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炎の魔女  作者: 御留守
幕間
28/54

断章「ある修道女の回想 下」

「ある意味よ。あいつらも被害者だったのかなって……」

「…………」

「仕事にありつけなくって、食いっぱぐれて、せめて寄り添おうとああいう風に集まって強がって……俺だって、一歩間違えればああなってたかもしれないし」

「…………」

「あいつらの兄貴も、きっと必死だったんだ。纏め上げるリーダーってのは何時だって責任を持ってなきゃいけない。ああして慕われてたって事は、きっとすごい奴なんだろうさ。ただ今回ちょっとだけ道を踏み外したってだけで……」

「…………」

「だからよ、シスター。どうかあいつらを悪く思わないで欲しい。時代に揉まれた憐れな被害者なんだよ、きっと……」


 路地から路地へ、その路地から更に細い路地へと道を選びながら、男は持論を熱く語ってくれた。内容自体はひどくありふれたものではあったが、この男が語ると何やら無駄に説得力がある。彼自身が被害者めいた格好だからだろうか? この町に来るまでに何があったのかは定かではないが……

 ……しかし先の振る舞いを見た一人としては、どうしても突っ込まざるを得ないものがある。ジトリと視線を投げながら、私は男へと棘のある言葉を向けた。


「……その憐れな被害者達を完膚なきまでに叩きのめした貴方が言うと、説得力がありますね?」

「え? いやぁ、それほどでも……うへへ……」

「……皮肉が通じない……」


 ……何なのでしょうね、この男は……ここは照れる場面じゃないでしょうに……


「はぁ……」

「……?」

「……まあいいです。何でもありません」

「ふーん? ……そういえば、シスター」

「なんでしょう」

「シスターは何で俺に付いて来るんですかね?」

「……貴方が何のためにそこまでしたのか、それを見届ける為です」

「ほーん……?」


 ……この町のそれなりに責任ある立場として、私はこの男が何処へ行くのかを突き止める必要があった。彼にこれ以上厄介事を起こさせるわけにはいかないし、何より追い払ったとはいえ先の集団が再度襲撃をかけてくるかもしれない。そうした時にまた暴れられては困る。


「俺としてはまあ、来てもらっても全然大丈夫なんですけどね。先方がどう思うか……」

「先方……貴方に依頼を出した方がいるのですか?」

「いや、依頼っちゅーか、なんちゅーか……お節介? みたいな? 金はくれるみたいだけど」

「……お節介……」


 お節介で薙ぎ倒された彼らの事をこの男はどう思っているのだろう……多分どうも思ってはいないのかもしれない。


「おっと、到着」


 そんな風に暗澹とした気持ちになった私など露知らず、男は路地の一角にある建物の前で歩みを止めた。


「……ここは?」


 ……意識せずに歩いていれば絶対に見過ごしてしまう様な狭苦しい入口、それにどことなく漂うすえた臭い、小さく掘り込まれた十字の印。削られてからもう何年も経っているのか、切り口から覗く木の色はひどく変色していた。


「おーい! 持ってきたぞ! おーい!」


 怪訝そうに立ち止まる私を捨て置いて、男は件の扉をガシガシと乱暴に叩き始める。

 すると程無くして扉の下の方に設えられた箇所が開き、中から紙切れのような物が放り出された。


「ああ? 『うるさい静かにしろ。あと持ってきたものは此処から入れろ』だ……? おいおい、ぶっきらぼうにも程があるだろ……まあいいけど」


 何かしらの指示でも書かれていたのだろうか、男は拾い上げた紙を見て少しだけ不機嫌になるも、次には先の集団から強奪した――彼が言うには取り返した、だが――皮袋をいそいそと扉の中へと詰め込みだした。


「おし、入れたぞ……っておい! 締めるの早いな!?」


 入れ終えた途端、扉の下部は勢いよく閉じていく。その事に男は愚痴を漏らしたが、その目はどこか楽しそうに緩んでいた。

 ……そしてそれ程時を待たずして再び扉の下部が開き、入れた物より一回り小さい皮袋と、またしても紙切れが投げて寄越されたのだった。


「んー……ああ、なるほど? これが謝礼っと……」


 紙切れと皮袋の中身を交互に見ながら、男は満足そうに一つ頷く。


「確かに受け取った! これで貸し借り無し、後腐れも憂いも全部無しだ! じゃあなッ!」


 男は再度扉を殴り付けると、もう用は無いとばかりに踵を返してこちらへと帰って来る。


「……用は済んだ。行こうぜ、シスター」

「あの、今のは一体……」

「歩きながら話す。……あいつらに泥を塗る訳にはいかないんでな。離れた所へ行こう」

「え、ええ……」


 何一つ詳細を明かされないまま、私達は歩き出した。路地から路地へ、そして路地を抜けて大通りへ。徐々に人通りは増えていったが、行き交う雑踏の中を連れ立って歩き続ける。

