雑談 「シズルとアフセン、時々魔人」 【挿絵あり】
ざつ−だん 「よもやま話。で、思い出したことに慌てふためく」
最近ザカリが変わった。
以前はいつも、シズルにべったりと背後霊のように張り付いていたが、最近は自分から、あちらこちらへひとりで行くようになり、邸でいつも見かけられていた「雛鳥の後追い」もあまりしなくなった。
これはザカリの『トモダチ』で『イイマドウシ』のテッセラのおかげだ。
テッセラは未だに人間の言葉の不自由なザカリが、人間社会でスムーズな意思疎通をはかれるようにと、一緒に図書館へ赴いて勉強をしたり、邸のほかの人たちと話をさせてみたりと、いろいろ行動を起こしていた。
ザカリもそれを受けて、彼なりにいろいろな場所に顔を出し、興味を引いたもののことを、拙い言葉で尋ねてみたりしている。
その代わりシズルが『喚ぶ』と、どこからでもすぐさまシズルの元へ現れるようになり、なんだか本当に使い魔らしくなったというべきだろうか。
それに伴ってシズルも、ひとりで自由に動き回る時間が格段に増えた。
「なんだか寂しいのう、シズル」
アフセン老医伯が言った。
白髪白髭の、シズルの周囲にいる魔法の国の住人の中で、一番、魔法使いのような風貌のこの好々爺は、人体を巡る魔素を魔法で操り、体の損傷を治療するという「魔法医」だ。
しかし、このアフセン医伯は過去の苦い経験から、ほかの魔法医が『他人の血で穢される』といって忌避する、実際に体にメスを入れるような外科的治療や、『古い魔女のいかさま治療』といって馬鹿にされている、薬草の薬効を研究し、それを用いて病を治療することもあった。
それは主に、体内に保有する魔素が少ないせいで魔力の弱い、一般人や只人と呼ばれる者たち、あるいは魔法医の高額な治療費を払えない貧しい者たちが行う治療方法でもあった。
そのことからアフセンは、魔法治療技術に自信を持つ、他の魔法医からは変わり者として嘲笑されることが多かった。
「なんでですか、センセイ。いい傾向じゃないですか。成長したってことでしょ? 私はザカリにたくさん友達ができるのはいいことだと思いますけど」
四六時中、『魔物』に取り憑かれていて辟易としていた『魔物』がアフセンに言った。
そうすれば『見た目は美青年、中身は幼児』の子守から解放されて、自由に何処へでも出掛けられ美味しいものも独り占めで、おひとり様を十二分に満喫できるではないか、なんて素晴らしいと、シズルは内心小躍りしていた。
相変わらず邪で煩悩の塊である。
シズルは今、ジークハルトの小間使いを卒業して、その流れで仮初めの護衛官の卒業を次の目標にして、この異世界で本当の生活をするために、自分に何ができるのかをいろいろ模索している最中だった。
一応、聖女召喚でこの世界に招聘されたのだから『治癒』『癒し』は異世界召喚ものの『お約束』なのだと、訳の分からない理由を雇い主に申し立て、アフセン医伯の医務室に入り浸っていた。
先日、ギネカと一緒にいた『闇医者先生』に出会った事で、ミゼンのところで体験した『治癒』を思い出し、自分にもできないかと考えたからだった。
「そうか、シズルはミゼン殿の治療を受けたか」
魔導士の頂点である『ミゼン』は、城に居るほかの自己顕示欲の強い魔導士たちとは違い、普段は自分の庵にひっそりと引き籠っていてあまり表舞台に出てこない。エデル国王バシレウスの専属魔導士という肩書きではあるが、それは正確ではない。
実際にミゼンが仕えるのはこの世界そのものだといわれていて、未だ誰にも本当のところはわからない。
そんなミゼンは魔導士の頂点と言われるだけはあって、魔力が強いというだけでなく、とても繊細な魔術を使うとされていた。
魔導士と一口に言っても、使う魔術には得手不得手があって、殆どの者は、得意な魔術の属性が決まっていることが多かった。
