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九章 生として

 

 震える坑道。

 傷ついた騎士。

 熔ける岩岩。

 半身、焼けた夫。

「──、持たないね。お前が決めてくれ、チーチェロ」

「綺麗事は嫌いといったはずよ」

「生き延びてほしい」

 剣を構え、魔竜の炎を防ぐ夫テラクィーヌに、チーチェロは反論できなかった。

「いいの」

「お前達を守れるのなら本望だよ」

 多くの騎士は風前のともしびだ。退避ができない。

 封印前より力が増している魔竜。予想以上の強大さで最早チーチェロ一人の封印魔法では止めようもなかった。

「一つ心残りがある」

「何」

「この星の夜を、見届けてほしい」

「わたしは不自由よ──」

「すまない……」

「及ばない妻だったわ」

「……ありがとう、チーチェロ」


 星の夜とは、終りか、未来か、それとも、別の何かか。暗示されたものを解き明かしていくのは世に遺されたものの使命である。

 魔竜の吐き出す炎に押し潰され、焼き尽くされていく夫を見届けなかった。チーチェロはハイナ大稜線へ瞬間移動し、大自然の力を借りた強力な封印魔法を施した。標高約六九〇〇メートルから吹き下ろす強烈な寒波を凝集し、魔竜から熱を奪い取って炎の力を力づくで押し込めて、その巨体を封印した。テラクィーヌと騎士は冷気にあてられて生きて還ることもない。チーチェロ自身も、山を離れることができなくなり、約束を果たせないまま、来る時を引き延ばすことしかできない。代償が大きすぎて、目を逸らしてもいつも感ずる。

 目覚めはいつも窓ガラスの呻きとともにある。暖炉には火を入れない。無性に入れたいときもあるが煙突を移動する青いイタチを溶かしてしまうのはかわいそうだ。

 今頃、娘リプルは何をしているだろうか。平和に暮らしているだろうか。愚問だ。チーチェロのことでリプルが咎めを受けることは想像に固い。それが過去か、今か、それとも未来か、それすら判らないが、

 ……あのひとの子。きっと強く生きる。

 そう考えるようにして封印魔法の維持に努めた。

 窓ガラスがいつも呻いている。山の声そのもののように張りついた雪は厚みを増し、零れ落ちてはまた張りついて厚みを増す。繰り返される景色。誰もいない静穏の寒山。慣れたはずの孤独の小屋に、青いイタチ。

 ……独りは、退屈なものね。

 思い返せば思い返すほどに孤独が結晶していく。そんなとき、手放したに等しい我が子を、生きている我が子を、思わずにはいられない。

「リプル……」

 瞼を閉じる。

 封印魔法の維持は一定の精神力を維持する必要がある。激しい運動や魔法の乱発で精神力の回復を妨げれば封印を弱めることになる。瞼の裏に娘の寝顔を映すと、元気が出てくる。

 もう少し頑張れる。まだまだ、頑張れる。

 ……熱いわね。いつから、こんなに熱くなってしまったのかしら。

 自らの熱で体が溶けてしまいそうだ。あるいはこれが報いというなら、溶けてなお悦ぶべきであろう。

 羽衣を肩に掛けて間もなく、

 ……侵入者──。

 封印魔法を強める魔力流動が阻害された感覚でもって、チーチェロは敵性分子を察知した。

 小屋を出る。

 吹雪の衣が幾重と重なるホワイトアウト。チーチェロは迷いなく一線を飛んだ。精霊のチーチェロと異なり向こうは視界が利かない。

 ……先んずればひとを制す。

 触れたモノを瞬時に凍らせる。チーチェロはその手で黒い人型を氷結させ、回し蹴りで割った。いちいち姿を確認していないがこの魔物だけは多い。

 ……向こうも躍起ね。

 チーチェロの封印魔法を快く思わない者がいる。それは魔竜であり、魔竜の眷属ともいえる者である。いま討伐した魔物も眷属のようなものであり、魔竜にこそ及ばないが一定の条件が揃えば魔竜より素早さには優れる。ゆえに、加速される前に先手で討伐し、封印魔法を弱めないよう努めている。

 ……あなた達に邪魔させたりしない。これが、わたしの最後の自由なのだから。

 吹雪を裂いて小屋に戻ると青いイタチが暖炉に丸まっていた。今日も火は入れられないが、

「穏やかね」

 氷杖を抱いて眠ると、亡き夫や娘すら抱き締めることができるようだった。

 せめてもう一度、娘をこの腕に。

 叶わないことほど願ってしまう。

 コトッ。

 青いイタチが炭を蹴って煙突を上がっていった。忙しない子を自由にさせておく。

 ひとであれば凍死する環境が栄養ですらある。なのに、寒さが微睡を誘う。テラクィーヌと出逢いひととしての生活を経て、まるで本当のひとになってしまったかのように、寒さが味方にはならないのか。精霊失格である。熱くなる。眠い。腕が寂しい。

