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一二章 火怨と明姫

 

 氷に閉ざされた風景に人山あらばぞっとするような結末は想像に固く、人山の一帯だけ消え失せた氷を呪わしく思うのは自然のことであるが、膝から崩れたひとびと、重体であった者までが、意識を取り戻し、自らの脚で立ち上がった姿に奇跡を感ずることもまた自然のことであった。

 ……きっと、テラス様の魔法だ。

 カインの大怪我・出血、村民の打身などが一切見当たらない。森の炎を余さず消し去る氷魔法とひとびとへの心を示すような治癒魔法、魔法に秀でた彼女でなければ同時には揮えまい。

「カイン、無事……?」

「傷が塞がって若返った」

「キリッと言うなアホッ!マジで死ぬかもって心配したのにあんたはっ!」

「す、すまぬ、不謹慎なボケであったな」

「……まあいいわ、無事だったわけだし」

 一様に頭を抱えている村民。「やっぱ、操られてたのね」

「そうだな。かなり強い支配だったはずだ。わたくしのような体へのダメージと異なり、頭がぼんやりしておるのだろう」

「そっか。しばらくじっとさせといたほうがいいってことね」

「幼いサキ殿やアキラ殿などは特に、操られていた間に無理な運動をした。そういった者は怪我が癒えても疲労が蓄積しておろうものだ」

「力馬鹿のシンよりか重くなかったけど、あの子達もボカスカ殴ってくれたからね」

 たんこぶができている感がある。テラスの治癒魔法は氷漬けになった者が対象であったようで、カクミは残念ながらダメージを負ったままであった。

「ま、あとでテラス様の手でじきじきに癒やしてもらうってことで、ムフフ〜」

「下劣な笑みが零れたな」

 すぐ刺してくるカインの言葉に、カクミは口が開かなかった。

「ボケもツッコミもないのか」

「……なんか、ちょっと、うん、まあ、そういうこともあるってことで」

「らしくないではないか」

「……そ、それよりさ」

 鉢植えを覗き込む青いイタチを抓み上げて、カクミはむすっとした。「魔物の気配はない。テラス様が無事なのは氷魔法でも解る。けど、このお邪魔虫、なんでここにいるわけ。あぁ(さぶ)っ、テラス様にくっついてたはずなのに」

「テラス様が接触したフロートを討伐されたのなら、その前に避難させたのではないか。フロートが炎を使うことは想定内だからな」

 仰げば広い曇り空。一〇〇メートル級の巨木もあった大きな森を焼き尽くすほどの炎を操ったフロートに対して青いイタチを庇いつつ戦う余裕がテラスにはないだろう。カクミだって正直なところ、テラスを抱えて戦う自信がなく、降ろして戦闘体勢を執った。それでテラスを見失ってしまったわけだが。

「テラス様一人で移動されたのは、わたくし達を巻添えにせぬ意図もあったのだろう」

「リセイが使ってた氷柱、か。チーチェロ様の氷杖も持ってるから今のテラス様なら余裕で使えるわね」

 その気にさえなれば、リセイ以上に高速で、大量の氷柱群を出現させることも。

「……あのテラス様が、戦うことに、本気になったってことよね」

「防戦の可能性もある。魔物の気配がないならこの一帯のフロートの討伐は完了したと観てよいだろう」

 それでもってモカ村での戦闘は収束したといえる。被害は計り知れないが村民全員と鉢植えの無事は未来に繫げれられるはずだ。テラスの行動、それにカクミ達の行動も、無駄ではなかっただろう。