二番目や三番目のように、地水火風といったものを物理的に扱うのが得意な者。五番目のように人の心に作用するような幻術が得意な者。また、体内の魔素に働きかけるような治療の魔法に長けた者、すなわちアフセンのような魔法医と呼ばれる者たちはこの部類に入る。
しかしミゼンが行使する魔術は多岐に渡り、魔法医の専売特許である治療の分野でも特出していると言われ、彼の手にかかると死人も蘇るのではないか、とまことしやかに囁かれていた。
そんな摩訶不思議な存在で、魔導士たちの憧れで畏怖の対象であるミゼンに、シズルはある意味『お墨付き』を貰ったといえる。
「はい。それでですね、ミゼンさんに『治癒』なら私にもできるんじゃないかと言われたので、センセイにいろいろ教わろうと思って」
「うむそれは構わんがの。儂は何を教えればいいんじゃ?」
「うん、それは私もよくわかんないです」
そう言って、ふたりが呑気に顔を見合わせて笑い出したところ、医務室の入り口に灰色の長い三つ編みを、尻尾のように揺らしながらデュオが現れた。
「シズルここにいたのか、探したぞ」
シズルは思わず顔を顰めた。
せっかくザカリから解放されつつあるというのに、新たな『魔物』がシズルに纏わりつくようになった。
正しくは魔物ではなく魔人らしいのだが、但しこれはシズルの命名ではない。
結局あの後、デュオは兵舎の一室に住むことになった。
デュオは最初、本邸に近い使用人塔に住みたがったが、シルベスタがデュオの素行不良に怒髪天を突く勢いでカンカンになり、それを理由に、女性がひとりもいない男だらけの兵舎へデュオを押し込めたのだった。
当初、それを知った兵団長のアディスは頭を悩ませた。どこでもそうらしいが、魔導士と兵士はあまり仲が良くないからだ。
魔導士はそのほとんどが貴族出身で自尊心が高く、選民意識も強いので平民が多い兵士を馬鹿にしている者が多い。兵士の中にも貴族出身者はいるが、彼らが平民に混ざって生活を共にしていることを、魔導士達は影で嘲笑っていた。
兵士は兵士で、魔術以外はからきし役に立たないくせに、やたら上から目線の魔導士を嫌っている。
そんなこともあって、ここの兵士たちも魔導士にあまり良い印象を持っていなかったようだ。
しかしテッセラが邸に居候し、その後いつのまにか本格的に住み着くようになり、彼がシズルやザカリやほかの使用人達とも、分け隔てなく接しているのを見ているうちに、魔導士に対するその印象も随分と変わってきたようだった。
とはいうものの、今回領主であるジークハルトが雇ったという魔導士は、少年のテッセラとは違って成人した大人の男で、しかも異世界人と判明したシズルの調査をするという。
どんないけ好かない貴族の魔導士が来るのか、と身構えていた彼らの前に現れたのは、貴族特有の気取った感じの全くない、生まれも育ちも生粋の平民のデュオで、しかも自分たちが密かに噂していた『魔人』だったのだ。
シズルが領主が他国から連れ帰った、やたら腕っぷしの強い只人の少年ではなく、実は異世界からの招聘者で女性だったことが判明した後も、今は半分魔物で魔力(本当は違うが)が使えるようになったことも、ここの領兵の脳筋集団にとっては『大したことではなかった』らしいが、『魔人』の登場は『一大事』だったようだ。
彼らの魔導士に対する嫌悪感と警戒心は、あっさりと好奇心と羨望に変わり、デュオは何事もなく彼らに受け入れられた。
とにかくなんだかよくわからない理由で、兵士たちに受け入れられたらしいデュオは、その住処を兵舎の一室に定めたようだった。
すんなり受け入れられたのはいいが、何故兵士たちがデュオを『魔人』などと呼んでいるのか、シズルは知らないし知りたくもない。しかもあろうことか一部では、既にデュオを崇めているものまでいるという。
