欲望 「魔物の逆鱗」
よく−ぼう 「男たちの本音、と逆鱗に触れた魔人」
絶体絶命。
もう後がない、ような気がする。
いやまあ、いずれはそういう時が訪れるとは思っていたが、こういう状況はシズルの全くの想定外だったのだ。
デュオはいつものようにふらりとやってきて、シズルの部屋をノックしたあと、誰何もなしに部屋に入ってきた。
しかし今日の彼は、いつもは開け放たれたままの扉を、後ろ手で閉めたうえに、鍵までかけたのだった。
そして、頭に疑問符を浮かべたシズルにつかつかと歩み寄ると、彼女めがけていきなり豪速球をぶつけてきたのだった。
すなわち、いい加減『抱かせろ』と。
「はい?!」
シズルは素っ頓狂な声をだして、その場に棒立ちになった。
あまりに豪速球すぎて、デュオの言葉はシズルの耳を、右から左へノンストップで通り抜けた。
一瞬の沈黙の後、意味が理解できた彼女は確認した上で、説得を試みた。
「えっと、それはつまりそういう? 今のままじゃ駄目ってことですか?」
シズルはいつものようにへらりと笑ったが、どうやら今日のデュオは誤魔化されてはくれないようだった。
デュオは付かず離れずの距離を保ちながら、その綺麗な菫色の目はシズルを見つめたままだ。
「駄目に決まってんだろ。男の欲望なめんなよ」
「うわあ。いや別になめてませんけど、魔人だし」
シズルに下半身の魔物と言わしめていたデュオは、彼女に告白して以来、ぱったりご無沙汰らしい。本当に。
それでデュオはついに栓がキレたご様子だった。
だがしかし、何故かんかん照りの真っ昼間の『今』、それを言うのか。
本能に昼夜は関係ないのかもしれなかったが、それにしても欲望に忠実すぎやしないかと、シズルはデュオに全力でツッコミたかった。
「むう」
シズルは、出来るだけ寝室から遠ざかるよう場所を見極めて、デュオからじりじり後退しながら、どうやって逃げようかと、頭をフル回転させていた。
こちらから呼び出さない限りは、滅多に執務室に顔を出さないデュオが、珍しく話があるとジークハルトに告げてきた。
「辺境伯、一日も早く身を固めていただきたい」
何事かと、即刻時間をとってみれば、開口一番これであった。
しかもデュオは真面目な顔をして言葉遣いまで丁寧で、気持ち悪いことこの上ない。
ジークハルトは辛うじて溜息を吐くのは堪えたが、うんざりした声色までは隠せなかった。
「今度はあいつに何を言われたんだ」
魔導士『二番目』が迷走する原因は、十中八九シズルが絡んでいる。
一度ミゼンとの男色の疑いをかけられたデュオは、しばらくは屍のようになり、役に立たない状態になっていたこともある。
「そろそろ次に進みたいんで勝負に出たんですが、『独り者の雇い主を差し置いて、自分だけが大人の階段を登るのは忍びない』、とかなんとか言われて窓から逃げられまして」
シズルに言わせれば、『勝負』も何もあったものではなかったが、デュオは正直に、今の自分の気持ちを吐露したに過ぎなかった。
あのあとすったもんだの挙句、シズルはきりっと真面目な顔でジークハルトのことを持ち出し、「それではそういうことで」と言ったあと、『本当に』窓からひらりと逃げ出したのだった。
聞きたくもない家族とデュオとのやりとりを、当の本人にけろりと暴露され、ジークハルトは思わずこめかみを押さえた。
視線をあげたジークハルトは、入り口で控えているシルベスタと目が合ったが、シルベスタはさっと視線を反らせた。よく見ると、彼の肩は小刻みに震えている。
ジークハルトは小さく舌打ちをした。
「階段だろうが、梯子だろうが好きに登ればいいだろう。心配してもらわなくても、俺はとっくに大人だ」
顰めっ面で応えたジークハルトの様子を見たシルベスタが、堪らずぶっと噴き出した。
「そんなことは俺だって知ってますよ」
デュオが言った。
ジークハルトやシルベスタは自領で事を為さないだけで、平民の『それ』とは違うが、王都には芸事に長け教養もある美姫たちが揃った、貴族専用の『紳士の社交場』というものが存在している。
デュオが何故それを知っているかは、語るまでもない。
「往生際が悪いやつだな、あいつも」
「そう言ってやるなよ、ジーク。あれでもシズルは女性だぞ? 男のように簡単にはいかないさ」
男だけの内輪の話に、主従モードをあっさり解除したシルベスタが、シズルを擁護(?)した。
