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炎の魔女  作者: 御留守
第二章 ■■■■■■■■■
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第十一節「空から降る供物」

 二人連れ立って、乱立する木々の合間を歩く。

 乱立する、といっても実際には生えている場所なんてこの数年で全て把握している。昔、あまりにも暇だった時に、住んでいる場所の詳細くらいは知っておいた方が良いと思い、歩いて大体の地形を調べておいたのだ。

 調べて全てを把握するまでに数ヶ月ほどかかったけど、その労力に見合うほどの対価は……いや、うん。やめておこう。これはそんなに良くない思い出だった。

 調べ終えた後、「暇潰し終わった? ……そう。無駄な努力ご苦労様」とか、そんな風な事をロゼに言われた気もするけど、多分記憶違いだ。あんまりにも憎らしかったから燃やしてやろうかとも思った気もするけど、絶対に記憶違いだろう。

 というか、そんな記憶なんて無い。無いったら無い。


「何してるのビーチェ? なんだか遠い目してない?」

「……なんでもない。朝ごはん美味しかったなーって、思い出してただけ」

「そう? まあなんでもいいけど……着いたよ?」


 ロゼの言葉に我に返ると、見知った場所が視界に入ってきた。

 鬱蒼とした森が避ける開けた土地。剥き出しの茶色い土。運び込まれた木材。いたる所では掘り返された穴が点在し、奥には夥しい量の墓標がこれでもかと突き立てられている。

 そう。ここは私達の慣れ親しんだ場所――二人で作り上げた墓地である。


「んじゃロゼ、後はお任せするわー」

「はいはい。吹き飛ばされないように気を付けて」

「わかってるわかってる。よゆーよゆー」

「なんかイラッとするわね……」


 ロゼは私のいい加減な返事を聞いて、疲れた風に溜息を吐いた。しかしすぐに気を取り直すと、開けた場所の真ん中に立つ。


「…………」


 被っていた緑衣を取り、長く伸びた銀髪を露わにする。

 淡い陽光を受けて輝く髪の合間から、紅い双眸を空へと向ける。

 そして、何かを射抜くように睨み続けながら――虚空へと、右手を伸ばした。


「――――来い」


 伸ばした手を握り、引き抜く。


 それだけで世界は一変した。

 まず始めに、凪いだ空気を一掃するような強風が吹き荒れ、私達の緑衣をばたばたと揺らした。

 次に黒雲が垂れ込め、穏やかな空を無残に塗り固めていく。

 雲は大雨を呼び、暴風に耐える私達をしどとに濡らした。

 ……そして最後に、ソレが飛来する。


「……! 来たよ!」


 ロゼの警告を受け、私は黒く染まった空を仰ぎ見た。

 黒雲の中から出現したソレはロゼの前方へと恐ろしい程の速度で落下し、そのまま剥き出しの地面へと叩き付けられた。グシャリとか、ボキリとか、色々混ざった音が辺りへと響く。私はその音に少しだけ身震いしたが、ロゼは何でもない事のように受け流し、雨が降りしきる中、ただじっとソレを見つめていた。

 ソレが飛来した事で、もう用は済んだのだろう。

 すぐに雨は止み、風が落ち着きを取り戻し、黒雲が退いて、穏やかな陽光が再び辺りを優しく照らす。


「…………」


 全てが一瞬で去った後、私はロゼの前に落ちてきたソレを今度ははっきりと視認する。

 飛来したソレ――丸々と太った豚は、落下した衝撃で絶命していた。


「さ、ビーチェ。解体するよ」

「うん。張り切って解体しよう!」



■■■■■



『ロゼが望むと、雨風と共に食料が降ってくる』


 このある種の異能――全世界の人々全てが羨むような能力を知ったのは、ロゼと知り合ってすぐの事だ。

 当時の私は未だにロゼの事を信頼しきれていなかったせいか、数日置きに食料を取ると行っては一人で出かけていく彼女の事を疑いの目で見ていた。

 そこである日、いつものように一人で出かけて行った彼女の後をこっそり付いて行った。

 そして、先程と同じ光景を見た。ロゼが隠したがっていたものを見てしまった。

 ……その時の感動は今尚覚えている。

 ぐしゃりと叩き付けられた肉塊。雨で滲んでいく血液。その中で立ち尽くすロゼ。

 異質としか言い表せないその景色を呆然と見ながら、私が最初に思った事。それは――


(ロゼも、私と一緒なんだ……)


 ……仲間と出会えた喜びだった。


(私以外にもこんな力を使える人がいた)


 雨に濡れた服の不快さも忘れ、私は幽鬼のように佇むロゼを凝視する。


(私とはちょっと違うけど、こんな説明のつかない力を扱える人がいた!)


 湧き上がる喜びに視界が滲む。胸が苦しくて、顔が熱い。

 私は孤独ではなかった。今まで悩みながら生きてきた事も全て無駄ではなかったのだ。


(……)


 ……しかし興奮に震えながらも、当時の私は冷静にこうも考えていた。

 ロゼが私に言えなかったという事は、やっぱり気を遣わせてしまったのだろうか、と。

 確かに、私みたいに全てをなげうって打ち明けるのはとても勇気がいると思うし、彼女はそこまで自暴自棄にもなっていないのだろう。伝えた事で現状の関係を壊す可能性だってあり得る。そう考えるとロゼが隠すのは当然な事のようにも思える。事実、私だって今まで隠して生きてきたのだから。


(……でも……)


 そう考えていたのに、一つの疑念が湧き出てきた。


(本当に、そうなのかな?)


