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炎の魔女  作者: 御留守
第二章 ■■■■■■■■■
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第十五節「揺籃の綻び」

「おっそいなぁ……」


 出掛けたまま戻らない同居人を待ち、私は小屋の中で虚しくぼやく。

 ロゼが食料を降らせてくると言い、一人で小屋を飛び出して既に三時間。私は数多の写本と睨めっこをしながら、泥のように緩慢な時間を過ごしていた。

 手に取った本は既に読み終えたものしかなく、その内容すらそらんじられるような代物ばかりだ。何度も反復して学習するのは嫌いではないけど、流石に完璧に覚えた内容を再びなぞるのは苦痛でしかない。

 唯一の救いは、先日拾った武芸書が未だに理解すら出来ていない事だけど、あれはきっと一緒に身体を動かさないと理解出来ないだろう。そういう漠然とした予感が私にはあった。数日前の練習で掴んだ感覚が、それとなく私に訴えかけている。


「まあべつに外に出るなとは言われてないけど……ねぇ」


 言われていない。

 言われてはいないけど……気が乗らない。


 あの夜に私がうっかり口を滑らせてしまったおかげで――いや、今までもたまに言っていた事だし、今回も全然大丈夫だと思ったけど――ロゼとの雰囲気はギクシャクとしたままになっている。いつもであれば一日、長くても二日もすれば何となく仲直り出来ていたものが、今回はもう五日も続いてしまっていた。

 私自身、今回何か特別な事を言った覚えもないし、そういった意図があってあの夜話しかけた訳でもなかった。本当に、極々ちょっとした世間話として振ったはずなのに……

 気休めにうーんと頭を捻ってみるも、心当たりは皆無である。そもそも私がロゼと不仲になる理由が無い。食料のツテという打算的な理由も含まれているのは認めるけど、それを除外しても彼女と事を構える動機は微塵も存在しなかった。


「なんだって今回だけ……原因は向こうなんだろうけど……いやまあ、悩んでても仕方ないかな」


 読み飽きた写本を閉じ、私は静かに外へと出て行った。行き先はもちろん墓場。ロゼに何があって余所余所しくされているのかを問い質すためだ。


「面倒臭い事はささっと解決しておしまい! 私が悪かったら謝る、ロゼが悪かったら笑って許す! うん、それで大丈夫!」


 無理矢理に笑みを浮かべて、墓地に続く道を歩く。空を見上げ、刺すような日光に目を細める。それで気落ちしかけた気分も少しはマシになった。

 ……あまり時間もかからずに到着。目的の人物――ロゼは呆気無く見つかる。広場の中央で座り込んでいるようだ。

 それにしても……なんだろう。様子がおかしい。遠目から見ても、何だか震えているような……


「ロゼ……?」


 恐る恐る遠くから声をかける。……反応は無い。

 一歩二歩と近付いてみる。ロゼの周りには黒い何かが飛び散っていて、地面をどす黒く濡らしていた。これはいつもの雨風によるものじゃないと、私は一目で理解した。


 飛び散っている黒い何か。

 これに良く似たものも私は知っている。あまりにも知り過ぎている。

 それらを努めて見ないようにして、私はうずくまるロゼの後ろに立った。


「ロゼ……なにしてるの……?」


 ……ロゼは私に気付いていないのか、一心不乱に手を動かしながら何かを口に運んでいた。その動作は酷く緩慢ではあったけど、手に掬ったものを一つ一つ、着実に口へと運び、そして咀嚼している。


