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炎の魔女  作者: 御留守
序章 ある名も無き村にて
3/54

第三節「救済」

「――――」


 眼前の出来事に絶句した。

 横たわった男の体は身じろぎひとつせず、そこに在り続けている。

 だが、人体において最も感情豊かな箇所――それのあった場所からは黒い煙がもくもくと立ち上っていた。

 ……如何なる奇跡を用いたのか、一瞬で頭部が消し去られたのだ。


「…………」


 傍らに座る女性はその死体をただ見つめている。

 ……こんな事をしても何の痛痒も感じないのか、憐憫(れんびん)哀悼(あいとう)といった感情は女性から読み取る事が出来ない。

 まるでこうする事が当然なのだと、これこそが正しい行いなのだと言わんばかりに、真摯な眼差しで黙り込んでいた。

 ……あの横顔を見れば、嫌でも分かる。分かってしまう。

 あの人は己の手を汚す事への躊躇(ためら)いなど、とうの昔に投げ捨てているのだ。

 何かを為すべきという覚悟。それを為し得るだけの意思か、計り知れぬ何かが彼女を突き動かしているのだろうか?


「……っ」


 あまりにも非日常的な光景、凄惨(せいさん)な覚悟に目が奪われてしまう。

 周囲には数多の焼け焦げた死体が散乱していたし、燃え広がった炎で家々はそれこそ(まき)のように燃え上がっている。空舞う火の粉に息を吸うだけでも喉が火傷しそうだ。


「…………」


 けれどそんな周りなどお構いなしとばかりに、女性は屈みこんだままだ。時折熱風が髪を揺らし、ちりちりと服を燃やすが、それすらも意に介さない。

 ややあって、女性はおもむろに手を伸ばし、死体の胸の真ん中――心臓のある場所へと手を置いた。同時に首の無い死体が燃え始める。

 死体は黒い煙を出しながら、燃えて、燃えて、やがて黒い灰へとなっていく。


「……貴方の魂に、真なる救いがあらんことを……」


 ……ごうごうと燃え盛る音に乗って、そんな呟きが聞こえた気がした。


 人の焼ける臭いは悍ましい程に。

 人であった残骸(ざんがい)(おびただ)しい程に。

 ……けれどもその覚悟は眩しく、瞳を焼き焦がす程に。

 この光景は、私の心へ、深く深く、烙印の如く焼き付いていったのです。


「きゃっ……!?」


 そうして私も見つめていたのだけれど、ふとした拍子に私の体は前方へと投げ出された。


「よっと、お待たせした」


 ……だが投げ出された私が地面へ落ちる事は無かった。どうやら誰かに受け止められたようだ。


「あ……」


 顔を上げて確認すると、さっきのぐるぐる巻きの人だった。


「あの、ありがとうございます……」

「いいっていいって。むしろお待たせして申し訳ない。何しろ色々と立て込んでいたんでな……」


 そう言って私を降ろしながら、彼はフランクに釈明してくれた。……顔に巻いた布のせいで表情こそ見えないが、こうして近くで声を聞くと何だか親しみ易そうな人だ。


「……おい。ビーチェ! いつまでそうやって見てるんだ」

「ああ、ごめんなさい。ちょっと色々と考えちゃって……」


 女性はずっと黒い染みを見つめていたが、声を投げかけられてやっと振り返った。


「死体なんぞよりも生きている嬢ちゃんを気にかけろよな……っと、そうだった」

「どうしましたか?」

「さっき焼かれていたご婦人なんだが、まだ息があってな。お前なら何とかできるかもしれん」

「……分かりました。行きましょう」

「……嬢ちゃんも来た方がいいな。辛いものを見せることになるが……」

「え、はい……」


 彼の先導で私達は歩き出す。何処へ行くのかと思ったが、なんて事はない。近くの家屋の裏に案内された。ここなら広場から死角になっているから、見つからないと踏んだのだろう。


「――――」


 ……だが、そこに横たえられていたものを見て、私はまた言葉を失ってしまうのだった。


「……予想はしていたけど、酷いものね……」


 私を代弁するかのように女性は吐き捨てる。

 そこにあったのは――


「ああ、お前が引き付けてから必死に助けようとしたんだが……」


 そう、そこにあったのは、変わり果てた叔母様の姿だった。


「ああ……あああっ…………」


 思わず力が抜け、膝を突いた。

 あまりの惨状に目を逸らしたかったが、体が言う事を聞いてくれない。

 ……自分の意思とは裏腹に、全身を子細に眺めてしまう。


「…………っ」


 身に着けた服は全て焼け落ち、全身は余す事無く焼け(ただ)れていた。

 かさかさになった口は半開きのまま、何かを呟く途中のまま固まっている。

 あんなに綺麗だったブラウンの髪も顔もぐちゃぐちゃになってしまって。

 そうだと言われなければ気付けないくらいに。徹底的に。

 炎によって蹂躙され尽くした肢体が、そこにはあった。


「こ、こんな……こんなのって……」


 ……そう絞り出すのがやっとだった。

 身寄りも無く親戚をたらい回しにされた私を引き取り、優しくしてくれた叔母様。

 その所為で村の人達から白い目で見られたけれど、それでも何も気にする事なんて無いと、笑い飛ばしてくれた叔母様。

 カチカチの黒パンを固い固いと笑い合いながら、一緒に食べてくれた叔母様。


「ぐ……ううっ…………」


 ……私の大好きな叔母様が、何でこんな目に会わないといけないの?

