断章「疎まれし者達と」
レオンが己の発作と向き合ってから数分が経過した。
彼は既に走るのを止め、肩で息をしながら道の真ん中で立ち尽くしていた。往来に人は無く、無人の裏路地には遠くから垂れ込める焦げ臭い臭いが充満している。何かが燃えるような音や、人の騒ぎ立てるような声も此処まで届いては来ない。他所の喧騒とは打って変わって、静謐なる平穏――うち捨てられたが故の安寧がこの場を支配していた。
「……はあっ……」
荒い呼吸を整えるように大きく息を一つ吐くと、レオンは目の前にある扉をまじまじと見つめた。
「さて、奴さん達はどうしてるかねぇ、っと」
しばしの休息をした後、彼は気分を変えるように軽口を一つ叩き、扉へと手を伸ばす。
それは、意識せずに歩いていれば絶対に見過ごしてしまう様な狭苦しい入口。
それにどことなく漂うすえた臭い。小さく掘り込まれた十字の印。削られてからもう何年も経っているのか、切り口から覗く木の色はひどく変色している。
……そう。此処は彼の者達の集う場所――
「ふーむ……」
手始めとばかりにレオンは扉を二度三度と叩いてみた。数秒待つも反応は特に無い。いつもであれば即座に何かしらの返事が返って来るのだが……
「あいつら、町が騒がしいからって穴熊でも決め込んでるのか……?」
更にガンガンと何度も扉を叩く。
「おーい! 俺だ! ちょっと用があるんだがね!」
叩くのに合わせて呼びかけてもみたが、それでも反応は返ってこなかった。拳を叩き付ける度、声を荒げる度に苛立ちばかりが募っていく。
「……ったく。しょうがねぇ……あんまりこういう事はしたくないんだがな……」
小声でぼそりと呟いたレオンは、言葉にした内容とは裏腹に口の端をニヤリと歪める。
そして伸ばした手でおもむろに扉の取っ手を掴むと……あろう事か、懐から取り出した短刀を隙間に捻じ込み、錠前を壊しにかかった。
「こんなもんは……こうだッ!」
異常を察知したのか、扉の向こうから慌てるような足音が聞こえたが……時既に遅し。
錠前を瞬く間に破壊したレオンは豪快に扉を蹴り開けた。
「お邪魔しますよ、っとな」
彼を出迎えるは、町中とは比べ物にならない程の臭い立つような不浄の臭い。奈落へと通じるかのような急勾配の下り階段。そこに明かりは無く、垂れ込めるような暗闇が充満している。
そして――
「よう。お出迎えとは殊勝な事だ。……こうして顔を合わせるのは初めてだな」
「《戦場渡り》……」
先の足音の主――襤褸を纏った矮躯の男が、目の前に立っていた。
……目深に被ったフードの奥から、殺意の篭った眼差しを向けながら。
「何故、禁を破る。私達の平穏を乱す?」
男はレオンを見上げながら、ぼそぼそと掠れた声で問い質した。
それに対して彼は顔を引き締めてこう返すのだった。
「こちらも急ぎの用事でな。……壁外墓地への道を借りたい。門が封鎖されて困っているんだ」
「……」
レオンは己の事情を端的に話す。目の前の男はその様子に一瞬だけたじろぐも、既に町で起こっている事は把握していたのだろう。すぐに踵を返すと、奈落へと通じる階段を歩き始めた。
「……付いて来い。誰かに見られたら面倒だ」
「……!」
「……それなりに恩がある。我らが穢れを厭わぬならば、貴公の手助けとなろう」
■■■■■
男の後を付いて行き、長い長い階段の終点まで着いたレオンは、意外な光景を目にする。
階段の土くれだった作りから一転、広がる広間は意外な事に石造りの本格的な内装をしていた。室内は過不足無く随所に備えられた蝋燭で照らされており、点在するテーブルと椅子は整然と並べられている。
