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炎の魔女  作者: 御留守
第二章 ■■■■■■■■■
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断章「悩み、それでも進む」

 十数日後。ジェノヴァ共和国にて。


「おう、にーちゃん奴隷探してんのか? ……ああ? 金髪の女の子だぁ? いねぇよ」


 一件目。

 酒場で手に入れた情報はハズレ。後ろ手に手を振りながら早々に奴隷商の下を立ち去る。


「……人探しか。うちは黒いのとか黄色いのの専門なんでな。他所を当たってくれや」


 二件目もまたハズレ。糸目の人の良さそうな老人は、しかしこちらの込み入った事情を察したのか、頭を振り交渉を拒絶した。


「余所者に売るもんなんかねーよ。香辛料の一つでも持ってたら話は別だがな。ははっ!」


 ……三件目。こいつはこちらが余所者だと最初から気付いていたのだろう。ひとしきり笑うとシッシッと手を振ってこちらを追い払ってきた。……香辛料など持っている訳が無い。まあ足元を見て無理難題を吹っかけて来ているだけだろう。

 少しだけささくれた心を引き摺って次へと急ぐ。


「その娘ってのはカトリックなのだろう? なら、うちらは管轄外だな。同胞を売り払う事なんざ、神に誓って出来やしないからな」


 四件目。

 神に誓って人を売り払うのか。素晴らしい信仰心だ。全く以って吐き気がする。

 ……だがそう思う俺の方がここでは異端なのだろう。

 こと奴隷商にとっては、慈愛の心など商売をする上での足枷にしかならないのだから。


「……そんな目で見るなよ。俺は人探しをしてるだけなんだ」


 物欲しげに檻の向こうから見る子供に弁解しながら、逃げるようにその場から立ち去った。


 ……

 …………

 ………………


「……まあ分かっちゃいたんだがよ。こうも無駄骨だと大分クるものがあるな……」


 心地良い潮風の薫るジェノヴァの街並み。

 その裏路地の段差に腰掛けながら、レオンはがっくりと肩を落とし……この上ない落胆をありありと浮かべ、呻いていた。

 隣には少し距離を置いて件の処刑人――グスタフがこれまた同様に腰掛けている。レオンの方を向かずに微動だにしないまま硬直しているが、これは彼なりの気遣いであった。万が一彼の素性がばれた場合、話していたという事実があると少々厄介なのだ。


「わざわざジェノヴァに来てオケラ自慢をするってのも……我ながら道化の極みだな……」


 裏路地に面した目抜き通りを眺めながら、レオンはぼんやりと独り言ちた。眺める先には忙しなく行き交う人々。声を張り上げ宣伝している露天商。人混みを縫うように歩いていく野良犬。そしてそれを笑いながら追いかけていく子供達。


「あー……あいつらどうしてるかね……全部ほっぽり出してきたけど、あの後授業とかどうなったんだか……」


 子供を見た彼は、ヴェネツィアに残してきた教え子達の事を思い出し……また後悔に耽るのだった。


「フローラのおばはんが何とかしてるとは思うが……しかし全部中途半端に終わったなぁ。まだアロルドはラテン語だってちゃんと書けてないだろうし、他の奴らも計算が怪しい奴がちらほらいたし……」


 この時既にフローラは教会から出奔し、世界を己の欲望のままに行脚していたのだが、彼にそんな事は知る由も無い。恩人にまた要らぬ気苦労をさせてしまったと、無意味な苦悩に身を浸すのみだ。


