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炎の魔女  作者: 御留守
第一章 業火を宿した少女
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第十六節「怒りの日」

「……悪魔祓い、か」

「何か不満でも? 書状ではそう記されていたのですから、何の問題も無いかと思いますが」

「いや、お前が代行と呼ばれたくないのと同じだ。いささかその呼称は、私には……」


 言葉に窮したのか、仮面の男――ダンテは一度だけ頭を振り、再びシスターへと向き直った。


「私などただの異端狩り。その末端にすぎない」

「聖庁直々の書状を携えた貴方が、末端だとは到底思えないのですが……」

「まあ、その話は今はいいだろう。それよりも――」

「ええ、そうでしたね」


 ……会話を切り上げ、シスターが動けないままの私達を見つめてくる。


「どちらが、悪魔憑きなのですか?」

「娘の方だ」

「……そうですか」

「見知った顔か?」

「はい。……少し、話をしても?」


 シスターの問いにダンテは無言のまま微動だにしない。それを肯定と受け取ったのか、一つ頷くと彼女はこちらへと歩き出した。

 歩きながら、シスターは言葉を投げかけてくる。


「ベアトリーチェさん。聞いていますね。聞こえていますね」

「……はい。聞こえています。シスターフローラ。私は――」

「――貴方には」


 掠れた声で何とか返答した私に対し、シスターの厳かな声が返される。

 吹けば飛ぶような私の声は、その静かな声にさえ無慈悲に掻き消されてしまった。


「……貴方には、異端の嫌疑がかけられています」


 ……続いて紡がれた言葉は、私の罪を暴き立てる為のものだった。

 それに込められた意図を探ろうと、私は反射的にシスターの瞳を覗く。


「…………」


 そこには憐憫も憤怒も無く、ただ己が務めを粛々と果たそうとするような、静かな眼差しがあるだけだった。

 シスターは白布の巻かれた長柄をカツンと一つ鳴らし、少し離れた所で立ち止まった。


「いくつか質問があるのです。ベアトリーチェ。よろしいですね?」

「は、い……」

「まず一つ。貴方が町に火を放っていたと、いくつもの証言が上がっているのですが……これは事実ですか?」


 ……事実か否かと言われたら、こう答えるしかない。

 覚悟を決めて、私は返事を返す。


「……はい。不可抗力ではありましたが、火を放ったのは、事実です……」

「おい!? ベアトリーチェ!?」


 私が肯定するとは思っていなかったのか、私の隣に立ったレオン先生が声を荒げる。

 ……そういえば、先生はまだ私の秘密を知らないのだった。

 それだったら無理も無いなと、そんな風にどこか他人事のように私は考えていた。


「そうですか。……では、次の質問です」


 ……だが、私の身を切るような返答も素っ気なく流されてしまう。

 ただ淡々と、事務的に、感情を殺しながら。


「二つ目。貴方は町中を走り回り刃物を振り回していたと、これもまた無数の証言があったのですが……これも事実ですか?」

「はい。それも事実です……」


 これにもまた、頷くしかなかった。

 身を守る為だったとはいえ、町を混乱させたことは事実。

 ……だけど、付け加えておかなければならない事がある。


「ですが、シスター。一つだけ」

「……何でしょう」

「私は追い立てて来る黒い化け物から、必死に抗うために、戦っていたのです。そうしなければ、今この場で貴方の言葉を聞き届ける事も出来なかったでしょう」

「おう、そうだぞ。町中エライ騒ぎだったんだからな!」

「…………」


 ここぞとばかりにレオン先生も加勢に加わってくれる。それに対してシスターは私達を値踏みするかのように見比べると、再び口を開いた。


「……黒き獣の件は聞いています。何処からか湧き出るように現れて、逃げ回る人々を追い回していたと。……そして、少なくない被害が出ているとも」


 どうやら状況は完全に把握しているようだった。色々と抱えているものがある、と言っていたからきっとそのついでに聞き込みもしていたのだろう。

 ……でもこれは私にとって都合が良いかもしれない。もしかすると――


「はい、はい。そうだったのです、シスター。そしてその黒い化け物を呼び出した人間を、私は知っているんです!」

「……ほう?」

「お前……知っているのか」


 興味深そうにシスターとレオン先生は私の証言へと耳を傾ける。

 ……今の反応で確信した。

 恐らく、シスターはあの男の為した所業を知らないのでは、と。

 だったら私の現状を聞いたら、もしかするとレオン先生のように理解を示してくれるかもしれない。助けてくれるかもしれない。

 そんな一縷の希望に縋るように、私は一息に言葉を吐き出す――


「あの、あそこにいる仮面の男が、黒い化け物をこの町に解き放ったんです……!」

「…………」

「あの男が私の両親を殺して、黒い化け物を引き連れて私を追って来て! それで私は必死に逃げて……!」

「…………」

「それでも逃げ切れないから……その……抵抗出来ないかと武器を探して……! 化け物を、そう、何とかして!」