室内に家具は殆ど無く、床や壁は病的なまでに拭き清められていたが、しかし風通しはあまり良くない様で、食べ物がすえた様な臭いは一段と濃くなっていた。
……広がる光景に無秩序さは微塵も見る事は出来ない。無論、喧騒に満ちた町などとは比べ物にならなかった。
「こりゃまあ……中は意外としっかりしてるんだな……」
「足を止めるな。眺めるな。私の後をしっかり付いて来い」
「へいへい」
そう返事をしつつも、レオンは周囲の様子を盗み見続ける。……室内にはこの案内する男の他に四名といったところか。
テーブルに対面に座り、ぼそぼそと談笑をするのが二名。別卓で静かにパンとスープを食べ続けているのが一名。部屋の端で椅子に座り、何事かを呟きながら商売道具の手入れをしているのが一名。
……驚いた事に、誰も彼もが穏やかな表情をしているのがとりわけ印象に残った。こうして歩くレオンも新たな同業者だと思っているのだろう。緊張感は欠片も感じられなかった。
(賤業とは名ばかりか……いや、違うな。これは――)
「我らは……」
レオンの思考を読んだかのように、目の前を歩く男は唐突に話し始めた。
「我らは、誇りある仕事をしている。他人がどう思っていようとも、我らには縁がある。頼るものがある。智慧がある。信じる神もある。……それは、幸せな事なのだと、私は思う」
「そう、だな……」
厳かに語られた言葉に、レオンは曖昧に首肯をしながら返した。……言っている内容は含蓄ある大変素敵なものだとは思うが、状況が状況だ。話を広げて時間を取り過ぎる愚は避けたかった。
その事に向こうも気付いたのだろう。ハッと声を一瞬漏らすと、申し訳なさそうに言葉を続けた。
「……すまない。貴公も火急の用だったな」
「いや、気にしないでくれ。不躾に見回した俺の方が悪い」
「……急ごう」
二人は言葉少なに広間を横切ると、そのまま細い通路へと入り込んでいく。広間と同じ石造りの通路に照明は無く、男の用意していたランタンだけが通路を淡く照らす。
照らし出される地下の風景を見ながら、レオンはある事を思い出していた。
(此処もまた石造り……余所でも見た事があるが、昔のローマだか何だかではやたらと街道やら地下やらを整備していたとか……そういう手合いか……?)
恐らく入り口付近の土作りのものは此処に住み着いている彼らの手によるものだろう。しかし、この辺りの石造りのものは明らかに技術の水準が違う。
(昔の方が良いものが作れましたー、なんてのも悲しい話だが……まあ、よくある事か)
心中で世の無常さをサラリと嘆き、レオンは石の壁をそっと優しく撫でる。触れた壁はひんやりと冷たく、これから行く場所の事を否応なしに連想させた。
「……そういえば聞きそびれていたが」
「……?」
「壁の外まではどれくらいかかるんだ?」
「入り組んだ道を進むことになる。……三十で行ければ御の字といったところだ」
「……そうかい」
短く言葉を交わした二人は、黙々と歩を進めていく。
ランタンの淡い光が照らし出す光景は延々と石造りの通路を映し続ける。その変わり映えのしない光景は酷く退屈なもので、数分もせずにレオンはこの状況に後悔し始めた。……しかし、前も暗闇、後ろもまた暗闇に包囲されたこの状態では、最早帰りたいなどと言い出す事も出来ず、前を進む男の背をただひたすらに追いかけ続ける他に無かった。
……そうしてどれだけの時間を歩き続けただろうか。
「……着いたぞ」
ぐねぐねと曲がりくねった通路の最奥で、先導する男が声を上げる。レオンはその声に応じて男の背中越しに目の前を覗き見た。……確かに、何処かへ通じるであろう扉が眼前にその姿を現していた。