 寂しい。

 氷点下の大気が零れる氷を足下にとどめている。踏むと、しゃり……と、粉粉になるのに全く消えず、零れて常にとどまっている。

 空を飛ぼうか。遠くへ逃げてしまおうか。それはできない。約束を破ることになる。飛べない。逃れられない。それは不自由であり、進んで選び取った自由でもあった。

 いつか必ず、見届ける。そのためにはまだ、頑張らなくてはならない。誰に何を思われようとも、孤独であろうとも。

 ……テラクィーヌ……。

 氷杖を抱いて眠る穏やかな寒山。寒さが味方。熱もまた味方。願いでもって死守をする。



 テラス一行は、ハイナ大稜線へ向かう途中、テラリーフ湖に立ち寄った。穢れを植えつけられたカクミが聖水を飲むためだ。飲んだところで穢れの浄化といった大きな変化を感ずることはなかったようだが、思いきってテラスが飲んでみるとやはりむせてしまって、誤飲とは異なり立ち上がれないほど衰弱してしまった。

 カクミがテラスを馬車に運ぶ間に、黒いひとが破壊した山の斜面をカインが観察してきた。それによればテラス達が見つけた木と崩れた社が見当たらなかった。穢れのことを気にしなかったテラスも往時のおもいを守りきれなかったことは無念であった。

 馬車の荷台で横になり、カクミの膝枕で癒やされつつも、聖水への拒絶反応から穢れを生来宿していたことにテラスは実感を持ち、心配するカクミ達を余所に穢れは自分の存在を成り立たせているのだろうと考えていた。勿論、魔物化のリスクを理解して穢れの浄化や取り除くことをしようとしているが、それができたとして、今の自分のままでいられるかどうかは定かでなかった。

 ツィブラの馬車がかつての生活エリアであるハイナ盆地に入ると、湿気と寒気の入り混じる比重の重い空気が少しずつ密度を増して、体を覆い尽くさんとするよう。聖水の影響で上体も起こせなかったテラスは懐かしい空気に体が安らいだか、カクミの肩に寄りかかることができた。窓の外の空と草原、時折覗く砂礫と土、遠目の北海もまた、月の訪れを待っている。街道に乗って町へ近づくにつれて増えた馬車は、物とひとでごった返す流通拠点テラウス・ニーズで視界を埋め尽くすほどとなった。事故を防ぐためクリキントンが速度を落とすと、テラスはツィブラに問いかける。

「宮殿騎士団が大きな動きを見せるという話がありましたね。ツィブラさんはその動きを目にしましたか」

「ああ、見かけたよ。昨日テラス様達を湖に送ったあと、最寄の街道からこの辺りに掛けてやってた。ワシはそこから取って返すように反転したから西側しか観てないが、テラウス方面やパランド方面でも動いてたのかも知れないなぁ」

「動員数はどうであった」

 と、カインが尋ねた。「一〇名規模か、それともそれ以上か」

「ざっと一〇〇人、いや、一五〇人以上かもな」

「稀に見る大規模だな」

「カインさんも知らなかったんですね」

「ご報告が遅れましたが伝達手段確保のため最短ルートでモカとアイジを往き来しましたので視野の外でした」

 情報都市アイジはテラリーフ湖の西方にあるが、モカ村付近のフロートソアーに沿って最短で移動すると宮殿騎士団が活動していた地域が遠すぎて観えない。

「伝達手段は後程お伝えするとして、宮殿騎士団の討伐任務としては妙な感を受けます」

「妙って?」

 と、カクミが首を傾げた。「街道付近ってことなら別におかしくないんじゃない?特にテラウス・ニーズとアイジのあいだなんかは物流もかなりあるし。ねえツィブラ、仲間が襲われたってのもその辺りなんでしょ?」

「ワシはクリキントンのお蔭で被害こそ受けとらんが魔物を見かけることはしょっちゅうさ。仲間の馬車は荷台が浮いてないから走行音が立ちやすい。発見されたら追跡もされやすい。魔法を教えてそれで済むならすぐにも教えるが、そうじゃないからなぁ……」

 荷台を浮かせる魔法も使える者と使えない者がいる。ツィブラの魔法で全ての馬車に対策を講ずるのは難しい。

 カクミがカインを向き直る。

「宮殿騎士団も被害を見越して動いてるはずよ。討伐任務自体は悪いことじゃないし、なんでもかんでも不審がる必要ないんじゃない?」

「それもそうだが、テラリーフ湖から西方に討伐の手が及んでおればわたくしの目に入っただろうことを考えると、範囲がどうも……」

「偏っていますか」

 テラスの問にカインが肯んずる。

「宮殿騎士団による討伐任務というのは民との不和を生まぬよう各地の経済力を問わずバランスよく行うのが慣例。ツィブラ殿の目撃した任務においてはそれを外れています」

「なるほどね、頭固く考えるとそうなのかも。けどさ、事実何人も襲われてて実害出てんならその分も取り返そうって動いてるんじゃないの。『遅れてすんません』ってさ」

「左様に軽く謝られても困るだろうが、一理ある、か」

 カクミの見方が正しかったとしたら、討伐任務を滞らせていたテラスの責任である。

「本当なら、わたしが魔物を倒しに向かうべきところを、マリアさん達が担ってくれているんです。お礼をすべきですね」

「早計です。マリア達が真の意味でテラス様のために動いたかは判りませんので、見極めてからのほうがよいでしょう。少なくともわたくしは不審に感じています」

「じゃあそれはそれとしてさ、伝達手段についてそろそろ聞かせてよ」

 と、カクミが話を変えた。「テラス様の声をみんなに届けるのにも役立つんだろうけど、やり方によっちゃ、宮殿にあたしらの声を直で届けることもできるんだろうし、不審に思うことも問い質せるんじゃないの?」