「ねえ、ロゼ?」

「んっ……うっ、ううっ……んぐっ……」


 ねちゃねちゃとした咀嚼音と共に、初めてロゼから言葉らしきものが聞こえた。しかしそれは私を安堵させるような声音とは程遠く、ただひたすらに苦悶に満ちている。

 何をしているのか問い質すのが急激に恐ろしくなるも、意を決した私はロゼの肩を掴み、強引にこちらへと振り向かせた。


「……!」


 そして、全てを目の当たりにした。


 ――穏やかな揺籃の時、その終わりの始まりを。



 ■■■■■



「あ……う、あ……」


 私は見てしまった。

 ロゼの白い肌、それが周りに飛び散った黒い何かに濡れている事を。

 手に持った黒々とした何かが、未だに瑞々しさを保っている事を。

 彼女の近くに倒れている人型が、絶望の表情を浮かべている事を。


 そして私の親愛なる友人が口いっぱいに何かを頬張り、それを懸命に飲み下そうとしている事を。


「ね、え……なに……」


 ――なにをしているの。

 そんな言葉すら出て来ないまま、私はロゼの顔を見つめた。

 赤い両目にはいつものような生気は無く、ただひたすらに濁っている。明らかに普通ではない。


「ん、ぐうぅっ……」


 振り向かされた事にも気付いていないのか、ロゼは突然口を押さえたかと思うと喉を鳴らして一息に口の中の物を飲み込もうとした。


「うぅ……!? んぐうぅああっ……」


 ……しかしその試みも空しく、彼女は飲み込もうとしていた何かを盛大に地面へとぶちまけた。ツンと鼻に付く酸っぱい臭いが辺りに立ち込める。拍子に胃に収めたものも出て来てしまったのだろうか。衝動的に私も吐き気を催すも、口をきつく結んで耐えた。


「えほっ……! げぼっ……! ああ、あああ……た、べないと……」


 激しく噎せ込みながら、それでもロゼは今しがた吐き出した吐瀉物に手を伸ばす。

 ここに来てようやく私にも正常な思考が戻ってきた。目の前の衝撃的な光景に打ちのめされつつも、友人の狂態を止めさせようとその手を掴んだ。


「やめて……! やめてロゼ! それは食べ物なんかじゃない……っ!」

「たべ、食べるの……! 降らせてもらったんだから、これは食べないといけないの!」

「言ってる意味が分からないよ! これは豚とか鶏とか、そういうものじゃないから……! 絶対に、食べちゃ駄目なんだから……!」

「うぅああ、たべ、たべるの……そうしないと、わたしは……っ!」


 半狂乱に陥った彼女の両手を押さえ、そのまま組み伏せる。狂気に染まった彼女の顔が直視できなくて、私は必死に目をつむったまま押さえ続けた。

 抵抗する力は悲しくなるほどに弱い。今まで目を背けてきた真実――衰弱した彼女の身体を全身で感じながら、ただひたすらに耐えた。


「うう、ああぁあ……! どいてよ、ビーチェ……! わたし、わたしは……ああっ……わたしじゃなくなっちゃう……」


 懇願する声は恐怖に怯えたそれ。

 何故ロゼがこれほどまでに怯え、禁忌としか言えない行為に駆り立てられているのか、見当も付かない。その地獄のような譫言を、恐慌の底にある理由を考えないように、全力で押さえ続ける。


「あぁ……ぅぁ……」


 やがてそれほどかからずに――私にとっては何よりも長い時間だったが――ロゼは暴れるのを止め、大人しくなった。恐る恐る身体を離す。


「……ロゼ?」

「…………」


 呼び掛けに返答は無い。眼を閉じたまま地面に横たわる彼女の身体は酷く青褪めていて、ともすればこのまま死んでしまうのではないかと思える程に震えていて――


「くっ……私、貴方を死なせないから……絶対に……!」


 私は一瞬で判断を下すと、ロゼの身体を担ぎ、小屋への道を全力で走り始めた。戻っても何が出来るかは分からない。けど、このまま何もしないまま、何も分からないままなのは嫌だった。だから、私は私に出来る事を精一杯するだけだ。


「身体を拭いて、お湯を沸かせて温めて、ベッドの中に突っ込んで、あとそれから何か食べ物を……それで……それで……」


 思い付く限りの事を口に出しながら、私は人ならぬ脚力を以って森を疾走する。

 ――背中に感じるか細い鼓動を、絶対に絶やすものかと誓いながら。

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