 パタタッ。

「おぅ……なんか頭に載った?」

「テラス様のもとによく訪れる乞食だな」

 カクミが頭に指先を持っていくとちょこちょこ乗り移った。

「乞食なんてひどい言われ方よねぇ。あんたも無事でよかったわ」

「空を観てみろ」

「……あ」

 円を描く鳥影が太陽を仰ぐようにしてどんどん増えていく。

「わたくし達のように氷漬けにされて傷が癒えた後、状況を窺うため飛んでいるのだろう」

「鳥だけに鳥瞰ってわけね」

「そんな言葉をよく知っていたな」

「ふっ、殴られて逆に頭がよくなったのかもね」

「たんこぶが治ったらもとに戻るだろう」

「馬鹿のほうがいいとっ」

「お主はそのほうがよい」

「う〜ん、頭よくなったらあんたとキャラがダブるもんね」

「わたくしは凡庸(ぼんよう)だがな」

「嫌みかっ」

 言い争っていると、後ろからカクミの肩にとんと置かれた手。額を押さえたマコトだ。

「よう、今日もやり合ってんなご両人」

「もう回復したの。ゴリラはやっぱ強いわね」

「ドラミングはしねぇがオレは強いぜ」

「その『強いオレ』が操られてた記憶は」

「操られてただぁ。知るかよ、こっちは頭が割れそうだぜ、まったく」

 自覚がない。ほかの村民もそうなのだろう。

「マコト殿、わたくし達を襲った記憶がないということで間違いないか」

 と、カインが尋ねると、マコトが目を丸くした。

「それが事実なら操ってたやつに文句を言えよ。そのときはオレもぶん殴りに行ってやる」

「承知した。ほかの村民の様子は」

「観ての通りだ。オレや若い男はともかく、ガキやジジババはちょっとキテるな。操られてたってんならそのせいなんだろう」

「精神魔法による一時支配。頭がぼんやりしたり、」

「鳩尾がやたら痛ぇんだが」

「ダメージが残ってるのね」

「まあ、痛ぇってより重ぇ(おめ  )って感じだが、元凶はお前か」

「気絶狙ってあげただけマシでしょ」

「それもそうだが、どんだけ馬鹿力なんだ」

「手加減なしだったら内臓破裂じゃ済まなかったけどね」

「と、マコト殿のようなケースは安静が必要だが……」

「……森は、どうしちまったんだ」

 頭痛が全ての原因ではないだろう。マコトが尻餅をつくようにして座り込んで、氷漬けの森を見渡した。

「オレの記憶じゃ、まだ空を観る時間じゃなかった。操られてたあいだにどうやったら……」

 マコトのように回復しつつある村民も森の様子を見つめて言葉を失っている。

「……あんた、翼を持った黒い人型の魔物を見なかった?」

「見ちゃいねぇが、そいつが森に火を放った犯人か」

「そう。で、テラス様がそいつを倒して鎮火してくれたわけ」

「じゃあ、この氷はテラスの……。追放されたとはいえ、主神ってのは本当だったんだな。改めて実感した。こんな広範囲の魔法、初めて観たぜ」

「普段のテラス様は完全に村娘だったしね、魔法だってめったに使わないもの」

 テラスが魔法を使うことは希しく、あの性格であるから攻撃魔法を使うのはさらに希しい。リセイが使った可能性も残されてはいるが、リセイが放った氷柱には感じなかったテラスの気配を、周囲の氷からは感ずる。

 と、氷が内側からすっと消えて、薄霧が漂い、俄に蒸し暑くなった。

 炎によって塞がれ、氷によっても閉ざされていた道が開けたことで、村民がそぞろに動き始めている。

「マコト殿、お主はどうする」

「さあな。森はもうダメだろ……。避難するなり動物どもを捜すなり、コウジがなんかしら指示を出すだろうけど、……ん」

 マコトの目が鉢植えに留まる。「テラスの鉢植えは生き残ったか」

「庭に置いてたからもうちょっと遅れてたらヤバかったけどね」

「種は森の声に託されたんだったな。これを予期してのこととは考えられないが、その蒼いのを観てると、励みになるぜ」

「あたしらが預かってていいの?テラス様なら村に返すって言い出すと思うわ」

「下手に扱ったら枯れちまうかも知れないし、そうなったら村が立ち直れない。カオルに指示を仰いでくれ」

「カオルは森に詳しいもんね、解ったわ」

 マコトが男性陣に声を掛けて周囲の様子を観に向かうと、カクミはカインを伴い、土を掘っているカオルを訪ねた。

「カオル殿、何をしておる」

「探し物だよ」

「ひょっとすると、ペンシイェロの木の種を探しておるのか」

「そうさ。時折、実りすぎてダメにしてしまう木の実があるからね、そういう木の実を見つけたら種を纏めて土に埋めて保管しているんだ」

「じゃあ、森の再生は可能なのね!」

「そうだよ。それに、焼けたってそれが肥料になるさ。森は生命の源、モカの礎だ。簡単になくなったりしないよ」

 カオルが手を土塗れにして掘っている横だが、カクミは一応尋ねる。

「テラス様が森の声からもらったこれだけど、どうする?」

「それは村の一部だけどテラスさんのものだ。テラスさんが森に戻すならそうしてくれると助かるけどね、還すには小さすぎる。新芽は生き物のいい餌だからね、しばらく鉢植えで様子を観るべきだろう」

「カオルがそう言うならそうすべきね」

 テラスの意見は聞くまでもないが鉢植えを勝手に渡すわけにもいくまい。

 残る村民とカインがカオルを手伝う班と村で飼う動物を捜す班に分かれたので、カクミは鉢植えを抱え、青いイタチと小鳥を連れてテラスを捜すことにした。

 炎が消えたそこは焼け野原のようで、あの鬱蒼とした森があったとは思えないほど変り果てていた。ところどころに見かける発光鉱石が炎にも氷にも耐えて輝くさまは、不気味を通り越して生命の力強さを感ぜさせないでもなく、

 ……あんくらい不動なら、慌てることもないんだろうけどなぁ。

 と、カクミは自身の落ちつきのなさを振り返りもした。

 ──リセイが裏切ったのなら現状はあり得ないだろう。

 と、別れ際にカインが言っていた。村民が全員無事で、カクミ達も生きていて、フロートが狙ったであろうテラスも生きている。森の再生可能性の高さはカオルが明言してくれた。村民が無事で森が蘇るなら、村は復興する。

 それでも、カクミはテラスが傍にいないことに不安をいだいているのである。リセイが裏切ったのではないかというカインの推測に乗ってしまったし、カインの重体と回復に一喜一憂してしまったし、今は今で青いイタチと小鳥の戯れを主に小鳥のために片手で遮り、テラスの姿を捜している。自分で何一つ考えられないわけでもないものの、自分の知らないところでテラスがフロート討伐を決め、攻撃魔法を放つことを決め、して、それを成し遂げたとしたら、彼女の成長・変化を観る大切な場面に居合わせることができなかったようで焦りを感じてしまった。そんな焦りを感じている自分が、また、不安でもある。