 ……もうそこで十分だと判断したのだろうか。広場の入口手前で、男は唐突に話し始めた。


「……それじゃ、俺があいつらに助けられたところから話そうか」

「随分と藪から棒ですね」

「もう何日前だろうかな。俺はこの町に辿り着いて……行き倒れていた」

「またですか……いえ、私が見つけた時の方が後だから……まあ、いいでしょう」

「……そこで、空腹でもう動けねえって時にさ。誰かがパンを投げて寄越してきやがったんだ。最初は物乞いに間違われたのかなぁとか思いながら食ってたんだけど」

「ああ、結局食べるのですね……少しは人を疑った方が良いのでは?」

「シスター、いちいち話の腰を折らないで欲しいんだが? ……まあいい、んでだ。食ってる時に俺は路地の奥からジッと見てる奴がいる事に気付いた」

「……」

「ああ、飯を与えて観察してくる物好きもいたもんだなぁと思って、俺は食い終わった後、礼を言いにそいつの所へと向かったのさ」

「……それで?」

「路地に入った時には……そいつは消えていた。しかし、一つの書置きが残されていた」

「書置き……ああ、先のやり取りのような?」

「ああ、そうだ。そこにはこう書いてあった」


 男は広場から伸びる路地を見つめて僅かに目を細めた。


「『我らの証を取り返してほしい。謝礼は十分にする』……ってな。後はそれらしい番地が二つと金額が書いてあった」

「……なるほど。随分な方もいたものですね。それに、姿も見せない依頼者をあなたは信じたと」

「ああ、信じた。こういう回りくどい事をする――いや、しなきゃいけない奴らには心当たりがあったからな。お互いに眼鏡にかなったって事だ」

「お互いに、ですか」

「……こっちからしたら上等なメシの種、あちらさんからしたら文字が読めて、この土地への執着も、ついでに変なプライドも無い余所者。ほら、互いにメリットしかないだろ?」

「ん、んん? 待って下さい……相手方は、それだけのアプローチで貴方の人となりが分かったというのですか? ご飯を与えて文字を読ませただけでしょうに」


 ……確かにこの時代、文字が読める者はそう多くはない。ましてや彼のような人種では望むべくもない事でもある。しかし、それだけで依頼したにしては腑に落ちない点が多過ぎる。


「……シスター。あいつらの目利きを舐めちゃいけない」


 だが男は私の認識の甘さを糾弾するかのように、静かに言葉を紡いでいく。


「あいつら――賤業(せんぎょう)に従事する奴らは、日向に生きる俺らとは違う文化を、智慧を、誇りを身に付けている。……己が穢れ、人から疎まれる事を犠牲にしてな」

「穢れ……」

「ああ、死の穢れ。死者を扱う穢れ。泥に、不浄に、血に塗れる穢れ。……扱うのはそんなところだ。彼らはそれら人の忌み嫌うものを全て処理してくれている。シスター、あんたとは真逆の立場って所だな」

「そう、ですね……」


 私自身、そのような職に従事する者がいる事は知っていた。知ってはいたのだが……その実情を知るには、あまりにも接点が無さ過ぎた。せいぜいが誰かが流した与太話を風の噂で聞くくらい。

 詳しく知る者など同業の者か管理する役人か、はたまた奇縁を結んだ誰かか。埋葬に立ち会った事は数あれど、生憎と私にはそのような知人はいなかった。

 ……我々の様に陽の光の下で大手を振って歩く者であればある程――一番知っていなければならない筈なのに――その実態を知ることは出来ないのだろう。


「そう気に病む事も無いさ。あいつらはそれこそ必死に自分らの穢れを人に移さないようにしてるんだし、その努力の結果で無知と無理解が広まっていると考えれば……まあ、悪くは無いんじゃないか?」

「…………」

「それに、なんだ。実際あいつらは良い金を貰ってるんだ。酷い仕事だが、それなりに折り合いは付けているだろうよ」


 きっと不甲斐無い顔でもしていたのだろう。男は先とは打って変わり、慰めるように労わりの言葉をかけてくれた。


「……まあこの話はこれでおしまい。あいつらの証は俺がきっちり取り返したし、万事めでたしめでたしってな。今頃あいつらも辛気臭く祝杯でも挙げているだろうさ」

「……ああ、そういえば」

「……ん?」

「彼らの言っていた証とは、どういう物なのでしょう? 後学の為に教えて頂きたいのですが」

「……まあ知らなくても無理はないか。シスター、証ってのはな……」


 私の言葉にやれやれと肩を竦めながら、男は皮肉げに口の端を歪め、こう告げるのだった。


「証ってのはその忌まわしき生業(なりわい)を許された証左。約定の具現。彼らにとっての誇り、命そのもの。……まあ要するにだな。失くすとあいつらも食いっぱぐれちまう。落としたのか盗られたのかは知らんが、誰だってメシの種を失くしたら必死になるだろうさ」

「ええと、何一つ説明になっていないのですが……」

「そりゃそうさ。教える気ないし?」

「は……?」

「下手に口を割って、またあいつらに迷惑が掛かったらどうするって話さ。こう見えても義理堅いんだよ俺は、な」

【賤業】

・卑しい仕事。誰もがやりたがらない、穢れた、忌まわしい生業。またそれに従事する者達を賤民と呼ぶ。

・中世において死の穢れは病を運ぶと信じられ、賤業に就く者は迫害される定めにあった。物は高く売りつけられ、言葉も交わせず、最悪のものであればその姿を公共の場に出す事すら叶わない。故に、彼らは得てしてコミュニティを作って暮らし、共に支え合って生きた。

・賤業とされた職業だが、どぶさらい、排泄物の汲み取り人、墓掘り、煙突掃除人、染物師、そしてそれらに加え、皮剥ぎ、刑吏――死刑執行人といったものがそれらの極北とされる。

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