「直接尋ねて答えてくれるとは思えぬが、伝達手段についてはそろそろ話しておこう」

 年じゅう吹雪のハイナ大稜線では碌に話せないだろう、と、出発前にカインが伝えていた。

「光と雷の合体魔法でしたね」

「カクミから聞かれましたか」

「わたしとカクミさんで使おうという話をしていましたが合っていますか」

「仰る通りです。伝達魔法については教えていただけましたので、あとは練習あるのみです」

「と、なると、まずはお母様に会うことに気を注ぐのがよさそうですね」

「生きて帰れなければ、また、穢れの対処ができなければ、道が閉ざされてしまいます」

 テラスが魔物化する恐れを抱えたままでは民意を味方につけられず、議員を取り込むこともできず、議長フルヤモントと主神への働きかけもできない。モカ織の新たな顧客は永遠に見つからず、テラスは暗殺対象から討伐対象となりかねない。暗澹たる未来を回避するためにテラスの穢れを取り除く必要があり、そのためにはチーチェロに会って解決策を仰いで、無事にモカ村に戻ることが絶対条件。伝達魔法の練習はそのあとだ。

「神界宮殿というのは本来、理性的でなければならないものです」

 と、カインが難しい顔で言った。

「理性的──」

「はい。議会や議員個人の暴走を防ぐ意味は勿論のこと、統治機関として民に公平・公正でなければなりません。神とて感情を持つ生き物ですから判断を過つことがありますが、暗殺者の件といい、モカ織の新規顧客のことといい、今の議会に自浄作用があるとは考えにくい。自重という名の理性、それを失っているといっても過言ではないでしょう」

 ……なるほど、理性ですか。

 ひとが過ちを正すために必要不可欠な心・精神の働き。理性をそのように解釈するなら議会や議員に失われているものということができるのかも知れない。と、考えていると、テラスは何か引っかかるものを感ずる。理性──。何かを思い出せそうで、思い出せない。

 テラウス・ニーズを抜けて再び街道へ。クリキントンが脚を速めてしばらくすると、

「見えてきましたよ……」

 カクミが窓を覗き込んだので、テラスは瞼を開けて意識を外へ向けた。

 暁。雲か雪か、白く霞んだ平らな稜線。ここから向かい合うとロッククライミングが必要そうな断崖が黒く(そび)えている。斜面が存在する東側から登ることができるだろうとカインが提案してくれたので馬車はそちらへ向かっている。登山口までの安全なルートを採るなら首都テラウスを通過して東進、街道の途中で北上するのがよい。追放された身であり一時的とは言え神界宮殿に対するが如き行動を執るため、神界宮殿のある首都テラウスの門前で街道を逸れて盆地に広がる草原の只中を強烈な寒気にあたらないようテラウス寄で進んでいたが、

「クリキントンの脚が普段より重そうだな」

「すまないねぇ。これほど高緯度に移動するのも希しいし、中でも寒さが厳しい大稜線に近づくのは初めてなんだ」

 手綱を握っているツィブラだって防寒具を身につけていても寒いはずだ。

「無理をさせるわけにもいかぬな。行けるところまででよい、そこで降ろしてくれ」

「あいよ。迎えはなくて本当にいいのかい」

「いつ戻れるか判らぬからな、必要であればわたくしが呼びに参ろう」

 いつもその脚でツィブラの詰め所まで行って連絡を取ってくれているカインである。

 ハイナ大稜線東部──道なき登山口──からおよそ一〇キロの地点で降ろしてもらうと、ツィブラとクリキントンを見送ってテラス達は歩き始めた。

「テラス様、寒くないですか」

 とは、先頭を歩くカクミが言った。近くに草原が広がっているもののちらほら雪が積もっており、じりっと骨を刺すような寒気が立ち込めている。朝方が冷え込みのピークで日中は気温が上がる。日没後はまた強烈に冷え込み始めるので移動は日中がメイン。ここで立ち止まっていては母を見つけることはおろか登山も進まない。カインの用意した上着を同人とカクミが羽織っているが、テラスはモカ織一枚で特別な寒さを感じなかった。