 ……あたしはいったいなんなんだ、まったく。

 テラスの家族でもなければ、今は配下でもない。友といえばそうだが、未だテラスを目上に観ている部分がないわけでもなく、変な独占欲は湧いてくる。何様なのだろうか、と、自問自答すれば、親のようであり、姉妹のようであり、親友のようであり、と、さまざまな側面があって一言に纏まらない。ただ、彼女の傍にいたくてたまらない──。

 ……うだうだ考えてないで、テラス様とさっさと合流しよ。んで、ギュッとすればいいや。

 体温の異常に低い青いイタチを抓み上げ、巣に見立てた胸ポケットに小鳥を落ちつかせ、鉢植えを落とさないよう足下に気をつけて焼失した森の南西部に向かう。道すがらやはり目に入るのが淡い光を放つ発光鉱石である。

 ……復興に活かせるかも知れないし、宮殿に採掘許可を取りに行ってみるかな。

 木造住宅の村の復興には木材が不可欠であるが村では自給できない。一時的な家を建てるにしても外で買い込んで運搬などもしてもらう必要がある。あらゆることにお金が必要になるのでモカ織以外の収入源を早期に確保するべきだろう。発光鉱石は高値で取引されるので都合がいい。広範囲に点在しているらしい発光鉱石を売却できれば復興費用に充当できる。お金がないだけで不安が募ることをカクミは貧乏時代に嫌というほど思い知った。テラスにはそんな思いをさせたくはない。村の子達も同様だ。発光鉱石の販売についてはテラスやカイン、ティンクなどとも相談するが反対意見は出まい。鉢植えの芽の死守は継続任務として、テラスを見つけたあとも忙しくなる。

(──よ)

「ん……?」

 ぼんやりと発光鉱石を眺めていると、カクミは立ち止まる。どこからか、声が聞こえた気がした。

「まさかイタチ、あんた?」

 首を傾げる青いイタチ。ハイナ大稜線にいるときから鳴声すら発しなかったから違うか。

「じゃああんた?」

 首を傾げる小鳥。ひょっひゅっ、と、軽快な鳴声を発するのみだ。

 カクミは聞いたことがなかったが、もしかすると森の声か。

(──せよ)

「……やっぱ聞こえる、気が、……」

 カクミは、膝をついた。……あれ、どうしたんだ、あたし。

 体から力が抜けていく。燃え盛る森を動き回ったことが災いして、今になって体が悲鳴を上げたのか。

 ……や、ばい、鉢植えを。

 落っことす前になんとか地面に置いたが、体が完全に地面について、視界には、淡い光が見えて、そこから先は──。



 涼しかったモカ村。熱帯地域であることをテラスは半ば忘れていたが、森が失われてその暖かさを肌で感ずる。

(ひとまずなんとかなりましたから、カクミさん達のもとに向かいましょう)

(森の再生、村の復興、ひとびとのケアも要るわね)

(ともに考えてくれますか)

(あなたになら報いるわ。今後はわたしに任せて。あなたの戦い方は精神力の消耗が激しすぎる。長期戦になる危険性があるフロートに強力な魔法を乱発する戦い方は向かない)

(いろいろ考えてくれているんですね)

(当然でしょう)

 心強いリセイの存在だが、テラスには心配事がある。リセイにフロートを殺めさせたくなかった、と、いうのがフロート討伐を引き受けた理由だが、そも、リセイがつらい思いをするであろうフロート討伐を任せたくないのは、新たに植えつけられた穢れの影響を危惧している。村のあった方角を目指して歩き出すと、テラスはリセイに尋ねる。

(何か、変なところはありませんか)

(あなたの変なところなら今すぐ一〇個は言える)

(あわ……、それはそれで気になりますが、そうではなくて、リセイさんのほうです)

(……新しい穢れの影響を気にしているのね)

(はい……)

 呆れたふうもなくリセイが淡淡と答える。

(処理して吸収している最中よ)

(どういうことですか)

(フロートの穢れとはいっても、もとはわたしと同じ魔竜の穢れ。源流が同じなら取り込んで力にすることもできるわ)

(食べているんですね)

(違う。と、言いたいけれど、魔物が他者を食べて自分の力にするように、魔竜の穢れ同士が共食いしているような状態といえば間違いでもないわね)

(では、特に変なことになったりはしないと思っていいですか)

(フロートの穢れなんて石灰石も同然。ある種、金剛石なあなたを相手にするより楽よ)

(ダイヤモンドを身につけていませんが、それがどうかしましたか)

(なんのツッコミもないのね、いや、一つのボケなのかしら……)

(なんのことですか)

(……あなたにカクミさんの役割は不可能だと理解したわ)

(カクミさんはわたしがなろうと思ってもなれない素的なひとですからね)

(そういうボケは可能なのね)

(どういうことですか)

(あなたにカインさんの役割は不可能だと理解したわ)

(カインさんもわたしが知らないことをいっぱい知っている素的なひとですからね)

