屋にお邪魔することなく階下へ向かうにはそうするしかない。

「ワイルドねぇ」

 と、カクミが同じように窓に足を掛けた。「すいません、あたしもちょっくらマリアんとこ行ってきます。気配は察しときますが、すぐ戻りますんで動き回んないでくださいね」

「はい。お気をつけて」

「いってきま〜す」

 ぴょ〜ん。カクミも窓から跳び降りた。二人とも身軽だ。

 眠るべきだろうか。リセイが走った分、体がくたくたであったが。

「……」

(……)

 部屋に朝日が昇る。目が眩むような心地にまどろむ。ベッドに体を預けると、

(あなた、何を考えている)

 リセイが声を掛けた。(あなたにしては希しい)

(……)

(……考えていないからこそ、判ることもあるわ。あなたは──)

 コンコンッ。

(誰かしら)

「姉さん、ちょっといいですか」

(テラスプルさんね。どうする)

(お迎えしましょう)

(あなたの自由よ)

(またあとでお話しましょう)

(それも自由よ)

「……。どうぞ、開いています」

「お邪魔します」

 テラスプルが入室してお辞儀するあいだに、

(用があれば呼んで)

 と、リセイが伝えた。(あとで、こちらからも話をするわ)

「上へ上がりませんか」

 と、テラスプルが示す南西の扉を見て、テラスは両者にうなづいた。

 屋上に向かう階段。テラスの星空観察場所の一つが屋上であった。バルコニのようになっており、神界宮殿で最も高い場所であるから、特に深夜は星を観るに最適だ。

 階段を上がりきると、朝焼けを灯す石造りの屋上に目を細め、大稜線を望んだ。

「私用で話せる機会がそうそうないかも知れないので、……姉さん、時間、もらえますか」

「はい」

 断る理由はない。情報整理などの事務、作戦具体案が練り上がるまでわずかの時間がある。

「プルさんのお話を聞きたかったので、会ってくれただけでも嬉しかったです」

「ありがとう……」

 テラスプルが伏し目がちに、言葉を選んで、話した。「あたし、……主神になるまで路地裏で、ネコやイヌとご飯の取合いをして暮らしていて、自分はそこで一生暮らしていくんだと思っていて、それを不都合にも思わなかったし、不満にも思ってなくて、……」

「生きることを励んでくれたんですね」

 テラスプルが、申し訳なさそうに微笑んだ。

「……雨風を凌げる石造りも悪くないですが、雨漏りするゴミ箱の中も悪くなかった気はしてて、それというのも、たぶん、その頃はその頃で守られてて、充満した廃棄が決して廃棄なんかじゃなくて、幸福だったからだって思うんです。みんなの役に立てる今の生活も勿論、悪くないって思ってて、それが嬉しいとも思ってて、それが本心で、偽りないんですけど、一方ですごく、すごく申し訳ない気持もしてるんです……。……」

「わたしにですか」

「もしか、いや、かなり、いや、あたしの中では絶対といえるくらい確度が高くて、……あたしは、姉さんを追い出すのに利用されたことに気づいてなかった」

「あとあとになって気づけるようなお話を聞いたんですね」

「……姉さんは、いつごろ知ったんですか」

「六〇夜ほど前、お知らせを聞いたときです」

「新聞を読んだ頃、ってことですよね……」

 テラスプルが深深と頭を下げた。「ごめんなさい!あたしのせいで……姉さんは全てを失わされた」

 ……プルさん──。

 ふらついたテラスプルを支えて、その苦悶を受け止める。

「誰からも奪うつもりなんてなかった。ただ、ただあたしは、あたしを捨てたかも知れないひとをぶん殴ってやりたかった。ひとの命をなんだと思ってんだ、って、解らせたかっただけなんだ。それなのにあたしがいたせいで、姉さんから大切なものを奪い取って……!」

 およそ九〇夜。

 短くも長い期間で、神界宮殿の皆の信頼を勝ち得た彼女が何を原動力にして働いていたか。

「プルさん。謝るのはわたしのほうです。ごめんなさい」

「え……」

「重いものを、背負わせてしまいましたね」

 テラスプルの濡れた頰を両手で挟んで、テラスは微笑みかけた。「わたしの思いを知ってくれているということは、『纏め』を読んでくれたんですよね」

「……引出しから出して、毎日、毎日、読み進めて、今も読み返してます」

 テラスが長年かけて書き記した、やりたいこと、やるべきこと、想定できるあらゆる事態の対策、神界の展望、主神としての思いと民への想い──。

「次の主神さんは皆さんを幸せにできると思って、おもいを託すことにしました。プルさんは一所懸命にやってくれています。負い目を感ずることは何もありません。わたし、プルさんとこうしてお話できて、心から嬉しいんです」

「姉さんっ……」

 朝日に輝くテラスプルが、ぎゅっと抱き締める。「背負わせるだなんて……謝ったりしないでいいの!主神主神って仰がれて不安になることもいっぱいあったけど、頑張れた。あたしがやってた『主神』は、姉さんが思い描いてくれた主神だから──」

「プルさん……」

 テラスは、そっと抱き締め返した。「生きていてくれて、ありがとうございます」

 輝く石造り。テラスプルの笑顔もまた輝くようだった。

 ……こうして、受け継がれているのなら──。

 百数十万年、記し続けた自分のおもい。「妹」が引き継いでくれたのだとしたら、これほど嬉しいことはない。

 しばらくして、主神就任後に処理したあらゆる事案についてテラスプルが話し、次は、村に移住してからのことをテラスが話した。話の種が尽きなかったが、朝日の煌めきが空の青さに馴染み始めて結びが必要となった。

「──。姉さん、あたしが呼び戻したら、ここに戻ってきてくれますか」

「プルさんの姉としては、いつでも戻りたいと思います。けれど、わたしはモカ村の民として生きています。皆さんの許しを得なければ、動きません」

「『纒め』で解ってましたけど、姉さんは、きっと、気が小さいんですね。ひとを傷つけたくなくて、ひとの気持を一番に考えているから、自分の身の振り方すら、ひとの気持を無視したようにはできない」

「ごめんなさい」

「……ううん、いいんです。それだからこそ爆発させたくもなってると思うんで」

「わたしは爆ぜるものを持っていませんよ」

「そうだった……。そう、あたしとしては、姉さんが幸せならそれでいいんです」

「プルさん、とっても優しいですね」

「姉さんに感化されたんですよ」

 微笑のテラスプル。「ここのことはあたし達に任せてください。姉さんに恥じない主神になって、輝かしい時代を築きます」

「プルさん達なら成し遂げられると信じています」

「モカ村のことは、姉さんにお願いしますね」

「はい」

 うなづき合うと、「いくつかお願いがあります」と、テラスはテラスプルに用件を伝えて、彼女を送り出した。



 村の景色と暮しに慣れると時間の長短によらず懐かしさを思う。閉鎖的という意味を広く捉えると宮殿騎士団もまた閉鎖的であった。魔物討伐・一般神保護・主神警護・宮殿警備、あらゆることに武器や魔法、武力を用いるのが騎士たる者の役目であった。歴代団長は得物によって剣士長・銃士長・槍士長といった異称で敬われ、その地位を誇示するとともに主神の威光を誰より近くで視る者であった──。