 私はロゼに炎の事を伝えた。この十数年、周囲にひた隠しにしてきた力を、会って数日の彼女にあっけなく教えた。

 ……それなのに、向こうは未だに隠し事をしていた。


(…………)


 自分の中で急速にある種の感情が膨れ上がっていくのを感じる。

 疑い。不安。恐怖。……そして、裏切りへの怯え。


「……ロゼ!」


 芽生えかけたそれらを振り払うように、気付いたら私は彼女へと声をかけていた。


「……!? あ、ビーチェ……?」


 私の声でロゼはゆっくりと振り返ってくれた。その驚いた様子に少しだけ安堵しながら、私は彼女へと近付いていく。


「貴方ってすごい事が出来るのね……! 私とおんなじ! おんなじだよ!」

「お、おんなじ……? ちがうよ、これは」

「違わない! 一緒だよ! 私と一緒、普通の人には出来ない事が出来るっ! ふふ、あはははっ!」


 彼女の否定を切り捨てて、私はさも愉快だと言わんばかりに腹を抱え、笑った。

 ……分かっている。こんなのはただの誤魔化しに過ぎない。

 でも、心の底で疑っているのだと気付かれたくなかった。

 出会って数日の友人に嫌われたくなかった。信頼されたかった。

 だから、そんな自分は笑い飛ばすしかなかった。


「……ビーチェがそうおもうなら、それでいい。でも」

「でも? まだなにかあるの?」


 そんな私の心など気付いていないのだろう。ロゼは軽く微笑み、そして辿々しくこんな事を言ってくれたのだった。


「ぬれちゃったから、かわかす。……それと、あれをはこぶのもてつだって」



■■■■■



「後々知ったけど、あれってただ私が濡れるのを心配してただけだったのよね……」

「? なんの話?」

「昔の話。貴方、最初はその力を隠してこそこそやってたじゃない。だからちょっとだけ疑ってたっていう」

「ああ、そのことね。あの時はびっくりしたわ……疲れてる時に急に大声で呼ばれたんだもの」

「はいはい、ごめんなさいね。今となっては貴方みたいなお人好しがそんな人間だなんてこれっぽっちも思ってないから安心して。……っと、これでっと」


 血に塗れたナイフを燃やして乾かし、私は切り分けた肉塊を見て満足した。今回の豚はとても良く肥えていたから、これだけで一週間以上はもちそうだ。

 あらかじめ掘っておいた墓穴に豚の皮や内臓、切り飛ばした食べられない部位を放り込んでいく。辺りはむせ返るような血の臭いが充満していたけど、そんなのはこの数年でもう慣れた。淡々と全てを入れ終え、最後に火を放つ。全てが燃え尽きるのにそう時間はかからなかった。


「はい。おしまい」


 そして最後に、残された灰の跡に形式ばかりの祈りを捧げる。

 殺してしまってごめんなさい。貴方達のおかげで今日も生きられます。どうか安らかに。

 思い付くままに懺悔の言葉を思い浮かべながら、私はぼんやりと墓地を眺めた。


(こうして解体をするのも、もう何度目だろう)


 解体という重労働を終えると、いつもそう思う。何回目からだったかはもう覚えていない。けど、気が付いたらそう思うようになっていた。

 生き延びられる安心感とか、仕事を終えた達成感なんてものは無い。

 ただ必要だから、そうしないと生きられないから作業しているに過ぎない。ロゼに任せっきりにするのは流石に罪悪感があるから出来ないけど、それでも楽しいとか嬉しいとか、そういう気持ちには一切なれない。これが美味しい料理の材料になるのだとしても、現時点では屠殺した事実の方が心に重くのしかかっているのだから。


(他の命を殺して、生きて、生きて生きて、生き延びて。……ただ生きるだけのこんな人生に、何の意味があるんだろう)


 切り分けた一口大の肉片にナイフを突き刺し、力を込めて焼き上げる。途端に血生臭い空気に代わって、美味しそうな肉の匂いがしてきた。そのまま空しさを紛らわせるように、それを一息で口に押し込んだ。

 ……味なんてしない。なにも味付けをしていないのだから当然だ。でも、見せつけるように、さも美味しいと言わんばかりに噛み締めていく。


「あ! あああ! ビーチェ、何つまみ食いしてるのさ!?」

「ん? あー、ごめんごめん。ちょっと気付いたら食べてた」

「もう! そういう事はしないって、こないだも言ったでしょ!? ちゃんと覚えてよ!」

「美味しそうな豚さんだったので、つい魔が差しちゃった……ごめんね」


 プンスカと怒るロゼを宥めながら、私は……こうして空しさを埋める。

 我ながら馬鹿みたいだと思う。酷い事をしていると思う。

 でも、こうでもしないと空しさに押し潰されそうになる。心が重く、潰されそうになる。人恋しさで狂いそうになる。

 だから、ロゼがいて本当に良かったと心の底からそう思う。


 ……そうだ。私はロゼに、此処での唯一の他人に依存している。

 ロゼが私をどう思っているのかは知らない。だけど、こうして数年も一緒なのだから悪くは思っていないはず。だから、それに甘え続けてきた。精一杯におちゃらけて、此処がさも楽園であると言わんばかりに振る舞ってきた。

 そうやって彼女を、そして自分も欺き続けて……今も何とか生きている。


「さあ、ロゼ。仕事も終わったし帰りましょう」


 ――出来るなら、外の世界に。


 心の奥底でそう付け足しながら、私は小屋へ続く道へと足を踏み出した。


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