(まあ、あなたがあの二人の役をこなせないことなんて今に判ったことではないけれど、お喋り自体は彼女達としたいかも知れないわ)

 リセイが前向きに話し合いの場を考えてくれているようで、テラスは少し心が浮ついた。

(村の皆さんとのお話が落ちついたら、カクミさん達と話せるように時を作りましょう)

(回り諄い作戦に引っかかったのかしら)

(策、ですか)

(なんでもない。話せる時間はほしいわ。ありがとう、テラスリプル)

(どういたしまして。こちらこそ、ありがとうございます)

 森の再生、村の復興、細部を拾えばやるべきことが山程あるが、カクミやカイン、村のみんなに加えて今はリセイがいる。絶望的な状況でも、胸が熱い。

 が。

 ……この感じは──。

 テラスの鼻が、嫌なにおいを感じ取っていた。フロートとは違うが、

(一旦交代よ!)

(あわっ!)

 テラスは突如体の自由が利かなくなり、かと思うと勝手に動いた右手が氷剣を形成、迫った影を受け流した。

(今の影は!)

(カクミさんね……)

 受け流した反動でテラスもといリセイが吹き飛ばされた。同じように上空へ吹っ飛んだカクミが視界に捉えられている。

(リセイさんが体を動かしているんですね)

(わたし以外にあなたの体を動かせるひとはいないでしょう)

(でしたら、あのカクミさんは)

 虚ろな目。(カクミさんらしく、ありません。カクミさんにももう一人の自分が宿っていたんでしょうか)

(違う。意識がないようだわ)

(意識が。今のわたしと同じような状態ですか)

(近いわね。誰かが、カクミさんの意識に入り込んで操っている。その間、カクミさんの意識は引っ込む。あなたのように体が動いている自覚はないだろうけれど、体は本人のものよ)

(いったい、どうして……)

(考える暇はないわ。っ!)

 氷剣から枝を伸ばしてカクミを牽制しつつ、別の方向から迫った影を突き放す。

(カインさんも──!)

(同じ状態にあるみたいね)

 リセイが受身を取り、土煙を立てて草地に踏みとどまると、かなり距離があるが後方にフロートソアー。

(カインさんとまともな殴り合いになればフロートソアーに突き落とされそうね)

 カインの振るった拳が激しい風を起こし、リセイの腕を傷つけていた。

(傷は差支えありませんか)

(この程度、問題ないわ)

 流血しているが。

(……カクミさんの銃にも気を傾けましょう)

(解っている)

 迫ったカインの足下を氷結して動きを止めると、体勢を立ち直したカクミが上空で銃を構えたのを認めた。迷いもなく引金を引く姿は魔物と対したときのようでいて、

(外したわね)

(カクミさんの力を操りきれていないんでしょうか)

 氷壁で防御していたが、銃弾が当たったのはわずか右の足下。わざと外したことによる視線の誘導である危険性を考慮してリセイがカクミから目を離すことはなかったが、

(カインさんが横から来ます)

(っ!)

 テラスは体を動かせないが、感覚を共有しているからかカイン達の動きを感じ取ることができた。

(感覚的な探知はあなたに任せるわ)

(はい。カクミさんも来ますよ)

(二人とも動きが速いわね)

 移住後、顧客獲得や情報収集など一日で一〇〇〇キロメートル超を走っていた二人の脚。馬車を用いたのはテラスが村外活動を行うときのみであった。

(とはいえ、動きが尋常ではない)

 リセイの伸ばす氷剣の枝と不規則に出現させた氷壁で移動を妨げているのに、二人の運動神経は並外れており、次次乗り越えて迫ってくる。

(お二人がいつもどのようなところで働いてきたか、判るようですね……)

(そうね……)

 献身に浴してきたテラスが止めるのが筋であるが、二人の運動神経に対応できるのはリセイである。

(リセイさん、お二人を止める手が思いつきますか)

(精神魔法の類なら気絶させるか術者を止めるのが最善。けれど、気絶させようにも……)

 先の銃弾がカインの奇襲を成功させるための囮にもなっていたことを考えると、カクミが常に弾丸を外してくれるとは考えにくく、距離を置くことは却って危険だ。かといって接近戦ではカインのリーチに入ってしまう。二人を気絶させるほどの一撃を入れることは不可能か。

 リセイが中距離を保ちカインの陰に隠れて銃の射線を躱すうちに、テラスは作戦を伝える。

(わたしに代わってください。ここを離れます)

(瞬間移動ね。距離を取り、不意打ちを仕掛けるの)

(いいえ)

 氷剣の枝でカインを気絶に追いやれなかったので、テラスは攻撃を主として考えていない。

(術者が安んぜられるところへ向かいます)

(当ては)

(お二人が森のほうから現れたことから、術者も森のほうにいたことが考えられます。焼け落ちた森に隠れ家は少ないでしょう)

(まさか村)

(そうです)

 村民が精神魔法の術者とはテラスも考えていないが、冷気を放ったそのとき延焼の範囲をつぶさに把握し、村のほぼ中央に位置するサカキ家の無事を感じ取っていた。術者が隠れられそうなのはそこだ。

 ところが、リセイが感知する。

(モカ村に魔法を使っているような気配がない。また、術者らしき気配もない。もとはいたかも知れないけれど、移動したか)

 と、なると、当てがない。隠れられそうな場所はない。焼けて視界の開けた森には村民がいるので、術者が他民ならば迂闊に動き回れないはずである。

(村民が術者とは考えない)

(それはないと信じます)

 可能性はある。森にいても不審ではなく、カクミとカインが警戒しない相手となると、今では村民だけだろう。味方の少ないテラス一行と閉鎖的なモカ村であるからこそ、そんな極端な推察が可能であるが、

「くっ……!」

(リセイさん!)

