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炎の魔女  作者: 御留守
第二章 ■■■■■■■■■
41/54

断章「異端を狩る異形」

「貴公らは悪魔や睡眠中の異性と交わる魔物共に身を委ね、まじない、呪文、魔術、その他呪いの言葉や業、極悪非道、忌まわしき犯罪行為を行い……穢れた醜行と堕落した乱交を重ね、結果自らの魂を致命的な危機に瀕せしめる事をも厭わず……数多の人民に恥辱と危険を及ぼしている」


 目の前で震え上がる数組の男女の目の前で、男は朗々と紙片を読み上げる。


「……大分抜粋してだが、まあ良い。是は教皇よりの回勅(かいちょく)。故にその意思。……汝ら、異端なりや?」

「お、俺達は、そんなんじゃ……!」

「その見てくれで弁明しようと、説得力が無かろう」


 誰かが上げた抗議の声を、男は淡々と切って捨てた。

 それもそのはず。男の目の前にいる男女数名は一切の着衣もせずに、数秒前まで淫行に興じていたのだから。

 ……しかも、このような忌まわしい場所――地下墓所の只中で、息を殺すようにして、だ。

 男は近くで焚かれていた得体の知れない香炉を蹴り壊すと、腰に帯びた直剣を抜き放ち、その切っ先を異端者達へと突き付けた。


「どうやらその罪、その穢れ……死を以て(そそ)ぐしかないようだ」

「ひ、ひいぃぃっ!!」

「……地獄でまた会おう」


 剣が振るわれ、光無き墓所の澱んだ空気が斬撃によって撹拌される。

 ……事は速やかに執り行われた。

 後に残ったものは微塵に刻まれた肉片と、臭い立つ血溜まりだけだ。男は得物にこびり付いたそれらを振り払うと、もう用は無いとばかりに踵を返して歩き出した。

 剥き出しの土で固められた通路には土の匂いに混じり、僅かな腐臭が嗅ぎ取れた。このような場所で色欲に溺れるとは、この世には物好きが多過ぎる。男はそんな事をつまらなそうに考えながらも、人間の持つ多様性に感じ入っていた。最早呆れるのを通り越しているが故の感想でもある。

 そうして程無くして外へ出ると、すぐに清澄な太陽の日差しが彼を出迎えてくれた。


「……」


 男は身に付けた猛禽の仮面を少しだけずらし、つば広の帽子で陽光を遮った。かび臭い臭いを黒の外套に残しながら、数分ぶりの外界へとその身を躍らせる。


「おお、ダンテ殿! 終わりましたかな?」


 無事に墓所から帰還した男――ダンテへと温和そうな声が掛けられた。視線を巡らせると声の主が遠方に見て取れる。確か、依頼を出したのはあの御仁だったか。


「つつがなく」

「おお、おお! 流石に早いですな! して、中の様子は……?」

「異端でした。速やかに処理をし、浄化してきたところです」

「な、なんと……異端とは、嘆かわしい……! 墓所から獣のような唸り声がすると相談があった時にはどうしたものかと思いましたが……本当に助かりました」

「……」


 ダンテは依頼人である司祭の言葉を半ば聞き流しながら、乗り付けてきた軍馬を近くの止め木から外し、即座にその背へと跨った。……あの手の話は長いと、経験上知っているからだ。

 だがその様子が予想外だったのか、司祭は慌てて矢継ぎ早に言葉を繰り出してきた。


「だ、ダンテ殿。もう行ってしまわれるのですか。せめて、教会でもてなしを……」

「いや、不要だ。先を急がねばならぬ」

「ですが……」

「……礼なら神へと捧げるがいい」


 それだけを言い残すと、ダンテは軍馬の腹を蹴り一直線に街道へと出立した。そこには躊躇いや懊悩といったものは欠片も感じられず、呼び止めた司祭から見ても清々しいまでの走りっぷりだった。決断的、という表現が相応しいとしたらああいう行動なのだろう。


