第十七節「呪われたもの」
夕陽が全てを赤く染める広場に、長く伸びる影が四つ。
一つは、黒衣を纏い仮面で相貌を秘した狩人。
一つは、聖衣を羽織り十字架を掲げる審判者。
一つは、揺らめく炎を携えた慈悲深き導き手。
そして――
「…………」
私は無造作に転がった大鎌へと素早く手を伸ばす。
変容し、捻れ、歪み、禍々しく変わり果てた得物は驚くほどしっくりと私の手に馴染む。
震える両手でそれを何とか掴むと、己の意思を示すように仮面の男へとその切っ先を向けた。
それぞれの得物を構えた四者は、燃え盛る黄昏の中で対峙する――
「…………レオン殿」
口火を切ったのはシスター……いや、フローラだ。
「何故、こんな事をするのですか?」
槍の切っ先を向けながら、フローラは困惑しきった声音でレオン先生を問い質す。
……その困惑はもっともだと思う。私でさえ今の先生の行動は理解出来ない。ただこの機会を逃せば絶対に生き延びる事は出来ないという確信だけで、今の私は行動している。
そうして問い質してくれるのは――敵対しているとしても――正直言って有難かった。
何故、どう足掻いても処断される私を助けてくれるのか。その理由が知りたい。
いや、知らなければならないのだから。
「……昔」
問いに、静かに答えが返されていく。その顔は平静そのものだ。
「昔、ある人に言われたのさ。『教え、導くのが教師たる者。導き、保護するのが先達たる者の務め。人を助け、導き、守護する事は、何よりも尊ぶべき所業なのだ』とな」
「…………」
「最初に言われた時は、確か十五かそこらだったかな。初めて聞いた時は訳分かんねえ事言ってるなーなんて聞き流してたもんだが……何十、何百と言われたもんだから、今じゃもう、それが頭に焼き付いて離れねえ……」
油断なく剣を構えながら、レオン先生は懐かしむように目を細めた。
「……あれから十五年。分かる日が来るとは思わなかったが……今は、何だかしっくり来たな。人に何かを教えるってのは……存外に悪くない」
「……変わりましたね。レオン殿」
「……そうだな。自分でも結構驚いてる。俺の教えた奴らは――あんまり上等な授業は出来なかったが――自分の分身みたいなもんだ。だから――」
だが、そこで一つの影が一足跳びでレオン先生へと斬りかかった。……ダンテだ。
その奇襲にレオン先生は難なく対応し、再びの鍔迫り合いが始まる。
「おい、話は最後まで聞けよ! 鳥野郎ッ!」
「いいや、不要だ。お前の情報など私には不要、無価値、時間の無駄でしかない」
「言ってくれるな!」
「先生っ!」
私は大鎌に炎を瞬時に纏わせると、ダンテの横合いから斬り付ける。
それを察した相手は瞬時に直剣を引き、後ろへと大きく飛び退った。
「大丈夫ですか、先生!」
「あ、ああ……お前の鎌、何で火が付いてるんだ……?」
「……これが、私の力だからですっ! 文句ありますかっ!?」
「い、いや……教え子の才能に、ちょっとビックリしただけだ……」
吹っ切れて己の秘密を開けっ広げにした私を、レオン先生は目を白黒させながら見つめてくる。そして呆れるように息を吐いた。
その視線の先は……大鎌ではなく、私の顔……?
