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炎の魔女  作者: 御留守
第一章 業火を宿した少女
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第十三節「変容」

 ――悲鳴が聞こえる。


 でも、私には関係無い。

 見ず知らずの他人を気にかけられるほどの余裕なんて無い。


 向かって来た黒影の四肢を両断し、のたうつ相手を足蹴にして私は駆ける。


 ――嗚咽が聞こえる。


 でも、私には救う術が無い。

 物言わぬ骸となった老人を、少女が必死に揺すっている。頭蓋から流れ出る赤い血潮が、何故かとても美しく見えた。


 屋根の上から飛びかかってきた相手を避け、大鎌の柄を叩き付ける。それであの骸と同じ凄惨な死体がもう一つ出来上がった。


 ――絶望に嘆く声が、聞こえる。


 でも、私に助ける事は出来ない。

 道の端では右手の無い男が調理用の刃物を振り回しながら、何か喚いている。彼の目の前では黒影がじりじりと距離を詰めて、無感情に獲物の足掻く様を眺めていた。

 次の瞬間、男が金切り声を上げて黒影に飛びかかるも、突き立てられた刃物をものともせずに黒影は男を組み伏せ、頭をかち割った。


 通りの曲がり角から出て来たソレを頭から両断し、私はただひたすらに駆け抜ける。


「――――」


 振るう大鎌は既にこの手に馴染み、己の分身のように自在に操る事が出来ている。

 ……最初、この大振りな薄刃では使い続けるうちにすぐに使い物にならなくなるのではと心配したが、今のところそれは杞憂に終わっている。

 ……ちらりと、炎を受けて燃え続ける己の得物に目を向けてみた。


(また、大きくなってる……)


 赤熱する大鎌は斬り殺してきた黒影達の血と脂を浴び、またこびり付いた血肉を糧とする事でその刀身を一回り大きくさせていた。

 あんなに錆びて今にも砕けそうだった刃は少しも欠けておらず、むしろ厚みと鋭さを増して禍々しくその姿を変容させている。そこには最早農具としての面影は何処にも見て取ることは出来ず、ただ命を刈り取る形へと特化していったかのようだ。

 ……私自身、どうしてこんな風になったのかは全く以て理解していないが……命を預ける武器だ。頼り甲斐があるに越した事は無い。


 真正面から向かって来た新手の頭上を飛び越え、すれ違い様に首を刎ね飛ばす。


(……分からないといったら、この、私の体も……)


 今更ではあるが、私はそんなに運動が出来る方ではない。今やったように人の真上を飛び越えるなんて芸当も、逆立ちしたって出来る訳が無いのだ。いや、こんな事は体力自慢の大人でもどう足掻いたって出来やしないだろう。


 ……変わりゆく自分の体に、少しだけ恐怖を感じた。

 このまま自分自身を燃やし続けたら、私はどうなってしまうのだろう?

 この大鎌のような、恐怖の具現へと変じていってしまうのだろうか?

 そうして変わり果てた私に、手を差し伸べてくれる人はいるだろうか?


「…………っ」


 抱いた恐れを振り払うように、意味も無く目の前の虚空を薙ぎ払う。

 火の粉が舞い、陽炎がゆらりと立ち上る。

 熱せられた空気が悲鳴を上げるようにごうっと呻いた。


「……私は、大丈夫。まだ大丈夫なはず。きっと……」


 確かめるように言葉を吐き出す。乾いた喉からはしゃがれた声しか出せなかったが、それでも自分の声を聞いた事で少しだけ安心できた。


 ……己が内の激情に身を委ねてからこっち、私は人としての大切な何かを失い続けている。

 でも、今はこうするしかないのだ。

 そうしないと、今まで大切にしてきたものが無くなってしまうのだから。

 それはきっと、絶対に守らないといけないものだから。


 ……例え私が人でなくなったとしても。

 人であることを諦める時が来たとしても。


 人であった頃の記憶が懐かしめるのなら。

 耐えられるはずだ。きっと。


「……いけない……」


 いつの間にか止まっていた両の足を再び動かす。

 ……未だ状況は混迷の只中にある。武器を見つけて対抗できる手段を手に入れた事は大きな前進だが、同時に時間もかなり浪費してしまった。上を見ればオレンジ色に染まる空がいつの間にか横たわっていたし、黒煙がもうもうと立ち上る様も見て取れた。

 残された時間はあまり多くはない。日が暮れる前に両親を何処か安心できる場所――例えば教会とか――に移さないといけないし、この町を蹂躙するあいつらも何とかしないといけない。

 ……仮面男だってそうだ。あの外道を斬り伏せてやらないと、私の人生はもうどうにもならないだろう。これから夜になるまでに決着が付けられるとは到底思えないが……何とかするしかない。しなければならない。


