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炎の魔女  作者: 御留守
第一章 業火を宿した少女
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第十五節「再会」

「……」


 少女――ベアトリーチェは身じろぎ一つすること無く、目の前で行われていた戦闘の一部始終を見つめていた。

 視線の先には勝者と敗者。

 この上なく分かりやすく、敗者はうつ伏せに地を這い、勝者は夕闇の中で剣を突き刺した姿勢のまま佇んでいる。

 突然現れた謎の旅人。それが、私を苦しめた相手を殺してくれた。

 ……これは喜ぶべき事実なのだろう。しかし、あまりにも唐突過ぎて実感が湧かない。

 まるで夢の中での光景のように、ひどく現実感が無い。

 ……でもそれを言ってしまえば、この夕刻の出来事は全てが悪い夢のようだ。

 あまりにも残酷で、無慈悲で、容赦の無い……掛け値なしのとびきりの悪夢。

 全て夢であってくれればと、この時私は強く思っていた。


「…………」


 目の前の旅人はぞぶりと男の首から剣を引き抜くと、二度三度と空を払い、こびり付いた黒い血を振り飛ばす。そうして綺麗になった剣を背に収めると、私の方へゆっくりと歩み寄って来た。


「……大丈夫か?」


 目の前まで来た旅人は膝を突いて私に目線を合わせると、そう声を掛けながら顔を覗き込んでくる。

 ……布越しのくぐもった声はどこか聞き覚えがある気もしたけど、疲れた頭では良く分からなかった。


「…………」


 私はこわごわと顔を覗き返してみたが、旅人は黒布で顔を覆っていたため、表情が全く分からない。

 何故、顔を隠しているのだろうか? 見られたくない何かを抱えているからだろうか? それとも、もっと別の何か重大な理由でもあるのだろうか? ……どうにも判断が付かなかった。


「んん……これじゃ分からないか……あんまり顔は出したくないんだが……むぅ……」


 そんな戸惑う私の様子を察したのか、旅人は少しだけ躊躇う素振りをした後、おもむろに顔の黒布に手をかけ……そして一息に解いた。

 そこにあったものは――


「……よう。生きていたか、ベアトリーチェ」

「……!? せん、せい?」


 私の恩師――レオン先生の素顔だった。


「先生……! どうしてここに……いや、その格好、いつもの修道衣は……? それに剣も……」


 驚いた私は喉の痛みも忘れて矢継ぎ早に質問を投げかける。


「あー……話すと長くなるんだが……まあ昔取った杵柄ってとこだ。それよりも――」


 私の疑問に濁した答えを返しつつ、レオン先生は困惑した表情で質問を返してきた。


「……お前の方こそ、本当に大丈夫か……? 顔は真っ青だし、服も髪もぐちゃぐちゃだし……何をどうしたらこうなるんだ……?」

「…………」

「それに……その、抱えているものは……」

「……っ」


 ……今度は私が困る番だった。先生の言葉で、反射的に抱えた頭をぎゅっと抱きしめる。

 そうしないと、また哀しみが溢れて来てしまいそうだった。動けなくなってしまいそうだった。折れた心が悲鳴を上げてしまいそうだった。


「…………」

「…………」


 ……私の様子にただならぬものを感じたのか、レオン先生はただじっと待ってくれている。

 でも、私は――


「…………」

「…………」

「……なあ、ベアトリーチェよ」

「…………」


 レオン先生は一つ呟くと、何も言えない私の頭にそっと手を置く。


 ……そしてぐしゃぐしゃと、少し乱暴に、血で汚れた私の髪を撫でてくれたのです。


「よく、頑張ったな」

「……」

「辛く、なかったか……」

「……つ……」


 そんな、そんな不器用な言葉が、今はひどく懐かしく、心に染みました。

 ……そして私の心は、決壊してしまったのです。


「つらかったに……! 決まってるじゃない……っ!!」


 頭を撫でる手を払いのけ、私はレオン先生に詰め寄ります。


「……ああ」

「なんでっ……! なんで、私ばっかり! こんな、こんなひどいことをされるの……! なんで! 殺されそうにならないといけないの!? なんでっ! 必死に隠してきたものを暴かれないといけないのっ!? なんで……ッ! 何も悪くない二人が斬り殺されないといけなかったのッ!?」


