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炎の魔女  作者: 御留守
第二章 ■■■■■■■■■
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断章「交わる旅路」

「最後に仕事をする相手が、まさかお前になるとはな……」


 揺らめく意識の中で、声が響く。


「星詠み。星占いって奴だ。これから起きる事、吉兆凶兆を星の位置から読み解く業さ」


 ……ああ、またか。

 これは幾度となく繰り返した、あの日の光景。何度見ても飽きぬ優しい思い出の終幕。

 私は最早感慨を抱く事も無く、目の前で起きる事を手繰る。


「俺の詠みは特別なのさ。百発百中、覚えてからは外した事なんざ一回も無い」


 私の友人、それも唯一と言って良いだろう。

 彼の、今際の言葉。


「だがよ。当て過ぎるってのも良くないもんなのさ……おかげでこんな所に閉じ込められてるしな。はっ、はははは。人生上手くいかんもんだよ……げほ、ごぼっ……」


 咳き込む彼に手を伸ばそうとしたが、あの時の“私達”にはそんな器用なものなど無かった。

 ただただ困惑し、狼狽えるだけだった。行き場の無い身体をどうしたものかと、まごつくばかりだった。


「大丈夫だ、って言いたいところだが、駄目だな、こりゃ。もう前も見えん」


 “私達”は人を救う事が出来なかった。

 “私達”にとって、人を殺す事はとても簡単だったというのに。


「最後に、そうだな……お前、名前は何ていうんだ?」


 そんなこちらの様子も、もう見えなかったのだろう。

 彼は振り絞るように声を張り上げると、私達に名前を問うてきた。


 ……そんなもの、ある訳が無いというのに。


「なんだよ。ねえのかよ。……仕方ねえな。最後の仕事二つ目だ」


 返答に迷い沈黙したこちらに呆れたのか、彼は仕事だと嘯きながらも私達へと二つ目の贈り物をしてくれた。

 ……とても、とても大切な贈り物を。


「……お前の名前は、“ダンテ”だ」

「だ、んて」


 辿々しく復唱する私達に微笑みかけながら、彼はどこか吹っ切れたように言葉を紡ぎ続ける。


「そうだ。俺の名前が、そうなんだ……特別にお前にくれてやる」

「だんて。ダんて。ダンテ……」

「そうだ。お前はダンテだ。……欲しいのなら名前だけでなく、俺の肉も骨も、魂までも、全てくれてやる。だから――」

「私はダンテ……」


 壊れた人形のように繰り返す“私”に微笑み続け、ダンテだった誰かは最後にこう言い残した。

 ……その身を黒き病に溶かしながら。


「だから、俺の遺志を継いでくれ……押しつけはするが、忘れてくれてもいい。途中で諦めてもいい。そんな事は無理なのだと、この場で撥ねつけてくれてもいい」

「……」


 びちゃびちゃと口から止め処無く命を漏らしつつも、彼は言葉を紡ぎ続ける。


「お前の力で、傲慢な人間共に呪いを。美しい世界に祝福を」


 四肢が溶け落ち、骨が剥き出しになった。眼窩が抉れ、石床に腐った眼球が落ちていく。

 それでも彼は、死に抗うように唇を動かし続ける。


「この醜く穢れ、荒廃した世を死の安らぎで満たしてくれ……」


 怨嗟と絶望に満ちた優しい笑みを、私は幼稚で未だ穢れの無い魂へと刻み付けた。

 ……この時言っていた事を、今の私は痛ましい程の体験を以て痛感している。


「お前なら、お前達なら出来るはずだ――」



■■■■■



 淡い微睡から目覚め、一時の休息が終わる。


「…………」


 ダンテは木に寄りかかった身体を起こし、固まりかけた身体を解すように四肢を動かす。

 ミシミシと軋む音こそしたが、特に異常は無さそうだ。全てを確認し終えると、傍らで草を食んでいた馬の手綱を手に取り歩き出す。十数歩も歩けば身体の軋みも完全に鳴りを潜め、数刻前の十全な状態を取り戻した事をダンテは確信した。


「……」


 先程までの夢想は泡沫の如く脳裏から消え去り、魂に刻みつけた記憶が前へ前へと突き動かす。

 私がこの世を救わねば。彼との約束を守らねば。絶望に沈むこの世界を救わねば――


「……行くか」


 呟きを一つ零すと、黒の外套を翻しながら跳躍。その完全に人間の埒外にある跳躍力で馬の背へと跨ると、これからの道程に考えを巡らせる。

 ダンテはあれから休む事無く走り続け、教会領への帰路を急いでいた。此処はフィレンツェ共和国、その北部。カッシア街道の中途で小休止を取っていたところだ。

 邪魔が入らなければ半日もかからずに教皇領へと帰還出来る位置だが……世の中というものはそう上手く行くようには出来ていないようだった。


「――もし、そこ行く御方」


 腹を蹴って馬を駆けさせようとしたその刹那、その一瞬の間隙を縫うようにして彼へと声がかけられたのだ。


「…………」


 呼ぶ声があれば応えねばならない。如何なる者でも救いを求めるのであれば、その声に耳を傾けるべきだ……己に課した誓約を思い出しながら、ダンテは態勢を戻して手綱を引き、彼を呼ぶ声の主へと馬首を巡らせた。


「ごきげんよう。……お久し振りですね、ダンテ殿」

「……?」


 こちらに小さく手を振りながら、久し振りと挨拶をしてくる女性。しかし、ダンテの脳内には眼前の彼女のような存在など、知己としては誰も該当しない。自身の記憶忘れかと危惧を抱いた彼は、仔細に眺める事でその齟齬を埋めようと試みた。