「で? 魔導士殿は自分の力量のなさを棚上げして、俺に身を固めさせて、とりあえずシズルの逃げ道を塞ごうという算段か?」
「確かになぁ、あんまり執念く迫ると、シズルは本気で逃げそうだもんな」
「うっ」
ジークハルトに鼻先で笑われたうえに、シルベスタには真面目な顔で危惧していることを指摘され、実際シズルに二階の窓から逃げられてしまったデュオは言葉に詰まった。
「そんな姑息な手段を取ったところで、そう上手く事が運ぶわけあるまい。とにかく俺を巻き込むな」
ジークハルトはしっしっとデュオを手で追い払った。
「いや、しかしデュオの言ってることも、それはそれで正しいぞ。ジークには早く結婚してもらって、子供を作ってもらわないと困る」
「お前は誰の味方なんだ、シル。俺は種馬なんぞ真っ平御免だ」
「意外ですね、貴族なんてそんなもんじゃないんですか? あっちこっちに庶子を抱えてるなんて話、よく聞きますがね」
「そう言うお前こそ大丈夫なのか、デュオ」
ジークハルトが意味ありげににやりと笑った。
「愚問ってもんですよ、そりゃ」
デュオもにやりと笑った。
男たちがのんびりと、赤裸々に語り合っているその頃、シズルは使い魔からのデッドボールを受け、静かに怒り狂っていた。
デュオからのロマンスのかけらもない、豪速球のアプローチを受けたシズルは、こちらも変則のフルスイングで、なんとかファウルに持ち込んだ。
さてどうしたものかと思案しながら、シズルはとりあえず、ザカリやテッセラのいる図書館へ逃げ込んだ。
きょろきょろ辺りを伺いながら、図書館に入ってきたシズルに気がついたテッセラが声をかけた。
「どうしたの? シズル」
シズルは向かい合わせで座っているザカリとテッセラに近づいていった。
以前は隣り合わせで、テッセラにいろいろ教わりながら本を読んでいたザカリも、今ではひとりで読めるようになり、ふたりは向かい合わせに座り、思い思いの本を読んでいた。
図書館ではもうお馴染みの光景だ。
「うん、ちょっとね」
シズルはザカリの隣に腰を下ろした。
まさかデュオに迫られ逃げてきたとも言えず、シズルは言葉を濁した。
が、ここにも豪速球投手が控えていた。
「シズルはデュオとねてるじかん、じゃなかったの?」
本から顔をあげたザカリが、シズルをじっと見つめて、至近距離から彼女に豪速球を投げつけた。
「ふへっ?!」
シズルはまたしても素っ頓狂な声をあげた。
「デュオがそういった。じゃまするとシズルがおこるって」
「なんですと?!」
静かな図書館にシズルの声が響き渡った。
「ああ、それでザカリは今日は早くから、ぼくの部屋に来てたんだ」
テッセラの言葉にザカリがこくりと頷いた。
果たしてデュオが、ザカリに『どの程度』のことを言い含めたのかはわからなかったが、シズルの顔から表情が抜け落ちた。
『シズル命』なところのあるザカリは、シズルに叱られるのを何より怖がっている。
それを知っているデュオが、ザカリを言いくるめるためにそのことを利用したのが、何より腹立たしかった。
「・・・あんの下半身の魔物は、うちの無垢なザカリになんてことを・・・!」
シズルはぎりぎりと歯噛みした。
彼女はデュオに対して、初対面時に思っていたように、やはり潰しておくべきではないかと本気で考え始めていた。
シズルの怒気に当てられたザカリが、髪の毛を逆立てぴゃっと飛び上がった。
向かいの席で、シズルとザカリの様子を眺めていたテッセラが、年齢に見合わない老成さで、ふうと溜息を吐いた。
「よくわかんないけど、デュオがまた何かやらかしたんだね?」
その時、タイミングが良いのか悪いのか、男同士でいろいろぶち撒けて、若干ガス抜きのできたデュオが、シズルを探しに図書館へ姿を現した。
「シズ」
ル、まで呼ばないうちに、デュオは図書館の入り口で立ち止まった。
デュオの声にシズルは笑顔で振り向いたが、彼女の隣のザカリは困り顔でびくびくしているし、テッセラに至ってはやれやれ、という具合に首を振っている。
デュオはどうやらまた魔物の逆鱗に触れたらしいと、遅まきながら知った。
魔物は笑顔のまま立ち上がり、ゆっくり下半身の魔物で魔人のデュオに近づいていった。
その後、デュオがシズルにどんな制裁を加えられたかは、ここでは割愛したい。が、少なくともしばらくのあいだはシズルの前で荒ぶることはなかった、とここに記しておこう。