「…………」


 山積された問題に頭を痛め、苦悩しながらも、それでも私は家路へと急ぐ。

 現状取り得る選択肢がそれしかないからだ。迷っている暇なんて、無い。


「……はっ……はあっ……はぁっ……」


 ……返り血に濡れた体で走り続け、どれだけの時間が経っただろうか。

 気付けば私は町の大広場に到着していた。


(ここまで来れば、あと少し……)


 心の内で安堵の息を一つ吐くと、私は辺りを見回す。

 ……この大広場はこの町で最大の商業地点だ。酒場やパン屋、主だった役所や兵士の詰所といった、おおよそ町の主要機関として必要なものはここに全て集められている。

 また、多くの観衆を収容出来る場所であることから、しばしば裁判や処刑などの際にも使われる事があった。得てしてそういう時はこの広場も人でごった返したものだが……今はもう逃げ去ってしまったのか、散乱するゴミ以外には何一つとして見つける事は出来なかった。


「…………」


 サクリ、サクリと踏み固められた地面に靴音を残し、私は無人の広場を横断していく。

 既に靴の底は半分抜けていて、纏わせた炎のせいで溶けるように足とくっ付いていたが、それでも靴としての機能はまだ果たしてくれそうだった。


(全部終わったら、また直しに行かないと……)


 散乱した周囲を見回しながら、私がそんな事を考えていた……そんな時だ。

 どちゃりと音がしたかと思うと、前方の屋根の上から新手の黒影が降って来た。先まで斬り伏せてきた相手より一回り大きい。

 燃え盛る本能が警鐘を鳴らす。

 こいつは、多分……強い。


「……!」


 ……同時に後方にも気配を感じる。先の着地音と重ねるようにもう一体降りて来ていたのだろう。降下すると同時にこちらへ真っ直ぐ突っ込んで来るのを見るに、どうやら挟み撃ちを仕掛けてくるようだ。


「……今までのとは、違うってわけね……」


 大鎌を構え、私は躊躇う事無く駆け出した。迎え撃つ事無く前方から走り寄ってくる相手へと肉薄。袈裟懸けに大鎌を斬り払う。

 ……悠長に同時に来る相手を待つ必要なんて無い。一体ずつ確実に潰していく。

 そう考えての行動だったが――


「――ッ!?」


 ……強襲する大鎌はあろう事か、黒影の腕によって防御されてしまった。左腕の半ばに深々と突き立った刃は押しても引いても動く事は無く、まるで硬質な金属に挟み込まれてしまったかのようだ。


(くそっ、固い……)


 抜けなくなった大鎌から即座に両手を離すと、二、三度と後ろへと飛びずさり、前方の相手と距離を取る。……後方から駆け寄る相手は未だにこちらには追い付いていない。得物こそ取られたが、勝機は十分にある。

 私は広場にうち捨てられていた木の棒を手に取ると、再び前方の黒影へと接近していく。


(だったら……!)


 黒影の大振りな攻撃を難なく回避しつつ、私は跳躍する。

 そして熱風を足蹴にしながら、相手の後頭部へと木の棒を思いっきり叩き付けた。


「――――」


 一撃では足りなかったのか、首を巡らしこちらへと顔を向ける黒影。

 至近距離で、貌の無い相手と視線がかち合う。

 ……だが、それがこっちの狙いだ。


「――あああッ!」


 空中で身を捻りながら、今度は口があると思しき箇所へと私は木の棒を突き立てる。……がぼりと飲み込まれる感触がした。


「固いんだったら、中から……!」


 次の瞬間、全霊を込めて木の棒へと炎を伝わせていく。

 伝う炎は黒影の口を焼き、喉を焼き、臓腑を焼き、全身をくまなく蹂躙していく。

 私は棒を突き立てながら、そのまま全体重を乗せて相手の上へと馬乗りになる。耐えかねた相手が途中で仰向けに倒れるも、容赦なく燃え盛る棒を突き立て、燃やし続けた。


「……! もう追い付いてきた!?」


 ……だがあと一息で焼き尽くせるというところで、後方から来たもう一体がこちらへと突進してきた。急ぎ飛び退いてその攻撃は避けたものの、倒れていた一体は突進に巻き込まれて広場の建物の一角にまで吹き飛ばされてしまった。

 ……そのまま燃え立つ死体は建物に磔にされ、その身をビクビクと痙攣させながら焼かれるに任されている。


(まずは一体……!)


