掌中の珠 「続・老人と若者たち」
しょう–ちゅう–の–たま 「大切にしているもの、だが拳骨をくれる時あり」
「何勝手に決めてやがる。いい加減にしろよジジイ」
余裕がないと揶揄されたデュオが、ソファーに座ったままからから笑っているソーンに一歩踏み出した。
「さっきもゆうたろうが小僧、お前は弱すぎてシズルには釣り合わん」
笑いながらもソーンの黒い瞳がひたりとデュオに照準を合わせた。
ソーンは先程自分の顔を撫でた時のような何気ない仕草で、二本の指を立て顔の刺青をすっと撫でながら呟いた。
「シキニセ」
「アスピーダ」
「デュオ?!」
ソーンとデュオの声が重なって、驚いたシズルがデュオの腕を掴んだと同時に、見えない力の拳がデュオを殴りつけた。
デュオの前面に張られた魔力の盾ががつんと音を立てた。それで互いの魔力が相殺されたのか、盾は殴りつけられた余波で振動したあと消失した。
「生憎だったなジジイ。俺に不意打ちは効かねえぜ」
どうやらソーンの先ほどの動作と言葉が、刺青として刻まれた術式の発動の合図のようだった。
ごく自然な動作のせいでシズルは全く気がつかなかったが、そんな風に殺気も闘気も感じさせず、攻撃魔術を行使するところはさすが年の功というべきか、イタゲニスの戦士の師傅というのは伊達ではないらしい。
しかしデュオは普通の魔導士とは違うその紫の瞳で、ソーンの魔素の揺らめきを視て術の発動を察知したようだった。
「ふん、魔導士という奴は長々と呪文が唱えられんと、からきし役にたたんと思うとったが小僧、お前は少しは使えるようだな」
「ちょっと! ふたりとも何やってんですか?! 私の縄張りで勝手なことは許しませんよっ」
「ここは俺の邸なんだが、まあいい。しかしなんだな、世の中には変わった趣味の男が多いな。引く手数多で良かったなシズル」
「何ですかそれっ。ここは私を貶すところじゃなくて、このふたりを叱るところでしょう!」
半笑いで言われたシズルは、その怒りの方向をジークハルトに向けた。
ここにはまともな男はいないのか、とぷりぷり怒り出したシズルに、シルベスタが何か言いたそうな顔をしている。
収集がつかなくなってきた応接間に鷹揚な老人の声が響いた。
「そう怒るなシズル、ちょっと突っついてみただけだ。小僧を好いとるならそれでもいいが、一度イタゲニスを観に来んか? さっき皆を誘ったのは本心からだ。師傅などと持ち上げられておってもジジイは孤独なものなんだ」
ソーンに寂しさを含んだ笑みで話され、シズルはすっかり毒気を抜かれてしまった。
「・・・わかりましたよ。その代わりもう喧嘩はやめてくださいね」
最後は老人に上手く丸め込まれたようなかたちになったが、シズルの『おじいさん』に対する想いを知っているエデルの男たちは、これ以上強硬に反対することを諦めた。
結局なし崩しに師傅・ソーンの招待を受けたかたちになったシズルは、半ばやけになって家族全員、ザカリやテッセラも同行させることをソーンに承諾させた。
こうなったらソーン宅へ全員で押しかけ、たらふくご馳走になり散財させるという仕返しをして、ついでに偉大な師傅に武闘大会の解説者もやらせてやるのだと、戦士たちからすればとても畏れ多いことを考えていた。
シズルの説得に来たのに、ソーンに横槍を入れられたかたちになったプレンアタットは恨めしそうにシズルを見ていたが、彼女が伝承の魔物の花嫁とは似ても似つかぬ容姿だったことをその目で確認し、「これで当主に言い訳が立つ」と安堵の表情を浮かべていた。
そのあからさまな安堵の態度を見て、さすがのシズルも静かに怒っていた。
既にこの世に居ないほぼ伝説上の人物で、シズルが見たこともないものと比べられて、何故ここまで貶められなければならないのか。
魔物の花嫁がなんぼのもんじゃいとやさぐれたシズルは、プレンチャンの代わりに、この失礼な土下座男のプレンアタットを裏庭に埋めてもいいのではないかと本気で考え始めていた。
そんなシズルの黒い気配を察知したわけではないだろうが、プレンアタットは来た時同様、付き添いのソーンと共にさっさとダ・アチャへ帰っていった。
イタゲニスからの珍客が帰った後の転移の間で、ジークハルトが溜息を吐いた。