「……ふむ……」


 身に付けているものは簡易なコルセに、裾や袖が長く伸びたロングスカート。どれもが黒い色合いで統一されており、旅の途中なのか所々には泥や砂が付着している。腰には誰もが持っているようなナイフや、金属の塊のような物が二つ。大きさは拳程度だろうか。食料や飲み水の類は持っていないようだ。大方、近場にでも置いて来ているのだろう。

 顔立ちから察するに年齢は三十かその程度。温和な表情を浮かべてはいるが、表情の端々からはある種の剣呑さを感じさせる。長く伸ばされた赤毛は緩く三つ編みにされて纏められており、邪魔にならないよう工夫されていた。

 そうして丹念に全身の特徴を確認していった結果、ダンテは一つの結論を導き出すに至る。


「……もしや、フローラ殿か?」

「ええ、ご名答です」


 半ば当てずっぽうで言ってみたダンテの答えを、目の前の女性――フローラは花のように笑い、肯定した。そこには厳粛さの欠片も見出せない。この出会いを心底楽しんでいるという喜びだけが表現されていた。

 ダンテはその変化に困惑し、しかし僅かながらの興味を抱いた。フローラは数ヶ月前に一日だけ顔を合わせた相手、あの時はもっと厳粛さに溢れていたはずであるが、どういった心境の変化があったのだろうか。

 ……なので、己の感じた戸惑いを率直にぶつけてみる事にした。


「数ヶ月前から、随分と変わったな……?」

「私が、ですか?」

「ああ。それにその服装……聖職はどうしたのだ?」

「お仕事、ですか。ふふっ。実は私、巡礼の旅に出ていまして」

「巡礼……なるほど」


 巡礼と聞き、ダンテはおぼろげながら彼女の変化に合点がいった。大方これからローマへと向かい、それから各聖地へと巡っていくのだろう。重苦しい僧服に身を包んでいないのも、旅を重視した合理的判断によるものだと理解出来た。


「それにしても奇遇ですね。こんな道端でばったり会うなんて」

「私もそう思う。あの日一度顔を合わせただけだというのに、こういうのを神の思し召しとでも言うのだろう」

「……そうですね。あの日からもう数ヶ月ですか……彼女は見つかりましたか?」

「いや、まだだ。探し回ってはいるのだが……手掛かり一つ無い」

「おやおや、そうでしたか。貴方の事ですから、もう既に捕らえて殺しているものかと」

「出来るものならそうしている。だが見つからぬのだ。仕方があるまい」

「ふーん……」


 フローラはダンテの話へ興味深そうに耳を傾け、うんうんと相槌を打ってくれている。話し相手としては良い方だとは思うが、昔が昔なだけにどうにも胡散臭さが拭い切れない。

 ダンテは念のため剣の柄に手をかけながら、彼女へと疑問を投げかける。


「ところで、今日は何の用だろうか。私はそれなりに急いでいるのだが」

「ああ、私としたことが。少し世間話に逸れてしまいましたね」

「いや……」

「……実は先日の一件のお礼を言いたくて、声をかけさせていただきました」

「礼だと?」

「ええ、貴方のおかげで私は真なる愉悦……いえ、生きる意味を見出せたのです」

「……私は貴公には何もしていないはずだが?」

「ええ、ええ、そうですね。貴方は私に何もしていません。ですが、物事というは互いに干渉し合い、因果を捻じ曲げてしまうものです。貴方があの日、あの場所に現れた事が、私の人生には重大な意味があったのですよ。ふふっ、あははははっ」

「…………」


 さも滑稽だと言わんばかりに、フローラはダンテを見据えたまま口元を歪に捻じ曲げ、哄笑した。

 その様子をダンテはただただ冷やかに見つめる。そしておもむろに馬首を巡らすと、ローマへと続く街道を歩き始めた。


「そのような礼など不要。では私は――」

「……いいえ。お待ち下さい、ダンテ殿」

「まだ何か……――!?」


 フローラの言葉に振り向きかけたダンテは、しかし次の瞬間、強襲した何かを反射的に剣の柄で受け止めた。ガギンと耳障りな金属の音が響き、衝撃が腕から全身へと伝う。そのあまりの重さに堪え切れないと判断したダンテは、転がるように馬から降りると、直前の強襲者――フローラと対峙した。


「今のを防ぐとは、中々やりますね」

「……何のつもりだ」


 怒気を含んだ声で問い質すダンテをまるで嘲笑うように、フローラはスカートの裾を翻しながらその場で二、三とステップを踏む。コツコツと街道の石畳が小気味良い音を鳴らすと、彼女はにやりと不敵な笑みを浮かべた。

 その様はまるで童女の如くに楽しげで、しかし纏う殺気はただひたすらにダンテを圧倒してくる。

 やがて足を止めたフローラは見つめるダンテに向けてゆらりと拳を構えると、こう言い放ったのだった。


「少し、我慢が出来なくなってしまいました。手合わせをしてくれませんか? ……無論、全力で」

【馬】

・ウマ科、ウマ属、ウマ種。同じウマ科にはシマウマやロバが属している。社会性が強く、野生のものも家畜も群れを成す傾向がある。

・中世に於いて、馬は品種ではなく用途によって区別されていた。

・よく訓練され、強く、速く、機敏なデストリエ。反面、軽さと速さを重視したコーサー。より汎用的、平凡な馬はラウンシーとして乗用馬や訓練用に……等といった具合に使い分けていたようだ。

・中世の馬は現代のものよりも大きさや骨格が異なり、平均して小柄だったと言われている。しかし、これに異を唱える学者も少なからずいるようで、度々思い出したかのように議論されているらしい。

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