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炎の魔女  作者: 御留守
第一章 業火を宿した少女
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第十九節「外界へ」

 フローラとレオンが戦い始めた同時刻。

 その頃、ベアトリーチェは――


「…………」


 燃え落ちていく家々を横目に見ながら、私は狭く入り組んだ路地を全力で走っていた。

 あのフローラとの戦いから既に十数分。今のところ追手が来る気配は無い。……でも、油断の出来る状況ではない事は言うまでもないだろう。


「……!」


 駆け抜ける路地の先、その通路の奥。むやみやたらに増築された家が焼け落ち、目の前から伸びた道へ瓦礫が落ちていく。


「そこの……!?」


 ……そしてその道の上には一人取り残された人がいた。私は見過ごす事も出来ず、思わず声をかけた。


「あ、ああ! あぁあ――」


 その人――女の奴隷だった――はパニックに陥っていたのか、何事か見知らぬ土地の言葉を喚き散らしながら、動く事も出来ずに瓦礫に飲み込まれていく。

 木材が叩き付けられる重苦しい音が響き、むせ返るような炎が哮る。もうもうと立ち込める黒煙から目を守りながら、私はしばしその場に立ち尽くす。

 ……しばらくして全てが収まった後には、うず高く積もった焼け付く瓦礫だけが残った。


「……くそっ」


 急いで近付いてみたが、瓦礫の量が多過ぎてとても一人では助けられそうもない。誰か助けを呼ぼうにも周りに人は皆無だ。そしてこうして立ち止まっている間にも、火の手は回り続けている――


「……ごめんなさい。何もしてあげられない……」


 懺悔の言葉を一つ残し、私は断腸の思いでこの場を後にする。……そうするより他に、出来る事なんて無かった。

 建材の下敷きになった憐れな犠牲者を飛び越えながら、私は目的の場所へ向かって疾駆する。

 目指す場所はこの町の北門。

 そこさえ抜ければ畑や平原に繋がる街道へと出られるはずだ。


「……ぐ、うっ……」


 ……一歩踏み出す度にギシギシと身体から悲鳴が上がる。きっともう限界が近いのだろう。

 でも、構う事なんて何一つ無い。今を生き延びなければ、私はどうせ死ぬのだから。……今しがた見た、名も知らぬ奴隷のように。


(結局、先生を置いて来てしまったけど……大丈夫かな……)


 どうせなら二人で逃げた方が良かったのではと、痛みから少しでも気を逸らそうとそんな事も考えてもみるが……何度考えてもあの状況では一人で逃げ出すのが精一杯だったように思う。

 ……今頃、先生は二人相手に戦っているのだろうか。ちゃんと逃げてくれていたら良いけど、後れを取って怪我などしていないだろうか。……あの容赦など微塵も無い二人の事だ。そう考えると今すぐにでも引き返したくなる。

 でもそれは、それだけはしてはいけない。

 だってそうしたら、折角助けると言ってくれた先生の意思へと泥を塗り付ける事になるのだから。


「……!」


 そんなことをぐるぐると考えているうちに、遠くに目当ての物が見えてきた。

 それは全てを威圧するかの如く、高く長く伸びた石壁。

 壁は外部からの侵入を拒むように、内部からの流出を防ぐように、その身を左右に際限なく伸ばしている。その姿は堅牢の一言に尽きた。

 これこそがこの町の外周をぐるりと囲む城壁。外敵から町を守るための防衛線。私が来たのはその北側に位置する場所だ。

 そして、その壁を行き来するための門もまた備え付けられているのだが……


「閉じてる……」


 いつもであれば交易の為に開かれたままの大門は、まるで私の行く手を阻むかのように閉ざされていた。恐らくは町の異常を察知して対処したのだろう。内からの有事の際に逃げ道を確保しないというのは、何だか本末転倒な気がするが……何か理由があっての事なのだろうか。ざっと見渡した限りでは見張りの門番達も出払っているようだ。


(塞いだという事は、外へ出られなくするという事。……門番すら出払っているみたいだし、みんなであの化け物を倒しに行った……?)


 確かに、この国の兵士の強さは相当なもの……らしい。昔から何度も領地へと攻め入って来た相手を撃退してきたのだと、父から自慢そうに教えられたのを覚えている。

 でも、ただの兵士にあの黒影どもが狩れるだろうか? ……いや、多分この混乱で情報が上手く伝わっていないのかもしれない。それにここ最近は領土関係のいざこざでピリピリしているとも聞いた事がある。面倒な事は早急に対処したいのだろうか。だからといって全員で出払う事もないんじゃないかと思うけど。


「まあ、私にとっては好都合か……急がないと」


 一通りの状況判断を終えた私は早速行動を開始する。

 先ずは大門を構成している左右の塔。その左の入口の扉に近付き、手を伸ばす。

 ……鍵がかけられていた。急いで右の扉へ移る。駄目だ。こっちも開かない。


「くっそっ、こっちは急いでるってのに……」


 業を煮やした私は力任せに扉を燃やす。幸い、木製だったのですぐに焼き尽くす事が出来た。

 塔の中を覗くと、部屋の中には粗末なイスとテーブルのみが置いてあった。

 更に奥を見れば、通路の突き当りで階段が上へと伸びている。


「むぅ……」


 ……少しだけ逡巡するも、取り敢えず中へと入って階段を登ってみる事にする。今はとにかく時間が惜しい。こうして思い悩んでいる間にも、追手がこちらを嗅ぎ付けるかもしれないのだから。

 石造りの通路を走り抜け、一段跳びで階段を駆け上がる。ぐるりと円を描きながら伸びていく螺旋を、ひたすらに駆け昇る。


 ……だが、登っていくその刹那。

 遠くで蹄が地を蹴る音と、馬の嘶く声が聞こえた。


「……!!」


 ……間違いない。絶対にあいつだ。あいつ以外にあるものか。

 あの男が、病と獣を従えた第四の騎士(しにがみ)が、馬を駆って私を探そうと走り回っている……!


