第九節「墓標と祈り」
ロゼの背中を追いながら、森の中をひたすらに歩き続ける。
もう小屋を出てからどれくらい時間が経っただろうか。彼女を信じて取り敢えず付いて行ってはいるが、土地勘の無い場所を歩き続けていくというのはどうにも不安が付き纏う。土地勘が無いといえばこの森に来るまでの道程もそうではあったが、あの時はただただ必死だったし、何より先導してくれる相手さえいなかったのだ。自分一人で何とかしないといけなかったあの時とは大分状況が異なっている。
例えるならば、少し仲良くなった隣人、もしくは友達や家族に聞いた事も無いような場所へと案内されているような感覚。そう表現するのが一番しっくりくるだろうか。
私がまだ町にいた頃も、こんな風に両親に案内された事があったっけ。あの時は危うくはぐれそうになった。一人きりで見知らぬ場所に放り出されて、とても心細かった記憶がある。結局は父さんが座り込んでいた私を見つけて事無きを得たのだけど、あのまま見つけられてなかったらどうなっていたのかな……
そうした記憶を思い出し、漠然とした不安を抱えながらも、私は黙ってロゼの後を追い続ける。
そして――
「……」
先導していたロゼが唐突にその足を止めた。背中を見つめていた私も反射的に立ち止まり、何処に案内されたのかと辺りを見回してみる。
「ここは……」
そこは鬱蒼とした森から一転して、開けた場所だった。
ちょっとした庭程度の広さの此処には木々や草が生えておらず、剥き出しの茶色い土が一面に広がっていた。辺りには何かを引き摺ったような跡や、土を掘り返してある場所がそこかしこに点在し、さながら土木現場か何かの様だ。よく見れば広場の隅には真っ直ぐな木の棒が山と積まれていたし、作業道具と思しき物もその傍に立てかけてある。詳しくは分からないけど、ロゼが何かの作業をしていた場所である事は明らかだ。
「……おくへ」
しげしげと辺りを見渡す私にロゼはそう短く告げると、広場の真ん中を突っ切って右に曲がり、更にその奥へと足を伸ばしていく。取り残されまいと、促されるままに私もまたその背を追う。……すると、すぐにあるものが目に入った。
「これは……?」
奥まった場所にあったのは、木組みの十字。それも一つや二つではない。両指に収まり切らない数のそれらが、剥き出しの地面へと等間隔に突き立っている。これらが意味するものは一つしかないだろう。
「お墓……」
我知らず零れた呟きが届いたのか、振り向いたロゼは少し悲しそうに笑った。そしてまた墓標へと目を向けると、ぼんやりと言葉を紡いでいった。
「ここにあつめてる」
「……うん」
「ぜんぶはむりだけど、できるだけ」
「……どうして、集めてるの?」
「ひとりじゃ、さみしいから……」
「……そう、だね……」
……ポツポツと語られた言葉は少なかったが、彼女の境遇がほんの少しだけ垣間見えた気がした。
身寄りの無い死体を弔っているのは何故か?
私のような赤の他人を、献身的に世話してくれたのは何故か?
そして何故、この場所には彼女以外の生者の姿が欠片も見えないのか?
「孤独……」
何故彼女が一人ぼっちでこんな場所に留まっているか、どうやって生き延びたのかは分からない。でも、この場所の性質と彼女の態度から分かる事もある。
つまるところ、ロゼは孤独だったのだ。
……彼女は一体どれだけの時間を此処で過ごしたのだろう。だけど、私を労わる余裕や生活に手慣れた様子を見る限り、一ヶ月や二ヶ月といった程度ではないはずだ。習慣として根付いてしまう程の時間……想像してみても見当も付かない。私だったら何か月、いや何年過ごせばあれくらい落ち着いた様子になれるだろう?
「ロゼは……ここにどれだけ住んでるの?」
「……もう、かぞえてない」
「……ごめん」
「べつに、きにしてないから」
気にしていないと言いながらも、ロゼは拗ねた風に顔を逸らしてしまった。私の無遠慮な言葉で彼女が機嫌を損ねたのは明白だ。やってしまったと心の内で後悔しながら、次に投げかけられそうな言葉を探してみる。
しかしそんな様子の私など省みる事無く、ロゼは広場の端まで歩いて行くと、しゃがんで何かをし始めた。そしてすぐに戻って来るとそびえ立つ墓標の一つへ近付き、その根元へと何かをそっと捧げたのだった。気になった私はかける言葉も忘れ、ロゼの傍へと歩み寄る。
……そこにあったのは色鮮やかな青紫。小さく映えるヴィオラの花。
「…………」
久しく忘れていた色彩に、私は少しの間目を奪われた。隣のロゼの事も一瞬忘れ、しゃがみこんでまじまじとその小さな花に見入る。ヴィオラは町中でもそれなりによく見かけた花だ。こんな所で再会する事になるなんて。
そうして見惚れる私が珍しかったのか、ロゼはこんな事を聞いてきた。
「ビーチェは、おはなすき?」
「……ええ。でも、嫌いな人はいないと思うけど」
「そうかな?」
「私の知り合いには、いなかったし」
「……じゃあ、このひとたちも、よろこぶ?」
「……多分……」
「……」
「いや、きっと喜んでいるよ」
「……そっか。よかった」
私の言葉に安堵したのか、ロゼはおもむろに墓標の前で手を組むと、跪いて祈りを捧げ始めた。敬虔なその姿には、けれど多少の躊躇いが見て取れた――恐らくは、埋葬された人々の立場やそういった何かを慮っているのだろう。しかし他に祈りの作法を知らないのか、彼女は頭を垂れて固く手を握ると、異郷の聖句と思しき言葉を紡いでいった。