「ああ、こりゃあ、異端だわな……ってか、こういう事なら早く相談しとけっての……」
「……先生? 流石に目の前で異端とか言われると傷付くんですが?」
「うっ……すまん……」
……そんな、途端にしょんぼりとしたレオン先生の反応が、何故だかとても面白くて。
「……ふっ。あははっ」
この地獄で初めて、自然な笑みが零れた。
笑いは心に余裕を生み、絶望的な現状を楽観視する程度には気を楽にしてくれる。
そんな私を見て、レオン先生もまた苦笑を漏らす。
「……ああ、そうだ。一つ言っておく」
「……?」
「前にも言ったが、お前は思い詰め過ぎなんだよ。そうやって、たまにはちゃんと能天気に笑っておけ。たとえ今が絶望のどん底でも、切羽詰まった奴から死んでいくもんだ」
「……!」
そうして私へと助言を投げ付けたレオン先生は、振り返るとすぐさま地を蹴り、ダンテへと斬りかかった。それを待っていたかのように、向こうも直剣を叩き付けて応じてくる。
「お前の相手は、俺だ……ッ!」
「…………」
そうして打ち合い始める事、一合。二合。三合。四合……
すぐさま壮絶な剣戟の応酬が開始され、斬撃の嵐が出来上がっていく。
ある一合は真正面からかち合うように組み合わさり。
またある一合は死角から襲いかかるように地を這い、空を薙ぐ。
揺らめく炎と黒血の直剣。
互いの得物は無数の刃こぼれを作りながらも、主の命に従い相手へと喰らい付き続ける。
……練達の極みにある両者の打ち合いは、凄絶の一言に尽きた。
「おい、鳥野郎! さっきより威勢が良いんじゃねぇか!?」
「……先は不覚を取られただけだ。あれで勝ったと思うとは、思い上がりも甚だしい」
「ハッ! お前が死に辛いってのはさっき覚えた! 今度は復活できねえように、微塵に刻んでばら撒いてくれる!」
「口だけは達者だな。幾ら吠えても私は殺せぬぞ?」
「抜かせッ!」
言葉と共に斬撃の合間を縫って蹴りが繰り出される。だがそれも予期していたのか、ダンテは最小限の動きで横にずれ、それを避けた。そしてお返しとばかりに回し蹴りを返してくる。蹴りを放った直後のレオン先生は体勢を崩したまま、それを避ける事も出来ず――
「ぐっ……!?」
「踏み込みが甘いな、教師殿。それでは蝿も潰せまい」
「うる、せえ……っ!」
回し蹴りをまともに受けたレオン先生は地面にずるりと跡を残し、何とか衝撃に耐えた。
顔を歪ませ、苦悶の呻きを漏らしながらも、その闘志は些かも衰えていない。
再び剣を構え、地を駆け、己の意思を阻む相手へと斬りかかる。
だがその一瞬、その刹那に、心配そうな目でこちらを見て来た。
……そう。私もただ呑気に観戦していた訳では無かったのだ。
「く、そ……っ!」
「…………」
十字槍が斬り、穿ち、薙ぎ払う。
迫り来る槍の応酬を目で捉え、寸での所で躱し、時に打ち払っていく。
燃え盛る大鎌に少しも怯む事無く、フローラの得物が冷厳なる殺意を伴って私へと迫る。
そのあまりの速さにこちらは得物を振るう機会などある訳も無く、フローラと対峙して以降、私は耐え続ける事を余儀なくされていた。
「……そこ!」
「……っ!」
目を見張るような一閃を避けたと思った瞬間、肩口に鈍痛が走る。一旦距離を取り、相手の射程外へと全力で退く。
見れば服が裂け、鮮血に染まった肌が露わになっていた。
……一瞬、反応が遅れた。でも、この程度ならまだ支障は無い、はず。
「……ベアトリーチェ」
そんな私の様子を見て、フローラは槍を振るう手を止め、極めて冷静にこちらへ話しかけてきた。
「ベアトリーチェ。少しだけ、見直しました」
「…………」
「私の殺気に怯む事無く戦い、それどころか耐え続ける事数十合。未だに貴方は命を繋いでいる。驚嘆すべき事です」
「…………」
「年は確か……ええ、十五でしたね。いえ、年はあまり関係ないでしょうか……なにせ、私の相手が勤まる者など、この町には――」
「…………」
「……ところで、ベアトリーチェ」
言葉を切り、再び私の名を呼ぶフローラ。私を見つめながら不思議そうに小首を傾げている。