「何故俺たちまで師傅の招きに応じなければいかんのだ? もらい事故の感が拭えないんだが」
「ふっ、面倒くさい予感しかしないのに逃がすわけないでしょう? 『死なばもろとも』ですよ」
「それは酷いぞシズル」
情けない顔で非難するシルベスタに、観念してくださいと笑顔で言ったシズルはデュオに向き直った。
「そもそもソーンさんのところには、私がひとりで行って帰ってくれば済んだことなのに、ややこしくしたのはデュオでしょう? なんでそんなに私を行かせたがらないんですか」
「あのジジイは気に入らねえ」
デュオはソーンに言われたことを思い出したのか、ぐっと眉間に皺を寄せた。
「なんですかそれ」
シズルはデュオのその子供のような理由や態度に呆れかえった。
一連の出来事でますます空腹感が増したシズルは、デュオに更なる貢物を要求し、ふらふらと癒しの年少組が待つ自室へと引き上げていった。
「というわけでイタゲニスに行くことになったんだけど、勝手に決めて悪かったかな?」
「ぼくは構わないけど、ザカリはいいの?」
「ぼくはシズルといく。やくそくした。ずっといっしょにいる」
「うん、そうだね」
魔物を祖先に持つといわれ、そのため魔物に特別な憧憬を持つイタゲニスに、ザカリを連れていくことに不安がないわけではなかった。
しかしいくらシズルが家族の守護者を標榜したとしても、そばに居なければ何の役にも立たないのもまた事実だった。
イタゲニスは変わった国だ。
その成り立ちを説明されても、未だにきちんと理解ができないのは、シズルの元の世界では聞いたことないような国家運営をしているからだ。
わかりやすい君主制のエデルとは違い、イタゲニスは『ダ・アチャ』『ニ・ムナハ』『スォ・クラヘン』という三つの自治区が集まってひとつの国を成している。
といっても共和国というわけではない。明確な国家元首というものが存在しないからだ。
こうなるともうシズルにはお手上げで、これでどうやって対外的に『国』としての体裁を保っていられるのか謎なのだが、各々の自治区から集まった老師たちの協議会そのものが、国家元首のような役目をするらしい。
その協議会は、三つの自治区の交わる場所に存在し、そこは不可侵地域になっているという。
そうはいうものの、外交などの儀礼的なものに対応する窓口となる代表者は必要で、それは老師たちの協議会とは別にあった。
そのイタゲニスの代表者は、なんと自治区を治める家の持ち回り制で、三年毎に変わるというのだから驚きだ。
三年周期で国のトップが変わるというのは、その度毎に国の方針も変わりそうだったが、あくまでも彼らは国の受け付け窓口の『代表者』で、本当にイタゲニスを動かしているのは『協議会』だった。
だからといって老師たちが全てを牛耳っているというわけでもなく、彼らもまた世界の意思で動いているふしがあった。
老師たちは星読みや卦といった呪術的な神託で、様々なことを決定しているというのだから、もうここまでくると現代人の理解の外の話だった。
だが、自治区全体がひとつの家族のようなもので結束も固く、戦士と呼ばれる者たちが民を守ることを喜びとし、誇り高く在るのは分かる気がした。
そんな前時代的なイタゲニスの中でも、師傅というのは特殊な存在のようだ。
戦士たちの師傅であるため魔力を含めた実力の伴った発言力は強く、今回のダ・アチャ家の一件のように、揉め事の仲裁に駆り出されたりすることも多いらしいが、国家運営に携わる老師たちとは違い、彼は政には関与しない。
師傅は家名を持たず『家』がないので所属する自治区もなく、正式な住まいは協議会と同じ不可侵領域にあるが、各自治区にも別宅のような棲家があるらしい。
ソーンが言った『ワシのところ』というのはそんな棲家のひとつで、今回シズルたちが招かれたのは、昨年から当番にあたっているスォ・クラヘン自治区にあるスォ・クラヘン家だった。
武闘大会開催日前日、スォ・クラヘン家の転移の間でジークハルトより大きな男性が浅黒い顔に柔和な表情を浮かべ、総勢六名のフロトポロス一行を出迎えた。
「ジークハルト、まさか師傅がお前のところに乗り込んでいたとはな」
「すまん、プカイ。大勢で押しかけて申し訳ないが、よろしく頼む」
「なに、師傅の我儘は今に始まったことじゃない」
