第四節「仮初の団欒」
時は移ろい、同日その夜半。
「いやぁ、ビーチェの作るご飯は美味いなぁ! あっはっは!」
「いやだわ、お父さんったら。それじゃ私の作るご飯が不味いみたいじゃない!」
「おお、おお、そういう訳ではないんだ! 決して違うんだからな!? お母さんが作ってくれる方は安心するっていうか……うん、毎日食べたい味だな!」
「毎日食べてるじゃないの、もう。お世辞はいいから早く食べて?」
「ああ、すまんなぁ……ビーチェ、パンのおかわりはもういいのか?」
「……うん」
「ビーチェ、スープはおかわりする? それともガーリックシュリンプにする?」
「……ううん、だいじょぶ」
もっさもっさと黒パンを咀嚼しながら、私は両親と一緒に食事の席に着いていました。
賑々しい両親を相手にしながら食事をするのは中々骨が折れますが、私ももう慣れたもので、適当に聞き流しながらマイペースに楽しんでいます。
「それにしてもシュリンプがお裾分けされるなんて、今日はツイてたわねぇ。こういう日はお父さんみたいな仕事でも良い事があるんだって、気分が良くなるわ」
「みたいなとはなんだ、みたいなとは。地元で獲れた海の幸をお貴族様や商人へと届ける大切な仕事だぞ。ちゃんとした身分の者でないと、就く事すら叶わないのだからな!」
名誉な事だと続けながら、海産物を背負いし偉大なる我が父はブロンドの髪をかき上げ、日焼けした肌を晒しながらえへんと胸を張ります。
職業に誇りを持つとは、斯くも美しい。
「はいはい。……まあその名誉なお仕事で私達も食べていけているんだし、感謝しないとね。……ね、ビーチェ?」
「うん。父さんはすごいと思う」
「そ、そうか……? そうかそうか! あっはっは!」
能天気な母さんのあからさまなお世辞に相槌を打つと、対面の席に着いた父さんはたちまち上機嫌になっていきました。コップに入ったワインを揺らしながら、ニコニコと破顔しております。……我が親ながらチョロすぎやしないでしょうか。
(何というか、私にもこの二人の血が流れていると思うと、要領が悪いのも頷けちゃうのよね……)
上機嫌に話を続ける二人を横目に、私はパンに乗せたシュリンプを齧りつつ、心中で溜息を漏らします。
……私の両親はいわゆる共和国における市民――市民権を持つ由緒正しい住民という奴で、父さんは漁業関係、母さんは紡績関係や他の雑多なお仕事に従事していました。二人の仕事に対する評判は中々で、町の人からの評価もすこぶる良いものです。
二人とも能天気で、あまり物怖じしない性格が吉と出ているのでしょう。“お前さん達から買った魚は、他よりずっと美味い”などと、買い付けに来る常連の商人から絶賛されているのを、通りすがりに何度か見た事がありました。
……他の人と同じのを売っているんですけどね。
ですがまあ、それ故に私はこのように美味しいご飯を享受出来ているのですが……
「なあ、ビーチェよ」
と、そんな風に舌鼓を打つ私に父さんが何事か話しかけてきました。
「……なぁに?」
「そろそろ身を固めないか?」
「ぶふぉぁ!?」
急に話を振られたと思ったら……!
「げほっ! パンが……喉に……っ!」
「ちょっと、お父さん! もうちょっと考えなさいよ」
「おお!? すまんすまん。話を振るタイミングが悪かったか……」
……ひとしきりげほげほと噎せ込んだ後、気を取り直して父さんへと向き直ります。
「……それで、身を固めるって……?」
「ああ、もうお前も十五を過ぎたんだし、何処か嫁ぎ先をと思ってな……」
「…………」
結婚、結婚と来ましたか……ですが、私は……
心中で苦悩する私を余所に、父さんは真剣な顔で話し続けます。
「お前には学がある。それに器量も良い。知り合いの商人に掛け合えばすぐに結婚出来るとも。なに、金や段取りなんかは全部俺達に任せてくれればいい。だから……」
「……ごめん、父さん。私にはまだ早いと思うんだ」
「早い? 早くなんか――」
安心させようと言葉を紡ぐ父さんを遮り、私は自分の主張――というよりは懸念事項を言っていきます。
「いいえ、早いという話じゃなかったわ。……私はまだ自分の炎と決別していないから、それが……とても怖い」
私の炎という言葉に二人とも口を噤みます。同じ屋根の下で十数年一緒に暮らしてきた両親は、私の秘密などとうに知っていたのでした。
……それでも尚、私が処断されていないという事は、二人とも私を大事に思っている事に他なりません。その事実を改めて噛み締めつつ、私は説明を続けます。