 精神統一するつもりが、いつの間にやら我欲に塗れた、かつての私室であった。

 カクミは音もなく銃口を後方へ向けた。反射である。

「あなたはなまってないな」

「いきなり入ってこないでよ」

「今はあたしの私室なので呼んでるのかと」

 マリアが気を回しすぎているだけだ。

「あたしはそんな回り諄いことしないって。会いに行こうとは思ってたけど」

「手間が省けたな。用件は」

 銃を下ろしたカクミは、手狭な部屋の小さなベッドに腰を掛けて、現銃士長を見上げた。

「恐〜いマリアを信頼して、いざってときのことをね、お願いしようかと思って」

「魔竜討伐作戦時のことか。あなたは何がなんでもテラス様を守る」

「そう」

 マリアにならあとのことを任せられる。

「カインさんには頼らないのか。彼も、底の知れないひとだよ」

「底は判らなくても瀬戸際の行動くらいは判る」

「なるほど」

 カクミの頭をわしわしと撫でて、マリアが横に座った。

「ときどき、あんたを兄貴に感じるわ」

「光栄なことだ。騎士としては、最低限の力強さがほしい」

「十分じゃない?斧振り回したほうがそれらしいかも」

「では、斧士長(ふしちょう)でも目指すか」

「アイアストのおっさんじゃあるまいに、安易に得物を換えないでよ。警護態勢見直さなきゃなんないし、参謀も議員も大変でしょ」

「あなたがそこまでまじめにあとのことを考えるとは」

「悪かったわね、鉄砲玉で。そこをカバーしてくれるのがあんたでしょ」

「尻拭いだな」

「あんたはやってくれる」

「そうだな。あなたはバカだよ」

 マリアが微笑で、「勝手にいなくなってしまった……。メインアタッカが抜け、頻度も増えた討伐任務など地獄でしかないぞ」

「それが仕事でしょ。あたしはそんなことがしたくて騎士団に入ったわけじゃなかった。そこを目指してたあんたが頑張ってよ」

「それもなるほど。あなたはいつも勝手だった。お蔭で、愉しかった」

「今は?」

「今も今で」

 愉しいことと不満がないことは同義ではないだろう。

「プルに仕えて愉しい、キツい」

「どちらともいえる」

「二択」

「白黒つけられることばかりじゃない」

「勝手な感想でいい、って、話よ。もとよりあんたの気持を訊いてるんだから」

「これはそんなに重要なことか」

 重要だから訊いている。

「どんなことがあっても生き残る。あんたはそうでなきゃいけない。頭もいいあんたが、主神テラスプルを守らないといけないんだから」

「……狙い澄ましたかのような発砲だ」

 マリアが立ち上がり、もう一度頭を撫でようとしたが、カクミはそれを止めて並び立った。

「あんたがどっちもってんならそうなんだろうとは思うけどさ、それだけなら銃士長になんてなってないと思ってる」

「あたしが選ばれたのは実力だけだよ」

「その割にプルとよく行動してるみたいじゃない」

「仕事だ」

「夜中まで」

 カクミのように。

 問は鎌だったが、呼吸の変化を聞き、カクミは微笑した。

「警護なら基本は部屋の出入口よね」

「身近にいたほうがより安全だろう」

「一緒に寝る必要ある」

「曰く兄貴なのだろう」

「飽くまで女よ」

 テラスプルを仰ぐと同時に妹のように思っている。それがマリアの心境であろう。

「以前のあなたを、いや、今のあなたを観ていても、やはりやきもきする部分があるよ」

「テラス様とは主従を超えてるとは思うけど」

「だからこそ。あなたは、真性の鉄砲玉(バカ)だな」

 マリアが嬉しそうに言ったのは、カクミも自覚していることだからである。

「それがあたしよ。どんなに経験を積んでも変わらない。時間が過ぎても変わらないわ」

「そんなあなたからの忠告は聞き入れたいところだが」

「難しい?」

 魔竜討伐作戦の最前線にマリアが入ることをカクミは反対している。理由はもう伝えた。 「プルがあんたを信頼してるのは、たぶん、ずっと独りだったからよね……」

「ああ。テラス様は本人から聞いてるだろうが、路地裏で、家族もなく育ったそうだ」

 ……路地裏。

 ──銃士長カクミルフィ・ゴズフォム。その名を呼ばれたとき、カクミは小躍りしたくならないでもなかった。誰よりもテラスの近くにいて、誰よりも彼女を守ることができる。それだけでなく、地位を得ることで生ずる利益に全く無関心だったわけでもなかった。同じ路地裏育ちでも、その点でテラスプルとは随分と精神構造が異なるとカクミは自覚した。劣等感や嫉妬が胸に湧き上がった。血筋は違えどテラスに妹として扱われているテラスプル。血筋も違って我欲に塗れた自分。妹あるいは姉のように扱われたかったわけではない。なのにこう思う。テラスプルのように接してもらえたらどんなに嬉しいか。それこそ小躍りなどでなく踊り明かすくらいに高揚するのではないか、と。