 私達は、何をしたというの?

 神様。ねえ、なんでですか?

 私を取り巻く世界は、どうしてこんなに残酷なのですか……?


「…………」


 呆然とする私を置いて女性は叔母様へと近付くと、屈みこみ体へと手を当てる。

「うん……」


 そうして何か納得したのか一つ頷くと、ぼそりと呟いた。


「……かすかにだけど、息がまだある」

「え……?」


 思わぬ言葉に胸の奥がドクンと跳ねた。


「私なら、少しだけ何とかできるかもしれません」

「何とかって……何とか、なるんですかっ……?」

「ええ。……説明する時間が惜しいですね。すぐに始めます」


 そう言うと女性は先の男にしたように、叔母様の胸に手を当てた。すぐに白い煙が体中から上り始める。

 ……一瞬だけ、男にしたように叔母様も燃やしてしまうのではと心配したが、すぐに振り払った。私にはどうせ何も出来ないのだ。だったら、この人に賭けてみた方が何倍も良いだろう。


「――――」


 ……女性は真剣な顔で叔母様を見つめ、手を当て続けている。何か無理をしているのか、額には汗が(にじ)み、腕は小刻みに震えていた。その様は患者へと祈りを捧げる司祭様みたいだ。

 ……いや、それ以上に真に迫る何かが、この人からは感じられる。まるで本当に怪我や病と闘っているような……私にもよく分からないけれど……

 傍らにいたぐるぐる巻きの男も厳粛な雰囲気に飲まれたのか、壁にもたれかかりながら無言でその光景を眺めていた。


 そうして時間がどれくらい経っただろうか――


「あ――」


 か細い声が、聞こえた。


「あ、ああ、こ……こは……?」


 今度は更に大きく、はっきりと。


 この声は私の大好きな……


「叔母様……っ!」


「その、声は……アデーレ……? はっ、ああ、貴方は無事だっ、のね……」


 ……声は確かに目の前の叔母様から発せられているようだった。即座に一語一句聞き漏らすまいと、近付いて顔を寄せる。


「ええ、ええ! 私は無事です。この人達に助けてもらいました」

「た、助けら…………そう、他にも誰か……ご、めんなさ……前が、もう見えなくて……気付けっ、なか……」


 時折苦しそうに呼吸が乱れるも、私の声が聞けた事で安堵したのだろう。最初にあった困惑の色はすぐに消えていった。

 そして次には、動かぬ唇で必死に何かを伝えようとしてくる。


「アデ、私の可愛いアデー、レ……よく、聞き……い」

「……はい」

「……この村を捨てて、どこかとおく、へ旅立ち……」

「……!? だ、駄目です! 叔母様も! 叔母様も一緒にっ!」

「いえ、私はもう、駄目……こうして話すのが、せいいっぱ、い……」

「叔母様……っ」


 違う。

 違う、違うの。

 そんな言葉が聞きたいんじゃないの……!

 私は叔母様と一緒だから、慣れないこの村の生活にも耐えてこられた。

 だから、ただ一緒に生きたいだけ。

 叔母様のいない人生なんてもう考えられない。貴方だけが私に優しくしてくれたのだから。

 優しくない世界も、陰口を言う村の皆もいらない。貴方だけが、いてくれれば……


 そうだ。

 いっその事、一緒に死んでしまえば――


 ……けれど、そんな考えなどお見通しだったのだろう。


「……アデー、レ」

「…………」

「一緒に逝くなんて、言わないで、ね……」

「……っ!」

「貴方の笑顔で、私も救われ……たのよ……」

「……う、ああ……やだ……」

「だから、生きて……しあ、わせに……」

「うう、あああっ……!」


 かけられる言葉に視界が滲む。涙が止まらない。

 どうして。

 どうして、この人はこんな時でも優しいの。

 どうして、自分を顧みずに、生き延びた私を気にかけてくれるの。

 どうして……私なんかを大事にしてくれたの。


 そんな事を言いたかったのだけど。


「うううっ……おば、さま……っ!」


 ……私には嗚咽を殺して呼びかけるのがやっとだった。


 けれどそんな私を見て叔母様は、


「もうダメ、かな……アデーレ……ごめ、んね…………最後に話せて、よかっ……」


 満足そうに一つ言い残すと、突然燃え上がり――


「……え……」


 一瞬で白い灰へと代わってしまった。


「…………なん、で……」


 ……後には灰を見つめる私だけが取り残された。

 呆けたまま。理解できぬまま。

 ただただ、呆然と見つめる私だけが、一人残された。


 そして、そんな私には気付けなかったのだが……

 私を見守っていた二人は、既にこの場を後にしていたのだった。


【村社会】

・中世の農村は総じて閉鎖的。外部からの余所者を受け入れる事を忌み嫌う。

・得てして災厄とは外部からもたらされるもの。蹂躙されるは彼らが勤め。

・度重なる不作と重税に喘ぐ彼らの、ささやかなる処世術……それが■■■。

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