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炎の魔女  作者: 御留守
第二章 ■■■■■■■■■
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第一節「苦痛を抱えて」

 頭上に広がる星空。時折雲に遮られながらも、飽く事無く降り注がれる月光。

 冷たい夜風は頬を撫で、草木を、私の髪を揺らしながら四方へと消えていく。

 目の前に照らされる街道は歩を進める毎に荒廃の度合いを増していき、今では半ば土に埋もれ、雑草に覆われた、それこそ道と呼ぶのも憚られるような代物に成り果てている。雑草を大雑把に掻き分けたような、獣道と言うのが正しいものは何処までも続いているが、これを進み続けた先に何が待っているのか……皆目分からなかった。

 ……だが、この先の分からない道程よりも、今の私には解決しなければならない問題があった。


「ぐうっ……ああ、はあっ……」


 休む事無く歩き続けながら、私は耐えるように苦悶の息を漏らす。


 いや、“ように”では無く、実際に耐えていたのだ。

 全身を苛む、逃れ得ぬ激痛から。


「ううっ……はっ、はあっ……!」


 一歩踏み出す度に鈍痛が足元から全身へと駆け上がっていく。

 一つ息を吐き出す度に骨が軋み、ギシギシと内臓が悲鳴を上げ、巡る血がヤスリのように身体の内から痛めつける。

 少しでもそれを和らげようと抱き締めるように両腕で自分をかき抱くが、痛みから来る震えはどうしようもなく、ガタガタと身体を揺らしながらただただ必死に耐えた。


「……どうして……」


 どうして今になってこんな激痛がと考えたが、今までの事を思い出せばこれも仕方の無い事だと思わざるを得なかった。……夕刻だけでどれだけの人間離れした事をしてきただろうか。考えるのも馬鹿馬鹿しい。

 炎で人だったものを燃やし、大鎌を振るって両断し、おおよそ人に在らざる力で破壊の限りを尽くしてきたのだ。昨日まで何の変哲も無い少女として過ごして来たのだから、むしろこれだけの代償で済んでいる方が驚きだろう。もっと言ってしまえば、あの状況下で命を繋いでいるだけでも奇跡と言わざるを得ない。それほどの修羅場だった。


「命あっての物種、ね……」


 立ち止まって自嘲気味に独り言ちてみるが、そんな事で今の状況が改善するはずも無く。

 おこりのように震える体を引き摺り、私は再び歩き始めた。


「……は、ぐっ……」


 ……いたい。痛い。

 気を抜くと倒れてしまいそうな程に、痛い。

 ギシギシと軋む身体が私の視界を白く染める。そのあまりの容赦の無さに、此処までで何度心が折れそうになった事か。


「……」


 ……だから私は、考える事にした。

 これまでの為に。これからの為に。

 今日起きた事を、忘れない為に。

 全てに決別した、させられたこの日を。

 ……あの男を、それを取り巻く全てを許さない為に。


「…………」


 夜風で冷えた身体に意思が満ちる。……意思は生きる為に必要なものだ。生き物が生存せしめる為の最低条件と言っても良い。私には難しい事は分からないけど、この程度の事なら分かる。こうして実際に死にかけたら、きっと誰でも分かる事だろう。

 人の意思は他の何よりも力となる。それこそ、死にかけた人間がこうして歩き続ける事が出来るくらいに。それは、あの地獄でレオン先生から教えられた一番大切な事だ――


(分からない事はたくさん……というか、殆どだけど。取り敢えずは民家や集落には当分近寄らない方が良い、かな……)


 あの男とフローラは教会の手の者だ。町の外がどうなっているのかは分からないけど、教会は何処にでもあるらしいとは昔聞いた事がある。仮に私が誰かと接触したとして、それが巡り巡って教会へと行き着かないとは言い切れない。

 ……ましてや人の噂話というものは、三日もあれば町中へと知れ渡ってしまうもの。血塗れでズタボロの少女を見かけたとあれば即座に御用だ。逃げて身を隠す暇などありはしないだろう。


(どうしたらいいのかしら……)


 若干途方に暮れかけた私は、顔を上げて遠くへと目を伸ばす。

 視界の先にはざわざわと風に揺れて音を鳴らす森の入口。そこから上を見れば、更に遠くに夜空に暗い影を落とす山々が見える。……どうやら無心で歩き続けたおかげか、思っていた以上に遠くへと来てしまったらしい。


