第二十節「旅路の始まり」
「貴様! ここで何をしている!」
「我々の留守を良い事に無断で詰所に入るとはな……!」
「……」
「しかもなんだ!? その面妖な仮面は!」
「おい、その仮面を外せ! どこの誰か申告してもらおうか!」
「……」
「おいッ! 何か答えたらどうなんだ!?」
時を同じくして、直前までベアトリーチェがいた右の塔、その屋上。
そこでは一足遅く駆け付けたダンテが、二人の衛兵に剣を突き付けられていた。
二人の衛兵は戻って来たばかりなのだろう。息を切らしながらも、目の前の明らかに剣呑な相手に油断なく視線を向け続けている。
「動くんじゃねえぞ……! 下手な事をしたら即座に斬りかかるからなッ!」
二人の衛兵はそう警告をしながら、じりじりとダンテへの距離を縮めていく。
このような気狂いの相手など二人は初めてだった。だが、一角の兵士としての自尊心がそうさせるのだろうか。未知のものと相対する恐れなどおくびにも出さず、二人は職務を全うしようと尽力している。
だが――
「……」
ダンテは告げられた警告も二人の威嚇する衛兵もまるで意に介さず、外側の手すりに手をかけると、ぐるりと視線を彷徨わせた。
そして一通り見回した後、思案するように顎に手を当て、一言漏らす。
「……外れか。扉は囮だったか……?」
「お、おい!? 動くなと言ったはずだ!」
「……?」
衛兵が再度怒号を投げかける。そこでダンテはようやく彼らに意識を向けたらしい。
向けられている剣の切っ先に全く怯む事無く、大股で距離を詰めた。
「き、貴様! 何を――」
そして、何の前触れも無いままに抜刀し、近い方の首を刎ね飛ばしたのだった。
「は……? え……」
首の無くなった身体がその場に崩れ落ちる。うつ伏せに倒れたそれは四肢を痙攣させながら、命の名残のように切断面からごぼりと血を溢れさせた。
残った衛兵は呆気にとられ、間抜けな声を漏らすのがやっとだった。
「…………」
……続いてダンテは返す刀でもう一人へと肉薄し、剣持つその手を斬り落とす。
絶叫が、響いた。
「ぎっ!? ぐあぁあああっ!!」
「騒ぐな。黙れ」
「俺の、おっ、俺の手があああがあっ!!」
「……」
衛兵は膝を突き、斬られた腕を握り苦悶の絶叫を上げる。そんな彼をダンテは冷ややかに見下ろした。暗く澱んだ瞳には何の感情も無い。
「ぐうぅうっ……は、うああ、うううぅう……」
「……ああ、丁度良い」
そうしてのたうつ衛兵を見続けていたダンテだったが、良い事を思い付いたと言わんばかりに抑揚のない声音で独り言ちた。
「――少し、試させてもらおう」
「あっ、があっ――!?」
ダンテは斬り落とした手を蹴り飛ばすと、衛兵の胸倉を両手で掴み高々と掲げる。
衛兵は今起きている出来事を何一つ理解できないまま、半狂乱になりながら目の前の死神に問うた。
「お、おまえ、な、ななっ、何をする気だッ!?」
「実際にやってみるのが早かろう。私は少しばかり急いでいるのでな……」
「せ、説明になって――あああっ!?」
次の瞬間、ダンテは衛兵を掲げたまま走り出し――力の限りにその身体を放り投げた。
「ああぁああっあぁぁ!!?」
「さよならだ。……フフッ。言ってみると存外に気分が良いな」
ダンテの渾身の投擲により、衛兵は高々と弧を描きながら空を飛んで行く。
それはさながら砲弾のようで、見る人がいたならば驚嘆の呻きを漏らす光景だったが……生憎とこの場に観客はいない。
高々と打ち上げられた人の弾は、塔の縁を越えて町の外へと飛んで行った。
「ああぁあ――」
……次第に砲弾の上げる絶叫は小さくなっていく。
程なくしてぐちゃりと音が一つすると……何も聞こえなくなった。後に残るはバチバチと遠くに家々が燃える音のみ。
「さて……」
事を成し遂げたダンテは悠然と歩を進め、町の外を眺めだす。
「……ああ、やはりか」
そして破裂した血袋の残骸を見つけ、落胆の溜息を吐いた。
「無駄だったな。人では、この高さに耐えられない」