 ……あたしってば、ホント我欲塗れだ。

 カクミには母がいて夢もあったから、負の感情が湧いても独りではなかった。

「大変な暮しであっただろうに、苦にしていない様子でな、今でも食卓では一皿も食べようとはしない、質素倹約と質実剛健が歩いているようなひとだよ」

「あたしがここに住み込むようになったときは暴食した。その辺りもだいぶ違うな」

「あなたはあなたで十二分の活躍をした。その役を全うし、今もその役を担ってる」

 仕事とは思っていないから続いている。

「あたしは仕事人じゃないからなぁ、人助けだってテラス様が求めてなけりゃやらなかったかも知れない」

「威光だな」

「そうね、テラス様の威光が一番。だから、」

 今の神界が何を損失とするかもカクミは解っているつもりだ。「あんたはやっぱり参戦すべきじゃないと思う」

「不利になるが」

「あたしのバカ魂を信じなさい」

 左手の銃。

「いつどこで手に入れたか、聞いてなかったな」

 誰も及ばないカクミの力の象徴が、それだった。

「いつの間にか持ってたわ」

「〈カクミルフィア〉……自分と重ねての命名なんだろうが、意味深だな」

「なんとなくつけた名前よ」

 テラスが、星が好きだった。自分の名が流れ星を意味すると知ってから、カクミは銃に名前をつけた。銃に、魔物討伐以外の夢を見せることもいつかできる、と。

「テラス様にはあたしが必要。プルには、あんたが必要」

「そう言うあなたが誰より勝手だということをあたしは知ってる」

「だから変に巻き込まないようにしてあげるの。感謝しなさいよね」

「本当に魔竜を討伐できると考えてるのか」

「殺れなくても殺る。それがメインアタッカの役目じゃない?」

「あなたというひとは……」

 身勝手は、みんなの足を引っ張ることもあるだろう。足を引っ張らずにやり遂げられるのが自分だ、と、カクミは考えている。

 実績を知っているマリア。

「解った。テラスプル様にはあたしから伝え、参謀にも作戦の調整を頼もう。負担が増えるのだから、くれぐれもあなた一人で突っ込むのはやめることだ」

「解ってる」

「後方部隊くらいなら参加してもいいだろう」

「あんたも結構な鉄砲玉よね……。ボケて死ぬんじゃないわよ?」

「心得た」

「(どうだかね。)ははっ」

「ふははっ」

 一人ではない。

 ……三人、いや、四人で、やり遂げてやるわよ。

 カクミはマリアと別れて議員宿舎のある五階に上がった──。



 フルヤモントから話を聞いたカインは、テラス追放前後に神界宮殿内で起こっていた変化や事象を理解した。

「──バルハムか。曲者に目をつけられたものだ」

「飽くまで同じ神として扱うならまだ易いのかも知れない。魔竜などよりは罪に問える」

「うむ」

 魔竜対策本部の情報伝達が落ちついてきて、議員のあいだでも緊張感がほぐれつつある。封印が解けようものならまた大騒ぎになるが誰にも休息が必要だ。

 フルヤモントが心配するのは、

「この先どうなるか、あなたの考えを教えてほしい」

「わたくしは意見を述べる立場にないな」

「少しでも意見がほしい。民を守るためには、犠牲を出すことも考えなければならない」

 物音に気を遣うこともない私室で、彼は小声であった。

「お主は存外変わっておらぬな。小心者で優柔不断だ」

「決断すべきことを決断してきた。それには、必要最低限の意見収集が必要と考えている」

「テラス様の追放に意見収集はなかったのだろうがな」

「それは既に説明した」

 バルハムの支配によって意見はもとから一致させられていて意見収集は不要であった。

「パランド総統たるバルハムの目的は工場地帯の利益であろう。しかし、恐怖による支配は反発を育む──。行きつくところで何をする予定だったかが判らぬな」

「恐怖を育むことを度外視していたとは考えられないだろうか。いま思えば、バルハム氏は聖水にこだわっていた」

「お主ら宮殿議会が採取許可を出したテラリーフ湖の聖水か」

「ああ。聖水があることは我我も好都合だった。それが手に入るのなら、あるいは高額での販売であっても民のためになる。障害はあるだろうが、宮殿で買い占めて緊急性のあるひとびとに配ることもできる」

「単純に弱みを握られていただけでなく、議員達が進んで従った一面もあった」

「その弱みも、……」

「穢れであろう」

「っ──、察していたのか」

「暗殺まで企てるほどのことだ。理由は限られる。加えるなら、モカ住民を唆した議員秘書は恐らくバルハム配下か、バルハム本人であろうよ」

「さすがだな……」

 今の応答で、少なくとも議員や議員秘書が直接関わっていないことは確定であった。議員も議員秘書もテラス暗殺を黙認しながら、望んでいたわけではない。暗殺を目論まれるほどの不満が溜まっていたのなら感ぜられるはずだったが、以前の宮殿議会にそのような空気はなく、突如としての追放案採決だった。その理由は、議員がそれを心から望んでいなかった。

 テラスに穢れがあると脅されたのだとしたら議員はその事実をなんとしても隠そうとしたはずで、口外はまずしない。現在は、議員全員が穢れについて疑惑を持っていることになるだろう。テラスの穢れについて知っているのはフルヤモント、カクミ、チーチェロの三人とカインは認識していたが、疑惑を含めると現在は相当数が知っていることになる。

「我我とて、テラス様の追放は表向きの策だった。無論、バルハムを納得させるために」

「まだ大きな功績を残していない穢れ疑惑の主神と、ひとびとを救える聖水の確保。俯瞰したらば、テラス様も同じ選択をしたであろう」

「テラス様の良心に甘えさせていただいた……。本当に申し訳ないことをした」

「ご本人に伝えるとよい。笑って許してくださるさ、あの方は」

 フルヤモントが眼許を拭って、小さくうなづいた。

 支配された神界宮殿、バルハムの暗躍、テラス追放、テラスプルの主神就任──。起点はどこだ。

「最初にテラスプル様に接触したのはバルハムであろう」

「テラクィーヌ様の子であり、主神の資格があることを伝え、テラスプル様を宮殿に呼び出したのがバルハム氏だったことが意見交換で判明したが……、何か気になる点があるか」

 追放案採決に及ぶまでのバルハムの暗躍が聖水を目的としていたとして、穢れを持つテラスを追放し、テラスの妹──と見せかけた──テラスプルと接触してまで主神に祭り上げたのはなぜか。それが利益追求のみを目的にしたものだったのか。起点は果してバルハムの発想か。

 否。

 聖水の確保がバルハムの狙いだとしても、テラスの穢れを断言できる立場にない。かつてチーチェロが受けた穢れについても知らなければ、それが子であるテラスとテラスプルに受け継がれていたことも知る由はない。どこで穢れの事実を知り、また、死産だったテラスプルが存在したことをどこで知り、それを断言できるほどの確証を得て議員を脅す決断をしたのか。宮殿の支配など、フリアーテノア最大の資産家であろうと許されない暴挙であり死罪相当の重罪である。それほどのリスクを恐れず行動できたのはなぜか。それがバルハム暗躍の、ひいては一連の出来事の起点ではないか。その時期をあえて述べるなら、テラス追放の約一箇月前、ティンクが新築を手放した日より前のことであろう。

 ……フロートは、言葉を話す。

 しかも、魔竜の分身として、テラスとテラスプルの穢れを推測し得る存在である。テラスがフロートの接近を逸速く察するように、フロートがテラスを察していた可能性は大いにあり、本物のテラスプル生誕についても同様だ。穢れ疑惑によって議員を脅すというバルハムの発想は、フロートが与えたものと推測できる。バルハムが認識していたかは定かでないが、フロートが裏で糸を引いていたのなら目的は二つ。魔竜解放と、侵略効率を高めるための宮殿体制の脆弱化だ。テラスのみが言い当てたともいえる宮殿体制の好転は、カイン達とは別の意味で魔竜に取って予想外だったことだろう。モカ村を襲撃したのは苛立ちによるものではないか、また、宮殿への揺さぶりもあるのではないか。

 それらを伝えたカインはフルヤモントと別れ、テラスプルのもとへ向かう。直接接触したテラスプルが感じたであろうバルハムの真意もといフロートが封印解除に向けて動いていたであろうことが判るだろう。フロートが発光鉱石を用いてバルハムを操っていたとも考えられなくはなく、真偽を推察する材料を得られる可能性もある。

 先程、魔竜討伐作戦の方針を決めた際、テラスが話したフロートの提案に衝撃が走る場面があった。主神が協力して生け贄を捧げろ、と、いうものだ。魔竜及びフロートは己の力を高めるための食料としてひとびとを捉えている。その事実を観たとき、バルハムと接触したり同人を操ったりする意義があるとも考えられる。

 ……フロートの目的が力をつけることにあるなら──。

 果ては、フリアーテノアの問題に収まらなくなる。翼を有する魔竜。力をつけ、宇宙へ飛び出した先、別の神界や人間の住む星へ移動して侵略を繰り返すこともあるのではないか。フリアーテノアはその足掛りであり、本拠地とされてしまう。

 ……それでは、申し訳が立たぬ。

 悪神の侵攻から守ると約束してくれたアデル。この神界の災いたる魔竜を食い止めることができないのでは、恩義に報いるどころの話ではない。

 

 

 テラスがテラスプルとともに屋上にいるようなので、カクミはマリア以外への話も済ませることにした。

 カインと搗ち合うかとも思ったが、どうやら彼の話は短かったようで、

「古いアーモンド」

「フルヤモントだ」

「古いダイヤモンド」

「輝きを増すのだろう。何用かな、元銃士長カクミルフィ」

「歯、食い縛ってもらおうかと思って」

 議員宿舎の廊下であった。カインを見送ったあとか、佇んでいたフルヤモントがカクミと向かい合った。

「理由は聞くまでもない。わたしはどのような怒りも受ける覚悟がある」

 カクミは、彼の胸に銃口を押しつけていた。

「眼、赤いわよ」

「問題はない。皆、同じ思いをしている」

「……」

 フルヤモントが悪意の塊とは、カクミは思わない。追放後のテラスが彼に対する好意的観察を散散聞かせてくれたからか。それが全て正しくなかったとしても、戦闘したこともないフルヤモントの眼には武力では砕けないほどの頑強さがあった。単純な脅しに屈する貧弱さではない。政治家であるから面の皮が厚いとも思えなくはないが、それだけでは銃を向けられてなお佇むことはできなかっただろう。誰だって、身に及ぶ危険から身を守る。フルヤモントは、そうではない。

