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炎の魔女  作者: 御留守
第二章 ■■■■■■■■■
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第十七節「生存の代償」

 ぼんやりと、前を見つめる。

 遠くには見慣れた天井。その横には高く小さく設えられた窓が一つ。

 いつもの場所、いつもの汚れは私の目によく馴染んだ。


「…………」


 窓から差す淡い光が、部屋に舞う埃でキラキラと反射している。それはまるで天上から降りてきた薄布のようで、この薄暗い小屋の中には不釣り合いだった。

 それはまるで神の慈悲のように。天から来た救いの具現のように。

 その儚さに天使を――一度も見た事すらない妄想を重ね、私は手を伸ばす。


「…………っ」


 視線の先に待つものへ手を伸ばす――伸ばしたはずだった。

 だけど、動いたものといえば目の前を覆う髪の毛が数本。

 手を動かすどころか、それが今の私の限界だった。


「……」


 いつの間に来たのか、窓枠に留まっていた小鳥がチチチと嘲笑うように鳴いている。恨みがましく凝視してみるも、尚もこちらを挑発したいのか、小鳥は窓枠を忙しなく飛び回っている。なるほど、私に遣わされた天使様は性格が大層悪いみたいだ。


「ど、うせ、わたし……」


 反射的に呟いた声は掠れていて、自分のものながら聞くに堪えない。寝たきりで数日過ごすうちに、気付けば声を出す体力すら無くなっていたのだ。そしてこうして絞り出す事すら、ひどく疲れる。一息でぜぃぜぃと息が上がり、深く息をして治めたころには小鳥は飛び立った後だった。

 淡い光も既に消えていて、残されたのは窓から見える曇天と、暗い小屋。

 他には、無様で、哀れで、惨めな心を抱えた私だけ。


「……う、ぐすっ……」


 どうしようもなく涙が溢れてくる。抑えようもなく心が軋みを上げる。拭う事の出来ない涙が目尻を伝って髪に吸い込まれていく。

 涙なんか流しても疲れるだけ。体力の無駄、今はこうだけどいつかは良くなる――そんな風に必死で言い聞かせようとしても、一度悲鳴を上げた心は中々静まってはくれなかった。

 ――そんな時。


「――ただいま」


 控えめな扉を開く音と共に、コツコツと床を叩く音。それが数回響いた後、


「…………ロゼ!?」


 音の主――帰宅したビーチェは私の顔を覗き込んできた。

 ……その翡翠色の瞳に、ありありと悲痛を湛えて。


「泣いてる……どこか……痛いの?」


 泣いている私を見て、彼女もまた涙を浮かべていた。それがどうしようもなく辛くて、そんな顔にさせているのが悲しくて、私は精一杯の力で首を横に振った。

 それでも動かした首の動きはもどかしいほどに緩慢で、彼女に伝えるのに数秒かかった。


「痛くは……ないのね……でも……」


 私の意思は伝わったはずなのに、ビーチェは未だにその表情を曇らせたままだ。私が何を考えていたのかなんて、聡い彼女にはきっとお見通しなんだろう。


「……なんでもない。ご飯、食べよう?」


 だけどそれも一瞬の事、次に顔を向けたビーチェはいつものように微笑みながらそう言ってくれた。


 ――ありがとう。

 ――いつもごめんなさい。

 ――貴方のおかげで私は私でいられる。


 感謝の言葉が浮かんでは次々に消えていく。それでも少しでも伝えられればと思い、彼女の背中に想いを送った。

 少し前までは当たり前のように……いや、気恥ずかしくて言えなかった言葉が、今は酷く懐かしい。

 共に笑いあった昔日の日々。何年も続けてきた、安穏とした日常。

 今はいつか戻れるのだと信じて、生き続けないと。


 ……そうとでも考えないと、心が壊れてしまいそうだった。


「ほら、今日も雑草のスープだよ。美味しさは保証できないから……心して食べてね?」



 ■■■■■



 ……心が、壊れてしまいそうだった。


「…………」


 川辺に流れ着いた倒木に座り、私は頭を抱える。そして深い深い溜息を吐いた。考える事は言うまでもなくただ一つである。


「私の……私のせいだ……」


 思わず漏れた声は誰にも届かず、視線を上げた先の川の流れは、私のことなど意にも介さず穏やかに流れ続けている。ぼうっと無心でそれを眺めて……しかし不意に、先程の痛々しい光景が脳裏に思い浮かんだ。