「わたしはなんというか、体がよく動くような感じですよ」

「チーチェロ様が精霊だからですかね?テラス様も氷使いですし、寒気は敵というより味方になってるんでしょうか」

 宮殿でも冬場はそれなりに冷え込んでテラスは今と同じような感覚になっていた。摘師になって体を動かすことが増えたからか、体がもっとなめらかに動いている。

「カクミさんとカインさんは凍えていませんか」

「あたしはいざとなれば炎を出して対処できるんで。カインはどう?」

「お主の炎が最後の頼みだな」

「おぉ、カインがあたしを頼りにっ。ポイント荒稼ぎできそうね」

「頼りにならなければ見切るがな」

「大丈夫、あたしの炎は氷もすぐ溶かせるから」

「ならば頼んだぞ。テラス様のこともな」

「テラス様、もし寒くてヤバそうって思ったらあたしに遠慮なく言ってください、肌でぬくもりを分けますから」

「はい、お願いします」

「テラス様、炎のほうが手っ取り早いので肌に頼らないように。カクミよ、真剣に頼むぞ」

「ご愛嬌でしょ。相変らずオジジねぇ」

「寒さに負けて発せられた狂気かも判らぬので確認までにな」

「失礼ねっ、あたしはテラス様にいつも本気よ」

「……頼む、暖めはただちに炎を使うのだぞ」

「密着もするけどね」

「う〜む……」

 不要ともいえないからカインが唸りつつも反論をやめて、テラスとカクミ両者に話す。

「さて、雪山での基本的な注意点をお浚いしておきましょう」

「大声を出さない、よね?」

 と、カクミが答えた。「雪崩が起きるんだっけ」

「魔物がいたら招き寄せることにもなるんでしたね。それから、」

 テラスは殿のカインが手渡したロープを握っている。「このロープを放しません」

「はい。先頭のカクミ、殿のわたくしは腰に巻き、テラス様の滑落などを防止するのは当然として、万一カクミやわたくしが滑落してもどちらかが足場を固めて対応できるようにです。また、視界不良の極み、ホワイトアウトが懸念されます。その中では吹き荒れる雪の影響で視覚が妨げられることに加えてお互いの魔力を探知しづらくなることが想定されますので、お互いの距離を物理的に保つためでもあります」

「それで進行方向のズレなんかも修正してつつ可能な限り最短ルートで頂上を目指すのよね。魔竜を封印してる封印魔法は強い寒気を利用してるから、山の中で一番寒い頂上にチーチェロ様がいる可能性が高い、と」

「その通りだ。ただし、〈平たいハイナ〉というだけあって頂点に近い場所が複数存在する。しかもあの断崖・頂点と思しき場所から最も遠い東側から登る。体力の消耗は極めて大きなものとなるだろう」

「そのために弁当こさえてきたわけよ」

 カクミが右腕に提げたバスケットはカインの手製で断熱材を仕込んである。鼻の利くテラスも香りを感じないほど密閉性が高いので、しばらくは保温できる。

「カクミさんのご飯、とっても愉しみです」

「ピクニック気分ってわけにもいきませんけど期待していいですよ〜、テラス様が掃除に向かったあと超カラフルにしておきましたんで!」

「味はどうなのだ」

「さあ?」

「来るは惨劇か」

「毒なんか入ってないってば」

「目には毒だが」

「食べなくていいわよ。テラス様は食べますよね?」

「悦んでもらいます。玉子ハムサンドはありますか」

「もっちろ〜ん、登山が長引いたときのためにいつもの三倍作っときましたから、テラス様のお腹なら何十回か食べられる量ですね」

「頼もしいです。さすがはカクミさんです」

「テラス様も支度を手伝ってくれましたから、張りきっちゃいました」

 テラスが手伝ったことといえば殻を取った茹で卵をマッシャで潰したりパンにハムを載せただけだが。

「わたし、役に立っていましたか」

「作業的に少量でも、傍で見ててくれるとあたしの腕が見せ場を作らんと一〇〇倍働き者になりますからね」

 と、カクミが悦んでいるようだからテラスはほっとした。

 ひゅ〜っと冷気が足許を吹き抜ける。

「おぉっ、ちょっとぶるっと来たっ」

「カクミよ、無理するでないぞ。魔物の警戒もある」

「任せなさい。あんたはシンガリよろしく」

「それは無論だ。が、先頭は真先に冷気を浴びることになる。山に入れば吹雪もだ」

「必要とあれば焼き尽くすから大丈夫」

「魔法も無限に使えるわけではないのだ。温存せよ」

「知ってますとも。信用しなさいって」

「……うむ」

「カインさん、何か憂いがありますか」

「ないといえば噓になります」

 少しずつ迫る登山口。かなりの急勾配だ。

「あの斜面のこと?」

「斜度四〇度以上で麓にはデブリらしき積雪、日常的に雪崩が発生している。ハイナではないが、山麓地方に住む者が卓越風の影響で発生した雪崩に家ごと押し潰されたという話も聞く」