 カインの肩口から覗いた銃口。銃弾がリセイの耳を掠め、迫ったカインの拳が容赦なく振り上げられた。とっさに氷剣の枝を何重にも張り巡らせて直接の打撃を避けられたが、衝撃が氷剣を伝わり、リセイが宙へ投げ出されていた。

(彼の腕力は生半可ではないわね……)

(傷んだところはありませんか)

(手に氷剣が食い込んだだけ。致命傷は避けられた)

 空高く舞い上がったリセイの体は弧を描いて森へ。地上のカクミが銃口を向けているので、今度は氷壁で面的防御を徹底しつつ、着地点を確認する。そのとき、リセイが息を吞んだ。

(リセイさん、どうかしましたか)

(なぜ、ここにある……!)

(なんのことですか)

(……あとで話す。今は──)

 リセイが氷剣に魔力を集中、破裂させるようにして氷の枝を伸ばして狙ったのは、焼けた木木と対照的に白く光る発光鉱石。各枝が突き刺した発光鉱石は氷の幕に覆われて光を失う。

(リセイさん、いったい何を)

(光がまずいのよ)

(発光鉱石の光はおいしくないんですか)

(こんなときに天然発動しないで。おいしい・まずいではなく、危険なの)

 地上に降り立ったリセイが氷剣を振るい、氷の幕で覆った発光鉱石を砂のようになるまで切り刻むと、その塊からは発光現象がなくなり市場価値としてはゼロになった。

(この石の放つ光は、ひとを操る力があるわ)

(……!)

 発光鉱石が森に存在したことすら知らなかったテラスだが、その存在以上に、発光鉱石の光が持つ力にこそ驚愕したのである。

(では、カクミさんとカインさんは発光鉱石さんに操られているんですか!)

(さんは要らないけれど……、そう、術者は存在しない。隠れる必要もないわね、堂堂とこうして立っている)

 乱立している発光鉱石の塊。氷剣の枝が氷の幕で覆っていなければ、危険だ。

(石は塊ごとに力を放つ。一つ残らず破壊しなければ二人を解放できないか)

 ……だから、イタチさんは──。

 地下空洞で、発光鉱石の光を避けるように移動していた青いイタチ。危険性を知らせていたのか、と、思い出していたテラスだが、鋭く気取る。

(カクミさんが西から、その前にカインさんが南から来ます)

(忙しいときに。だからこそか)

 逃げ回りながらでもやるしかない。リセイが氷剣から枝を伸ばして迫ったカインを牽制、一部を足場にして宙へ逃れたがカクミの銃の射線に入れば防ぎきれる保証はない。

(テラスリプル、カクミさんの銃を凍結する許可をちょうだい)

(ならば、左の銃は確と凍らせてください)

 テラスは声を大にした。(あっちの銃は極めて危ないものです!)

(ええ──)

 カインが枝を登って追撃を仕掛ける。それを氷壁で防いだリセイが、氷剣から太めの枝を高速で伸ばし、跳躍してきたカクミの左手の銃、右手の銃を順に凍結、さらに、枝を伸ばしてその手から奪い去り、厚い氷に封じた。

(これで銃を恐れる必要はないわね)

(ありがとうございます)

(こちらこそ。知っていたことだけれど、アドバイスに感謝するわ。あとは──)

 空高くまで伸ばした氷剣の枝を駆け登り鳥瞰するは森の発光鉱石。

「これでお終いよ」

 左手の氷杖を氷剣に当て圧倒的冷気を吸収・利用すると、これまでにない太い枝を伸ばし、発光鉱石を上空から狙い撃ちにした。突き刺された内部から凍りついた発光鉱石は、弾けるように砕けると発光現象を治め、その精神支配効果を失っていく。

(これで、終りですね)

(ひとまずは、ね)

 破壊できたのは森の西部から南部に掛けての発光鉱石。ちらっと見えてしまった。ほかの一帯の発光現象が。

(見つめていなければ操られる心配は少ないけれど、残しておくのは危険だわ)

 激しく迫ってきたカクミとカインが噓のように動きを止め、ばったりと地面に倒れたことを確認できた。

(二人を操っていたのは破壊した発光鉱石のいずれかで間違いないとして、村民が操られているまたは操られる危険性を考慮して、全て破壊しておく必要があるわね)

(お願いできますか)

(氷杖のお蔭で思ったよりスムーズに進みそうよ)

 母が氷杖を預けたのはフロートに対して優位に立つためであろうが、

(お礼を伝えたいですね)

(そうね。まずは一仕事を終わらせるわ)

(はい。よろしくお願いします)

(ええ)

 動き回る村民が攻撃に巻き込まないよう細心の注意を払い、氷の幕で発光現象を抑えてから氷剣の枝でエリアごとの粉砕作業を進めた。発光鉱石も残りわずかというとき、落ちつく間もなく追討ちが迫った。

 ゴッーーーーーーー!