「わたしとて、願いを持っている。その願いがテラス様と相反するとは考えていない。わたしも、議員の皆も、テラス様を憎んではいない。それだけは、信じてほしい。また、憎まれても決して憎まないと、腹心たるカクミルフィ、あなたに誓おう」

「あたしには別にいいわ。頭下げて、テラス様に誓いなさい」

 興が醒めたのではなく満足であるから、カクミはフルヤモントに背を向けた。「あんたはあんたで苦労してんだろうなぁ、あたしみたいなのには判んないところで。最近、それが少し解ってきた気がする」

「カインを通して、か」

「あんたは古い付合いなんだっけ?」

「わたしが議員になった頃からの付合いだ。彼は、ぺいぺいのわたしにいろいろと教えてくれた先達であり、同志だ」

 頭がいい者同士で話が合うこともあるのだろう。カクミにはちょっと理解できない部分の共感であるが、理解し合える仲間がいることのよさは解る。

「ま、大事にしなさいよね、あんたみたいな性悪、カインみたいなやつじゃなきゃ相手してくんないわよ」

「……心配り、感謝する」

「戯れよ」

「では、一方的に感謝しておこう」

 ……なんとなく、カインに似てるわ。

 年寄だからということでもないだろう。

 テラス追放に絡んで嵩みに嵩んだフルヤモントへの嫌悪感が、カインへの好感やテラスの精神性を介して薄れている。フルヤモントが民を想っていることも、テラスを傷つけたくて追放したのではないことも、なんとなく解ってきて、言行がそのひとの全てでないことも解った。

「そう、そう、暗殺者はあんたの仕業じゃないってことよね」

「無論だ。我我は無事を祈るほかなかった」

 それを含む誓いと謝罪だったことを感じていた。

「じゃ、あたしは行くわ。新参のプルのこと、ちゃんと守ってやってよ。テラス様の妹なんだから」

「テラス様の分まで、守らせていただく。ご安心ください、と、テラス様にもお伝えしよう」

 カクミは、議員宿舎のある五階から上階を目指す。

 ……はぁ。

 何をやっているのだろう。変に頭を使って、自分らしくないことをしている。そうとは解っていても、それをしなければならないと思ってしまう。

 ……あとは、プルね。

 主神の血族にない主神。その重圧に堪え得るかカクミには量りようもなく、それでも対面して話したかった。それもまた自分らしくはなく、しかしながら不可避とも思った。



 テラスプルへの用件についてリセイから質問があったのは、テラスが大稜線に目を戻したときであった。

(──。テラリーフ湖のモカ村民への配給と新規顧客の獲得、今のテラスプルさんなら可能と観たのは解る)

(皆さんの意を聞かないまま働きかけたことをリセイさんは不思議に思ったんですね)

(……村に帰れない)

(はい)

 リセイの指摘した可能性をテラスは見据えている。(魔竜さんは、村に対して躊躇いなく惨い行いをしました)

(……)

(戦うことになれば、村に戻れるかどうか判りません。お母様のように封印魔法を施す道もあるでしょう。たださえ追いつめられている村の皆さんの暮しをよくするために、考えておくべきことは山程あります)

(主神ではなく、村の一員として生きることを決めた)

(主神たるひとで存ればいいかと思いますが、その席には今、頼れるひとが座っています)

 自分よりずっと優秀な彼女ならフリアーテノアを理想の未来に導いてくれる。

(その道を少し明るくできていたんです。わたしは、それが嬉しいです)

(……解った。その点はもう訊かないことにする)

 リセイが、話を始めた。(何度もいっている通り、わたしはあなた。細かいことをいうならあなたの一部。あらゆる暴走を担い、あらゆる脅威からあなたを守る、それがリセイたるわたし。わたしがわたしを認識したとき、わたしは既にそんなふうに考えていたわ。あなたは、あまりに無防備で、あまりに無邪気で、あまりに無抵抗だった。カクミさんやカインさんがいなければ、追放以前に付け込まれることも、害されることも、あり得た。そうなったとき、あなたを守れる存在がいないとき、わたしは動くことを決めていた。けれど、わたしは……)

(……はい)

(ここで宣誓するわ。動くべきところで、必ず動く、と。今度はあなたを守る、と。魔竜を、討伐しましょう)

 リセイの決意は、ハイナ大稜線に反射する陽光が如く鋭く、突き刺さるようだった。

(お話を聞かせてくれて、ありがとうございます。リセイさんの裁定、聞き届けました)

(魔竜討伐作戦時、あなたの身が危ういときはわたしに体を委ねて。自己治癒力には、気づいているでしょう)

 操られたカクミやカインとの戦闘で傷ついていたのに、みんなを避難させるときには治っていた。穢れ、魔物たるリセイの力であった。

(万一わたしが遅れてあなたが傷を負った際もただちに交代。いいわね)

(解りました)

 運動神経のない自分が足を引っ張れば、途端に連携が突き崩されてカクミ達の危険に繫がってしまう。カインによれば、ドラゴンブレスのほかにも爪や尾を用いた物理攻撃が凶悪の一言に尽きる魔竜である。何もかもに油断ができない。

 ……意を、決さなければ。

 救済の覚悟。繁栄の覚悟。共存の覚悟──。強いることのできないものもある。テラスは太陽を見据えた。

 合流したカクミとカインを伴ったテラスは、村民の動きに進展があることを祈ってテラリーフ湖に向かった。テラウスへ向かうときはリセイが走ってドラゴンブレスの軌道と影響を観察したが、今回はテラスの瞬間移動を使った。テラス達の訪れをシンが大人に知らせ、村民が集まるとティンクが代表して状況を伝えてくれた。訪れて一目で判ったこととそうでないこと、報告内容は二つである。

「モカ村に比べますと緯度が高くじきに冷え込む可能性もあるでしょう。ご覧の通り、木材を伐り出して一時的な家屋を作っています」

 テラウスと距離のあるテラリーフ湖は夜間である。山に囲まれているため空気が籠もって気温が下がりにくいが、雨風を凌げるようにしなくては生活が不便だ。

「それから、テラス様の飼われている小鳥がやってくれましたよ」

「小鳥さんが。何かおいたでもしてしまいましたか」

「いいえ、逆です」

 ティンクが嬉しそうに袖から取り出したのは青い木の実である。

「それはペンシイェロの実。まさか、小鳥さんが見つけてきたんですか」

「はい。どこからかはまだ判っていませんが、新鮮そのもの……。この辺りにあることは確かでしょう。希望が、見えてきました」

 どこからともなく小鳥がテラスの肩に降り立って、ひょっひょっ、と、誇らしげだ。テラスが守りきれなかったもの以外にペンシイェロの木がありそこから小鳥が木の実を拾ってきたのだとしたら、種の生育観察が容易になり後続の種の生長に役立てることもできるだろう。

