第十四節「揺らめく炎」
男は、空を眺めていた。
視線の先には夕焼けに燃える雲。止め処無く立ち上る黒い煙。
ごうごうと、茜色に燃える太陽。延焼し次々に燃えていく家々。
屋根の端に立ちながら、男は澱んだ目穴の奥でそれらを眺め続ける。
……遠くからは人々の悲鳴、嘆く声、絶望の叫びが、風に乗って運ばれてくる。
だが、それらは男に何の感傷ももたらさない。
彼は人が嘆くという事を知ってはいたが、その必要性については理解していなかった。
……あのように同胞の死を嘆くという概念は、男には存在しないのだから。
せいぜい、御しやすくなって都合が良いと考える程度。それだけだった。
「――――」
……ふと、男は唐突に頭を下げたかと思うと、そのまま無造作に屋根から飛び降りる。
五階建ての家屋から音も無く地面へと着地すると、何事も無かったかのように歩き出す。
そして、そのまま眼前の閑散とした広場を横断し……その一角で立ち止まった。
「…………」
そこにはうずくまる少女の姿があった。
膝を突き何かを抱えながら項垂れる少女は、男が近付いた事にも気付いていないのか、その両手に抱える何かに顔を埋めたままピクリとも動かない。
少女の全身はこびり付いた赤黒い血に染まり、手足には無数の擦り傷。更に足元を見れば何をしたらこうなるのか、半ば溶け合うような形で靴が皮膚にくっ付いている。傍らにはいびつに歪み、捻れ、そして禍々しく変わり果てた大鎌が無造作に放り出されていた。
一通りの観察を終えた男は腰に帯びた直剣を抜き放つと、少女の前で身構え、そして高々と振り上げた。
カシャリと固い音が広場の片隅に残響を刻む。
直剣の刀身は傾いた夕陽を反射し、どこへともなくその輝きを投げかける。
……そこでようやく少女が動きを見せた。
「…………」
緩慢な動作で顔を上げ、夕陽に背を預けこちらを見ている男を確認した少女は、暗く濁った瞳で仮面に閉ざされた顔を見つめる。
そして、しばらくして掠れた声で問いを投げかけた。
「ねえ、なんで」
「…………」
「なんであなたは、ここまでして、わたしをころしたいのですか……?」
己を窮地に追いやった相手への根本的な疑問。
何故、自分をここまで追い詰めるのか――?
逃げ回る中で何度も飲み込んだであろうソレを、少女は何の感慨も無く、空気を吐き出すように投げかけてきた。
「…………」
……男がその問いに答える事は無い。
ただ直剣を振り上げたまま、じっと値踏みするかのように少女を見つめている。
少女も答えなど期待していなかったのだろう。それだけを言い放つと再び力無く項垂れ、まるで斬首を待つ罪人の如く、男へとその首を差し出した。
……そうして過ごす事数分。
「……お前が」
振り上げた直剣を下げながら、男は唐突に言葉を発した。
「星詠みの業に従うならだが……お前が私の天敵であると、運命が示されたからだ」
「……てんてき」
少女は男の言葉を確かめるように繰り返す。……確か、最初に出会った時もそんな事を言っていた気がしたなと、朦朧とする頭でそんな事を考えた。
少女が理解したとみなしたのか、男は続けて言葉を紡ぐ。
「最初は星詠みなどと信用していなかったが……お前の炎は、私達を容易く燃やし尽くした。そしてお前は逃げ延びた。人間では抗う事の出来ぬ私達に、お前は抗った」
「…………」
「故に、私は確信した。……お前は私達の脅威になり得ると。此処で捨て置けば必ず禍根を残すと。私達の生存の為に、排除せねばならないと」
「…………」
男の言葉に、少女はただ茫漠と見上げる事しか出来ない。
……しかし、言われた事は半分も理解できなかったものの、不思議と言わんとする事は理解出来てしまった。
この人はきっと、私が怖いのだろう。
私の持つ炎が、怖くて怖くて仕方がないのだろう。
だからそれだけのために、この町を蹂躙したのだ。
徹底的に、全力で、己を生存せしめるために。
……己を脅かす恐怖を、殺すために。
「……だが」
「……?」
しかしそこで不意に仮面の男は声音を変えた。
低く陰鬱とした声から一転、その一言は明らかにそれまでとは違う。
……それはまるで、喜色を湛えたかのような、それでいて戸惑っているような……
男は不可思議な声で言葉を紡いだ。
「……私は同時に、お前への興味を抱いた」
「興味……?」
「……」
……だが、一言語ると男は再び口を噤み、己の嘴を剣持たぬ方の手でがっしりと抑えてしまう。
まるで己の失言を恥じるかのようにしばらく震えると、再び少女を見据える。
「今のは……?」
そんな男の様子に思う所があったのだろう。少女は怪訝そうに再度言葉を投げかけた。
「…………」
だが、男が質問に答える事は無かった。
黙したまま再度直剣を振り上げ――
「……問答はこれまでだ」
……そして躊躇いを断ち切るかのように一つ漏らすと、直剣を勢いよく振り下ろした。
剣閃は弧を描き、過たず少女の首へと吸い込まれていく。