「雪崩ってそんな威力があるのね」

「であるから、斜度の緩やかな場所を見つけつつ上がってくれ。テラス様の前方から雪崩が起きかねない」

「気には留めとくけど、はっきり言ってあの斜面って常人が登れるレベルじゃないわ」

 カクミがそう言ったのはテラスの運動神経を加味してのこと。「あたしがテラス様を担いで歩いたほうが早い気がする」

「うむ……」

 カインが上着の首回りを手で閉じて、「それはわたくしが担おう。お主は魔物の警戒と前進に集中してくれ」

「役得を譲るのかぁ。殿になっていい?」

「それでも構わぬが炎を扱うことも考えると両手が空いていたほうがよい」

「同感。仕方ないから了解よ、テラス様をなんとしても頂上に連れていかないと。あっ」

「どうしたのだ」

「おんぶなら両手が空くわ」

「テラス様の腕が疲れてしまいそうだがな」

「バランスは取れる!よし、それで行きましょうテラス様っ」

「はい。カクミさん、運んでくれてありがとうございます」

「いいえ、いいえ、あたしも担がせてくれて激烈感謝(メガサンキュ)ですよ」

 雪崩の堆積区であるデブリを踏み越えると東登山口に到着、カクミとカインが腰に、テラスは手に、ロープを巻きつけた。カインにバスケットを預けたカクミにおんぶしてもらって、テラスの登山は始まった。

 斜面を登り始めると足下は高い積雪。一歩一歩膝まで埋まり正面からは雪が吹きつけて早くも視界不良だった。そのせいというのではなく、カクミが不満そうだった。

「あ〜あ、テラス様と頰ずりしてたかったぁ」

「いきなり全開だな、お主は」

「だって、ホントは抱っこして進みたいのにバランス崩れるから仕方なくおんぶよ、やってらんないわ〜」

「両極端に沈んでもおるな……。テラス様」

「はい、なんですか」

「仕方ないのでカクミに後ろから頰ずりしてやってくれますか」

「いいですよ。カクミさん、バランスに差支えはありませんか」

「全っ然!どうぞ、今すぐどうぞぉ〜!」

 鼻息荒く求めるカクミに引くこともなく、テラスは頰ずりをしてあげた。頰を介してほんのりと伝わる互いの熱。

「カクミさんはいつもあったかいですね」

「へへ〜ん、テラス様をホットにするためにあったかいんですよ〜」

「カクミから熱がなくなったら何も残らぬだろうな」

「なんかひどいっ」

「褒めておるのさ。いつもカッカしておってよく体力が続くものだとな」

「やっぱひどくない?」

「ある意味ではお主の言葉通りのことをいっておるが、不服か」

「いやまあ、間違ってもないけどさ」

 ……間違ってもないんですね。

「あたしとしてはテラス様への熱がなくなるわけがないわけで、憶測でもそれがなくなるみたいな言い草はちょいと腹に据えかねるというか」

「斜めあちらな応答であったが、それは悪かった。左様な意味であればお主から熱がなくなるわけがないな」

「解ればいいのよ、解ればね」

 ……これは──。

「っ!」

 カクミが気づく前にテラスは気づいた。

 ……吹雪の奥からにおいがします。

「あいつに似てる……!」

「カクミよ、あいつとはもしや──」

「話したヤツよ」

 黒い人型。彼を、テラスも感じていた。

「カイン……」

「解っておる。テラス様を頼む」

「任せて」

 カクミがテラスを降ろして両手に銃を握る。「今度はやらせない……」

 カインがバスケットを置いてカクミの前を歩いていく。斜面がやや緩やかな場所だが雪崩も警戒して慎重に動く。気配を探るように、一歩、一歩、カインが吹雪の奥へ。ロープがぴんっと張るところまで移動すると、

 ビュッ!

 凄まじい突風と、まるで雪崩のような吹雪が幾重も押し寄せて、カクミとカインが瞼を開けていられず呻いた。

 ただ一人、テラスは、目を見開いた。太陽光を遮った闇の塊のような風雪に紛れた二つの影が目に飛び込んだのだ。一人は、

 ……彼です。

 もう一人は、透き通るような白い肌の──。

 幾重の吹雪の奥の奥。幕で喩えれば何十枚と隔てたような遮蔽物から一瞬覗いた影であったから眼に頼ると定かでないが、なぜだろう、テラスには、はっきりと観えたようだった。

 が、瞼を開けていられたテラスも直後の突風で吹き飛ばされてしまった。

「あわぁっ!」

「テラス様ぁらららっとぉぶふっ!」

「ぬおぉっわぼっ!」

 転倒したテラスに引かれたロープがビンッと張りつめて、繫がっていたカクミとカインが顔から埋まってしまった。手の届く近場に倒れたのでお互いの無事を確認して立ち上がる。