「――――。―――――――――」
ただひたすらに。縋るように。
彼女の真摯な歌声は、か細くも墓所へと染み渡るように消えていく。
それを聞き届ける私は、手を組む事も無く、跪く事すら出来ず、曖昧な姿勢のまま佇み続けるのがやっとだった。私にはもう、祈る相手など無くなってしまったのだから。
……でも、一つだけ言葉を述べるのなら。
無心に祈りを捧げられるロゼが、ひどく羨ましい。……そう思えた。
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ロゼの祈りが終わるのを見計らい、小屋への帰路を二人連れ立って歩いていく。
来た時と同様にロゼも私も終始無言だったが、不思議と居心地の悪さは感じなかった。なけなしの秘密を吐露したからだろうか。今まで知り合った誰よりも心を許していい、そんな風に感じる。身寄りを失くした私に降って湧いたような縁が出来た事で、知らず好意的に受けとめているとは自分でも分かっている。分かってはいるけど……流石にこれ以上悪い事が続くのは勘弁してほしかった。
「はぁ……」
「……? ビーチェ?」
「なんでもない」
急転直下でどん底へ叩き付けられた身の上を嘆きながらも、私は思考を積み上げる。
この未だに判断の付きかねる玉虫色の出会いを、確実に良縁へと築き上げていく行動。
彼女から信頼を得るために私に為し得る最善手。……考えられる事は一つしかない。
「ねぇ、ロゼ」
「……?」
「私はこれから貴方と一緒に生活していくのかしら」
「たぶん。でられないし」
「そうよね……それじゃあ、さ」
そこまで言い終えた私は足を止めると、振り返ったロゼを真っ直ぐに見つめ、己の考えを告げる。彼女が聞き取りやすいように、今まで以上に努めてゆっくりと発音しながら。
「……私にも貴方の手伝いをさせて欲しい。必要な事があれば、頑張って覚える。間違っている事があったら、すぐに直す。だから――」
だが私の真剣な言葉を、ロゼは両手をヒラヒラと振って遮ってきた。何事かと顔を見れば、何故かにっこりと笑っている。
「さいしょから、そのつもり」
そう言いながら彼女は被っていたフードに手をかけ、その白く綺麗な顔を露わにする。そして私へ近付くと、恐る恐る右手を差し出してきた。
「こ、これからよろしく……」
ロゼは笑顔を張り付けたまま、しかしひどく緊張している様子だった。何故だろうと考えてみるが、特に理由は思い当たらない。強いて言うなら疲れてしまったとか……? いや、そんなはずは無いだろう。
こうして考えている間にも、ロゼは微動だにせず直立したままだ。木陰から吹いたきまぐれなそよ風が、長く伸びた銀髪をさらりと揺らす。そんな彼女に対して私は――
「……ええ。これからよろしく」
「……!」
ゆっくりと手を伸ばし、その白くたおやかな手を取った。手が触れた瞬間、ロゼはびくりとその身を跳ねさせたがそれも一瞬の事で、力を込めて握っていくと、彼女も確かめるように握り返してくる。
「……あ、なるほど」
ロゼのひんやりとした掌を握っていると、彼女が何を恐れていたのかにふと思い当たった。こうして思い至れば至極当然の事なのに、ここまで気付けないとは我ながら中々に鈍い。
「もしかして、ロゼ」
「な、なあに」
「燃やされたらやだなーとか、思ってたんじゃない?」
……私の指摘が図星だったのだろう。ロゼは張り付けていた笑顔を崩すと、わたわたと慌てながら私へ弁明してきた。
「お、おもってないよ!」
「ほんとー?」
「ほんと!」
「どうだかなぁ……」
「ほんと、だって!」
「……それじゃ、このまま小屋まで帰ろうか?」
「え、う、うん……?」
「よし、じゃあ行きましょ」
「うぇ? え、ま、まって……!」
困惑するロゼの手を取ったまま、私は小屋への道を足早に歩き始める。若干の悪戯心と話しの流れでこうなってしまったが、これはこれで悪くない。誰かの手を取って歩いた事の無い私にとって、新しい門出には相応しいのではないだろうか。なに、これから嫌という程共同生活をしていくのだろうから、今のうちに性根を洗いざらいぶち撒けておいた方が良い。
幻滅されるなら最初の内に。これ以上低くなりようが無い現状は最大限に利用するのみだ。
……そう考えたら、何だかこれからの生活が楽しみになってきた。
「うう、はずかしい……」
「んー? 何か言った?」
「……いじわるっていったの!」
「あら、それはごめんなさい。でも私こういう性格だから、本当にごめんなさいね?」
「う、うう……!」
手を引かれるロゼは涙目になりながらも、それでも決して私の手を離す事は無かった。
ただ今はそれだけが無性に嬉しい。偽りなく本性を曝け出せて気分が良い。
……色々と並べ立ててみたけど、結局はそれに尽きるのだろう。
【ヴィオラ】
・スミレ属の総称、そのラテン語読み。スミレ、パンジー、ヴィオラなど多くの種を含む。
・ヴィオラとパンジーは十九世紀に交配された後に生み出された物なので、本文中の植物は恐らくスミレだろう。
・花言葉は小さな幸せや誠実。西洋に於いて聖母に捧げられる特別な花。