「もしかしたら相手の家を、人を燃やしてしまうかもしれない。自分も燃え尽きてしまうかもしれない。……今だってそうだよ。父さんを、母さんを燃やしてしまうかもしれない。この家を焼き払ってしまうかもしれない。……私はそれが、とてつもなく恐ろしい」
「……ビーチェ……」
……確か、あれは十歳の時。
私は話しながら、寝惚けて毛布を燃やした時の事を思い出します。
あの時は両親がすぐに消火してくれたおかげで大事には至らなかったものの、誰もいない時だったらきっと家は焼け落ちていたでしょう。
……燃える寝台の前で、私は何も出来ずにただただ呆然と眺めていただけだったのですから。
「……っ」
あの時の苦々しい経験を脳裏に浮かべた私は、自然と唇を噛み締めていました。渋面を作りながら尚も説得を続けます。
「だから、お願い。我儘だってのは分かってる。だけど皆を不幸にしたくない。自分も不幸になりたくない。だから、もう少し。もう少しだけ調べさせて。もう限界だって時まで、探し続ければ何か分かるかもしれないから。だから、お願いします……」
二人の顔を交互に見つめ、私の今持てる精一杯の言葉でお願いしてみます。
「はぁ~……」
長い長い溜息を一つ。それから父さんはやれやれといった様子で首を振った後、こちらへニコリと笑顔を向けてくれました。
「しょうがないな。そんな目で見つめられちゃ断れないじゃないか……」
「ふふっ、そうですね。お父さんも、こうなるって分かっていたんじゃないですか?」
「まぁなぁ。嫁げないんだったら仕事でも覚えて欲しいってのが本音なんだが……ま、ビーチェは真剣に悩んでいるんだからな。自分で納得いくまで調べてみなさい」
「いっそ、限界だってなったら修道院に行くのも悪くないかもね。あそこのシスター、ビーチェの事を気に入っているみたいだし」
茶目っ気たっぷりに母さんはそう言うと、隣に座り私の頭を優しく撫でてくれました。長く伸びたブロンドのお下げが、腕と一緒に目の前でゆらゆらと揺れます。
「お金の事は気にしなくていい。家族の心配だってしなくてもいいわ。ただ、貴方が幸せになってくれれば、私もお父さんもそれで……」
「…………」
「だから貴方のその炎を、貴方が自信を持って扱えるようになってくれれば、それでいい。貴方が何も恐れずに、何にも怯えずに生きてくれればそれで十分なのよ……ベアトリーチェ」
「うん。ありがと……母さん……」
「礼なんて言わなくていいんだぞ。俺達にとっては当然の事なんだからな!」
……いいえ。私は知っています。知っているのです。父さん、母さん。
こんな時代において、貴方達の考え方は当然な事では無いのだと。
女は子を為し、家の血脈を繋ぐ事こそが役割なのだと。
私の幸せを願うのならば、すぐさま嫁ぐべきと主張するのが普通なのです。
齢を重ねる程に貰い手は少なくなり、送る方の立場も弱くなっていくのですから。
私のような厄介者は家からさっさと追い払い、男子でも作る方がよっぽど賢明だというのに。
なのに、まったく、この人達は……
「……なんだ、泣いてるのか? ビーチェ」
「……いや……ち、がっ」
「まったく、こういう時ぐらい素直になればいいのにね。貴方はこういう時だけ頑固なんだから……」
そう言うと母さんは撫でていた手を伸ばし、私を抱き締めてくれました。母さんの手は日々の仕事で荒れてごつごつとしていましたが、不思議と柔らかく私の体を包んでくれます。
「…………」
……このまま泣いてもいいかな、なんて思いもしましたが、私にも意地というものがあります。固く目を閉じ母さんへと体を押し付け、感情の波が去るのを待つ事にしました。
「ふふっ……仕方のない子ね……」
そんな私を労わるように母さんは抱きながら頭を撫で、父さんはじっとその光景を優しく見つめ続けてくれたのでした。
両親の優しさに浸かりながら、私は覚悟を抱く。
誰も知らぬ我が炎。その秘密を詳らかにせんと。
……今はただ決別の決意を、この胸に。
【ビーチェ】
・ベアトリーチェの愛称。四文字は呼びやすい。作者も書きやすい。
【シュリンプ】
・小エビ。エビは大きくなるにつれプローン、ロブスターと呼称が変わっていく。
・中世と言うとパンやワイン、肉のイメージが強いが、海産物もよく食べたようだ。
・海産物は傷みやすいため、専門の運搬業があったという。早馬に乗り各地へと送り届けるその仕事はとりわけ貴族に重宝された。
・みんな美味しい物を食べたいのは、今も昔も変わらない。