「……ベアトリーチェさん」

「そう! そうなんです! 何とかしながら、必死にここまで来て! やっと家に帰れるって思ったら、母さんが――」

「ベアトリーチェ」


 しどろもどろになりながらも何とか説明しようとする私を遮り、シスターは再び静かに言葉を紡いだ。そして――


「……残念です。貴方は、やはり、狂っているのですね(・・・・・・・・・)……」


 ……決定的な一言が、言い渡された。


「…………え?」


 言われた事が理解できずに、呆然とシスターを見る。

 そんな私にシスターは淡々と、理路整然とした返事を返してくる。


「……あの黒き獣を、貴方のような年端も行かない娘が、どうにかしたと? それを私に信じろと? ……あまりにも荒唐無稽にすぎます」

「……う、あ……」

「しかもそれを、悪魔祓いがけしかけたと? 聖庁の書状を携えて、わざわざ遠方から訪れたばかりの、あの者が?」

「……で、でも――」

「いいえ。もう問答は不要です。ベアトリーチェ。貴方の言いたい事は全て分かりました」


 尚も食い下がろうとする私を切って捨て、シスターは長柄に垂れかけた白布を取り去った。

 バサリと払ったその下にあったものは、白銀の十字架――

 否。十字に分かたれた刃先を備えたそれは、鈍色に光る十字槍(ハルバード)


 さくりさくりと音を立て、審判者は十字を手に悪魔憑きへと歩き始める。


「略式の審問でしたが……その血に塗れた身体を見るに、どうやら早急に事を為したほうが良さそうです」

「シ、シスター……」

「貴方の言った事は破綻している。……ですが、こう考えると全て上手く繋がってしまうのですよ」

「な、なに……」

「……全ては貴方の仕組んだ事で、貴方が黒き獣を呼び寄せ、解き放ち、自ら抗うという芝居を打っている、だとしたら?」

「そんな!? そんな事無い!」

「ですが、先程の貴方の証言より余程現実味があると、そうは思いませんか?」

「いいえ。いいえ! 私はそんな事しない! 出来る訳が無いっ! なんで自分で父さんと母さんを殺さないといけないんですかっ!?」


 混乱に陥る中、必死に言葉を探してシスターへと投げかける。

 しかし、相手が歩みを止める事は無い。

 決断的に踏み出されたその足は、過たず私へと一直線に、着実に近付き続ける。


「この町を、神の家を守るために。貴方を断罪します。……晒し者にはならないよう、内密に……それが、せめてもの慈悲です」


 私の目の前まで来たシスターは、手に持つ十字槍を両手で振りかぶり、そして――


「――ちょっと待った!」


 ……寸での所で遮る声に止められた。レオン先生だ。

 いつの間に抜いたのか、背中の剣を無造作に構え、シスターを見つめている。

 それを見たシスターは不機嫌そうに一つ鼻を鳴らすと、私へと振りかぶった槍を降ろした。


「……レオン」

「ちょっといいかね、シスター」

「見て分かりませんか。今は――」

「すぐ終わる。一言だけだ」


 不服そうなシスターを尻目に、レオン先生は私に向けて短く声をかけた。


「……生きるか。死ぬか。お前の返答はどっちだ? ベアトリーチェ」

「……!」

「この期に及んで何を――」

「大事な事だ。さっきは聞きそびれたんでな」


 さらりと、さも当然と言わんばかりにそれだけを聞いてくるレオン先生。

 あっさりとした言葉とは裏腹に、その表情は真剣そのものだ。


「……私は」


 ……私は覚悟を決めるように、大きく息を吸い、そして吐き出す。

 混乱し、死の臭いで麻痺した頭へと、清涼な空気が満ちていく。

 決断するにはあまりに短いその時間。

 それでも疲れ切った思考が僅かばかりの安息を得て、ものを考えられるだけの余裕が出来た。


 ……そうして振り返ってみれば。

 私は、何に迷っていたのだろう。


「私は……」


 両親は死んだ。

 町は燃えた。

 罪は、秘密は暴かれた。


 私のいた世界は既に朽ち果て、灰燼へと帰した。


 もう行く当ても、これからどうするかだって、何も分からない。

 でも――


「死にたくない……」


 気が付いたら、そう、呟いていた。


「死にたくない」


 ……今度は意思を込めて。はっきりと。

 自分の心を確認するように。……全力で。


「死にたくない……! 私は、まだ生きたい! 私は、まだ何もしていない……! こんな所で、死ぬわけにはいかない……っ!」


 言葉と共に胸の内の憤怒が、炎が再び燃え盛る。燃えカス寸前の体に激情が宿る。

 激情は体の隅々まで駆け巡り、悲鳴を上げ続ける血肉を鼓舞する。

 湧き上がる熱風にざわざわと髪が揺らめく。髪を伝って火の粉が舞い、私の体をしどとに濡らす。

 己の意思を焼き固めた私は、歯を食い縛りながら立ち上がると、金色の瞳で真っ直ぐに二人を睨んだ。


「……そうか」


 それを見たレオン先生は満足そうに深く頷き――


「そういう事だ。……悪いな、シスター」


 シスターフローラへと揺らめく炎を突き付ける。


「俺は、俺の教え子を……いや、こいつを守る」


 そして、薄く笑ったのだ。


「たとえ、全てに叛逆する事になっても、な」


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