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炎の魔女  作者: 御留守
第二章 ■■■■■■■■■
47/54

第十節「長い時を経て」

 ……斯くして。

 数多の人々は巡り、否応にも時代は動く。

 それらはどれ程に小さくとも、後の世に歴史として語られていくだろう。

 ある者は叙事詩の如く。さながら英雄のように。

 ある者は旅歌の中で。愛される物語の隣人として。

 ある者は密やかに。実在不在も不明な無辜の怪物として。


 そして、ある者は――



■■■■■



 朝起きて、伸びを一つ。特段疲れてもいない身体をほぐし、澄み切った空気をいっぱいに吸って、そして吐く。

 一連の動きで眠気を追い払い、部屋を見る。

 木組みの棚。本。食べ物の入った瓶。生け花。テーブル。抜き身のまま置かれたナイフ。

 そして白い同居人が既に起きている事を確認し、私は開口一番に言い放つ。


「それで、今日は何をすればいいの?」


 この一連の流れが、長い事住み着いたこの場所――揺籃の森での私の日課となっていた。



■■■■■



「ビーチェ、毎朝そう言うけど、そんなに毎日仕事があるものでもないよ」


 私の朝のお決まりの挨拶に、ロゼはいつものように苦笑しながら、いつもの返事を返してくれた。いつものように編み物をしながら、いつものようにのんびりと朝の時間を過ごしている。


「その様子じゃ、朝ごはんももう出来上がっていて、私が起きるのを待っていた、ってとこね……起こしてくれてもいいのに」

「別に、起こす理由も無いから。私は待つのは得意だからね」

「はいはい。待たせてごめんなさいねー。さっさとご飯にしましょ」


 皮肉気に返された一言を華麗に受け流しながら、藁敷きの寝床を抜け出して小屋の扉を開け放つ。すると途端に美味しそうな香りが入り込んで来る。この匂いは……鶏肉、かな?

 ……鍋の中を誘われるままに見てみれば、大きな肉塊がプカプカと浮かんでいた。


「……鍋にまるごと一羽入れるのは、豪勢なんだか手抜きなんだか……」

「ごちゃごちゃうるさい。血抜きはしたし、香草だってたくさん入ってる。だから美味しい……はず」

「歯切れが悪いわね……まあいつも通りなら食べられない事は無いでしょう。うん」

「私が食べられないものなんか作る訳無いでしょ」

「何言ってるんだか。最初は血抜きの仕方も知らなかったくせに」

「う、うるさいな! 本に載ってなかっただけだし! 今ではちゃんと出来てるし!」

「はいはーい。いいからさっさと食べましょ。折角作った貴方の御馳走が冷めちゃうわよ?」

「ぐ、ぐうぅ……」


 焚火で煮込まれた鶏のスープを前に、またしても私達は軽口を叩き合う。

 これもまたいつもの光景。いつもの楽しみ。いつもの、恒例行事だ。

 不意に初めて出会った時の辿々しい会話を思い出し、思わず苦笑が零れる。


「どうかしたの?」

「いいえ。ただ、最初に貴方と話した時は、こんなに話せるようになるなんて夢にも思わなかったなって」

「……まあ、努力したからね。二人とも文字の読み書きが出来て良かったと思う」

「ええ、そうね。文字を書いて言葉にして、違いを埋めて……大分時間はかかっちゃったけど、こうして話せるようになった」


 ロゼの言葉で出会った当初の、あの苦労しっ放しだった日々を思い出す。

 流れ着いたラテン語の写本と睨めっこをして、ああでもないこうでもないと、互いに言葉を教え合う日々。

 とても大変だったし、時間もものすごくかかった。でも、結果として彼女とは普通に会話を楽しむ事が出来るようになった。

 ……二人してなんでもない事のように話すけど、これは多分すごい事だと思う。少なくとも私はそう思っている。


「ふふっ。他にする事も無かったからね。今じゃ逆にやる事が少なくて困っちゃうくらい」

「やる事なんて腐るほどあるでしょ? 見回りに、掃除に、お墓の手入れに……時間があったら本も読んでおきたいわ。それに――」

「はいはい。勤勉なベアトリーチェ様とは違って、私は怠け者だからね。お墓の手入れはするけど、他は貴方に任せる。いわゆる、役割分担って奴だね。……っとと、はいこれ。半分こ」