「お前も笑ってくれてもいいんだぜ、グスタフ。ガキ一人探せねえ無能なオッサンだってな……」


 力無くそう自嘲しながら、レオンは隣に座るグスタフの方を仰ぎ見た。当然彼に変化などある訳も無く、微動だにせず鎮座しているかと思われたが……


「……?」


 意外な事に、人形のように固まっていたグスタフはレオンの方へと手を伸ばし、何かを差し出していた。レオンは促されるままにそれを受け取り、まじまじと見つめる。

 ……それは今しがた切られたばかりと思しき、瑞々しいレモンだった。


「お前いつの間に……ってか、くれるのか?」


 彼の問いにグスタフは微かに頷く。それを見たレオンは、何かを振り切るように勢いよくレモンへと噛り付いた。


「うぅぅ……すっぺぇ……」


 途端に口中へと広がった酸味に、レオンは情けなく呻いた。だがそれにめげる事も無く、続けて二口、三口と食べていき……一瞬でレモンは彼の胃袋の中へと収まっていった。

 ごしごしと袖で口を拭いながら、レオンは隣に座るグスタフへと顔を向ける。

 何処でどうやって手に入れたのかは不明だが、物をくれた礼だけはしておかなければならない――


 だが再び隣を見たレオンを待ち受けていたのは、またしても意外な光景だった。


 件の処刑人が木の棒で地面を執拗に引っ掻いている……


「…………」


 そしてすぐに止まった。地面を見てみると、なにやら書き殴っていたようだ。

 意外にも几帳面なその文字列には、こんな内容が記されてあった。


 “Curae(軽い) leves(不安は) loquuntur,(饒舌に語り、) ingentes(大きな不安は) stupent.(沈黙する)


「……お前。もしかしなくても、慰めてくれてるのか……?」


 恐らくこの男はこう言いたいのだろう。

 そうやって嘆いたり喚いたりしている内はまだ大丈夫だ。

 だが、沈痛な面持ちで押し黙るようになったら終わりだ――と。


 わざわざ格言を引っ張って来るのが随分とこいつらしい。というか、この男は何故無駄に学があるのだろうか。野盗の群れを軽々と蹴散らしもするし、自分の知る処刑人とは天と地ほども実力の差がある。生半な修羅場を潜って来てはいないのだろうが、如何せん謎が多過ぎる……

 しかし、この男とも一緒に旅をして既に数ヶ月。グスタフを構成しているものが何なのか、そして何を考えるような相手なのかは、レオンはおおよそ理解しているつもりだ。


「言ってくれるのは有難いんだが、もうちょっと素直な言葉でもいいんじゃないかね」


 口の端を釣り上げながら皮肉気に返すと、グスタフは知らないとばかりに肩を竦め、丹念に書き綴った文字を躊躇無く足蹴にして消し、そっぽを向いてしまった。

 全身を鎧で覆い隠し、たまに投げてくる言葉も何やら気取った格言ばかりでいまいち正体不明な人間だが、根本的な所は優しいのだ。こうして皮肉を返したのも、自分はまだ大丈夫という事を示したかったが為。こうして心配をかけまいとする程度には、この男の事は信用している。

 ……勝手な想像だが、あの兜の裏では笑われていたりするのかもしれない。オッサンの強がりなんぞで笑ってくれているのであればまあ、心配されるよりかははるかにマシではあるか。


「……さてと、にしてもこれからどうするかねぇ……」


 半島を行脚しての行方探しは全て無駄足に終わった。手掛かりの手の字も無い。

 路銀は幸いにして未だ底を突いてはいない。旅を続けようと思えば、まだ続けられる。

 探す気力も何とか保っている。残してきたガキ達の事は気にはなるが……まあ俺がいなくても何とかなるだろう。元々が裕福な家庭の子供ばかりだ。その気になれば家で誰かを雇うかもしれないが、自分が戻れば少しは歓迎されるかもしれない。

 安寧の日々に戻ろうと思えば、今なら戻れる。


「行くも自由、戻るも自由か……」


 旅人帽の下からぼんやりと通りを見ながら、レオンはしばしの間考え込んだ。

 がやがやと目抜き通りからは相変わらずくぐもった喧騒が届いてくる。貿易立国のジェノヴァ共和国は基本的に人の通りが激しい。近頃はあまり景気の良い話こそ入って来ないが、それは否応にも以前身を寄せていたヴェネツィアの街並みを髣髴とさせ、レオンは軽く郷愁の念を覚えた。


