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炎の魔女  作者: 御留守
第二章 ■■■■■■■■■
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第八節「互いの秘密」

 それからどうやって帰ったのかは覚えていない。

 茫漠とした意識のまま、ただふらふらと足の向くままに歩いていたら、気が付いたらまたあの小屋へと戻って来ていた。……不思議なものだ。こんな鬱蒼と茂った森の只中にあっても、歩いて来た道を覚えていたとは。いや、それともあの小屋に何か特別な人を引き寄せるものがあるのかもしれない。

 しかし、そういった不思議な出来事も、今の私にとっては些細な事でしかなかった。


「…………」


 数日前の忌まわしい記憶を引き摺りだし、懺悔する。

 衝動的に行った事ではあったが、罪と向き合い、そして乗り越えていくという事は、想像以上に堪えるものだった。何故私が、という気持ちももちろんあった。理不尽に巻き込まれたのは私も一緒なのだから、私だけ何故罪の意識を感じなければならないのだろうか。生き残る事ですら罪深い事なのだろうか。

 ……神の教えを説く神父様はもう何処にもいない。教会には顔を出す事すら叶わない。神の天啓でも降りて来れば最高なんだろうけど、生憎とそんな偶然を待てる程、余裕のある境遇でもない。結局、私にはもう縋れるものなど自身に宿る炎しかないのだ。


「はぁ……もうやめよう」


 ブンブンと頭を振り、鬱屈としかけた思考を振り払う。……疲れた時に考え事をしても落ち込むだけだ。こういう時はさっさと気分を変えた方が良い。だから、早く帰って眠ってしまおう――

 疲れた頭でぼんやりと考えながら、私は小屋の扉と向き合った。赤く色付きつつある陽射しを背に受けて、無事に帰り付いた事に安堵する暇も無く、その扉をゆっくりと開け放つ。


「ただいま――」


 こびり付いた異臭を払う余裕すら無いまま、小屋へと足を踏み入れ……


「―――――」


 しかし次の瞬間、私はまたしても時が止まったかのように固まってしまう。


 小屋のど真ん中で、裸の誰かがこちらに背を向けて座っていたのだ――


「え、ど、ほえ……?」


 あまりに唐突過ぎるこの状況。全く理解出来ない心情を反映してか、口から訳の分からない単語が漏れ出てくる。同時に目の前の誰かをまじまじと観察してしまった。

 サラリと腰まで伸びる銀髪。それに負けないくらい、白くて透き通るような肌。身体の輪郭は柔らかく女性的で、後ろ姿からもちゃんとした膨らみがあるのが見て取れる。傍らには水桶があり、それで濡らしたと思しき布きれで無心に身体を拭き清めていていた。随分と上機嫌なのか鼻歌まで歌っていて、その少し調子の外れた歌声は目の前の情景とひどく不釣り合いだった。

 しかし、一番の特徴は何と言っても――


(背中にあるのは、古傷……?)


 そう。肩口からお腹にかけてまで、ザックリと斬られたような傷の跡が痛ましく残っていたのだ。この傷痕は一体……いや、そもそもこの人は誰だろう……?

 そうして立ち尽くす私にようやく気が付いたのか、


「――♪ ……?」


 目の前の女性は鼻歌を止めると、ゆっくりとこちらへと振り返り……目と目が合った。


「……!?」


 驚いた彼女は弾かれたように座ったまま飛び退くと、近くに置いてあった外套をかき抱いてその身を隠した。そしてそのままじりじりと小屋の一番奥まで後ずさっていく。最後には壁にまで背を付け、怯えたように身を縮こまらせた。握り締めた外套は伝った水のせいもあって既にくしゃくしゃだ。


「あ、えっと、その、ごめんなさい」

「み、みないで……」

「うん、見ない。後ろを向いているから」

「……みないでね……」


 何度も見ないでと懇願する相手の意を汲み、私はくるりと後ろを向いてから座り込んだ。何かされるのではという懸念はあったが、あんなに怯えているのに警戒するのも気が引けた。なにより彼女は身を清めている最中だったのだから、むしろ非はこっちにあるだろう。

 ……しかしそれにしても一瞬だけ合ったあの目。私の見間違いでなければ、彼女は――


「……ねえ」

「ま、まだとちゅう」

「いや、そうじゃなくて。……貴方、ロゼ(・・)ね?」


 怯えを含んだあの紅い目。あれは紛れも無く、この数日私を甲斐甲斐しく世話してくれていた彼の目だった。


「…………」

「違ったならごめんなさい。でも――」

「ちがってない。私、ロゼ」

「……そう」

「で、でも、なんで? 私は、私だよ。なんできくの……」

「……貴方の事、ずっと男の人だと思ってたから」

「え……」


 呆けたような声と視線が私の背中に突き刺さる。いや、実際には見ていないのかもしれないけど。

 ここで誤解されたら面倒なので、ゆっくりと順を追って説明していこう。ここ数日の彼女(・・)との出来事を思い出し、そう判断した証拠を列挙していく。


「……貴方はいつも、フードを目深に被っていたでしょう?」

「うん……?」

「それに、身体も外套ですっぽり隠していた」

「うん」

「加えて、前髪も長くて、声も……ええと、凛としていたものだから」

「私のこえ……だめだった?」

「いや、ダメとかじゃなくて……どっちなのか判断が付かなくて。しかも、貴方は私に必要以上に触れようとしてこなかったでしょう?」

「うん……」

「私と同年代の子は何かに付けて触れ合ってきたから。だから、貴方は多分男なんだって決めつけてた」

「…………」


 その言葉を最後に返答は無く、代わりにするすると衣擦れの音が聞こえてきた。そして程無くして再び言葉がかけられる。


「もう、いいよ」


 ……どういう“いいよ”なのかは判断が付きかねたが、取り敢えず振り返ってロゼを確認してみる。そこにはいつも通りの――いや、外套が濡れてよれよれだ――彼女がいた。フードに隠した顔はいつも以上に赤く、しかし前髪の間から覗く紅い両目は、しっかりと私を見据えている。