「先程から、何故微笑んでいるのです? この、一つ足を滑らせれば命が潰える状況で、貴方は何故笑っているのです?」
ああ、何だ。そんな事か。
「……先生が、言ってたじゃないですか」
「……?」
「能天気に笑っておけと。思い煩うなと。……それを実行しているまでです」
……そう。フローラの言うとおり、先程から私は努めて笑うように意識していた。レオン先生から受けた教えを忠実に、愚直に実行する事で、心の平静を保っていたのだ。
何を馬鹿なと、いつもの私だったら絶対に実行しなかっただろうけど……実際にやってみると、思いのほか悪くない。
行き詰まっていたら見えないもの――相手の表情や体の動き、向こうで戦っている先生達が、今ならちゃんと見える。焦りが人を殺すというのは、どうやら本当のようだ。後でレオン先生にはお礼を言っておかないと。
「……はぁっ……」
一つ息を吐き、大鎌を握り直す。そして虚栄の笑顔を張り付けながら、私は言い放った。
「そこを退いて下さい。私はこの町から出たいだけなんです」
「何故、外へ?」
「居場所を探しに。……私はもうこの町にはいられませんので。何処か、ひっそりと暮らせる場所を探します」
「……断る、と言ったら?」
「押し通るまで、です!」
「よろしい。やってみなさい。貴方の生きる意志を見定めてあげましょう」
「言われなくても!」
フローラの静かな挑発を受け、私は全力を込めて大鎌を薪のように燃やし、紅く染め上げていく。
……出来る事なんて今の私には分からない。
でも、内に潜む炎が、生きる意志が、私の体を突き動かしていく。
「炎よ。此処に……!」
膨れ上がる炎は大鎌から私の両肘まで届き、今にもこの身を焼き尽くさんと燃え盛る。
その炎の具現とも言うべき得物を、対峙する敵へと向かって振り上げ――振り下ろす。
「ああああッ!」
全力の咆哮と共に大鎌を振るう。
切り離された炎の斬撃が、空を裂きながらフローラの元へと殺到する!
「……ッ!?」
予想外の速さ、大きさだったためだろうか。フローラは一瞬目を見開いた後、全力で横に跳ぶ。
避けきれなかった聖衣の裾が掠め、無残に蒸発していく。後ろにあった建物に斬撃が直撃し、ばっくりと裂けた後に勢いよく燃え始めた。
「貴方……! まだそんな隠し玉を!」
「うるさいッ! こんなのただのヤケクソ……です!」
今度は胴体目がけ横薙ぎの斬撃を飛ばす。一撃飛ばす度に恐ろしいまでの疲労が襲って来るが、絶対にここで倒れたりはしない。倒れてなるものか。
「今度は……!?」
弧を描く幅の広い斬撃は横跳びでは回避できないと判断したのか、フローラはこちらに身を屈めて転がってきた。転がるフローラの頭上すれすれを横薙ぎの斬撃が通り過ぎていく。
通り過ぎていく熱風が頭巾を吹き飛ばし、長く伸びた赤毛が露わになる。
バサバサと髪を揺らしながら、フローラは立ち上がると闇雲に距離を詰めてくる。そして、叫んだ。
「やはり……貴方は危険に過ぎる! 私は間違っていなかった!」
フローラは冷静さをかなぐり捨て、突進しながら槍を突き出す。
そのなりふり構わぬ一撃は、私の心臓を穿たんと真っ直ぐに飛んでくる。だが――
「もらい、ました……ッ!」
「……!?」
私は大鎌を持つ左手を放し、飛んで来た槍の穂先、その根元を掴み取った。
先から何度も見た刺突。今までは目を慣らしがてら、油断させる為に敢えて避け続けていたが……予想していたよりも呆気無く掴む事が出来てしまった。
「くっ……!」
それを見たフローラはすぐに槍を引き、私の元から離れようとする。
だが、もう遅い。
ぐにゃりと頬を歪めながら、私は既に片手で振りかぶっていた大鎌を全力で振り下ろす。
フローラもそこで自らが犯した過ちに気付いたのだろう。未だに掴まれたままの槍を手放し、急いで逃げようとする。しかし――
「これが、私の意思です! シスター!」
次の瞬間、燃え滾る炎熱の塊が、フローラへと鉄槌の如く叩き付けられた……!