「自分の故郷なんざ、とうの昔に忘れちまったが……あの町は確かに住み易かったな」


 過去の些末な思い出を脳裏に浮かべ……そしてようやく覚悟を決める。


「ベアトリーチェも、もうちょっと羽根を伸ばして生きてくれてても良かったんだがな……まあ、知った後、終わった後だからこんな事が言えるのか」


 誰にともなく独り言ちながら、レオンは決心したように腰を上げた。

 ……この決断は義務感か。それとも贖罪の念だろうか。


「全く、どこまでも……どこまでいっても、気付いたら全部台無しになってやがるんだ……」


 所詮は多少教えていた程度の関わり。親の顔も見た事すら無い、言ってしまえば赤の他人だ。

 しかし、結局、つまるところは……寝覚めが悪いのだ。


 別れの際まで彼女は自分を頼ってくれた。その信頼を裏切れる訳がない。

 探した果てに最悪の結末が待っていようと、見届けるまで足を止める訳にはいかない。

 憐れな少女として野垂れ死んでいるのか。忌むべき魔女として処刑されているのか。

 ……それとも、全てを乗り越えて逞しく生き延びているのだろうか。


「……北だ。北に行くぞ、グスタフ。当てなんざ正直これっぽっちも無いが、西や東に行くよりもまだ可能性はあるだろう」


 その呼びかけに応じたのだろう。グスタフもまた即座に荷物を纏めると、その重い身体を持ち上げた。そして兜の奥の目で静かにレオンを見据えてくる。


「正直、何でお前が付いて来るのかがイマイチ理解出来てはいないんだが……これからもよろしく頼むぜ。あー、まあ、いつ終わるかとかはこれっぽっちも分からないんだがな……」


 そんな歯切れの悪いレオンの言葉もグスタフは特に気にならないようだ。レオンの顔の前で鈍色の掌をひらひらと振りながら、まるで着いて来いと言わんばかりに歩き始めた。ガシャリガシャリと足音を石畳に刻み、目抜き通りへと歩き去っていく。


「……んー、本当によく分からん奴だよな……」


 レオンもまたそんな彼に苦笑を浮かべながら、追いかけるように腰を浮かせた。

 自分一人で思い悩む時があろうとも、あのマイペースな処刑人がいればきっと大丈夫だ――

 そんな事を漠然と思いながら。


「って、おい? どうした――」


 しかし次の瞬間には、そんな悩みもまた霧散する事になってしまった。


 目の前にはガシャガシャと何やら慌てた風に音を立てるグスタフ。

 そしてその足元に群がっているのは――


「わあぁ! きしさまだー!」

「きしさまだー!」

「ものかってー!」

「おじひをー!」

「きしさまー! かっけー!」


 黒山の人だかりとはこういう事を言うのだろう。

 物乞いやら小間使いやら、果てはその辺で遊んでいた子供達相手に件の処刑人は翻弄されていた。子供の扱いには慣れていないのか、無言のまま狼狽えるばかりで、しかし誓約の為に自分から相手に触ってどかす訳にもいかず――ただひたすらに戸惑っていた。


「あー、全く……そういうのは教わって来なかったのか……しょうがねえ奴だ……」


 その様子に我知らず頬を緩めながらも、レオンは助け舟を出してやる事にしたのだった。

【ジェノヴァ共和国】

・イタリア半島北西部に位置した貿易立国。同じ貿易立国であったヴェネツィアとは長く何度も争う関係にあった。

・この時期のジェノヴァは内政の混乱が続く衰退期にあった。平民と貴族、もしくは貴族同士での政治の主導権を巡る争いは十五世紀の終わっても尚続く事になった。その隙に付け込んだ外国からの介入も多々あったようだ。

・ジェノヴァを含め、イタリアの海洋共和国はこぞって黒海へと進出し、奴隷貿易によって財を成した。奴隷を集め、イスラム諸国で売りさばき、その売り上げで香辛料などの贅沢品を買い付けたのだ。キリスト教徒は同じキリスト教徒を奴隷にする事を禁じられていたが、宗派の異なる正教会の信徒はその対象外であった。

・同時代、かの有名なクリストファー・コロンブスがこの地で生まれたと言われているが、裏付けとなる資料は無い。また異説も多い為、真偽の程は定かではない。しかし、若い頃から海の仕事に従事していた事は確かなようだ。

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