 大地が揺れた。起き上がろうとしていたカクミやカインがバランスを崩すほどの強烈な横揺れは、単発──。

(自然の地震ではないわね)

(フロートさんでしょうか)

(──いいえ)

 氷の枝先に立ったリセイが遠望する北東から、

(リセイさん、氷壁を。何か来ます)

(解っている)

 急速接近したのは黒い人型。だが、真赤な炎に包まれて自らは身動きせず、氷壁に当たると火花を散らせて消え失せた。

(フロートさんでしたね)

(本命はあちらね)

 太陽と見紛うような強烈な光を放つ球体が迫っていた。(氷壁で防げるようなレベルではないわ……)

(……。っ、わずかに、軌道が落ちていませんか)

 迫り来る光る球。その正体は、

(炎の塊ね)

(加えて、あれは)

(悪趣味ね……)

 火炎弾に見立てたフロート達が迫っている。炎の塊に自ら飛び込み、その勢いのままこちらに向かってくる。炎の塊自体もこちらに迫っており、到達までそう時間はない。

(……ブラフだったのね)

(はったりですか)

(あとで話す。それより今は避難を優先したほうがいい)

 火炎弾たるフロートが村のほうへ落ちていく。幸か不幸か、フロートの意識はなくなっているようで軌道が狙い澄ましたものではないがぶつかった地面にクレータを残すような威力があって危険だ。森が再び炎上する危険性もあるが、何より炎の塊が危険だ。迫り迫ると、森外層までを丸丸押し潰すような巨大さだと判ったのである。

(氷の幕はしばらく持つ。テラスリプル、交代するわ)

(……)

(気持は察する。失敗を繰り返さないで)

(……はい)

 氷杖の力を借りたところで、あれほど巨大な炎を打ち払う力をテラスは想像できない。炎の塊から村を守る手段はない。村を存続させるには、村民の避難が絶対だ。時間を要する。迷う暇はない。

 村民の位置を確認後リセイと交代したテラスはカクミとカインに指示を出して村民を最も近い場所に集めてもらい、瞬間移動を用いた避難を速やかに進めた。避難先は村民と縁があるテラリーフ湖以外になかった。

 悪夢のような森の焼失に次いで、掟のもとで守ってきた村を離れることになって、動揺を隠せない村民である。幼い子は炎の塊に怯えている様子もあった。ここなら大丈夫、と、落ちつかせるも、焼き尽くされる村と森──、テラスは息もできないほど苦しく感じ、村民に深く寄り添いたく思った。

 埋めた種を探り出す時間がなかったことをカオルから聞く一方、村民全員と多くの動物達の避難を確認したテラスは、カクミがきょろきょろしていることに気づいた。頭に青い小鳥、足許に青いイタチがいることを確かめて、テラスはカクミの背に声を掛けた。

「どうしたんですか」

「いっ!あ、えっと……」

 驚いて振り向いたカクミが切り出しにくそうにしていた。ティンクとの話を切り上げてやってきたカインが注目したのは、カクミの手許。

「お主、鉢植えはどうした」

「う……、テラス様、ごめんなさいっ!」

 と、カクミが頭を下げた。「気を失ったときどこかに置いてきちゃったみたいで……」

 発光鉱石の光に操られていたことはティンクを通してみんなに伝わっている。自分ではどうしようもないことがある。

「謝らないでください。今は……」

「テラス姉ちゃん!」

 と、シンが駆け寄ってきた。急ぎたいのはやまやまだが、急げば事をし損ずるともいう。

「どうしましたか、シンさん」

「やばいっ、モカヂドリが一羽いないんだ!」

「トリ一羽くらい今は──」

 と、いうカクミの言葉を遮って、テラスはうなづいた。

「解りました。わたしが連れ帰ります」

「姉ちゃん、ありがとう!あいつ全然懐かなくて可愛くないけど……いなくなんのは、ヤだから」

「村で暮らす命ですからね。余すことなく救いましょう」

 涙を怺えたシンを撫でて、テラスは瞬間的に判断を下す。袖から取り出した木の実を、カクミとカインに預けた。

「皆さんがくれた木の実、それも守るのがいいと思います」

「テラス様、まことに向かわれるおつもりですか」

 リスク分散。少しでも可能性が残る道を選ばなければ。二人に預けておけば木の実を保護でき、村民もいるので扱いを誤ることもないだろう。

「カクミさんとカインさんは念のためペンシイェロの木や固有種の植物がないか、皆さんと湖の周りを探してください」

 ペンシイェロの木は実をつけるようになるまで平均一五年は掛かる。生活に欠かせない火も木があってこそ。非聖域のモカ村に取っては魔物除けの材料として、木と固有種の植物がなくてはならない。