「あとで、木の実のあるところへ皆さんを導いてくれますか」

 ひょっひゅっ。小鳥が首を傾げている。「ごめんなさい、どうやら変らず言の葉が通じないようです」

「十分です。これだけでも木の実が二つ、芽が一つになりました。さらには木がどこかにある可能性。みんなの大きな励みになりました」

「今日は遅いし、明日みんなで探してみるぜ」

 とは、シンが言った。「サキやアキラも手伝うって言ってるし、ついでに探険するよ」

「双子ちゃんに無理させんじゃないわよ?」

「判ってるよ、師匠。マイやエイジ兄ちゃんもついてるから安心だぜ」

 シンより少し年上のエイジは村の子どもの中では一番の兄貴分で、夜の警備についている頼もしい存在だ。

 老若男女が力を合わせれば、きっとたくさんのことができる。

「村を蘇らせる道筋が見えてきましたね。そこで一つお願いなんですが、ティンクさん」

「はい、なんでしょう」

「お家ができたあとでいいんですが、この湖の北のほうに、森社のような社を建ててもらえませんか」

「以前話していた崩れた社の替りといったところでしょうか」

「はい。この地に神さまはもういないかも知れませんが、ひょっとすると家を探して困っているかも知れません」

「そうですね。わたしどもはこの土地を間借りさせていただく身。感謝の祈りを捧げることで神霊の安らぎとなるなら、勇んで社を建てるべきです。お任せください」

「とても忙しいときに我儘を聞いてくれて、ありがとうございます」

「こちらこそ感謝を。目に見えぬ存在にもお心を砕かれるテラス様に、わたしどもは支えていただいていますから」

 にこやかなティンク。お辞儀したテラスに、エイジが尋ねる。

「テラスさん達の話は、どうなりましたか。鉱石の廃棄を話し合ったりしたんですよね」

「はい」

 魔竜対策の方針に加えて、カクミやカインの耳にも初めて入れる村への支援については、村民の生活に関わることなのでみんなに説明した。

「──、モカ村とペンシイェロの森は焼け野と化していました。カオルさんが埋めていてくれた種を集めることも今は難しいかも知れません。そこで、プルさんに新たな地を譲ってもらってモカ村を移すことも考えておこうと思いました」

「公の、誰も使っていない土地を主神が譲ってくれるということですかな」

 ティンクが先を訝る。「相談の段階とは思いますが、可能なんですか」

「プルさんはやり遂げてくれます。わたしが責任をもってそれを約しましょう。新たな地については手に入ると考えてください。発光鉱石のない地を選んでもらうことはいうまでもありませんが、そうだとしても差支えはあるでしょう」

「ペンシイェロの生育だね」

 と、カオルが悩みを深める。「この辺りでペンシイェロの木が育っていたことを考えると、モカ村のあった赤道付近だけじゃなく、ある程度温暖な気候であれば生長することになる。けど、ここは特殊だ」

 聖水の湖の影響でペンシイェロの木が育っていたことを否定できない。テラリーフ湖以外の土地をもらう場合、ペンシイェロの木が生長する保証はない。また、テラリーフ湖は山に囲まれており気温が安定しやすく、湿度も比較的高く、期せずしてモカ村の環境との共通点が生じている。ほかの土地を得る場合、テラリーフ湖より南に位置する暖かい土地というのが最低条件である。それについては既にテラスがテラスプルに要望を出し、じつのところ譲ってもらえる土地がほぼ確定している。

「モカ村の近くのフロートソアーを挟んで、北の地をくれるという話でした」

 フロートソアーが最短の直線移動を許していないものの、モカ村の北一八キロメートルに位置する土地だ。魔物の出没を危惧してフロートソアーから離れた土地を選ぶことも考えたが、大地の裂け目の近くの土壌だからこそペンシイェロの木が育つ可能性を考えた。また、掟が緩やかに変化しているとはいってもモカ村が排他的な村であることに変りはなく、フロートソアー付近に村を再興することで文化を守ることも視野に入れた。一方では、以前のようにほぼ全方位をフロートソアーに囲まれた土地ではないことから、魔物の襲撃を減らせるとも考えての選定だ。

「──、なるほど、テラスさんは本当によく考えているね」

「カオルさんの荷を増やすようなことになってごめんなさい」

「いいさ。村は魔物に狙われすぎていたんだ。今回のことでそれが身に染みて判った。より安全な場所に土地を移すことは、遅かれ早かれ考えるべきことだったんだよ。テラスさんがそれを率先して考えて土地の確保にまで動いてくれたんだ、文句なんてないよ」

「ありがとうございます、カオルさん」

 村の復興と森の再生を考えて動いたテラスに村民の感謝の弁はやまなかった。小鳥が見つけた木の実の採取地点が把握できれば新モカ村での森の再生の足掛りになるので、宮殿から正式に移転先の決定通知が来るまでに村民が分担して木を捜索することになった。

 夜闇に煌めくテラリーフ湖は希望を湛えているようで、胸がときめきもすれば、ふと目を細めて自然の囁きに耳を欹てたくもなった。明日の探険にそわそわしている子どもを眺めて、カクミがテラスに声を掛けた。

「プルにいろいろと手を回してたんですね。さすがです」

 一時的な住居を急ピッチで建てている男性陣。集めた山菜で食事の準備をしている女性陣。探険に備えて植物の装備を調える子達。皆を眺めて、テラス、カクミ、カインは話した。 「わたし達は魔竜さんと戦うことになりました。先のことを考えて損はないと思いました」

「それ、生きて帰れないことを前提にしてません?」

「無理からんことであろう。わたくしもテラス様と同じようなことを考えていたさ」

「カインも?」

「お主も心当りがあろう」

「あたしは後先考えたりしないからね。テラス様はあたしが守りきるんで絶対帰れますよ」

「ありがとうございます。カクミさんも、カインさんも、ともに」

「ですね。端からそのつもりなんで安心してください。あ、そう、そう、プル達のほうにはマリアから伝わってる頃ですが、あたしの提案でマリアは魔竜戦から外れました」

「戦力ダウンではないか。なぜ左様な変更を提示したのか」

「あんたなら解るでしょ」

「テラスプル様を支える者が必要ということだな。その手腕で信頼を勝ち得た彼女だが、心穏やかな生活を送っているとは考えにくい」

「むしろストカン状態なんじゃない」

「すとかんとは」

「ストレス・カウント・ストップ」

「ならばストカンストでは。と、万一にも、腹心が死亡するような事態は避けねばな」

「そういうこと。マリアはひとを守るために魔物討伐を買って出るやつだからね。命を投げ出されちゃ、プルがかわいそうじゃない」

 テラスプルは特にマリアとフルヤモントを慕っているよう。議員であるフルヤモントは宮殿が仕事場なので自ら危険な地に飛び込むことはない。対照的なのが騎士であるマリア。前線に出て戦死する危険性は主神よりも高い。単純な戦闘要員としてマリアを求めているのならテラスプルは気にも留めないだろうが、路地裏育ちの彼女は命の重さを知っている。慕うひとを戦地へ赴かせる苦悩からは逃れられない。

「では何か、わたくし達三人での決戦となるのか」

「そういうことになるわね」

「勝機が確実に減る」

「それでも、」

 テラスは皆の表情をみつめて、明日を信ずる。「昼には消えてしまう霜のような可能性だとしても、少しでも残っているのなら見つけ出します」

「ふっ。テラス様は、やはり変わりませんね。それでこそですよ」

「カインが尻込みする気も解るけどね」

 と、カクミが笑って、テラスの肩を抱いた。「あたしらは絶対に勝つ。神炎の恐ろしさを思い知らせてやるわ」

「お主の本領は魔竜を勢いづかせる危険性があるために使えぬがな」

「炎が不利になるってことくらいはちゃんと頭に入れてるからノリ合わせてよ」

「お主にも頭があったのだな」

「戦闘筋よ」

「頭ですらなく、軽そうな筋肉だ」

「軽やかさは戦闘にも必要よね」

「テンポは大事だな」

 カインが納得したところで、テラスは纏める。

「魔竜さんとの戦いに備えるため、プルさんにお願いしてあることがいくつかありますが、そちらは調ってからお話することにしましょう。今は──」

(交代の時間ね)

(ごめんなさい、もう……)