何の偶然か、ジークハルトが予てから個人的に親交のあった友人というのが、たった今転移の間で出迎えてくれた、スォ・クラヘン家次期当主の戦士のプカイという人物だった。
イタゲニス人特有の色黒で彫りの深い顔立ち、黒髪黒い目でプレンチャンと同じスタンドカラーの長袖シャツは、エデルの魔導士のローブのような定番の戦士の装いなのだろう。
ジークハルトに笑いながら話す、プカイと一緒に待ち構えていたソーンが文句を言った。
「我儘とはなんだ、プカイ。老い先短い老人をもっと大切にしろ」
「都合の良い時だけ、老人になるのはおやめください師傅。どこの世界に女性を口説くために、その身内を丸ごと連れてくるような者がいるというんですか」
「仕方あるまい。シズルはどうも此奴らの掌中の珠のようでな。簡単には譲ってくれそうもないのだ」
「ソーンさんは正確な状況をわかってないですね。その掌中の珠とやらは、しょっちゅう頭蓋が割れそうな拳骨を喰らってるんですけど」
「やれやれ、誰もシズルを磨かんのか」
「俺がいずれ磨くからジジイが心配する必要はねえ」
「むー。なんだか今度は禿げそうなので遠慮します」
背中にザカリを貼り付けたシズルが、相変わらずなデュオとソーンに茶々を入れている。
「なんだか険悪だな。シルベスタ以外は知らない者ばかりだ、そろそろ紹介してくれないかジークハルト」
プカイに促され、ジークハルトはシズルとザカリ、デュオとテッセラを紹介した。
ジークハルトはザカリのことをぼかすことなく、シズルの使い魔で魔狼だとはっきり明言した。
シズルは警戒していたが、ジークハルトから何か事前に説明を受けていたのか、プカイはザカリのことはさらりと流したが、魔導士ふたりのほうには興味を惹かれたようだった。
スォ・クラヘンの戦士はほお、と魔導士ふたりを見下ろした。
「ふたりともエデルの魔導士なのか? なんだ、飛び入り参加でもするのか?」
「え、何それ知らないよ」
テッセラが目を丸くすると、親子ほど歳の違うプカイが優しい笑顔を浮かべ、自分の子供に話しかけるようにテッセラに説明した。
「最終日に余興で、世界中の腕自慢が飛び入りでイタゲニスの戦士に挑戦するんだよ。まあ体格差がありすぎるから、腕自慢といっても魔術を競うんだがね」
「へー。そういうのがあるんですね」
「まあ大昔と違って、今は祭りみたいなもんだからの。真剣勝負になったら戦士に勝てるものは誰もおらん」
ソーンはちらりとデュオに視線を送った。
あからさまではないものの、ソーンはデュオをあきらかに挑発している。
シズルはデュオに『駄目だ』と念じたが、あいにく精神感応は習得していなかったため、残念なことに彼には届かなかったようだ。
「頭の中まで筋肉が詰まっているような奴らに、生粋の魔導士が負けるかよ。師傅を名乗る割には浅識だなジジイ」
「ほう、自信があるようだの小僧。なら是非その腕前をもういっぺんワシに見せて欲しいもんだ」
「今から見せてやってもいいぜジジイ」
デュオはにやりと悪い顔で笑って、イタゲニス人にしては小柄なソーンと真正面から睨み合った。
「おいおい、ここで暴れられては困る。どうせなら余興でその実力を発揮してくれないか、エデルの魔導士殿」
ふたりの間に入ってデュオを宥めているプカイを見ながら、ジークハルトがシズルに声をかけた。
「止めないのか?」
「もういい加減、面倒くさいので好きにやらせておきましょう。いざとなれば、ふたりとも私が制圧するから平気です」
シズルがじんわり瞳の色を濃くさせながら静かな声で言った。
シズルは子供っぽいふたりのやりとりに辟易としていた。
何やら本人の意向はそっちのけで、所有権を主張されているようだが、そもそもシズルは誰のものでもない。
シズルはシズルのものだ。
デュオに心を許したからといってそれは変わらない。
彼は忘れてしまったのだろうか。
シズルの意思を無視した『原初のミゼン』に、人間を捨てる覚悟で抗ったことを。
「やれやれ。デュオの奴、俺の忠告をすっかり忘れているようだ」
ジークハルトは苦笑して、想いが通じ合いそのことに安心しきってるのか、シズルの本質を忘れてしまっている魔導士に、もう一度言い聞かせてやりたくなった。
シズルを自分の型に嵌めようとするな、と。




