断章「ある修道女の回想 中」
「ふぅ……これで良し」
「何やってるんですか貴方は!?」
「え? いやぁ、流石に頼まれ物を渡す訳にはいかなくて……これ、貴重品だし?」
「借りたという話ではなかったのですか……!?」
「あれは……方便という奴だ。うん。俺だって事を荒立てたくはないか――」
「十二分に荒立てているじゃないですかっ!」
「あ、ああああ!? アニキッ!? アニキぃ!?」
目の前の男の言い訳がましい言葉に全力で突っ込んでいると、今度は別の方から素っ頓狂な悲鳴が聞こえてきた。
私は突っ込みを中断し、声の主の方へと視線を向ける。そこには……
「アニキ! 気を確かにッ!」
「アニキッ!」
「おう、誰がやったんだゴルァ!?」
先の粗野な男を一回り小さくしたような者達が十数人、泡を吹いて倒れている男の周りでぎゃあぎゃあと叫んでいるではないか。
「……あの人達は……」
「あー……やべ……追い付かれちゃったな……」
「……貴方、あんな大所帯に追われていたのですか……!? 何をしたらあのような集団に――」
「ちょちょちょ、シスター。声が大きい――」
「ああ!? んだコラ……!? そこの襤褸野郎とシスター! てめえらがやったんかコラ!?」
「ああ、くそ……! 見付かっちまった!」
行き倒れの男はうんざりした様に天を仰ぎ、己の不運をこれでもかと言わんばかりに嘆き出す。……というか、先の集団が私の方にまで剣呑な殺気を放っているような……
「オラァ! どっちがやったかなんてどうでもいい! 両方とっちめてアニキの仇を取ってやらぁ! っくぞてめえらッ!」
「ッタルァアアッ!」
「ッシャッコラァッ!!」
「えっ、ちょ、待ちなさい……ここは落ち着いて話し合いを……」
「ットメンジャネェエエエ!」
完璧に逆上し、暴走一歩手前となったならず者(仮)の集団は怪気炎を上げながら、まずは手始めとばかりに私へと殴りかかってきた。
「オッルアアアッ!」
その拳は私の顔を真正面から捉え、殴り飛ばす筈だったのだろう。だが――
「……アァッ!?」
「……全く。説得出来ないようでは、仕方がありません」
……私は伸ばされた拳を最小限の動きで躱すと、その手首を握り締めた。
途端に握られた手首からメキメキと悲鳴のような音が鳴り始める。
「グッ!? あああっぁぁぁ!?」
「ちょっと握っただけではないですか。それにしても、脆いのですね。ちゃんとご飯は食べていますか?」
「あああぁぁっっ!!」
「……ふっ」
苦悶の叫びを上げ続ける男を私はぐるりと引き回していく。ずりずりと地面を擦っていた体はやがて引かれるままに浮き上がる。そして手首を掴んだままきっかり二回転させた後、存分に勢い付かせて投げ飛ばした――
「ああああああッ!?」
投げ飛ばされた男は一直線に通りを横切ると、建物の壁に頭からぶち当たり、そのままだらりと力無く崩れ落ちていく。
先まで気勢を上げていた集団はその一部始終を見るや凍りついたかのように押し黙り、唖然としながらこちらを凝視した。
私はひとしきり汚れた手を払うと、にこやかに彼の集団に問う。
「……それで、次は誰が来るのでしょう? とっちめる……とか何とか言っていましたが、売られた喧嘩は全て買いますよ?」
「ひっ……!」
あそこまで威勢よく喚き散らしていたというのに、一人やられただけでこの始末とは……
……正直言って、物足りない。
お粗末にも程がある。無様にも程がある。
少しだけとはいえ、期待した私が馬鹿みたいではないか。
……心の中でまた澱みが増えていく。
燻ぶり満たされぬ欲求が捌け口を求めて昂り続ける。
「――――」
その鬱屈をどう扱っていいか分からないまま、気付いたら私は怯える集団へと近付いていた。
予備動作も逡巡も無く、一息で一人の懐に入り込み……
「来ないようであれば――」
そして無防備そのもののどてっ腹に、全霊を込めた掌底を叩き込む。
捻り穿ち、芯を捉えた一撃は受けた男の体を空樽のように吹き飛ばしていった。
「――こちらから往くのみッ!」
吹き飛んで行った男は先の男の隣の壁にぶち当たり、白目を剥いたまま動かなくなった。
「ひぃぃィッ!?」
「う、狼狽えるんじゃねえッ! シスターには手を出すな! 向こうの襤褸野郎だ! きっとアニキをやったのはアイツに違いないッ!」
集団のリーダーと思しき男が激を飛ばし、混乱しかかる仲間をなだめていく。どうやら私は標的から外されてしまったようだ。こちらとしてもこれ以上暴力を振るうのには気が引けていたところ、渡りに船ではあった。一人殴り飛ばしたのは……まあ、正当防衛という事で。
(さて、お手並み拝見と……?)