(謝らなくていいわ。ゆっくりしなさい)

(ありがとうございます、リセイさん)

 リセイに体の主導権を預けると、テラスの意識は闇の中であった。



 テラスとリセイの交代は突然のような身長の変化で明白である。漫画のコマを一つ読み飛ばしたかのような変化であるから、瞬きをしていないのにした気分になる。

「リセイ、突然どうしたの?話したいことでもあるの?」

「テラスリプルを休ませたい」

「もしかしてテラス様、寝ちゃった?」

「ええ」

 一つの体に二つの精神が生きているという状態は極めて稀で構造も不確かであるが、リセイがいうには、引っ込んでいるほうの意識が覚醒状態を保っているとは限らず、体の主導権を握っているときと同じように眠って回復に努めているときがある。また、テラスとリセイの体質だと、テラスが引っ込んでリセイが体の主導権を握っているときのほうが総合的な回復力が高いそうである。

「フロートを斃すための魔法、あなた達を癒やした魔法、操られたあなた達を相手にした戦闘も含めて、精神力を極度に消耗した。おまけにわたしが体を酷使し、そのあとには謁見や雑談も。彼女の体力がここまで持ったほうが不思議だわ」

「テラス様、こーんななりして頑固だからなぁ。リセイは体とかつらかったりしない?」

「いわれなければ判らない」

 ……そうだよねー。

「体力も精神力も共有している、二人で使うには余剰がない。だからせめて回復を加速し、テラスリプルの疲弊を避ける」

「リセイもテラス様のことを慮っておるのだな」

 と、カインが感心すると、無表情のリセイがやや疲れたふうで答えた。

「あとあと同じようなことを訊かれても面倒だから伝えておくけれど、わたしはテラスリプルの理性そのものよ。彼女が疲れたらストッパを掛ける。それはいっそわたしだけの役目よ」

「独占欲が強い新妻みたいね」

「あなたにはいわれたくない」

「えっ、あたしそんなに独占欲強い?」

「塊」

「誤解しないでねっ、テラス様以外に興味はないわよっ」

「まさにそこをいっているのだけれど……」

 額を押さえてふらついたリセイを、カクミは支えた。

「ちょっ、大丈夫?マジでつらいなら言いなさいよ」

「解っている」

「解ってなさそうだから言ってんの」

 リセイが穢れであることは知っている。魔竜の分身のような存在であり、魔竜の一部のような存在でもあることも知っている。が、目を逸らすリセイの両肩を捕まえて、カクミは話す。

「あんたはテラス様も同然なの。その体だって、心だって、テラス様みたいなもんなの。一ミリも傷つけないで。テラス様は許すだろうけど、あたしは許さない」

「一連の流れからのそれは高等なボケかしら」

「こんな話で笑いを取ろうなんて思ってないってば」

「そう」

 リセイが氷杖で地面を突いて自立、「あなたが知ったら……」と、呟いた。

「話したいことがあるならもっと大きな声で話してよ。バカだけどちゃんと耳はあるわよ?」

「自分でいっては世話がない」

 と、カインが苦笑して、「リセイよ。話しにくいことなら無理にとはいわぬが、わたくしも聞こう」

「気にしないで。単なるツッコミだから」

「な〜んだ、リセイってもっとお堅いひとかと思ってたけど、意外にも相性いいのかも」

「荒波の中のサーフボードのようなひとはお断りよ」

「モノなのっ。あたしってそんなに合わせにくい人種だったの」

「自覚がないのは本人だけだな」

「カインまでっ。マジか」

「マジよ。あなたは海を馬車で渡っているような暴走っぷりだから誰もついていけない」

「がーん……」

 テラスが言ったのではないと解っていても、大人びた顔はまさしくテラスのそれであるからショックを受けてしまう。

「それよりも、神界宮殿に戻るわ。こっちから封印解除せずとも、魔竜の封印が解けるのは時間の問題」

 と、言ったリセイへの反応がカクミは遅れた。カインが応答する。

「テラス様も仰っていたが、お主はフロートや魔竜の動きがまるまる判るのか。それか、テラス様のようににおいを嗅ぎ取って把握しておるのか」

「魔竜達の気配を彼らの感覚としてときどき感じることがあるわ」

「感覚として?」

 カクミは空を見上げた。リセイが魔竜やフロートと穢れを介して繫がっていることは、魔竜討伐作戦の会議中にテラスが話していた。その感覚とテラス特有の嗅覚でもって魔竜達の裏をかいて対抗できると考えられたためテラスが前線に出ることが決まったといえる。が、魔竜達のことをどの程度知ることができるか、詳細は聞いていない。

「それってテラス様とリセイが双方の感覚を共有してる、って、のと同じようなもんなんだよね。じゃなきゃ、テラス様も危険な前線に出ようなんて考えなかったと思うし」

「ええ。彼女と異なるのは、瞬間的ということ」

「瞬間的」

 カインが北の凹んだ山を視る。「その瞬間的感覚共有によって封印の綻びを感じたために急いでおるのか」

「そうではない。フロートに襲撃されたというチーチェロの精神力がどこまで持つか。封印が解けるまでに作の具体案を詰めておく必要がある。これらはテラスリプルの考えよ」

「素晴らしい先見だ。して、同意だ。マリア殿が参戦せぬ前提でわたくし達の連携内容を改めなければならない。参謀といえどもわたくし達の戦闘能力を知らないのでは他部隊との連携を練ることができず、宮殿騎士団の役目にも響く可能性があろう」

 最前線で戦うのは無論カクミ達だが、それとは別に宮殿騎士団にも役目が与えられている。魔竜が出てこないか発光中央坑道の監視をすることと、魔竜が外界へ出てしまった場合の一般神の被害抑制だ。まず監視であるが、カクミ達が魔竜を討伐し損なっても宮殿騎士団が総力を挙げて封印を施す。それができなかった場合はカインの人脈を用いてひとびとの避難を実行する。この避難には、フリアーテノアを去るという選択肢が含まれているため、神界宮殿としては避けたい事態ではある。存命第一であるから、生まれ育った土地・星を捨てる覚悟もしておく必要に迫られるとは、テラスがテラスプルに進言したことである。勿論、そうならないようにする意気込みはあるが──。