「いやはや、なんとも……」


 それを見届けた司祭は呆れたように頭を振り、そして隠していた感情――恐怖と侮蔑をその顔に露わにした。


「なんとも恐ろしい異端審問官殿だ」



■■■■■



 街道を人馬が駆ける。駆ける。駆ける。

 すれ違う旅人や商人はその異形に恐怖し、道を開けた。

 道を開けぬ無頼の者は疾駆する軍馬に蹴り殺され、その骸を荒れた道に晒した。

 しかし力無き女子供相手にはわざわざ道を外れて気遣い、その命を尊重した。


 ダンテの価値基準に於いて、未来ある人間、可能性のある人間を殺す事など出来ない。

 逆に、害悪である人間を殺さない理由もまた無い。悪しき芽は早々に摘み取らねばならない。

 一目で眼前の者達の価値を看破し、機械的に切り分ける。

 そこには些かの逡巡も無く、己が血と罪に塗れる事も厭わない。

 その結果、彼の行く先では悪評、酷評、恐怖が振り撒かれ、それと僅かばかりの感謝を受けるのが常であった。


 それはまるで、荒れ狂う暴風の如く。全ての悪逆を断罪する死神のように。

 人々は彼の所業を密やかに囁き合う。


 教皇の走狗。第四の騎士。災厄を振り撒く者。慈悲無き殺戮の異形――

 数多の二つ名を付き従えながら、ダンテは今日も異端を狩り続ける。

 ……全ては己が目的とする世界の為に。



■■■■■



(ここまでで二十八ヵ所か……)


 茫漠と今までに狩った異端の場所を数えながら、ダンテは油断無く思考を開始する。

 あの天敵を取り逃した一件から既に数ヶ月。彼はヴェネツィアの西側に隣接するミラノ公国を中心として、イタリア半島北部を縦横に駆け巡っていた。

 その目的とするところはただ一つ。あの時まみえた異端者――ベアトリーチェの抹殺のみ。

 ……事情を知らない者が聞けば、小娘一人に何を、と一笑に付すだろう。

 何故、そんな相手を探し出すのにそこまで躍起になっているのだと、嘲笑の的にされるだろう。

 だがそれでも、ダンテには彼女を追う理由があった。追わねばならない理由があった。見つけ出して確実に息の根を止めねばならない理由があるのだった。


「天敵……」


 絞り出すように声を漏らしながら、ダンテはあの時の逡巡を心の底から後悔する。もうこれで何度目かも分からない。この数ヶ月の間、彼の心中を穏やかならざるものにしている事柄だ。


 炎をその身に宿した少女、ベアトリーチェ。


 ……実際に相対し、殺し合ったからこそ分かる。

 あれは私達にとっての害悪、それも比肩し得るもの無き圧倒的な敵対者だ。

 彼の星詠みを軽んじていた己を恥じる程に、あの炎は……恐ろしかった。

 全てを燃やし尽くす異能の炎。

 その力は黒血の従僕を霧散させる程に強大だったのだから。


 徒党を組み、傀儡で追い立てたのも恐れが故。

 自ら殺しに行く事を躊躇ったのも、我が身可愛さ故の過ち。

 そして……そして、千載一遇の機会を緊張と恐怖の所為で逃したのは……我ながら呆れる程の無能さだ。しかも、あの時何をしていたのか覚えていないときている。

 何かを口走った事だけは、おぼろげに思い出せる。だが再び意識を取り戻した時には、あの忌々しい教師気取りの男が立ち塞がっていた。その後は語るに及ばないだろう。

 これではまた見つけ出した時も、同じ轍を踏むのではないだろうか。相対して正気を保てるだろうか。そう思うと、今から気が気ではなかった。


「…………」


 悲観的になりかけた思考を努めて切り離し、ダンテは街道の伸びる先を見据えた。

 ……今考えるべき事は、彼の天敵についてではない。


(……それにしても、異端の数が多過ぎる)