「く、そッ……!」


 急げ! 急げ! 急げッ!

 あいつが来る! 今ここで嗅ぎ付けられたら逃げ場が無い!


「はっ、はっ……ぐ……っ」


 息を殺し、全速力で階段を登りきる。

 急に走る速さを上げたせいだろう。身体が空気を求めてぎゅうぎゅうと胸を締め付けてくる。

 胸が苦しい。目の前がくらくらしてよく見えない。呼吸をしようとしても何故だか上手くいかない。

 それでも走り続けて、突き当りのドアへと体当たりをしてこじ開ける。

 途端に茜色に染まるなにかが目の前に広がった。……多分夕焼けだろう。それで登りきったのだと知れた。


「……に、げ、ないと……」


 体当たりの勢いも殺し切れぬまま、私は堪らずその場に崩れ落ちた。それでもずりずりと塔の上の床を這って移動する。端に到達した私は外側の手すりに身を寄せ、体を起こした。


「はぁ……たっかい……」


 そこで見えたものは、太陽と空。悠々と飛び去って行く鳥の群れ。

 黄金に燃える麦穂の海。

 遥か地平の彼方まで伸びる街道。

 遠く遠くに見える、鬱蒼と生い茂った緑の塊。

 美しい、偽らざる世界のカタチ。

 そして――


「あ……」


 遠景に見入っていた私は、最後に城壁の下を見下ろす。そこで、ちょうど真下に停めてある荷車を発見したのだった。

 この騒動で持ち主は逃げ出してしまったのだろうか。荷車を引く馬や牛は既に離されていて、その上には山と積まれた大量の藁の束が乗せられたまま放置されていた。

 息を吸って、吐いて、心を落ち着かせる。頭を働かせる。


 ……ひょっとしたら、あれは使えるかもしれない。

 いや、使えるというよりはただの思い付き。博打でしかないんだけど……


(流石にこの高さだと生きていられるかどうか……)


 ゴシゴシと目を擦って霞んだ視界を振り払い、城壁の高さ――自分の立つ場所を再度確認する。

 ……うん。たかい。

 ここから落ちたら、馬車に轢かれたヒキガエル程度では済まないんじゃないかな……


「……!」


 そうこうしている内に階下からは足早に石床を蹴る靴の音が響いてくる。扉を壊した時の焼け跡から嗅ぎ付けられたのだろうか。


「ああくそっ……! もうどうにでもなれっ!」


 ヤケクソ気味に覚悟を決めた私は、城壁の縁へとよじ登る。甚だ不本意かつ危険で、下手をすると死にかねない行動だが……もう戻れないのならやるしかない。

 私は震える足で何とか縁の上に立つと、真下を見据える。それだけで頭がくらくらするほど恐ろしかったが、何とか耐えた。

 地面から離れた冷たくひんやりとした空気が頬を撫で、吹き付ける風が髪と服の裾をバサバサとたなびかせる。


「すーっ……はーっ……」


 覚悟を決める為、深呼吸を一つ。……準備はそれで十分だった。


「せぇぇぇのっ!」


 次の瞬間、私は城壁の上から身を投げ、一直線に藁の束へと落ちていった――


「――――!」


 体験した事も無い浮遊感に思わず情けない声が出そうになったが、慌てて両手で口を塞いだ。逃げている最中なのに、こんな間抜けな事で見つかったら死んでも死に切れない。……それでも怖いものは怖かったので、落ちている間は固く目を閉じておいた。


「――――ぶあっ!?」


 程無くして足に何かの感触がしたかと思うと、ベキベキバキボキと音を鳴らしながら体が何かにすっぽりと飲み込まれていき……そして止まった。


「…………」


 しばらく落ちた姿勢のまま固まっていたが、ややあって恐る恐る目を開く。……真っ暗だ。上を見てみても細々と光が差し込むのみ。どうやら落下の衝撃で藁の深くまで潜りこんでしまったらしい。


(体の痛みも……特に無い、かな。藁で切った所が少しあるくらい……?)


 どうやら無事に城壁の外へと逃げおおせる事が出来たようだ。そこで私はようやく胸を撫で下ろした。

 ……いや、安心するにはまだ早い。あの仮面の男が追いかけて飛び降りて来ないとも限らないのだから。


(集中……集中……耳を澄まして、何かあったらすぐに行動できるように……ん?)


 そうして緩みそうになった気を引き締めて、再び藁の中でじっと固まっていた私だったが、その時遠くから意外な音が聞こえてきた。


「……? 言い争う……声……?」


【第四の騎士】

・ヨハネの黙示録に記された、四人の騎士――馬に乗る者。

・四騎士はそれぞれが地上の四分の一を支配し、剣と飢饉と死、そして獣により地上の人間を殺す権威を与えられているとされる。

・第四の騎士は青褪めた馬に乗り、傍に黄泉(ハデス)を連れている。そして、病と獣を用いて地上の人間を死に至らしめる役目を担う。

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