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炎の魔女  作者: 御留守
第二章 ■■■■■■■■■
43/54

断章「生きる価値」

「手合わせ、だと……?」

「ええ、手合わせです」

「……気でも違えたか」

「そんな事はありません。私は大真面目ですよ」

「…………」


 拳を構えたままフフンと笑うフローラを見て、ダンテはしばしの間沈思黙考に耽った。

 そして一つ重々しく頷くと、腰に帯びた直剣を勢いよく抜刀。振り払いつつ横に構え、迎撃の構えを取った。

 彼の乗ってきた軍馬は、先の襲撃に驚いたのだろう、主が不在のまま既に街道の遥か彼方まで走り去ってしまっている。……あれに追い付くのは骨が折れるなと、ダンテは仮面の奥で毒づいた。何処か適当な所で止まってくれると良いのだが、あまり楽観出来ない状況である事だけは確かだ。

 加えて目の前の気狂い――もといフローラがおめおめと自分を逃がす訳も無い。背を向けた途端、嬉々として襲いかかって来るのは火を見るよりも明らかだ。

 ……で、あるならば。


「降りかかる火の粉は、払わねばなるまい」

「そうです、それでこそですよ……!」

「私を挑発した報い、存分に味わう事だ……」


 宣告と共にダンテは滑るように街道を疾駆。怒涛の勢いを以て、彼我の距離を詰めようと試みる。この無為にも程がある愚行に片を付け、さっさと馬を探しに行かなければならない――彼はただそれのみを思考し、実際に行動に起こしたのだった。

 対するフローラは、猛然と突っ込んでくる死神を一瞥しながらも、腰に下げた二つの鉄塊へと手を伸ばす。次にひどく慣れた手付きで丸まったそれらを広げると、すっぽりと両の手へと装着していった。武骨な鉄塊の感触を確かめるように掌を握り、そして開く。

 全てが十全に機能する事に満足そうに微笑むと、彼女は目前まで迫った剣先を見据え、手の甲で払った。

 甲高い金属音が聞く者無き街道に響き、鮮烈な火花が須臾(しゅゆ)の間、辺りを照らした。


「……!」


 弾かれた直剣と共に、その振るい手もまた距離を取る。そして見定めるように、相手の振るった銀色に光る――しかし所々が赤黒く錆びた籠手を見つめた。


「ガントレット……槍はどうした?」

「生憎とあの日に使い潰してしまったもので。それに、実を言うと私はこっちの方が得意なんですよ。……私がどう呼ばれていたか、貴方は御存知無いでしょう?」

「……」

「まあ、そんな事はどうでも良いですね。もう全ては過ぎ去った事なのですから……」


 フローラは呑気そうに語りながら、しかしそのぎらつく眼光はこれから死合う喜びに満ちている。何がそこまで彼女を駆り立てるのか、ダンテには何一つ理解出来なかったが……だが一つだけ、予想出来る事はあった。

 今の一手、その一挙手一投足。無駄の無い洗練された動き。そして異様なまでの殺気。

 ダンテは己の憶測が外れて欲しいと願いながら、剣を握る手に力を込める。


 それは、これから予想以上に骨が折れる事態になりそうだ、という事だった……



■■■■■



 振るわれる数多の斬撃。時折混ざる拳撃、蹴撃。その他諸々の何か。

 街道の石畳に余波を刻みながら襲い来るそれらを、躱し、往なし、殴り付け、全て捌き抜く。

 どれか一つでも直撃すれば、それだけで即、戦闘不能に陥るだろう。それ程の死線が豪雨の如くに襲いかかって来る。


「ふっ……ふふっ」


 ……しかしそれらは、彼女にとっては恵みの雨、慈雨に他ならない。

 顔面に喜色を湛えながら、フローラは銀の籠手を振るい続ける。


「……おかしな女だ」


 一際高く振り上げた直剣を叩き付け、ダンテは忌々しげに吐き捨てる。しかしその斬撃もまた交差させた手の甲で掴み取られ、受け止められてしまった。ぎりぎりと金属の擦れる音と共に、この場に一瞬の停滞がもたらされる。


「何がそんなに面白いのだ? 私と死合う事に価値など無かろうに」

「いいえ、それは違いますよダンテ殿。ふはっ、はははっ!」


 充血した目で猛禽の仮面を見据えながら、フローラは心底愉快だと言わんばかりに哄笑する。


「人生に価値などありません……しかし、この瞬間、この一瞬! 死合う時だけはっ! 私は全てを忘れ、喜悦に身を浸す事が出来るのですから――ッ!」

「……!」


 言葉と共にフローラは両の腕に力を込め――全力を以て、止めていた直剣を弾き飛ばした。

 その衝撃にたたらを踏んだダンテだったが、間髪入れずに飛んで来た飛び回し蹴りを寸での所で回避。更に飛んで来る裏拳を左腕で何とか押し留めた。ぐしゃりと手の甲が砕ける音がしたが、ダンテは何の痛痒も滲ませぬまま後ろへ大きく飛び退くと、フローラへと問いかけた。