「そういえばカイン、別神界の受け入れ態勢って整ってるの?」

「これからだ」

「これからって。しっかりしてよ、フリアーテノアには二〇〇〇万人いんのよ。ね、リセイ?」

「二一四五万人超と記憶している。連絡する時間がなかったことは酌むけれど、カインさん、いささか当てにならないわね」

「ぐ、今から向かおう。急ぎゆえテラス様の瞬間移動を頼るつもりであったが」

「寝かせたげて」

 と、カクミはカインの背を押した。「さあ、行った、行った。宮殿にはあたしが行ったげるから」

「了解した。リセイはどうするのだ」

「カクミさんと──」

「あんたはここで休んでなさい」

 と、カクミはリセイを制する。「また走って行く気でしょう」

 瞬間移動はテラスでなければ使えない。自ずと選択肢は一つとなり、疲れたテラスの体を酷使することになる。

「疲れているのはあなたも同じ」

「こんくらいオーバーワークのうちに入らないし、ちょっと眠いけど我慢できないほどじゃないわよ。まあ、連絡事項を覚えてられるかは怪しいけど……」

「ついていく」

「信用がないっ」

「テラスリプルと違ってわたしは夢を描かない」

 魔竜討伐作戦に綻びが生ずるようなことはできない、と、いう意味だろうが、カクミはリセイの言回しが気になった。

「テラス様の夢って?」

 聞いたことがなかった。思い当たることがあるにはあるが、

「あの子が話そうとしないことを口にすることはないわ」

「……そっか」


 神界宮殿に騎士として就職して間もなく、独りでほそぼそと食事するテラスの姿をカクミに見せて、銃士長アイアストが問うた。

「お前に夢はあるだろうか」

 「突然何を言ってんだ、このおっさんは」などとは言わなかったが、

「言いたくない」

 と、カクミは突っ撥ねた。

 カクミの頭を撫でたアイアストが、先見だろうか、

「気の強い娘である。そのくらいでなければな──」

 そう言った。


 リセイが口にしたように、話したくないことが誰にもある。叶わぬ夢とはテラス本人も解っているのかも知れず、その内容を口に出せば、なおさら消えてしまいそうではないか。

 ……あたしも口にしなかったしな。


 テラスの側近となった日、出会い頭にカクミはハイテンションでお辞儀した。

「あたしの夢だったんです!」

「笑顔の素的なカクミさんの夢ですから、きっと素的な夢ですね」

 と、テラスは応えてくれたが、聞いていないのだから内容を理解してはいなかっただろう。


 カクミはそのあとちゃんと説明をした。テラスの近くで生きるのが夢だった、と。

 夢が叶ったから何度でも口に出したくなるが、叶わなかったらそうはならなかっただろう。夢を謳歌している現在、足搔いているひとを夢のために足蹴にはしたくないが、

「テラス様の夢は、あんたの夢?」

 とは、訊いておきたかった。

「語るまでもないわ」

 と、リセイが答えた。

 カクミは、

「それならいいわ」

 と、うなづいて、カインの背を改めて押した。「女子トーク聞いてないでとっとと行きなさいよ、もう」

「リセイの動向が決まっておらぬから待っておったのだが」

「いま決まったわ。リセイはあたしがおんぶで連れてく」

「何キロあると思うておるのか」

「女子の体重を重そうにいうなっての」

「距離のことだ」

「安心して。腰は頑丈だから」

「油断するとボキッといってしまうものだ」

「今度からもうちょっと優しく接するわね、おじいさん」

「案ずるな。まだ折れておらん」

 カインとのいつものようなやり取りに、

「仲がいいのね」

 と、リセイがツッコんだ。「わたしはテラスリプルほど寛容ではない」

「時間に余裕がない、か」

 カインが足首を回して、「先のドラゴンブレスの件も委細が知れぬ。可能な限り迅速な行動を心懸けねばな」

「ってことでリセイ、はい、背中に乗って」

 カクミはリセイの前に屈んだ。

 リセイが仏のような眼でなかなか乗らない。

「嫌がっているようだな」

「なんでっ」

「胸に手を当てて考えてみるがいい。テラス様の体であることをいいことに、お主が妙な気を起こさぬか心配しておるのだろう」

「んなことないってば」

「弁明ならリセイにするのだな。ではな」

 ひゅんっ、と、カインが姿を消してしまった。

「逃げ足、速ぁ」

「彼の指摘が正しい」

「えっ。じゃあ、あたしにヘンなことされるって考えてるのっ」

「体は飽くまでテラスリプルのものだから」

「か、体は……」

「ほら、ハンカチ。涎が出ている」

「あ、ありがとう、って、出てないってばっ」

「唾は飛んだわね」

「ぐっ」

 テラスにはいろいろな意味で弱かったが、リセイには別の意味で弱くなりそうである。

「と、とにかく乗ってよ、なんもしないから、本当に」

「念押しは後ろ暗さの証」

「えぇっ……」

 信じてもらえないときはどうしたらいいものか。信用は日頃から積み重ねておくべきものであり急には培われないものだが、急ぐべきときに信用問題で足止めを食っては焦りもする。

「しつこく言ってて噓っぽいけど噓じゃないからっ、信じてよぉ、もぉ」

 と、強くいうほかないカクミに、

「うふふ……」

 リセイが含み笑い。

 ……顔は、ホントにテラス様だけどな。

 気品がありつつもどこかテラスとは異なる。「理性」は、ひとが生きる中で培われていき、欲望と反した精神だろうが、そうであるならテラスの非常に落ちついた面がリセイといえなくもなく、リセイの笑みにどきっとしてしまったことにも辻褄が合おうか。

 ……って、何を誘惑されてんだ、あたしはっ。

 リセイも言ったように彼女の体はテラスの体であるから、テラスがその身に築いた笑みがリセイの笑みにも自然と滲み出てしまう、と、考えるのが妥当だろう。

 ……どきっとしたのもテラス様への感情なわけだ、そう、そう、それしかない!

 理屈が解れば納得もいく。

「ほら、笑ってないで早く乗ってよ。なるべく揺れないように気をつけるからさ」

「気遣い無用。テラスリプルのように運動神経が悪いわけではない」

「そうだったわね」

 そんなやり取りをするもリセイは佇んでいる。屈んだままのカクミは、しばし考えて立ち上がった。

「もしかして、抱っこのほうがいい」

「……」

「目を細くしただけじゃ解らないってば」

「……」

「瞼を閉じて会話を諦めないでよ〜。じゃあ、おんぶと抱っこ、どっちがいい?」

「……後者で」

「なーんだ、やっぱ抱っこがいいんじゃん。それならそうと早く言ってよ」

「そういうデリカシのないあなたが嫌いだわ」

「がーん……」

 そんなことを言われたのは初めてだった。無論、テラスが思っていたとしても言わなかったことだろうが、

「って、リセイ、あんた、ホントにテラス様の理性ならそんな歯に衣着せぬ言い方ヤバいんじゃないの?全然理性的じゃないわよ」

「あなたの無神経にはテラスも辟易している」

「がーんっ……って、も、もう騙されないからねっ」

「気づいてしまった。残念」

「こ、このぉ、あたしで遊んでたなっ」

「うふふ、理性であると同時にわたしは穢れだもの」

「げ、なんかすっかり忘れてたわ」

「お馬鹿ね」

「むぅ、変に波風立てるの、テラス様は望まないわよ」

「あなたとカインさんの会話も波風なのね」

「え。ひょっとして──」

 カインとのやり取りをじっと聞いているテラスを、カクミはよく知っている。そのときテラスは何を考えているのだろう。彼女のことだから話の内容を嚙み締めていたのは間違いないとして、ただただ聞いているだけだろうか。

 ……あたしだったら、むずむずする。次には、妬きつつ会話に乱入してるな。

 テラスもそうだったのではないか。けれども彼女はひとの会話に意図して乱入したことがない。本当は、会話に入りたくて、入れなかったのだとしたら。して、分け入ることを諦め、聞くことに徹するようになったのだとしたら。

「(確かに、無神経だった──。)……ほら、抱っこしたげる」

「あなたの提案で最も効率的な移動手段を仕方なく受け入れるわね」

「なんの保険よっ、ってか、今のはボケか?」

「それを聞く時点であなたのツッコミレベルは低いわね」

「ぐぅっ……なんか負けた気分になるぅぅ」

「敗北を糧に励みなさい」

「……はいよ」

 テラスと異なり穢れによって汚れているのかも知れないが。外見ではない何かにテラスらしさを感じて、カクミはリセイを抱っこしても不快な気分にはならなかった。

 ……こういうの、テラス様以外にはしないって思ってたのになぁ。

 テラスのためだけに生きたいとさえ思っているから、不思議な感覚だった。

 村民に一声掛けてテラリーフ湖をあとにしたカクミは、リセイを抱えて駆足、街道に沿って北東へ向かう。

「あなたはテラスリプルの何がほしい」

 と、突然のようにリセイが尋ねてきた。

 小さな星フリアーテノア。カクミほどの脚で東へ向かえば日の出が早まり、西へ向かえば日没を遅らせるような感覚になる。であるから、ここ数時間で時間の加速・逆行を何度もしているようでいて、じつのところ、大いなる自然は定常循環を営んでいる。それとは規模が異なるとはいえ、カクミの求めるものも変化していない。