首を巡らし、私は件の行き倒れへと視線を向ける――だが。
「んなっ……テメエッ!?」
「んぐっ……んごっ……ぷはっ! よー、そっちはもう終わったのか?」
……何故か、男は私の買い与えたエールを飲み干していた。
「なんて、緊張感の無い……」
「神の与えたもうた全てに感謝を、ってな。物は大事にしないといけないぞ?」
「無駄に高尚な言い回しをするのですね……貴方……」
「俺の先生は偏屈でなぁ。こういう事ばっかり言ってくれたのさ。おかげで俺も随分な皮肉屋になっちまった……」
「それは本来の性分なのでは……?」
「なに俺らを挟んで世間話してんだオルァ!? 無視すんな! 泣くぞ!」
「おっと失礼」
空になったエールの容器を几帳面に床に置くと、行き倒れの男はふらりと立ち上がる。
「そろそろ荒事からは足を洗いたかったんだが……降りかかる火の粉は払わないといけないか」
男はそう呟くと年若い相貌を引き締め、隠し持っていた得物を腰から抜き放った。
(短刀……?)
その手に握っていたのは、何の変哲も無い短刀。しかも鞘に収まったままだ。
男はソレを一分の隙も無く構えると、集団に向かって手招きをした。
「お前らの兄貴から逃げ回った詫びだ。存分に遊んでやる」
「へ、へへ……そうこなくちゃあぁなあッ! おめえら! 袋にすっぞッ!」
「うおおおおッ! やっぞクルルァッ!」
「しめっぞオルルァ! アニキのカタキィッ!」
「おーおー。随分と兄弟想いな事で……」
挑発を真に受けた集団はいきり立ち、思い思いの得物を手に男へと殺到する。
……先ずは二人。
「――そらよッ!」
「――!? ぶごぉ!?」
男は足元に置いたエールの容器を蹴り飛ばし、接近する片方の顔面に叩き付けた。
顔面ど真ん中に命中したソレはコーンと景気の良い音を立て転がっていく。ぶつけられた男の意識もまた、夢の中へと転がり込んでいった。
「お次ィッ!」
「ひえ……っ!」
次に意表を突かれて固まっているもう片方へと男は近付くと、短剣で殴ると見せかけながら強烈な足払いを仕掛けた。
「にょわっ……!?」
「遅いッ! 遅過ぎるなあッ! そんなんじゃあ、戦場では五分と持たないぞ!」
嘲りとも親切とも取れる言葉を投げかけながら、男は倒れかけた相手の胸倉を掴み、そのまま担いで乱暴に投げ飛ばした。投げ飛ばされた男は集団のど真ん中に突っ込み、何とか受け止められた。
「おおおっああ!?」
「おう、次だ! 早く来い! お互いに面倒事はさっさと終わらせた方が良いだろ!?」
投げ飛ばした相手など最早眼中に無いと言わんばかりに、男は啖呵を切る。
「ほら、どうしたどうした! さっきまでの威勢は何処行った! マッマのキスでも恋しくなったか、ええ?」
「っぐぐぐぬぬぬ。言わせておけば……ッ!」
「おうそうだ、そのままこっちに……っとォ!」
次に襲いかかってきた三人へ向かい、男は足元の地面を蹴り上げた。すると、いつの間に緩くなっていたのか――それともさっきから用意していたのか――砂と飛礫がふわりと舞い上がった。そうして蹴り上げた砂塵は容赦無く男達の顔に叩き付けられていく。
「ぐっ!? 目がっ……ぬおお、きたねえぞ――」
「るっせーなッ! 集団でシメようとしてるお前らには言われたくねえ――よっと!」
悪態を吐きながら悶える一人へ向かい、男はあろう事か……目潰しを繰り出したのだった。
「ぐにゅあああ!? 目がッ! 俺の目がァッ!!?」
「ハッハー! 良い声で鳴くじゃねえか! もっとだ! もっと見せてみろッ!」
目潰しを受けて悶え苦しむ相手を殴り倒しながら、次の相手へと食らい付いていく。
一人を蹴り飛ばし、二人を殴り付け、そのまた二人を短剣で打ち据えながら、男は狂ったように暴れ続けた――
「ひぃぃぃ! コイツ、頭がイカレてやがるのか!? なんで集団相手に突っ込んで来るんだよォッ!?」
「しかも恐ろしくつええ……ッ! ぐっ、速過ぎて何してるのか見えねえし、気付いたら誰かが吹っ飛んでやがるッ!」
「ホントに短剣一丁だけであの動きなのか!?」
「ええいっ、てめえらッ! ビビってんじゃねえッ! 何でもいいからとっ捕まえてでも動きを止め――ぴぎぃ!?」
「ああっ!? リーダー!? リーダーの頭に岩が!?」
「呑気にお話とぁ、良い御身分だな。アアァ? こっちは独り身で寂しく戦ってるってのに、よォ!」
「ぎゃああああ!? 糞を投げるな! きったねえっ!」
「さっきも言っただろうが! 神の与えたもうた全てに感謝を、ってなあッ! 遠慮は要らねえぞ! 食らっていけッ!」
「おい馬鹿やめ――んんんんんんっごごごごご!!!」
……そんな風に目の前で繰り広げられる阿鼻叫喚の地獄絵図を見て、私はただただ、こう思う事しか出来なかったのでした。
(むごい……むごすぎる……)