「やっとか……はぁ……」
「随分とへばっているようだな?」
「俺はお前らと違って暗い所に篭っていても平気じゃないからな……? むしろそこは『良く頑張ったな!』とか褒めてくれるところだと思うぜ……?」
「……扉を開けるぞ。光で眼を焼くな」
「無視するなよな!? ……って、うぬおっ!?」
レオンの言葉も空しく、男の扉を開ける行為によって抗議は中断された。隙間から入り込む夕陽が暗く冷えた通路を照らし、澱んだ空気にある種の清浄さを刻んでいく。レオンは目を細めてその強烈な洗礼にしばし耐えると、その時間も惜しいと言わんばかりに扉の外へと飛び出した。
「これまでの全て、恩に着る! この礼はいつも通り教会に――!?」
捨て台詞もそこそこに墓地の中を走り出したレオンだったが、待ち構えていた眼前の光景を見るやすぐに足を止めた。
「何者だ……!?」
……陽光を受けて鈍く輝く鉄塊が、長く影を伸ばしながら立ち尽くしていたからだ。
「……プレートアーマー……」
過去、戦場で嫌と言う程見た存在を前にし、レオンは知らず苦々しげに独り言ちていた。
合金で出来た鎧、籠手、兜、膝当て、脛当て……全身を余す事無く防御した人影が、こちらへと歩み寄って来る。
薄く線で装飾したその姿は、レオンが過去に見た事も無い意匠であった。軽やかにこちらへと歩く姿には鎧特有の重々しさは感じられず、それだけでこの相手が只者ではない事が容易に知れた。……見ての通り、体に合わせて作られた特注品だろう。一般の兵士であれば、このような贅沢品を身に着ける事など一生叶わないはずだ。
「…………」
しかし、レオンはそんな場違いとも言える高貴な相手に対し、即座に短刀を構える。
……相手が既に抜刀していた為だ。
「その血……誰のだ?」
レオンは相手が肩に担ぐ、血に濡れた両手剣を指差し問うた。
「……」
鋼鉄の騎士はそれに応じたのか、一つ首肯を返すと剣持たぬ方の手で真横を指差した。レオンは目の前の相手から視線を外さぬまま、指差す先を横目で盗み見……そして驚愕した。
「……! 町の、黒い獣……!」
そこでは町を闊歩していた黒い獣が胴体を両断され、黒い血の中で息絶えていた。数多の墓標と血の海の中でのたうつ姿勢のまま静止している様は、まるで奇怪なオブジェのようでもあり、レオンは思わず顔を顰めた。
「……」
レオンの反応を見て誤解は解けたと判断したのだろう。騎士は両手剣を大きく振るうと、黒き不浄の血を振り払った。たちまち黒に塗り潰された下から鈍色の輝きが顔を覗かせる。
刀身に刻まれた厳かな意匠――聖母が微笑み、周囲へと柔らかな慈愛を振り撒く。騎士は眼前に剣を掲げ、しばしそれと見つめ合った。
「……」
……それで満足したのだろうか。騎士は無言のままに土へと剣を突き立てると、レオンへと軽く会釈をした。
「あー、えっと、ども……」
予想もしていなかった丁寧な挨拶に困惑しながらも、レオンは何とか言葉を返す。その光景を見ていた矮躯の男は一つ失笑を漏らすと、目の前の二人へと告げるのだった。
「……此処まで送った礼と言っては何だが、どうかその男を連れて行ってやってはくれまいか?」
「……は!? いや、俺は――」
「その男、故あって人と接する事を禁じているのだ。……流浪の処刑人、と言えば分かるだろう」
「……! そいつぁ……」
男の願いにレオンは声を失った。
処刑人。死刑執行人。最も穢れた生業。忌まわしきもの。触れてはいけないもの。
言葉と共に思い起こされるのはそんな一般常識。
そんな相手を一緒に連れて行けと? 何故俺が?