「山を越えれば……もしかしたら……」


 思いがけず目に入った物に対し、私は足を止めて即座に考えを巡らし始める。

 山。山というものは見るからに障害物としか言わざるを得ない。きっと延々と坂を上り続けるのだろうし、町の城壁の階段を上がるのよりも格段に大変だろう。

 ……そんな場所を通ろうとする物好きはいるだろうか? いや、きっといないはず……私だったら行くとしても少しは通りやすい道を選ぶ。たとえ誰かに行けと言われていたとしても、最初は探しやすい場所から始めるだろう。

 それに、山を越えればきっと別の国になるはず。国が変われば教会の扱いも変わっているかもしれない。変わっていなかったとしても、絶対に情報が届くまでには時間がかかるはずだ。進退窮まった現状よりもよっぽど希望がある。


「山……山ね……うん。良いかもしれない……」


 ぶつぶつと考えを纏める為に呟くと、私は一縷の希望を見つけた流浪の民のように――いや、流浪と言うにはこれでもかって位に満身創痍だけど――目標を定めて歩き始めた。……仮定と推測ばかりでどうしようもない目標だとは思うけど、何もしないよりは余程良い。何もしないで、何も出来ぬまま行き倒れるのだけはごめんだ。


「は、あははっ……何だってこんな大変なのかしらね……いや、むしろ今までが幸せすぎたのかしら……」


 そんなままならない身体を引き摺って歩く今の姿が滑稽で、無様で、哀しくて……知らずに自虐の言葉が零れてしまう。意思は強く持つ事も出来るけど、身体だけはどうしようもない。こればかりは仕方の無い事なのだから、せめて笑いの種くらいにはしてやらないと。


 だがしかし、そんな声が誰かに届いてしまったのか――


 “ああ、なんて可哀そうなの。ベアトリーチェ。”

 “どうしてそんな苦しい思いをしてまで、生きようとするの?”

 “どうして願いも何も無いのに、痛む体を引き摺るの?”


「……っ……」


 ……夜風に混じって憐れむ声が聞こえた気がした。

 無論、幻聴、幻覚だ。そんなのは分かっている。こんなのは何度だって聞いた。

 夢の中で、自己嫌悪の中で、行き場の無い怒りの中で……何度だって聞かされた。

 ……これは他ならぬ自分の声なのだから。

 私は私が許せないから、こんな声をいつまでも聞いてしまう。

 持って生まれたものが許せないから。両親に迷惑をかける事が許せないから。誰かの傷付く姿が許せないから。誰かがいなくなるのが、もう嫌だから……


「私……何で生きてるんだろう……」


 自虐の言葉は尚も止まらない。内なる声に(そそのか)されて、思考は負の螺旋を描きながら急速に落ち込んでいく。気落ちした私は衝動的に何もかもを投げ出したくなるのを堪えながら、必死に足を運び続ける。


 ……そんな私を嘲り笑うように、夜風の呟きは止まらない。


 “そうよ。何で貴方は生きているの?”

 “誰かに迷惑をかけて、知らない人も大勢死んだ。”


「うる、さい……」


 “それに両親だって自分で斬り殺したでしょう? 母さんしか見なかったけど、あれの片割れは絶対に父さん。そうでないと説明が付かない。あの男が母さんだけ利用するはずが無いもの。”

 “先生だってきっと死んでいるわ。これ以上まだ誰かに死んでほしいの?”


「うるさい……! 黙れっ……!」


 クスクスと囀る相手を遮ろうと、必死に声を張り上げて……それでようやく静かになった。

 それを確認して安堵した私は、荒く乱れた息を必死に整えた後、山々へ通じる道なき道を歩き出す。


「ぐ、っ……」


 歩きながら私は、助けを乞うかのように暗い夜空を見上げた。

 ……しかし、いつの間にか月光は分厚い雲に遮られており、その暖かな慈愛を見出す事は出来なかった。気落ちした気分を少しでも紛らわそうとしたのに、これだ。何もかもが上手くいかない。


「……はぁ……」


 一つ落胆の溜息を漏らすと、私は照らすもの無き闇夜の只中を足掻くように歩き続ける。

 今はとにかく前へ。前へ。ただ、前へと……


 まるで、ありもしない希望へと縋るようだなと、頭の片隅で誰かが嘯いた……そんな気がした。


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