 四肢を力なくベッドに投げ出したまま、涙を流すロゼ。治療する術もなく、ただ食事を与える事しか出来ない自分。それらと向き合う事がどうしようもなく辛くて、適当な理由を付けて早々に小屋から出て来てしまった、情けない自分。


「どうすれば……どうすればよかったの……」


 呻くように出た自問の声。それに応えてくれる存在は、当然いない。この森には私と彼女しかいないのだから。その答えは自分で探さなければいけない……たとえ答えが無くとも、自分を納得させなければ、いけなかった。


「……ぐっ……」


 己の為した罪。そのあまりの重さに、思わず唇をきつく噛んだ。そうしていないと叫び出してしまいそうだった。心のみならず身体までもが黒々とした何かに浸食されていくような、酷く不快な感覚。それは誰かからのものではなく、自分自身の裏側から漏れ出てきている。それはさながら全身が膿んだ傷口になってしまったかのようで、想像するも悍ましい。

 私はこの時改めて――両親をこの手にかけた時のように――罪に塗れるとはどういうことか、身をもって体験していた……


「どうすれば、良かったのかしら……」


 ――どうすれば。


 壊れたようにそう呟くしか、私には出来る事が無い。


 どうすれば、あの時彼女を救えたのか。

 どうすれば、これから彼女を治していけるのか。

 どうすれば、寝たきりになった彼女と向き合っていけるのか。


 ぐるぐると、ぐるぐると、そんな事ばかりが頭の中で回っている。


「…………」


 ぐちゃぐちゃに乱れた頭の中とは対照的に、眼前の川面は依然として穏やかで。その先に垂れ込めた濃霧も相変わらずで。

 ……それが、なんだか無性に腹が立った。


「なんで……私ばっかり……」


 気付いた時には私は立ち上がって――


「なんでなの……」


 私を囲うそれらが、全部無くなればいいのにと思い――


「――なんでなのよ……ッ!」


 右腕にありったけの力を込めて、眼前の清流に叩き込んだ。

 瞬間、穏やかな川面に家の一つでも投げ込んだような飛沫が迸り、普段であれば絶対に見えない川底が丸裸になった。


「こんな、壊すだけの力なんて、欲しくなかったのに!」


 歯を食いしばりながら左腕。消し飛ばした清流は二発目の爆風で垂れ込めた濃霧の向こう側まで押し出されていく。


「所詮、私なんて化け物よ……」


 両手を引き、身体を引き、倒木に座り直す。ハァと溜息をついて私はまた頭を抱えた。

 ……力を使ったことで少しだけ気は晴れた。でも問題は何も解決していない。

 ザアザアと川が荒れる音がしばらくの間耳に入ったが、それもすぐに元の静寂へと戻っていく。


「……かみさま……」


 弱り果てて、どうしようもなくなって……思わず一度は捨てた誰かの名前を呟く。

 きちんと祈りを捧げていれば、こんな時に神は私を救ってくれただろうか。

 遍くものに愛を向け、慈しみ、受け入れていれば、お認めになっただろうか。

 それともこれすらも試練だと仰り、私を突き放しただろうか。


「ああ……化け物にも神はいるのかしら……ふふ……」


 ……白状してしまうと。

 茫漠とした夢想に縋りたくなるほど……今の私は追い詰められていた。


「神が本当にいるんだったら、手が届くんだったら……一回消し炭にしてやらないと……私の人生、散々よ……」



 もう誰でもいいから、助けてほしかった。

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