「ご、ごめんなさい、倒れちゃいました」

「構いませんがテラス様、だいじょぶ?」

「はい、なんとか」

 テラスは背中から倒れた。腕に絡まったロープは立ち上がればほどけた。

「カインさんもごめんなさい、息ができますか」

「雪を踏んでいるときに瞼を閉じては平衡感覚が失われておまけに突風に煽られては……と、転倒した申し開きはあとにするとして、わたくしも無事ですよ」

 綿のような雪を顔面に張りつけたカインにカクミがぶふっと笑った。

雪男(スノウマン)だわっ、雪男っ」

「からかうでない。それより──」

 警戒するカインにテラスは伝える。

「あのひとのにおいならなくなりました」

「判るのですか」

「はい、なんとなくですが」

「……。摑みづらいものの、確かに気配がなくなっていますね。いったい何が起きたのやら」

「あたしらと同じく突風で吹っ飛ばされたとか?」

「それならこの辺りに倒れていそうなものだが頭でもぶつけて消滅してくれたのか……。先を急ごうぞ」

「また現れるって思ってる?」

「判らぬ。が、一つ懸念が湧いた」

「懸念?」

「わたしを狙ってきているとカインさんは思っているんですね」

「はい。暗殺者、それが魔物でない保証はありません」

「マジ?ティンク達で達成できなかったからって魔物と契約でもしたっての?それはいくらなんでも正当性の欠片もなくなるわよ」

「そうでもしてテラス様を潰しておきたいのやも。宮殿との繫がりがないとしても、急襲される危険性があるなら一刻も早く移動すべきだ」

「そ、それもそうね」

 カクミがテラスに背中を見せて、「はい、がばっと乗ってください」

「はい。あれ……」

「どうかしました?」

 テラスの視線にカクミが気づいて、同じものに目を向けた。吹雪の中、今し方テラスが埋まった積雪からちょこんと顔を出しているモノがいた。ちょこちょこと左右や空を観ると、ひょこっと引っ込んで消えてしまった。

「今のはイタチか。厳寒の地にもおるとは……」

「その割に妙な色だったわね。透き通るような青色っていうか、あたしの作る料理みたいに不気味というか」

「自覚があったのか……!」

「本気で驚くのっ」

「てっきり自覚がないものかと」

「ないわけないでしょ。面白いから気にしないけど」

「気にせぇよ……」

 項垂れたカインを余所に、テラスは青いイタチが気になって小さな穴に顔を突っ込んだ。

「テラス様、おやめください、野生動物に無闇に接近しては引っかかれたりオナラを吹っかけられたりしますから」

 注意は聞こえていたが、テラスは少し観察してからカインを見上げた。

「いなくなっちゃいました」

「わたくし達の姿を見て驚いたのでしょう。誰も訪れない場所ですから」

「それなんですが、」

 テラスは小さな穴を手で掘って、崩した。

「『これは──』」

 カクミとカインが声を揃え、崩れた穴を覗き込む。

「横穴が地下に続いているようです。あのイタチさんが掘ったんでしょうか」

「いいえ、この規模は明らかに」

「人工物、よね……」

 カインと顔を見合わせたカクミが、「入ってみましょ。中にひとがいるなら頂上までの抜け道なんかを教えてくれるかもだし」

「可能性は極めて低いだろうが、」

 カインが真赤な顔を両手で覆った。「くっ、無念、まだ何十分と経っていないというのにひどく凍えている。温まれる場所を得たいものだな」

「と、いうことで、テラス様、入ってみましょうか」

「はい、そうしましょう」

 過酷な山とは聞いていたが登り始めて間もなくこの調子とはさすがに予想外だった三人である。雪崩に加えて魔物の彼まで警戒せねばならない。長期戦を見越して暖を取るため、人工物と思われる地下空洞に下りて吹雪をやり過ごすことにした。ところが、

「意外なことが続きますね」

 と、カインが顔を摩りながら言ったように、地下空洞は奥に広がっており、歩いても歩いても行き(い )止り(どま  )がなく、地熱か、外に比べると暖気もあって快適なのである。

「食料があればひとが暮らしていてもおかしくない環境だな」

「ちょっと土くさいけどあたしは平気かも。テラス様は?」

「ここで暮らすのも愉しそうですね」

 意外なのは温度だけでなく、暗いはずのそこで顔を見て話せる快適さ。光源は、壁面に露出した鉱石だ。今もフリアーテノアじゅうに流通するそれは、発光鉱石にほかならない。

「ここは発光鉱石を採るところだったんでしょうか」

「人工の空洞であるならそれが考えられますね。テラス様、こちらをご存じでしたか」

「いいえ」

 各地の情報が入ってきた主神時代でも、ハイナ大稜線に坑道があるという情報は一度も目にしたことがない。

「お父様の時代のものでしょうか」

「いいえ、少なくともわたくしは存じません。採掘作業の許可は議会が出すので、テラクィーヌ様のみが知っていたというのも考えにくい」

「つまり、テラクィーヌ様以前の主神が掘らせてた場所ってことか」

「採掘目的でもなく横穴がひとの手で掘られたあと、発光鉱石が自然に露出したとも考えられる。憶測範囲が広いが、壁面を観ると時間が経っている……」

 古代の坑道という線も残る。「保存状態がいいとも感じる。イタチが抜け道として利用しているだけではこうはいくまい。ひとが住んでいる可能性が高まったかも知れぬ」

「生活道路になってるってことね。普段使うなら崩れたりしないように整備する必要がある」

 モカ村でもお金が必要だった。

「こちらに住んでいるひとがいたとしたら、どのようにお金を稼いでいるんでしょう」

「完全な自給自足ならお金は要らないかもですけどね。もしかすると、カイン」

「ああ、そうだな……」

 二人の考えたことを、テラスも考えた。

 ……お母様が、ここに。

 魔法で行っているなら空洞の保存状態のよさも理解できる。お金も不要だ。

「精霊は食べなくてもいいんですよね」

「ええ。伝え聞いた話でしかありませんが、わたくしはそのように記憶しています。チーチェロ様も進んで食べ物を口にされている様子はありませんでした」

「ああ、なるほど、テラス様が小食なのも精霊の血筋だからってことか」

「恐らくな」

 テラスはみんなが愉しそうに食べているとお腹いっぱいになることもある。精霊の血筋ということに自覚を持っていなくても、常日頃の体感に母との繫がりが潜んでいたのだった。