そうして刎ねられた首は勢いよく空を舞い、鮮血の軌跡を残しながら広場へと飛んで行った。
――はずだった。
「――――」
ギィンと何か硬い物がぶつかる音が響く。
同時に剣閃は弾かれ、男は振り下ろした直剣を掴んだままたたらを踏んだ。
「……!」
男の眼前には、はためく外套。夕陽を受け鈍く光る凶刃。
そして背の高い旅人帽を目深に被り、顔の殆どを黒布で覆い隠した、旅装束のようなものに身を包んだ謎の人影。
……そう。男と少女の間にはいつの間にか第三者が割り込んでいたのだ――
「――貴様」
「…………」
謎の第三者――旅人は問答無用とばかりに手に持つ剣で仮面の男へと斬りかかる。
全く情け容赦の無い、殺意に染まった速度の斬撃。
「……!」
それに対し、態勢を崩していた男は受け止める形で直剣を振るう。
白刃が煌めき、火花を散らす。両者は膂力を比べるように鍔迫り合った。
……そうして受け止めた事で、男は先の己の斬撃を止めたのが何であったのかを見る事が出来た。
振るわれた剣はジグザグと刀身が波打っており、異様な外見をしている。その刃は長く太く、片手で振るうのはかなりの技量を要するように見えた。
男はその一瞬で、頭の奥底から持てる知識を引き出した。
それは、死より苦痛を与える剣……
「…………」
「……揺らめく、炎……!」
言葉を漏らしながら男は鍔迫り合う剣を跳ねのけ、距離を取る。
旅人は一瞬怯んだもののすぐに跳躍し、追い縋った。
近付きながらの横薙ぎ。袈裟切り。そして縦……と見せかけて再度横。
二度三度と剣を合わせながら男は確信する。
……この相手は、強い、と。
「ぐっ……!」
剣を振るう度に全身をすっぽりと覆うほどのマントがはためき、揺らぎ、歪んだ刀身の剣筋を覆い隠す。暮れかけの夕陽が刀身に反射し、対峙する男の目を容赦無く眩ませる。
仮面の男の技量も高い方……いや、戦場であったら間違い無く大将格だろう。
だが、相手はその遥か上を行った。
目にも止まらぬ斬撃が、四方から幻影の如く殺到する――!
「く、そっ……!」
相手の猛攻に堪え切れず、男は再度距離を取ろうと相手の剣圧を利用し、受けながら後ろへと飛んだ。
「な……」
「…………」
だがそれを予期したのか、旅人は男が飛んだのと同時に跳躍。距離を離させることも無いまま斬りかかる。
意表を突かれた男は対応する事も出来ず……その胸を斜めに切り裂かれた。
「ぐ、がっ……!」
ぐにゃりと抉られた傷跡から夥しい量の黒い血が流れ出す。
……だがそこで止まる旅人ではない。斜めに切り上げた剣を今度は男の首目がけて振り下ろす。男はそれに対し、直剣を振り当てて受け止めようとする。
しかし――
「――」
旅人は左手で腰に差した何かを抜き放つと、直剣の軌跡の上へ置くようにかざす。
それが何かを確認する暇も無いまま、男の直剣とそれがかち合った。
「――!?」
かち合った瞬間、猛烈な勢いで男の持つ直剣が引っ張られる。
見れば何か大きな幅の広い櫛のようなものに絡め取られ、男の持つ直剣がガッチリと受け止められていた。
「なんだ、それは……ッ」
直剣を引き抜こうと足掻きながら、男は驚愕に声を震わせる。
あんなものは見た事も聞いた事も無い。強いて言うならソードブレイカーが形状としては合致するが……この直剣を受け止められるような代物など存在するのだろうか。あれらは刺剣や細剣を無効化するための武装だったはず……
そこまで思考した男の耳朶へと、突然くぐもった声が聞こえてきた。
「……特注品だ」
「……!」
「お前さんのようなじゃじゃ馬を、圧し折る為のなあッ!」
「……くっ!?」
声と共に直剣が驚くほどの力で引かれ、意表を突かれた男は前のめりにつんのめった。
剣持つ手は引かれるままに長く伸びていき、そして――
「――――!!」
肘から先が旅人の剣によって斬り飛ばされた。
「――ぎっ! ――ッ!?」
腕を斬られた男の足が容赦無く旅人の足で払われる。男は為す術も無くこれを受け、倒れていく。
そしてうつ伏せに男が倒れていくその瞬間、中空に留まった男を地面へと縫い付けるかのように――
「――さよならだ」
旅人は真っ直ぐに男の頸椎へと揺らめく炎を突き立て、力任せにそれを砕き抜いたのだった。
【フランベルジュ】
・刀身が波打つ剣の総称。大型の物から細身の物まで多種多様なものが作られた。
・その特殊な刀身は肉をジグザグに切り裂き、止血しにくくしたため一般的に殺傷力は高い。当時の衛生事情では傷口から破傷風などにかかる事も多かったために、まさしく確実に殺す為の武器と言えよう。
・よく間違われるが、フランベルジェではなくフランベルジュ、もしくはフランベルクが発音としては正しい。
【ソードブレイカー】
・利き手とは逆に持つ、刀身の逆側に櫛のようなギザギザを備えた防御用の短剣。
・敵のレイピアやサーベルをギザギザにかませ、折ったり叩き落としたりするのが主な用途。一応短剣として先端も尖っているため、戦闘に使うことも可能。