ダンテは言葉と共にそう判断を下すと、踵を返し足早にこの場を後にする。
そして時間が惜しいと言わんばかりに塔の縁から跳躍すると、町の内側へとその身を投げ出した。
「…………」
落下する事数秒。何事も無く地上へと着地した彼は、近くに捨て置いていた頭の潰れた軍馬へ飛び乗った。レオンとの戦闘の後に見繕った、即席の移動手段だ。
「北に行っていないのであれば……西か」
ダンテは大雑把に覚えた町の地理を頭の中で展開すると、馬の腹を蹴って駆け出した。暗く青褪めた馬が嘶きを上げ、猛烈な速度で西へと走り始める。
一切の逡巡も無く走り抜ける彼らはやがて通りを曲がり、燃え盛る町に飲み込まれるように消えていった……
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それから十数分後。
「……よっ、と……」
ベアトリーチェは全身を覆う藁を掻き分け、その姿を露わにする。
悲鳴と絶叫。ぐしゃりと何かが潰れる音。馬の嘶き。遠くに走り去っていく馬蹄の音……
それらが起こってしばらくした後、追手は既に立ち去ったと判断したからだ。これで近くで待ち伏せでもされていたらと思うとぞっとしたが……辺りを見渡す限り、どうやらそんな事は無いようだ。
「……」
周りにあるのは城壁に街道、青々と広がる平原。……それと赤黒く塗れた地面。先の絶叫の主だろうか。
ジジジと鳴く虫達の声を耳にしながら、私は憐れな誰かの為に祈りを捧げた。
「彼の者の魂に安寧が在らん事を……」
私は短く言葉を残すと、荷車から降り街道に沿って歩き始める。
……踏み固められた地面にサクサクと足音が鳴る。辺りに立ち込めた静寂の中で、その音は良く響いた。
「……」
……こうして歩き始めたはいいが、私に行く当ては無い。ある訳が無い。
この町しか知らなかった私にとって、目の前の世界はあまりにも広すぎる。
海に漕ぎ出した小舟はこんな気分なのだろうか。
……でも、生きなければいけない。生き抜かなければいけない。
呆然と立ち竦む暇など私には無いのだから。
父さんと母さんは、生きていてくれるだけで満足だと言っていた。
先生も私の生きる意思を尊重してくれた。
私を追う者のせいで、名も知らない人達だって大勢死んだ。
……彼らの恩義を、命を、無駄にしてはいけない。
そう思うと、強張ったままだった心がギチリと軋んだ。
先生の言葉で無理矢理に押しやっていた感情が、漏れ出した。
「とうさん……かあさん……」
……抑えきれなくなった想いが、愁いが、口から零れていく。
「もう会えないの、かな……いや、会えないのでしょうね……」
町を背にし、私は歩く。
振り返らずに、全てを振り切るように。
「さようなら……育ててくれて、ありがとう、ござい、ました……」
堪え切れずに涙が一筋、頬を伝っていく。
それは途中で燃え尽きる事無く街道の地面を濡らし、やがて吸い込まれていった。
嗚咽を噛み殺し、感謝の言葉を述べながら、私は歩き続ける。
「先生……また、出来れば生きて会いましょうね……きっと……どこかで……」
私は思い付くままに言葉を吐き出していく。
虚ろな言葉は誰かに届く事も無く、風に乗って消えていった。
「…………」
……やがて太陽は沈み、辺りに漆黒の帳が落とされる。
明るい煌めくような原初の光景は霧散し、闇に染まった視界が全てを覆い尽くしていく。
その様はまるでこれからの人生を示しているような……何も見通せない、暗澹とした世界。
……それでも私に味方するものも、僅かにあった。
「……月……」
夜の訪れと期を同じくして、丸く穿たれた天上の穴も、その顔を覗かせていたのだ。
その柔らかな光は仄かに闇夜を照らし、おぼろげながらも道行く先を示してくれる。
柔らかく慈愛に満ちた月光を浴びて、私は僅かばかりの安堵と共に息を漏らした。
「…………」
そしてその淡い視界を頼りに私は歩く速度を上げ、漆黒の世界――その暗黒の澱みの深奥へと、深く入り込んでいくのだった……