「本を読むのに役割分担もクソも無いでしょうに……っていうか、これ、本当に真っ二つにしただけじゃない。雑にも程があるでしょ……」


 大雑把すぎるロゼに悪態を吐きながらも、器に盛られた朝食を受け取る。大雑把な彼女が作った雑な料理は、その繊細さの欠片も無い見た目に反して、とても美味しそうだ。ホカホカと絶え間なく立ち上る湯気が、鶏肉の得も言われぬ味わいを顔面にこれでもかとぶつけてくる。

 起き抜けでまだ何も口にしていない私には、その誘惑になど抗えるはずも無く――


「……もがっ」

「あ、こらビーチェ! いただきますは!?」

「んん、んむっ……知らないわよ。私を誘惑してきたこの鶏肉が悪い」

「またそんな――」

「あとこんな美味しそうに差し出してきたロゼもついでに悪い」

「私も!? 私は何もしてないでしょ!?」

「んぐっ……むぐ……」


 ロゼの抗議を無視して私は黙々と食事を進める。ただ真っ二つにしただけだから小骨が多い。でも胸の部分に付いたお肉は他と比べて美味しい……気がする。

 埒が明かないので、鳥の足だった部分を掴んで豪快に食い千切る。うん。こうして食べた方が楽だし、面倒も無い。


「ねえ、ちょっと、ビーチェ……美味しそうに食べてくれるのは嬉しいけど、無視されるとつらいんだけど……」

「……あのね、ロゼ」

「え、うん。なに?」

「早く食べないと、冷めるよ?」

「……うるさいよっ!!」



■■■■■



「……ふぅ。ごちそうさま」

「ごちそうさま。……食べた後はちゃんとするのね」

「ええ。ちゃんとしないと鶏に悪いじゃない」

「……言いたい事はたくさんあるけど……まあいいわ。それよりも」


 食べ終えた食器を水桶に突っ込む私に、ロゼは話を切り出した。その顔は少しだけ真剣そうである。


「さっき食べたのでお肉が尽きたわ」

「ふーん……って、ほんと?」

「ええ、ほんともほんと。貴方が毎日バクバクと無駄に食べるもんだから、すぐ無くなっちゃうのよ? 少しは遠慮して欲しいんだけど?」

「だ、だって、ご飯美味しいから……」

「まあ、私がちょっと頑張ればお肉食べ放題だし? 貴方はボーっと見てればいいだけだし?」

「わ、私だって迷い込んできた兎とか、鹿とかは仕留めてるじゃない」

「はいはい。ごく稀に、運が良い時にね。でも、私と違って確実じゃないし?」

「ううううっ」


 食事前の意趣返しと言わんばかりに、ロゼは私を容赦無く詰ってきた。この件ではまともに反論出来ない事なんて、この数年で嫌という程思い知らされている。口を尖らせて不機嫌そうな彼女を上目遣いに見ながら、私は嵐が通り過ぎるのをじっと待った。


「…………」

「…………」


 その間、三十秒か、一分か。時計が無いから正確な時間は分からないけど、大体それ位が過ぎた頃。


「……まあいいや。何にもないのも嫌だし、さっさと落として(・・・・)もらいましょ」

「わ、わーい。ロゼやさしー」

「はいそこ。棒読みなのバレバレだから。……はぁ、貴方に怒るのって本当に時間の無駄って感じ……」

「でも許してくれるのね」

「……うるさいよ。さっさと行くよ」

「ああっ、ちょっと待ってよ!」


 食事の片付けもそこそこに、さっさと歩き出したロゼを私も追いかけていく。

 私達は新たなるお肉――もとい食料を得る為に、ある場所へと歩き出したのであった。


「それにしても貴方って、大分成長したわよね……やっぱりよく食べるからかしら……」

「……? 何が? どこが?」

「……身長、とか……あ、あと、Brust……」

「……ぶ?」

「な、何でもない! ほら! 急ぐよ!」

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