「人生に価値など無い……貴公はそう思うのか?」

「ええ、ええ、当たり前じゃないですか。私は色んな人間を、本当に色んな人間を見てきました。寄付で生き長らえる浮浪者の老人。定職も無く、ふらふらと町を彷徨う若者。その身を売り、若い体を質に身銭を稼ぐ娼婦……上を見ればキリがありませんが、下もまた然り。この世には地獄がそこかしこに溢れています」

「…………」

「私は長年教会に仕えてきましたが、だからこそ、こう思わざるを得ないのです。……本当に救いなどあるのか? 必死に祈りを捧げるだけで、本当に赦されるのか? 遍く人々を、救う事など出来るのか、と」

「救いを、求めているのか」

「ええ、誰だってそう思っているはずです。救いを、幸福を願わない人間などいません」

「……そうだな」


 曖昧に頷きながら、ダンテは己の前で唸る狂犬を見やった。

 死合いに己が生の価値を見出す事、それが彼には理解出来なかったが、それもまた人の求める幸せの形というものなのだろう。パンやワインを求めるのと同様に、この女は闘争を渇望する。その渇きに気付いてしまったが為に、この女は死に果てる時まで戦い続けるのだろう。……憐れな事だ。


「……お前の人生には確かに、価値など無いのかもしれぬ」

「ええ、ありません」

「なればこそ、私が引導を渡してくれよう。死に狂う幸福を噛み締めながら逝くがいい」


 手短に死の宣告を叩き付けると、ダンテは砕けた己の左手を掲げ、力を込める。途端にメキメキと異音が響いたかと思うと、無残に砕けた左手がまるで意志を持ったかのように蠢き出し、数秒後には元通りの人型へと修復されていった。そして右手にぶら下げた直剣を両の手でしっかりと握り、再びフローラへと肉薄していく。


「再生者……! 噂には聞いていましたが、こうして間近で見ると人間とは思えませんね……!」

「喜べ。無限に戦えるぞ」

「ハッ! 直るのであれば、壊し続ければ良いだけの事……ッ!」


 縦横に襲い来る斬撃を捌きながら、それでも尚フローラは不敵な笑みを崩さない。傍から見れば狂人そのものであるが、彼女の心に狂気は一欠片も無い。殺し、殺される悦びだけが彼女を闘争へと突き動かす。

 周囲の空気が泥のように濁り、視界に収まる全てが緩慢な動きへと変貌していく中、彼女は鋭敏さの極みにあるその感覚で眼前の死神の動きを怜悧に眺め続ける。そうしてただひたすらに耐え続けながら、一撃必倒の機会を窺う。


(………!)


 ……そしてその冷静な分析が、絶好の機会を捉えた。

 連撃の合間に来た鋭い横薙ぎ。しかし常より甘いその斬撃を身を低く屈めて躱し、そのがら空きになった横っ腹へ渾身の正拳突きを叩き込む……!


「はあッ!」

「ぐっ……!?」


 風穴が開かんばかりのその一撃は、しかしダンテを吹き飛ばしただけに終わった。体勢を崩しながらもやはり距離を取って身体の修復を行おうとする彼に対し、フローラは――


「逃がしは、しませんよ……ッ!」


 石畳を砕く勢いで地面を蹴り、吹き飛んだ相手を凌駕する速度で接近。そして前のめりのまま飛んだかと思うと、そのまま一回転しながら強烈な踵落としを顔面目がけ解き放った……!


「――――!」


 その強烈且つ予想外な攻撃手段に、ダンテの思考は一瞬だけ停止し……そしてその鉄靴を仮面で以って受け止める事になった。


「はっ、ははっ! ざまあないですね! 異端審問官様……!」


 メキメキと猛禽の仮面が砕けていく中、フローラは突き立った踵を支点にしながら、その顔面をもう片足で踏み躙っていった。顔面の上で器用に重心を取りながら、何度も何度も。その感触を確かめるように蹴り抜いていく。

 その衝撃をまともに受けたダンテは最早立っている事も出来ず、為されるがままに街道の上へと仰向けに倒れ伏した。


「ああっ……人を踏み躙るのって、こんなに愉しいのですね……? 生まれてこの方、こんな愉しい事を教えられてこなかったなんて……! なんて、なんて勿体無い……!」


 乱雑に切り裂かれたスカートから鈍色の脛当てを覗かせながら、彼女は暴力を振るい、己の人生を嘆いた。

 そのやり場の無い憤りを発散させるように。

 これからの人生への覚悟を示すように。

 己と同じであった神の従僕相手へと涜神の限りを尽くす。

 ……それが、彼女が定めた生きる道なのだから。

【再生者】

・カトリック成立期より異教徒に対抗するために連綿と紡がれてきた退魔の知識。超常的な力を発現する神の祝福。厳重に秘匿された教会の叡智。

・聖人の遺骸は朽ちず、腐らず、それ故に強い崇敬の対象となった。こうした崇敬は時に行き過ぎたものとなり、高額での取引の対象となったり、あるいは狂信の果てに食される事さえあった。

・教会の内情を知るフローラは、まことしやかに囁かれていた噂話により、忌まわしき秘儀を知るに至っていた。

・それは聖遺物の同化――つまりは食人による聖性の取得、神の奇跡の一旦をその身に宿す業である。

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