「……はずかしかった」

「ごめんなさい。身体を拭いているとは思わなくて……」

「いいよ。……ごはんたべる?」

「……ううん。今日は、いいかな」

「……? なにかあった?」


 いつもと様子の違う私を見て、何か思う所があったのだろう。ロゼは小首を傾げると、私の顔を不安そうに覗き込んできた。


「ちょっと、外で……いや、何でもないよ」

「うそ。なにかあった?」

「いや、その……」

「…………」

「……分かった。分かりました。隠し事は無しでいきましょう」


 純粋にこちらを心配してくる彼女の熱意に押され、私は外で見た事、見つけたもの、そして死体を焼いた一部始終をかいつまんで聞かせた。最後の焼いた事だけは伝えるか直前まで逡巡したが、どうせ一蓮托生の仲なのだ。遅かれ早かればれるものなら、こちらから伝える方が余程誠意があるだろう。そう思い、全て詳らかに説明してみせた。

 ……だが言葉だけでは理解に苦しむ所だったのだろう。最後まで聞いたロゼはうんうんと唸ると、困ったように私を見てきた。


「……? どうやって? ビーチェ、なにももってない、よ……?」

「やっぱりそうよね……見せた方が早いか」


 私は手直に落ちていた葉っぱ数枚を拾い上げると力を込め、ロゼへと見せつけるように燃やしてみせた。


「……!!?」


 それを見たロゼはあんぐりと口を開け、そのまま固まってしまった。

 ……あれ、おかしいな。予想していた反応とちょっと違う。彼女の事だからもっと驚くか、それとも喜ぶものだと思っていたのに。葉っぱじゃ印象が弱かったかな……?

 そう考えた私は次に立てかけてあった棒切れを手に取る。そしてブオンと一振りさせると同時に着火。赤々と燃えるソレをロゼの前に掲げてみせた。流石にこれくらいやれば――


「び、ビーチェ!?」


 だが、それを見たロゼは血相を変えてあわあわと両手を振ってきた。小屋が燃える心配でもしているのだろうか。この程度なら大丈夫だと思うんだけど……いや、あんまり驚かせても駄目だろう。私は彼女の意を汲むと、燃え盛る棒切れに更に力を込めて一瞬で灰へと変える。それをそのまま握り潰すと、暖かな灰が室内へと舞っていった。


「どう? これで納得した?」


 そうして努めて得意気な表情でロゼに聞いてみると、彼女は半ば呆れた顔をしながら――いや、若干頬を紅潮させながらこう返してきた。


「びっくりした」

「それだけ?」

「……ううん。それだけ、じゃない」

「やっぱり怖いとか……?」

「ううん。ビーチェは、べんりだね」

「……べんり……」


 キラキラと目を輝かせながらそんな事をのたまうロゼに、今度はこちらが呆れる番だった。外ではこの異端の力が為に殺されそうになったというのに、全く、無邪気にも程があるでしょうに。それともロゼの育った環境では私のような人間は珍しくないのかな? このお人好しはどんな場所で生きてきたんだろう……

 だがそんな私の葛藤など知る由も無いのか、次にロゼは一瞬で表情を引き締めると、神妙な顔でこう言ってきたのだった。


「……たすけてあげて、ありがとう」


 そこにあったのは純然たる感謝と、温かな笑み。

 私の為した悍ましい事を咎める様子は露ほども無く、むしろひどく高尚な行為をしてくれたと言わんばかりだ。

 まるで、自分には到底出来ない、尊い行いを褒め称えるかのように。

 ……だが何故私が彼女に感謝されなければならないのだろうか? あの何もかもが流れ着く川の様子なら、死体など見慣れていてもおかしくないはずだ。それに私が一つ二つ処分しようとも、何かが変わるとも思えない。ましてや私は自分の為だけにアレを燃やしたのだ。だから侮蔑こそされども、感謝される謂れは何処にも無い。無いはずだ。

 ……そう考えた私は、反射的に彼女へと問いかけていた。


「……どうしてそこで貴方がお礼を言うの?」

「ついてきて」

「え、ちょ、ちょっと?」


 ロゼは私の問いに答える事無く、小屋の扉を開けて外へと出て行った。そのあまりにも突飛な行動に面食らったものの、私も彼女の後を追って外へと付いて行く。

 ザクザクと土を踏み鳴らしながら歩く彼女の足に迷いは無く、私に絶対に見せておかなければならないものがこの先にあるのだと、暗に教えてくれた。その見せてくれるものに若干の不安を抱きながらも、私はただひたすらに彼女の小柄な背中を見つめ続けるのだった。

 そういえば、背中と言えば――


(結局、あの傷痕の事は聞けなかったな……)


 ……そんな事をぼんやりと思いながら。


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