そう思い反論しようと口を開いたレオンだったが、男の言葉には続きがあった。
「腕は立つ。野営は慣れている。探し物も得意。礼も弁えている。ただ人と接する事だけが出来ないし、彼自らそうする事も無いだろう。気に食わなかったら近くの町で別れてしまっても構わない。……だがどうか、此処から連れ出してやってはくれまいか。頼む……」
「…………」
矮躯の男はまるで自慢の我が子だと言わんばかりに、後ろに立つ騎士の長所を述べ、そして最後には再び同行の許可を求めてきた。……嘆願に近い形で、だ。
その姿に思う所があったのだろう。レオンはしばし考え込んだ後、立ち尽くす騎士へと言葉を投げかけた。
「あんた、名は?」
「……」
レオンの言葉に返答は無い。当然だ。男によれば、彼は人との接触を断っているのだから。返答など望むべくもないのだ。
しかし、レオンは何かを確信しているのだろう。じっと騎士の兜を覗きながら、待った。
すると――
「…………」
騎士は何か観念したように剣を引き抜くと、レオンへと近付き、おもむろにその柄のある個所を指で示した。レオンは反射する西日に難儀しながらも、なんとかそれを目に収める。
……そこには流麗な文字で、こう刻んであった。
「『グスタフ・シュレーゲル』……はん。なるほど……自己紹介くらいは出来るか」
読み上げたレオンは満足した様に鼻を鳴らす。そして再度矮躯の男へと振り返り、断言した。
「いいぜ。所詮は行く当てもない旅だ。連れて行ってやる」
「おお、恩に着る……」
「ただまあ、何処まで連れて行けるかは、俺とこいつが仲良くやっていけるかどうかって所だ。もしかしたら最初の野宿で喧嘩別れするかもしれないし、あるいは失せ物探しの最中でどっちかが野垂れ死ぬかもしれん。それでもいいのか?」
「ああ、いいとも。此処から連れ出してやってくれ……」
「分かった。……それじゃあな。長年の積もる話はあるが、今する事も無いだろう。……また会おう」
「……神の祝福を……」
「行くぞ、グスタフ」
「……」
歩き出した背に祝福の言葉を受けながら、男と騎士は闇に沈みゆく街道を歩き始める。
旅の準備は無く、また行く当ても無い。行き当たりばったりの暗中模索とはこの事だ。状況が状況だけに、流石のレオンも頭を掻きながらぼやいた。
「しっかし、どうしたもんかねぇ……あいつだったら最初に何処行くか……」
「……」
「……ん? ああ、そういや何にも話してなかったな。……詳しい話は省くが、俺の教え子が処断されそうになってたから逃がしたんだよ。んで、今は町の外に逃げているはずだから、それをだな……」
「……!?」
「あ? 身振り手振りだけだと分かり辛いが……お前、もしかして呆れてるのか……?」
レオンの言葉にグスタフはブンブンと首を縦に振り、肯定を返した。その様子にレオンは長々と溜息を吐く。
「あのなぁ……俺だって好きでこんな事になってる訳じゃないんだぞ? 教え子が――ああ、ベアトリーチェって言うんだが、そいつが目の前で斬り殺されそうになってたら、誰だって助けるだろ? 昨日まで何にも悪い事してない奴なんだぞ?」
「……?」
「言ってる事が分かってなさそうだな……いいだろう。時間はたっぷりある。歩きながらこれまでの経緯を話してやるよ……」
レオンは再び溜息を吐くと、今日あった出来事を、異形の群れと、異常者と、教え子の事について語り始める。
それはこの長すぎる一日の終幕に相応しい、紅く、陰惨で、狂気に満ちた運命で……けれど、自由への第一歩でもあった。
「――――」
「……?」
数奇な運命で出会った二人は、次第に荒れていく街道を当ても無く歩き続け、やがて垂れ込める闇夜の中に、その身を溶かして行くのだった……
【プレートアーマー】
・人体の胸部、或いは全身を覆う金属板で構成された鎧。板金鎧とも。
・全身を装甲するという、甲冑という概念の一つの最終形態。装備重量は重いものでは五十キログラムを超え、装備者によっては歩く事さえ苦労する有様であった。
・しかし、時代を経るにつれ板金加工技術が発展し、十六世紀には二十程度にまで軽量化する事に成功している。
・グスタフの身に付ける鎧は特注品であり、マクシミリアン様式……或いはフリューテッドアーマーと言われるそれである。軽く、動きやすいが、しかし常時身に付けるようなものではないだろう。