「承知しました。数分が活動限度でしょう、無茶をせずご帰還ください」

「はい」

「テラス様、あたしも連れてってくださ──」

 カクミの言葉を聞き終わる前にテラスは首を振って瞬間移動した。

 ……ありがとうございます、カクミさん。

 気持だけでいい。平気な顔をしていた彼女が操られているあいだに随分と体を痛めていたことに気づいていた。無理をしてでも鉢植えを見つけようとしていることも。

 ……いま踏ん張るべきは、わたしです。

 炎の塊が照らすモカの地。到達までは距離があるが威力が及ぶまでなら一キロメートルあるかないか。活動できる時間は数分未満だろう。

 景色が揺らめいている。体験したことのない熱風を浴びて一秒でよろめいた。

(無茶な判断をするわね)

(森の精霊さんに託された大切なものなんです)

 森の精霊は、もういない。(あの種を失うわけにはいきません)

(こんな事態は想定外でしょう。失っても責めはしないわ)

(森の精霊さんは、責めたくても責められません。わたしは、それに甘んずるわけにはいきません)

 ある種、甘やかされるままだった神界宮殿のような暮し。自らの手で満足を生み出すモカ村のような暮し。どちらを求めたい。

 テラスはそれを決めて摘師になった。引き返すつもりはない。

(初志貫徹です)

(あなたらしいといえばそうね。当てはあるの)

(カクミさんは西部から南部の発光鉱石に操られたことが判っています)

(かなり広いわね。炎が迫っているから枝を伸ばして俯瞰することもできないけれど、交代しなさい、走るわ)

(お願いします)

 適材適所。不向きを認めて、テラスはリセイに委ねた。

 再炎上している森を駆け抜けるリセイの視界をテラスも意識的に観察して鉢植えとモカヂドリを捜す。その中で、リセイが神妙に口を開いた。

(あなたは存外、勘がいい。あの炎の塊を恐らく魔竜本体が放ったと察しているでしょう)

(お母様の身に何かがあったと考えられますが、まずはこっちのことを成し遂げます)

 母が容易に害されるとは考えていない。封印魔法が解けたであろうことを察し、魔竜が明確にモカ村を狙って炎を放った可能性を見出しもした。

(フロートさんをたくさん殺めたから、魔竜さんはわたしを怨んでいるんでしょうか……)

(フロートの言葉から察するに、テラクィーヌとチーチェロへの憎悪のほうが格段に大きいでしょう。フロートのことを怨んでいるなら完全に逆怨み)

(失ったほうは、失ったままです)

(無限に生み出せる分身なのに)

(だからこそではないでしょうか)

(どういうこと)

(魔竜さんに取ってのフロートさんは、わたしに取ってのリセイさんのようなものなんだと思うんです。心のうちにいていくらでも生み出せるとしても、失うたびに苦しむと思います)

(あなたは正義の鉄槌を下したのだとわたしは思う。そうでないなら、自らの行いを裁定などと表するべきではないわね。しかしあなたは、魔竜との対峙を避けられないところまで来てしまった。その手を汚すほか道はないわ)

(そんなわたしのことを、リセイさんは慮ってくれるんですね)

(あなたは主神として、村民の一人として、また、わたしの半身として、正しいことをしてくれた。だからこそよ)

 リセイが語る。(あなたには生き延びてもらわなくては困る。あの石、発光鉱石──、あれは、魔竜の力を媒介している)

(っ、それは本当ですか)

(あの石を破壊しているうちに思い出してきたことよ。魔竜、またはフロートの穢れを吸い、その穢れに応じてひとを操り、凶暴化させる。それがあの石の特性よ)

(だとしたら……)

 発光鉱石の淡い光。あの光に魅了されるようにしてひとびとは宝飾品としても愛している。それだけ広くひとびとの手に渡っている。その一つ一つがもし魔竜やフロートの穢れを吸ったら、各地で凶悪な暴走行為が発生してしまう。

(あなたは破壊を躊躇わなかった。あの石を宝石として観ていなかったからだわ。そんなあなただからあの石を放棄することができる。その上で魔竜を討伐できれば安寧が保たれる)

 発光鉱石の放棄。魔竜の討伐。両方が揃って初めて、魔竜の脅威がなくなる。そういうことだ。

(これは、あなたが裁定すべきことの一つだとわたしは位置づけているわ)

(今の主神さんにお話すべき事でもあります)

 神界宮殿の協力なくして発光鉱石の全放棄など成し遂げられるわけがない。発光鉱石の全放棄とは、採掘・運搬・販売・購入・保管を禁止することであり廃棄を推進することでもある。広くひとびとに浸透した利潤の一切が失われることで発生する損失は想像できないほどになるだろう。モカ村のように、村そのものが燃え尽きるような極端なことにならないとしても大混乱は必至だ。かといって放棄を躊躇えば魔竜の脅威に曝され、まさしく第二・第三のモカ村が発生してしまいかねない。それも、ひとびとの暴走によってだ。

 炎の塊が近い。

(溶けてしまいそうね)

 鉢植えも、モカヂドリも、カオルに埋められた種も、見つからない。倒木と炎が生み出した死角に隠れていて、見落としてしまったか。

(テラスリプル、交代するわ。撤退よ)

(……、はい)

 体の主導権を返されたテラスは、氷杖を振るい、冷気を展開する。

(何をしている。早く撤退しなさい)

(もう少し、抗わせてください)

(あなたってひとは……)

 そうしてリセイが呆れることは想像していた。冷気が熱風に押し退けられてなかなか氷漬けに漕ぎつけないが、全神経を集中して、

 ……お願いです、一度だけでいいんです!

