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炎の魔女  作者: 御留守
第二章 ■■■■■■■■■
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第十六節「生命の火熱」

「くっ、はあっ……! このぉっ!」


 小屋に辿り着いた私はドアを蹴り開けると、背に担いだ親友をベッドへゆっくりと仰向けに降ろす。そして彼女の黒々と汚れた口元を袖で拭き、耳を澄まして呼吸の有無を確認した。


「…………っ」


 微かな、本当に微かな、息を吐く音。それが聞こえた。

 ……それだけで心の底から安堵した。まだ生きている。まだ、生きていてくれている。


「……って、安心してる場合じゃないでしょ……! このまま放っておいたら死んじゃうかもしれないんだから!」


 己を鼓舞するようにそう言い放つと、私は即座に行動を開始した。少しだけ安心したせいか、森を走っている時よりは頭の中は整理できている。

 まずは鍋に水を入れて湯を沸かし、彼女の体を清める。薪木を燃やすなんて悠長な事はせずに、鍋を両腕で抱えて力を込めた。次の瞬間には、噴水のように煮え立つ熱湯の出来上がりである。それに布切れを突っ込んでさっと水切りし、震えるロゼの服を脱がしながら拭いていく。


(こんなこと私にしかできない芸当よね……あと火傷なんて気にしなくていいのも楽でいいわ。ああでも気を付けないと。ロゼが火傷しないように……)


 汗ばみ、震えるロゼの体を拭きながら、そんな事を自嘲気味に考える。熱湯に浸した布は彼女にこびり付いたどす黒い汚れを少しずつ落としてくれている。だが、冷えた全身を温めるまでには至っていなさそうだった。折を見て触れてみてはいるが、身体は未だに強張ったままだ。


「どうしよう……血を抜く……? それともいっそのことお湯に浸けようか……? 全身は無理だとしても、足だけでも……」


 やがて隅々まで拭き終えた私は、何とか出来ないものかとベッドの上のロゼの体を当てもなくぐいぐいと動かしていく。私達の家の中には血抜きのための道具や、人一人を収められるようなものなんてなかったし、こうやって必要になる時が来るとは夢にも思わなかった。


「あー……うちってなにも無いなぁ……まぁ、困った事なんてなかったんだけど」


 当てのない希望に縋ることはやめて、私はロゼを動かすのをやめてしっかりと見据えた。蒼褪め、目を閉じたままの彼女の顔を確認し……覚悟を決める。

 私に出来る事は、実はまだある。あるのだけど……これで助かる保証は無い。というより、これを人に対して使って良いものかどうかすら危うい。これは死人相手(・・・・)にしか使ったことが無いのだから。


「…………」


 自分の手のひらをじっと見つめる。

 目に映るのはカサカサに荒れた肌と指先、所々が割れた爪。我ながら色気の欠片もありはしない。見るも無残で酷く情けなかったけど、同時にこれらは努力してきた証だ。

 この数年で培ってきた力で、彼女を救うことが出来れば……私は私が赦せるかもしれない。きちんと向き合えるかもしれない。


「ロゼ、ちょっと頑張ってみるね……」


 固めた覚悟を言葉に乗せて、私は横たわるロゼをゆっくりと抱き起こした。

 そして、己の全身に力を込め……その熱を彼女へと慎重に移していく。


「揺らめくは生命の陽炎。汝を誘う暖かな抱擁」


 彼女を消し炭にしないよう、慎重に。ゆっくりと。赤子を抱きかかえるように。

 力と共に言葉が流れ出る。

 想起するは生命を回す血潮。血は力。不浄を、病苦を祓う力強き赤。


「此れは祝福。貴女に捧ぐ福音の炎。揺籃の時は終わり、目覚めは淡い日差しの如く――」


 じわじわと熱が広がる。蒼褪めた顔に血色が戻っていく。枝のような手足の震えが収まっていく。

 その様に少しだけ安堵して……気が緩んだ。


「……!」


 じゅうと何かが焼ける音。そして異臭。何が起こったのかは確認するまでもない。

 慌てて緩んだ気持ちを引き締め、抱え直す。引いた手の中には焼け縮れた皮膚がこびり付いている。それらを努めて意識から外し、再び言葉を紡いでいく。


「……火熱は遍く場所へと巡り、廻り、心を灯す。血に活力を。魂に安らぎを」


 額から脂汗が零れ落ちる。身を切るような緊張感で腕といわず全身が震えた。

 もしここで失敗してしまったら、などと想像する余裕すらない。文字通りの全身全霊。


(どうか……上手くいって……!)


 ――そんな私の身勝手な願いが誰かに通じたのか。

 時間の感覚すら忘れた中で、その時は唐突に訪れた。


「……ッ! げほっがほっ!!」


 咳込む音と同時に真っ黒に染まる視界。顔面に異物感。そしてまた異臭。さっきとは違う、酸っぱい臭い。


「けほっ! げほっ! うぇええ……」

「…………」


 私は慎重に熱を放出した後、顔にぶちまけられた黒い何かを袖でごしごしと拭った。

 そして目の前の状況を改めて確認する。


「うぇ……ぎもぢわる……」


 目の前にはげぇげぇと口からはしたなく胃液をぶちまけ続ける人間が一名。ごろりと横向きに寝転びながら呼吸をしようと躍起になっている。口からのものをベッドの上に垂れ流してくれているものだから、後始末が大変そうだ。

 その様子に生還させた喜びよりも、呆れの方が大分上回ってしまった。取り敢えず声をかける。


「……えっと、ぐーてんもーげん? ロゼ、調子は良さそうね」

「……最悪よ。なんでこんな……って、ビーチェ? なんだか目が金色ね。変なものでも食べた?」

「それはあんたよ……はぁー……疲れた……」

「あー……その感じだと、迷惑かけちゃったみたいね」

「そんなところ。……どこから覚えてる?」

「……いつもみたいに空に手をかざして、黒い何かが降ってきたところまで」

「そう。分かった」


 二人で簡潔に状況確認。こういう非常時でも淡白な会話にしかならないのは良くも悪くも面倒が無くていい。そうしながらも、ロゼは苦い顔を張り付けたままもぞもぞと何やら動いている。


「……ねえビーチェ」

「なに?」

「迷惑かけついでで悪いんだけど……」

「歯切れが悪いわね……怒らないから、何でも言ってみなさい」

「うん、えっと……実は今気付いたんだけど……」


 バツが悪そうにそう寝転んだまま言うロゼ。その言わんとするところが分からない私に、彼女は最悪と呟きながらこう言った。


「身体が……動かせないみたい」

「…………え?」


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