「(お母様は、何を好んで食べるんでしょう。)世の中は異なことに溢れていますね」

「そうですね。この歳で知らないことがあるのは嬉しいことですよ」

「カインは勉強家ね。あたしなんかは改めて知りたいことなんてないけど」

「テラス様のための料理であればどうだ、考えたりせぬのか」

「編み出しまくるわねっ」

「それもまた勉強だ」

「なるほど。あたしも知らず知らず勉強家だったわけだ」

「まともなカラーリングにしてくれれば幸いだがな」

「カラーリングにしてくれればって、着色前提じゃない?」

「ぬ、痛いところを」

「カインさんもカクミさんのご飯が好きなんですよ」

「曲解なさらぬよう。色には常に拒否反応です」

 地下空洞を話しながら進むこと数分、「おや、あれは」

「イタチさんですね」

 光の届かないところで丸くなっている。近づいてみるとぴょこっと起きてトトトトトトッと走り去ってしまった。

「鈍感なのか、敏感なのか、判らぬイタチですね」

「近くで観るとますます可愛かったです」

 ちょうど道が分かれており、青いイタチが進んだのは左のほう。

「さて、どっちに進みましょうか」

 と、カクミが腕組。

「頂点へ向かう道があるならそちらを選びたいところだな」

「あたしがひとっ走りして調べてもいいんですけど、どうします?」

「イタチさんを追いたいです。いいですか」

「そう言うと思いました。勇んで追いましょう」

「もう少し考えるべきではないのか、テラス様もですが」

「先に進まないと話になんないでしょ」

「いや、こう、指を舐めて風を読んだりだな──」

「うっわぁ、いきなりテラス様のバスケットを握ってた指を舐めてテラス様を舐めてる気分になってるヘンタァイっ」

「こじつけっ」

「カインさん、大きな声を出したら雪崩が起きちゃいますよ」

「えっ、今それを言いますかっ、じつはカクミの回し者ですか」

「わたしはカクミさんとカインさんの回し者ですよ」

「テラス様、回し者って味方って意味じゃないですからね?」

 と、カクミが苦笑しつつ、テラスの手を引いた。「行きましょう。見失なっちゃいますよ」

「カインさんも行きましょう」

「あっ、お待ちを」

 テラスがカインの手を引くと、三人が手を繫いだ状態だった。

「いったいなんの団体なのやらな」

「訊くまでもないわ。『洞窟探検隊』よ」

「洞窟でなく地下空洞か坑道だ」

「細かいこと言ってると皺が取れずにバアちゃんになっちゃうわよ?」

「性別すら間違われる立場になったか」

「冗談、冗談。中身が女でも嫌ったりしないから打ち明けなさいよ?」

「そこがそもそもの誤解ではないか」

「ふはは、いいじゃない。あたしだって中身男みたいなもんだし」

「それはなぜかいやぁに納得がいくな」

「カクミさんは男のひとだったんですか」

「そうですよぉ、あたしは男なんですっ、あとで服脱いで見せてあげますよぉ」

「こらっ、いい加減にせねばわたくしが確認してやるが」

「うっわぁ、オババを騙るヘンタイジジイがセクハラ発言って恐ぇ」

「お主はっ、もうっ、なんと言っていいのか、涙が次から次に零れ(ちょちょぎれ)そうだ……」

 発光鉱石の光があってもそこはかとなく閉鎖的で暗い地下空洞である。

「お二人ともありがとうございます」

「唐突になんです、わたくしは傷心なのですが」

「お二人が絶え間なくお話してくれるお蔭で明るい気を保てます」

「……テラス様には敵いませんね」

「そういうことよ、カイン」

「計算づくか」

「あたしだって最悪生き埋めかも〜、とか、考えないわけじゃないし。気分が明るけりゃどこでも元気元気でしょ?」

「……ふっ、違いない」

 カインが思わず笑ったところで空洞が開けてきた。

「マジで広いわね。人工物かと思ってたけど、ここまで行くと逆に自然物な感もする」

「発光中央坑道のような大規模な坑道ならともかく、ひとの手で掘ったにしては異常な広さであるし、往き来に不都合な岩場も多い。一部はひとの手が入っていたのかも知れぬが、多くは経年劣化したか自然の構造を残しておるか。何にせよ、落盤があるな」