「もらいたいもの、ってのはこれといってないかも」

「そう。あなたは欲望の塊だと考えていた」

「間違ってないし、テラス様に対してもそうだけど自重する部分は自重するわよ」

「欲張らない」

「充分もらってるからね」

「何を」

「時間」

 カクミに取って、テラスとの時間は全てが幸せだ。町で見かけたときから、今に至るまで、彼女のことしか考えられないほどだった。彼女の何が自分をそこまで引きつけたか、原因や要素を考える必要もないほど胸の中心にあって何があっても揺らぎそうにない。

「銃を買おうと思って働きまくってた時期に思ったわ。この時間さえ、あの子に会うための愉しい時間だ、って。何をするにしても、テラス様があたしの中心になってて、テラス様を町で見かけてからのあたしはずっとハッピなのよ」

「見かける以前はどうだった」

「路地裏で暮らしてて物欲は尽きなかったけど、それが際立って不幸とか思ってたわけじゃないし、なんだかんだ不幸せじゃなかったわね」

「テラスリプルがいる・いないに拘らず、何も変わっていないということじゃないかしら。言葉を換えるなら、あなたは意志が強い」

「気が強いとはよくいわれる。リセイがいうことも間違いじゃないと思う」

「微妙な違いがある」

「テラス様がいなかったら、今のあたしはないと思うから。──」

 ひとの痛みを知らず生き続けていた。裕福な暮しであったはずのテラスが、孤独な食卓についていることを知ったことは特に大きかった。それでも、ともに食事を摂ることが許されなかった立場に、貧しさやひもじさより窮屈な痛みを感じていた。

「──。だからあなたはテラスリプルに料理を作ってあげるのね」

「一緒に作るのも愉しいけどね。何より、テラス様の顔を観て一緒に食べられると心からほっとする。服の着方なんかも教えたりしてるけど、本当は着れないままでいてほしい」

「着せてあげたいのね」

「テラス様、すっごい嬉しそうに笑ってくれるから、あたしも嬉しいんだ」

「ごめんなさいね、わたしは笑えない。あなたが求めるようには」

「……もしかして、かなり気ぃ遣ってる?」

「あなたに対して悪態をつけない。テラスリプルもあなたのことを好いているから」

「っ、そ、そっか」

 又聞きが、半ば又聞きではない不思議な関係の中での言葉に、カクミはどきどきしてしまった。テラスの言葉や態度の端端から常に感じていることではあるが、言葉で聞いたことで、培った関係を一層に拾い上げることができるような感覚だった。

「それって、冗談とかじゃないわよね?」

「心配」

「い、いや、心配とかじゃなくて、さっきみたいに遊ばれてんのかと」

「テラスリプルの言行を疑っているのなら前言を撤回する。あなたは好感に値しない」

「リセイって、じつはめっちゃ親切なんだ」

「テラスリプルのためよ」

「あたしと同じだ」

「全く違う」

「あんたのは自己防衛ってこと?」

「ときに鋭いのね」

「なんとなく。あたしはあたしであたしの欲望のためでもあるけどっ」

「テラスリプルはそれも含めてあなたを認めている。わたしには無理な素直さね」

「あんたも大概素直だと思うけどね」

「そう」

「ま、あたしがそう感じてるだけかもだけど」

 本人が素直でないと言うからには言葉通りには思っていない部分もあるのだろうが、言葉通りでなかったとして、リセイがテラスと掛け離れた存在とはカクミは思わない。リセイに言ったように、テラスの一部であることをカクミは強く感ずるのである。

 深夜の街道沿いを行き交う馬車。蹄の音と荷台の揺れる音に耳を澄ませると、カクミは一つ思い出す。

「宮殿の席でテラス様が話してたこと、リセイは理解してるんだよね」

「あなたは理解できなかったかのような口振りね」

「いや、ある程度は解ってるつもりなんだけど、御者が操られて氷の魔力結晶を破壊したとかなんとかってとこから結構複雑だったからさ、改めて聞いとかないと、とか」

「ない頭を使うと脚が止まる」

「そこまでアホじゃないわよっ」

「とはいえ、あの程度のことを理解できないということは基本的な魔法学的知識があなたに足りないということ。テラスリプル達の説明は十分に嚙み砕かれていたのだから、わたしが説明したところで結果は同じだわ」

「そこをなんとか。そのなんちゃらをさ」

「本を読みなさい」

「匙を投げたっ。テラス様も本を読んだらすぐに寝ちゃうけど」

「あの子はそれでいいのよ。それでちゃんと覚えている」

「寝ることで覚えるってこと?」

「一説には、睡眠中に記憶の整理を行っている。テラスリプルはそれに長けている」

「へぇ、そんなことができるんだ」

「誰もがやっている。ほとんどのひとに自覚はないだろうけれど」

「あたしは物覚えがいいほうじゃないからなぁ。寝る前に勉強すればいいってこと?」

「騙されたと思って試すのもいいわね。存外効果があるかも知れず、一〇〇%吸収できないとしても、勉強は為になるはずだわ」

「そうね、やってみるかな」

「なるほど」

「ふぉっ、何、突然」

 ひんやりとした手でカクミの頰を撫でてリセイが微笑する。

「嫌いな勉強すらテラスリプルのためならやるのね」

「そ、そりゃ、テラス様の話についてけないの、なんか寂しいし」

「可愛いわね」

「リセイにいわれるとなんか胡散臭いわね、──」

 苦笑して間もなくカクミは脚を止めていた。止められた、と、いうほうが正しいか、思わずのことである。難しい話をしていたからでは、ない。

「……カクミさん」

「リセイも、感じてる?」

 リセイがうなづき、後方を見やる。カクミも、そちらを向いた。走ってきた道よりやや左手を、二人で見つめた。

「下ろしていいわ」

「ごめん、助かる」

「お互いのためよ」

「……うん」

 カクミは銃を取り、リセイは左手に氷杖、右手に氷剣を纏い、地平線に浮かび上がる不気味なシルエットを睨み据えた。

「リセイ、訊いていい」

「先回りで答えるわ。『封印は解けていない』」

「じゃあ、あれは何」

 大地に聳り立つ巨大な黒影(こくえい)。「確か、魔竜にはフロートみたいな翼があるんだったわね」

「回り諄いのは嫌いでしょう」

「そうよ。だから早く教えて」

「……あれが魔竜よ」

「っ……」

 恐怖か。肌が凍りつくような、焼け爛れるような、異様な寒気と熱気を感ずる。

 ……フロートの、何倍くらいあるんだ、あの影は。

 モカ村のある方角に聳えた影は、遠目にもあまりに大きく、実寸が判らない。

 封印が解けていないのに魔竜は現れた。現在、発光中央坑道では宮殿騎士団が封印の監視を行っている。それは、魔竜の警戒において意味がなかったことになる。神界宮殿並びに一般神の準備ができていないばかりか、避難先の態勢が整っていない現状では──。

 遅蒔きながら、カクミはカインの言っていたことが理解できた。

 ……バカでも躊躇うわよ。

 直感が告げている。これまでの魔物とは全く次元が違い、一瞬の気の緩みで命を落とす。そんな恐怖の時間が始まる、と。

 

 

 

──一四章 終──

 

 

 

 

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