 魔力を氷杖に込める。氷杖を介して爆発的に溢れ出したテラスの魔力が一気に冷気を集め、炎の塊から熱風を遮断するほどの圧力でもって森を氷結した。一部はまだ燃えている。が、

 ……あっちの感覚は──。

 氷結したものから感じ取るわずかな気配の差。その差でもって、

(リセイさん、約三〇度右に一二〇メートル進んでください!)

(ふにゃあっ!こっちにも準備というものがあるのっ、急に交代して無茶を言わない)

 よろめいたリセイであった。

(ごめんなさい、急ぎましょう!)

(う、解っているわ)

 無理を聞いてくれるリセイに感謝して、テラスは流れる景色を隈なく観察、

(ありました!やや右です!)

 テラスが指示を出し、凄まじい速さでリセイが鉢植えを拾い上げたときには頭上の氷を溶かして炎の塊が迫っていた。

(──無事確保。テラスリプル、撤退!)

(はい!)

 ドタバタだった。地中の種を探す時間は、さすがに残されていない。灰なり、炭なり、いつかこの土地を肥やす素材となってくれることを祈るほかない。

 瞬間移動した直後、テラリーフ湖の湖畔に尻餅をついたテラスは汗に浸かるような状態であったが、右腕で抱えた鉢植えの無事を確かめた。一時でも熱風にやられて芽が枯れてはいないか。そんな悪い想像を、

 バササッ!

 テラスの肩に載ったモカヂドリが、芽を見下ろして吹き飛ばした。芽は、無事だ。

「あなたのお蔭ですよ!」

「ココォ……」

 無愛想な鳴声だが、芽が干からびなかったのはモカヂドリが鉢植えに載っていてくれたからだった。やや萎れているが、

(なんとか、無事です)

(治癒魔法を)

(そうですね、何もしないよりいいですよね)

 息が切れていたが、鉢植えとモカヂドリを見つけられた安堵のほうが大きい。カクミとカイン、村民が集まる中、テラスは地面に置いた鉢植えに治癒魔法を掛け、様子を観る。効くかは判らなかった。が──、怯えていた子どもも、落ち込んでいた大人も、勿論テラス一行も、頰が緩んだ。毎日拝んでいたときのように、若若しい芽へと回復していく姿に。

「これで、種が二つになりました」

 と、ティンクがお辞儀した。「テラス様、ありがとうございます」

「姉ちゃん、ありがとなっ!」

 と、シンが無愛想なモカヂドリを空高く掲げて笑った。

 シンの歓喜とティンクのお辞儀に続いて、皆がお辞儀する。テラスもお辞儀しようと思ったが、そのとき、グラッと地面が揺れて、一陣の風が北へ抜けた。

「今のは──」

「熱い風だね……、あの炎が、到頭落ちたか」

 ティンクとカオルが呟き、大人の表情が再び沈みかけた。

「もういいじゃん」

 と、シンがモカヂドリを抱えた。「しょうがないって。あんなもん、オイラ達が束になったって敵いっこないぜ。そんなことより、テラス姉ちゃんが守ってくれた鉢植えと木の実、それからこいつらのことを決めようぜ」

 飛びきり明るいシンの声に勇気づけられるように、皆の顔が綻ぶ。

「どうやって育てましょうか、お祖母さま」

 と、マイが尋ねると、カオルがテラスを窺う。

「鉢植えと木の実、預かっていいかね。わたしが責任をもって育てる」

 森を知り尽くし、木の実にも詳しいカオルの宣言は頼もしいの一言に尽きる。皆も同じ気持であろう。

「鉢植えも木の実も、もとから村のものです。カオルさん、お世話をよろしくお願いします」

「立派な森にしてみせるよ」

 カオルが湖を向き、周囲の木木を観る。「そうとなれば、必要なものを集めないとね。テラリーフ湖……、植生は悪くなさそうだ。これなら肥料も作れる。みんな手伝ってくれるね」

 カオルの呼掛けに皆が応ずる。肥料作りのための木材、落ち葉、水の確保を始め、テラスも求めたペンシイェロの木と固有種の捜索、カオルの指示に従って村民が動き始める。こうと決めたら己のできることを着実にこなそうとする村民の強い心に、テラスは突き動かされた。

「カインさん、カクミさん、わたし達も動きますよ」

「なんなりとお申しつけを」

「何をすればいいです?」

 村のことは、村民に委ねるのが最良である。村外で活動できるカインとカクミには、また、元主神であるテラスには別の仕事がある。発光鉱石に関する主神への相談、封印から解き放たれたであろう魔竜の対策、焼き尽くされてしまったであろうモカ村の視察、伝達魔法の練習など多岐に渡るが、最優先は、

「主神さんに会いに行きましょう」

 全てはそこからだ。

 暗殺者の問題。テラスを排斥した議会の動きも未だ解決の糸口を見つけていないが緊急事態だ。魔竜の脅威は、フリアーテノアの脅威。

 絶望的な状況でも必死に動いている村民がいる。テラスは、彼らのように動きたい。

「急ぎましょう!」




──一二章 終──




 

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