 足下に大小さまざまな石。中には巨大なものもあり、真新しい落下痕もある。

「お二人とも、頭に気をつけて歩きましょう」

「落下物からはあたしが死守しますんで安心してくださいね〜」

「お主の頭は誰が守るのだ」

「魔弾があるからね。あんたもちゃんと守んなさいよ?」

「バスケットだな」

「テラス様のお腹を満たす至高のご飯が入ってるんだからね」

「よかろう。頭上は任せた」

 ところどころ岩が突き出した地下空洞を足並を揃えて越えていく。足下をたまに小川が流れている。ここがかつては地下深くにあって岩盤ごと隆起したり、地下水脈に削られたりなどして形成され、今は雪解け水が流れているのではないかというのがカインの推測であった。花崗岩が多く観られることから、マグマの溜まっていた場所が噴火後にゆっくり冷却・結晶した地層である可能性も合わせて話してくれた。

「──、あんた、よく知ってるわね、そんなこと」

「以前、発光鉱石の採掘現場で専門家の話を聞いたことがあってな、空覚えの知識だ」

「マニアじゃないのね……」

「マニアのほうがよかったのか」

「無機物好きっぽいとヘンタイ性が増すかなぁと思ってさ」

「わたくしをどういうキャラに仕立てたいのだ……」

「ストレスフルでハゲたキャラ?」

「もう言葉が出ぬ……」

 額を押さえたカインが前方を注視する。「しかし、あれだな、そろそろ意図していることと観るべきか」

「アレのこと?」

 カインに倣ってカクミも見つめる青いイタチ。テラス達の行先を示すようにして姿を現しては先へ進んでいく。

「外へ導いてくれているんですね」

「そうだといいですけど、じつは死神であたし達の命を狩り取ろうとしてるとか」

「可愛い死神ですね」

「おどろおどろしい見た目じゃ騙せませんからね」

「お主の料理もつまり味を隠すためのフルカラだったのか」

「あれは面白みよ」

「せめて飾り方で魅せてほしかったものだ」

「弁当とかでは限界あるからね。一目で目を引くならやっぱ色よ」

「あ、お二人とも」

「なんです、テラス様」

「観てください」

 青いイタチが天井付近の穴に入っていってしまった。

「あ、ちょ、あんなとこ通れませんて。あたしらをトコロテンかなんかと思ってんですかね」

 影にある穴は青いイタチ一匹が通るのが精一杯の大きさ。一行で最も小さなテラスでも腕が通るか否か。ついでに、奥は暗くて観えない。

「入ったときのように先で待っていてくれるかも知れませんね。別の道から奥へ進んでみましょう」

「少しずつ上に登ってますし、じつは頂上に着いてたりするかもですもんね」

「さすがにそれは楽観的だ。カクミ、引続き頭上を頼むぞ」

「うん。けど、さすがに疲れたわね。どんだけ歩いてんだか」

「日も差しておらぬから定かでないな。日がどれほど傾いたか」

「どれだけ経っていても大丈夫です。進みましょう」

 青いイタチが進む先を目指しても全く出口に辿りついていないのに、テラスは妙に安心して進んでいる。死神を疑うカクミ同様に疲労感を覚えてはいるが、

 ……ひんやりしています。

 入ってしばらくは暖かかった地下空間。今は外気を感ぜさせる肌寒さで、カクミとカインも上着を着直している。水を得た魚のようにテラスは母との再会の期待感が増している。

「テラス様、自信マックスですね」

「お母様が、この先にいるような気がします」

「気配を感じますか?」

「いいえ、お母様のことは知らないはずなんですが……なんとなく」

「感覚、合ってるといいですね」

「はい。早く会いたいです」

 穢れの対処は勿論として、「お母様……、今は、何をしているんでしょう。いろいろなお話をしたいです」

「──そうですね」

 と、カインがうなづき、

「あ、」

 と、カクミが脚を止めた。

 後ろを歩いていたテラスも自然と脚が止まり、カインも同様だった。カクミの視線を辿ると青いイタチが天井からぶら下がって地面へぴょんっと降りていった。

 その小柄の向いた先、小さな穴の奥に、地下空洞からも暗く観える幾重の風雪。

「ようやく外のようだ」

「あの穴ならあたし達でも通れそうですね」

「イタチさんはやはり道を教えてくれていたんですね。あとでお弁当を分けてあげましょう。きっと悦んでくれますよ」

「そうしましょ。さ、もう一踏ん張り行きますよ!」

「はい!」


 思えば、そこで休憩を挟んでもよかった。テラスの感覚のまま一行は吹雪の中へ突撃した。そのすぐ先にチーチェロの住む場所があると疑わなかった。

 それは、的中した。青いイタチが導いてくれたことは疑いようがない。

 寂れた小屋。テラスが扉をノックすると、一人の女性が現れた。羽織るは羽衣、ガラス細工のように浮世離れした裸体。その姿が登山口付近で瞥た影であったことに驚くより先に、テラスは我が母であることを直感し、口が勝手に開いていた。

「お母様──」

「……リプル」

 思いもしないことが起きたのは、その直後だった。




──九章 終──




 

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