 先程数えた数を思い出す。

 異端者の巣窟はヴェネツィアに十、ミラノに十二、その他の国で残りの六。小都市や寂れた集落、古代の遺跡で密やかに行われていたそれらを、ダンテは徹底的に暴き立てていった。

 それらを行っていた多くは芸術家から身を持ち崩した者が殆どで、彼らの言い分によれば異端行為は芸術的発想を得るためもので、やましいものでも、ましてや忌まわしい要素など欠片も無いというものだった。

 だが、そのような言い分がダンテに通用するはずも無い。彼は魔宴(サバト)を見つけ出し次第、問答無用で参加者を裁判所へと突き出した。程度の軽いものであればそれで済ませていたが、先のように明らかに異常と分かる場合においては速やかに断罪する事で対処した。


「文芸復興か……」


 ダンテは異端の増えた遠因をつまらなそうに独り言ちると、馬の腹を蹴り、街道を南に急いだ。

 文芸復興。古典古代への回帰。万能の天才へ至らんが為の迂遠な遠回り。

 なるほど、道理ではあるとダンテは理解する。古きを温め、新しきを知る。確かそのような言葉もあったはずだ。過去を参照にして未来へと対処するのは正しい行いである。文化技術の向上を図る事は確かに望ましい行為だろう。

 ……しかし、それを享受出来る人間が極々一握りの宮廷や貴族、教皇庁だけというのは如何なものか。未だに多くの人民は貧困に喘ぎ、重税に耐えかね、そして流行り病にその命を泡沫の如くに刈り取られているというのに。

 現状の多国間の政治的均衡状態、これもまた大いに結構。しかしその安寧に胡坐をかき、ただただ徴税徴兵に精を出す様は愚かであると断じざるを得ない。真に安寧を目指すのならば、荒れた街道や田畑を癒し、民草の声を聞くべきであろう。平和なのだからと隣の領土へ因縁を付け、争いの火種を振り撒くような行為は慎まなければならない。


「…………」


 見聞きした全てのものに思いを馳せながら、ダンテは馬を走らせ続ける。

 ……そしてやはり、一つの結論へと至らざるを得ないのだった。


 人間とは度し難い程に愚かしい、と。


 ……だから、私達(・・)が救わねばならぬ。

 断罪せねばならぬ。赦さねばならぬ。救済せねばならぬ。

 全ての人間の隣人であるが故に。

 遍く全てに手を差し伸べねばならぬ。


 そこに貴賤の区別は無い。老若男女の区別は無い。話す言語の区別さえ無い。

 ただこの世界に根付いた生命であるが故に。

 私達(・・)は貴方達を、その狂おしい程の愚かさから絶対に救い出してみせる。


 その為ならば、使える物は何でも使う。利用出来るものがあれば全て使う。

 下らない倫理観になど縛られない。砂上の楼閣の如き今の権勢など知った事か。

 全ては我らが野望の為に。渇望の為に。

 永遠の楽土を作り上げる為に。


「……私達は、過去に何度も過ちを犯した」


 彼は澱んだ目穴からドロリとした黒血を一筋流しながら、ローマへと通じる街道を猛然と走り抜ける。

 この数ヶ月で第二の仕込みは済ませた。天敵たるベアトリーチェこそ見つけられなかったものの、次善の策である土地の簒奪(さんだつ)はつつがなく成し遂げられた。此処ミラノもあと数年もすれば、あの町と同様の土壌となり得るだろう。


「だから、今度こそは――」


 ダンテは手綱を握る手に力を込め、己の意思を確認するかのように声を漏らす。

 しかしその呟きは誰かに届く事も無く、風に乗って消えていった。

【回勅】

・カトリック教会の公文書の一つ。ローマ教皇から全世界の教会の司教へとあてられる形で書かれる文章で、教皇の立場を示す意味合いを持つ。

・冒頭でダンテが読み上げたものはスンミス・デジデランテスと呼ばれる、時の教皇が在位初年に発したものの抜粋。これは魔女狩り人達の愛用した書物、悪名高き『魔女への鉄槌』の序文へと掲載された。

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