何をどう崇めるのか、それに崇めるのは構わないが、何故シズルにわからないように崇めてくれないのか、脳筋集団を正座させて小一時間ほど問い詰めたかった。
シズルは一度アディスに頼んで、兵士たちの綱紀粛正しないといけないのではないかと本気で考えたくらいだ。
アフセンとの会話を邪魔されたことも相まって、シズルはデュオにぶっきらぼうに尋ねた。
「何か用ですか」
「何かって、俺はお前を調べるためにここに来たんだぜ。俺の目の届かないところに行かれちゃ困る」
四六時中監視されてるような、これが果たして本当に調査というものなのだろうかと考えているシズルの目の前で、魔物で魔人で魔導士のデュオが堂々と付き纏い宣言をした。
一方デュオは、渋い顔をするシズルの前で柔和な笑顔を浮かべている老アフセンを見て、彼がシズルの祖父の年齢に近いのに気づいて、内心どきりとした。
なんでもなかったように飄々としているが、やはり召喚直前に失くした祖父のことを引きずっているのではないかと、自分のしたことを思い出したデュオはシズルにそれ以上何も言えずに黙り込んでしまった。
実際のところ、シズルはそんな感傷など既に微塵もなく、ミゼンのところで考えていたように、ただ単に、『ヒーローっぽくてかっこよくて便利そうな治癒の力』に憧れて、どうにかしてそれを自分のものにし、尚且つ『凶暴な乱暴者』という自身のレッテルを書き換えようと目論んでいるだけだった。
黙り込んでしまったデュオをそのままにして、シズルはまたアフセンと話を始めた。
「ところでセンセイ、魔法治療ってどういうものなんですか?」
「そうさのう、儂ら魔法医が主におこなうのは、その人間の持つ魔素の流れを診て、本人の持つ魔力でその体の傷んだ部分の快復させる、その手助けをするんじゃ」
そのため魔法治療は、魔素を多く保持する魔力の高い人間には、すぐに効果が顕れるものらしい。
以前二回ほどシズルはアフセンに魔法治療を受けたことがあった。
一度目はザカリに噛まれた時で、その時のシズルはまだ只人だったために、魔法治療を試みてもやはり何の反応もなく傷は残ったままだった。
二度目はザカリのかけらを体内に取り込んで高熱が出た時で、その時は人と魔物とでは魔素そのものの感覚が違い、流れを感じることはできても治療まではできなかったらしい。
「そうなんですか。不思議な何かでぱぱっと治してしまうというよりは、つまり患者本人の持つ自己免疫とか自己修復とかを、魔力で強化するとかそういう感じなんですね。それじゃあ例えば、何かでどこかが欠損したりした場合はどうなるんでしょう?」
「切られた傷なら治療は可能じゃが、さすがに切り落とされたものは魔法治療でもくっつけるのは無理じゃの」
どうやら魔法治療そのものでは、外科的な接合手術のようなことは不可能ということのようだ。当たり前といえば当たり前で、切り離されたものがくっついたりしてしまうなら、もはや治療というよりは『奇跡』と呼ばれるものになるのだろう。
とにかく魔法治療で劇的な効果があらわれるかどうかは、あくまでも本人の魔力量次第、ということのようだ。
ということは当然魔力の弱いものには効果が薄い。
「・・・だからセンセイは魔法を使わない治療もするんですね」
シズルの言葉にアフセンは柔和な笑みを浮かべて頷いた。
「魔法治療は効果が大きい反面、体への負担も大きいからのう。小さな子供や平民では怪我の程度によっては、魔法治療に耐えられん場合もあるんじゃよ」
それにしても体内を巡る魔素を感じ取るとは、まるで気の流れを読む『気功師』のようだ。
そう思うと、目の前の白髪白髭のアフセンが、何処かの国の怪しい気功師に見えてくるから不思議だ。
思わず吹き出してしまったシズルを、アフセンは怪訝な顔で見ていた。