 一体が無力化出来たと判断した私は、吹き飛ばされた黒影へと駆け寄り、突き立ったままの大鎌へと手をかける。

 ……燃やした事で少しは緩くなったのか、先とは違い簡単に引き抜く事が出来た。

 突進してきた片割れはそこでようやく姿勢を直し、得物を構えた私と向き合う形で対峙した。


「――炎よ。炎熱を纏いて、白刃を清めよ……!」


 言祝ぐ言葉に呼応して、大鎌が業火の唸りを上げる。

 相手が固いのは先ので既に見切った。

 なら、こちらはその上を行く攻撃をするだけ。

 本能に従うまま。衝動に身を焦がしながら。

 金色の眼光を暮れなずむ広場に残し、私は真正面から黒影へと斬りかかった。


「邪魔をっ、するなぁッ……!」


 伸ばされる大振りな両腕を全力で斬り払う。

 赤熱した刃は今度は止められる事は無く、その軌跡を夕闇に刻みながら黒い腕を半ばから焼き斬った。


「――――!!」

「私はっ! 帰らないといけないんだから……ッ!」


 激情の言葉を吐き出しながら、返す刀で胴体へと斬りかかる。

 骨を断ち、臓腑を切り裂かれ、黒影は横薙ぎの斬撃で両断された。

 ぐらりと倒れる相手は切断面からごぼごぼと黒い何かを吹き出していく。

 ……それはまるで、涙のように。


「――」

「おまえらなんかに、絶対に負けないんだからッ!」


 終わりの見えない戦いの悲哀。理不尽な現状への憤怒。

 ……そして、この地獄を作り出した相手への憎悪。

 その全てを込めて、最早動けない、物言わぬ相手へと八つ当たりするように――

 私は、黒い影の首を刎ね飛ばした。


「……はあっ、はっ……」


 荒い息を吐きながら、しばし立ち尽くす。

 斬り伏せた余韻に浸るかのように、私は呆然と首の無い死体を眺め続ける。


「…………」


 ……こうして倒した相手は、何体目だろう。

 ここまで無我夢中で走り抜けたから……もう、そんなの分からない。

 斬られた相手は、痛かっただろうか。苦しかっただろうか。涙を流しただろうか。

 ……死にたくないと、思っただろうか。


「…………」


 夕闇が感傷を呼び起こしたのか、それとも大物相手に全力を出したせいだろうか。

 今まで気にも留めてこなかったそんな事が、ぬかるむ汚泥のように脳裏から這い出て来た。


「……げほっ!? ごほっ! ……ううっ……!」


 ……同時に咳と異様なまでの倦怠感が全身に湧き出てくる。堪らず、大鎌を杖代わりにしてその場に膝を突いた。

 口に手を当てながら何度もせり上がってくる咳を必死に抑え付ける。


「えほっ! げほ……っ! …………?」


 何かが掌に付いたと思い、見てみると……赤い花が咲いていた。


「……っ」


 ……私は何も見ていない。

 今まで病気になった事も無いんだから、絶対に見間違いだ。

 ギュッと拳を握り締めながら私は立ち上がり、ふらふらと歩き出す。


「ああ……帰らないと……」


 ……体が凍える。家の毛布が恋しい。竈で温めたスープが食べたい。

 両親の暖かな笑顔が、酷く懐かしい。

 そうして思い出す何もかもは、暖かで。穏やかで。温もりに満ちていて。

 ああして生きているだけで、十分だったのに。

 静かに暮らしていければ、それで良かったのに……


「……?」


 ……つま先に何かが当たった。幸せに逃げていた意識が現実へと引き戻される。

 コツリと当たったその何かは、先に斬り飛ばした黒影の頭部だ。

 私に蹴られコロコロと転がるそれは、道の端まで転がっていくと段差に引っ掛かり、こちらにその相貌を晒した。


 ……そして、開帳するかのように、黒の影が溶けだしていく。


「……あ、ああ……」


 そこにあったのは妙齢の女性の顔。

 少し日焼けをしていながらも、美人と称するには問題無いくらいの顔立ち。

 私とはあまり似ていないえくぼがあって。

 私に良く似たブロンドの長い髪を一房に束ねていて。

 ……誰からも気の良い人だと愛されていて。


「ああ、ああああ……っ!」


 私の事を大事にしてくれて。

 生きていてくれるだけで幸せだと言ってくれて。

 いつもいつも仕事を頑張っていて。

 毎日のように作ってくれるご飯は質素だけど、とても美味しくて。


 “貴方が何も恐れずに、何にも怯えずに生きてくれればそれで十分なのよ……ベアトリーチェ”


「かあ、さん……っ!」


 見間違うはずなんて無い。

 そこにあったのは、私の母さんの変わり果てた姿だった。

【変容】

・姿や様子が変わる事。

・変化とは異なり、そのものが質的に変わる事を変容と定義する。




・今この瞬間、ベアトリーチェの人生は変容した。最早後戻りは出来ない。

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