 今まで溜めてきた激情が、涙と共に溢れていく。

 それは止める事も出来ず、何の関係も無いレオン先生へとぶつけられた。

 ……頭ではこんなのはただの八つ当たりだと分かっているのに。

 どうしても、止まらない。止められなかった。吐き出さずにはいられなかった。


 ……そしてそんな私の理不尽に対して、相手は無抵抗だった。

 無言のままに私の視線、慟哭を真っ向から受け止め、それでも逃げ出す事は無かった。

 ……それを見たからか、はたまた激情をぶちまけたおかげか、私の頭は急速に冷えていく。

 後に残ったのは、哀しみと、後悔と……胸に風穴が開いたかのような、途方もない虚無感のみ。

 それを埋めるように、私は言葉を継いだ。


「せんせい……わたし、なにがいけなかったのかな……」

「……」

「どうすれば、また昨日みたいに、過ごせるかな……」

「……分からん。……すまない」

「そう、だよね……ごめん。ちょっと、おかしくなってた……は、ははっ……」

「…………」


 ……無理矢理笑ってみたけど、駄目。

 もう、駄目なんだ……

 力が抜けて、抱えた母さんが転がっていく。

 追いかけていく気力は、もう無い。

 それを見てレオン先生は息を飲んだけど、今の私には心を動かすようなものにはならなかった。


「ねえ、先生……私、もうなにも、なくなっちゃったよ……」

「……」

「父さんも母さんも、殺された。町は、私が燃やしちゃった……母さんの首も、私が斬った……」

「……っ」

「これから、私はどうすればいいの、かな……」


 そこまで吐き捨てて項垂れる私に、レオン先生は――


「……ベアトリーチェ」

「…………」

「お前は、生きたいのか、死にたいのか……どっちなんだ?」

「……わから、ない」

「分からないじゃ、駄目だ。選べ」

「…………でも」

「でも、は無しだ。……いいか、ベアトリーチェ。疲れていようが、打ちひしがれていようが、今にも死にそうだろうが、人生には選択しなければならない時がある」

「……」

「この時が、お前にとっての分水嶺(ぶんすいれい)だ。生きるか、死ぬか。選べ。俺が導いてやる」

「…………」

「死にたいと言うのなら、今ここで安らかなる死を。生きたいと言うのなら、お前の生き方を一緒に必死こいて考えてやる。……そら、選べ。時間は無いぞ」

「わたし、は……」


 項垂れたままだった顔を上げ、夕焼けを背にしたレオン先生を再び見上げる。

 先生はとても厳しい顔をしていたが、闇に浮かぶ二つの碧眼は、どこか優しさに満ちていた。それを見て私はここ数刻で初めて安堵し――


「――!! 先生! うしろっ!」

「――!?」


 同時に、後ろから近付く黒い影の姿を捉えたのだった。


「……ご歓談のところ申し訳ないな。このまま首を刎ねられておけば、苦しまずに済んだものを……」

「お前……! 首の骨を砕いたはずじゃ……!」


 そこにいたのは、先に倒したはずの仮面の男だ。

 見れば斬り飛ばされた右腕を脇に抱え、無事な左手で直剣を握っている。

 貫かれたはずの喉と右肘からは未だにどろどろと黒い血が流れ出ているが、それを全く気に留める事も無く、真っ直ぐにこちらへと歩いてくる。

 そんな驚愕する私達を見て、男は不思議そうに首を傾げ、そして納得したように頷いた。


「……ああそうか。普通、人間は首を砕かれれば死ぬんだったな。だが……」


 そこまで言うと男はおもむろに直剣を地面に突き刺し、脇に挟んだ右腕を左手に取る。そして――


「生憎と、私は普通ではない」


 切断された右肘の先へと、それを押し当てた。


「――――」


 絶句し、見届ける事しか出来ない私達を尻目に、男はぐいぐいと斬られた右腕を押し当て続ける。

 黒い血が飛び散り、切断面からは黒い煙かもうもうと立ちこめる。肉の焼けるような悪臭が辺り一面に広がっていく。


「……こんなところか」


 そうして一分も経たないうちに男は一言呟いた。

 左手を戻し、右腕を確かめるように目の前に掲げ、それを子細に眺める。

 ……先まで押し当て続けていた右腕は見事に接合され、元の機能を取り戻していた。

 繋がった右手を二度、三度と握り締めた男は満足そうに頷く。


 ……頷いた時に気付いたが、見る限りだと喉の傷も既に塞がっているようだ。あれだけ大量に流れ落ちていた黒い血が、今はもう一滴も零れていない。

 首を覆う布に穿たれた穴からは土気色の肌が少しだけ見えたが、そこには刺された傷など跡形も無く消えていた。


「――――」


 ……あまりにも非現実的すぎる光景に言葉が出ない。

 散々黒影達に追いかけられて来た私でも、分かる。分かってしまう。

 こいつは、異常だ。生きている世界が違う。見ているものが違う。

 いや、到底人の世にいて良い存在ではない。


 ……こんな奴を、本当に倒せるのだろうか……


「…………」


 だが、恐怖と狂気に固まる私達を視線から逸らし、仮面の男はまるで明後日の方向へと振り返る。そして言葉を投げかけた。


「随分と、遅い到着だな」

「……すみません。ですが、貴方と違って私には色々と抱えているものがあるので」


 返る声は厳かな女性のそれ。広場に重く響いた言葉は確かな威圧感を伴い、この場の空気を塗り替えていく。


「そちらの都合など知らぬ。……職務は果たしてもらうぞ。代行者殿」

「その呼び方はやめて頂きたい。私など本島にも行けぬ未熟の身。代行と呼ばれるにはあまりにも……」


 こつこつと手に持つ長柄を突きながら、新たに現れた人影は私達へと近付いて来る。

 この声、この話し方、この空気……

 私には、私達にはあまりにも馴染みのある――


「そう謙遜するものでもないと思うがな。……シスターフローラ」

「謙遜ではなく、純然たる事実です。……それで、悪魔憑きは何処ですか。黒き悪魔祓い――ダンテ殿」


 この町の教会の主導者、シスターフローラその人が、この場へと現れたのだ。


【悪魔祓い】

・カトリック教会の用語。エクソシスト。または祓魔師(ふつまし)とも。

・聖水を振るい、祈祷を捧げる事によって魔を退けるというイメージが強いが……実際は改宗の手助けや、肉体ないし精神の疾患を取り去る事を職務としていたようだ。もちろん本物の悪魔憑きが出た場合はこの限りではない。

・この時代において、悪魔祓いは公的な権威を失っており、個人の名声如何によってその待遇は大きく異なっている。

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