「そういえばセンセイ、ギネカさんのところにいるスクーロさんて方を知ってますか?」
ギネカから請求が来て知ったのだが、シズルが屋根を吹きとばした建物が実は彼所有の娼館で、そこの女主人がサークラだった。
街を出歩くようになってから、何度かサークラに会って仲良くなったシズルは、ずっとその正体が気になっていた、例の優男の闇医者先生のことを彼女に尋ねたのだった。
闇医者は、スクーロという名前らしい。らしい、というのは本名かどうかはわからないからだった。数年前にどこからかこの辺境に流れ着いた人物らしく、行き倒れ同然のところをギネカに拾われたらしい。
スクーロと名乗ったその男は平民にしては魔力も強く、魔法治療の心得もあって、ギネカはスクーロをそのまま自分の組織のお抱え医師として雇用しているらしい。もちろん人頭税など払ってはいない。
シズルに出会った時、スクーロ本人は『正式の魔法医ではない』と語ったが、もしかして顔の広いアフセンならば知っているかも知れないと思ったのだ。
「スクーロ、か。儂は知らんなぁ」
「まあそのスクーロさんていうのは、魔法医というより暗殺者の雰囲気でしたからね、ちょっとおっかなかったですもん。でも裏社会の闇医者ですよ? もー響きがカッコいいですよねー」
「お前さんが怖がるとは、よっぽどじゃのう」
シズルがブラックでジャックな、某闇医者を想像しながらうっとりしているのを見て、アフセンがまた可笑しそうにからから笑った。
「・・・おいちょっと待て」
急に医務室の隅っこから、地を這うような不機嫌な声が聞こえてきた。医務室に来た直後から、ずっと黙ってその場にいたデュオだった。
いつもの軽口もなくずっと黙り込んでいたので、シズルはデュオの存在をすっかり忘れていた。
「その名前は初めて聞くぞ、一体誰なんだ」
「だから、ギネカさんのお抱えのちょっとアブナイ感じの闇医者先生ですよ。話聞いてたんじゃないんですか? 名前を知ったのは私もつい最近ですが、魔力もかなりあるんじゃないですかね。私がはじき飛ばした氷の岩はかなり大きかったですよ?」
「なっ、お前そいつとやりあったのか?!」
「やりあったというか、屋根を・・・あっ!」
シズルが急に大声をあげた。
「闇医者先生のスクーロさんと約束してたのをすっかり忘れてました!」
「約束ってなんだよ、おい」
気色ばんでシズルに詰め寄るデュオを無視して、シズルは焦った様子で椅子からがばりと立ち上がった。
「このままうやむやにはさせません! ザカリ!」
シズルが喚ぶとどこからともなく医務室にザカリが現れ、そのままぎゅうとシズルに抱きついた。
ザカリはデュオの姿を見ると、シズルをひょいと抱えて、デュオからシズルを隠すように背中を向け、腕の中の彼女を見下ろして得意そうに言った。
「シズル、ザカリキタ」
シズルはいつものようにおざなりに、ザカリの得意げなその頭をよしよしと撫でると、時間を惜しむように問いかけた。
「ザカリ、この間の夜に呼び出した場所覚えてる?」
「ヘンナニオイ、スルトコ? ワカル」
「連れてって、今すぐ! 緊急事態だよ、今度こそ七三にするんだからっ」
ザカリには、闇医者スクーロの気配を直接辿れるほどの接触はなかったので、とりあえずシズルは、ザカリが一度行ったことのあるサークラの店へ跳ぶことに決め、そこからスクーロの居場所を辿るつもりだった。
「おい! 無視するなシズル、ひとりで行かせないぞ! 俺はお前の調査を任されてるんだからなっ」
デュオはシズルを抱えるザカリの腕をがっしりと掴んだ。
「やれやれ賑やかじゃのう」
あっという間に医務室から消えたシズルたち三人を眺めたアフセンは、のんびりそう言いながらもジークハルトに事の次第を知らせるべく、よっこらしょと腰を上げ医務室を後にしたのだった。