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炎の魔女  作者: 御留守
第一章 業火を宿した少女
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第十二節「災厄の渦中へ」

 ……時を遡る事数分前。ベアトリーチェが武器を手にする少し前の事。


「ああー……柄にも無くキザな事言っちまったなぁ……」


 修道服に身を包んだ年若い男――レオンは己の行動を未だに後悔していた。

 手すりにもたれかかりブツブツと文句を言いながら、記憶よ消えよと言わんばかりに頭を掻きむしっている。

 周りの人々からはずっと奇異な目で見られているが、レオンが気にする事は無い。

 そんなものを気にする繊細さも余裕も、今の彼には持ち得ぬものだったからだ。


「なんつーか、こう……あいつを相手にするといつも調子が狂わされるんだよな……」


 先のやり取りを思い出したレオンはこれで何度目になるか分からない回想に耽り、ぼんやりと目の前に広がるアドリア海を眺め出す。その表情は悲しそうであり、また嬉しそうでもあり、彼の複雑な心境を如実に表していた。


「秘密、秘密なぁ……」


 のんびりと動く船影を目で追いかけながら、レオンは頭を整理するように独り言ちる。

 ……それにしても変な奴だとは思ってはいたが、まさかこの俺に秘密とやらを切り出してくるとは思いもしなかった。

 しかもあんなに思いつめた顔をしながら。あれじゃあ無下に断る事なんて出来ないというものだ。


(……というか、さっきの返答で満足してたって事は、マジにガチでヤバイものを抱えてるって事だよな……?)


 うーんとレオンはまたしても低く唸ると、あまりにも軽々しく約束をした事を心底後悔した。今までの人生で培った直感が、あれは危険なものだと警鐘を鳴らしている。


(流石に面倒事はごめんなんだがなぁ……)


 今のレオンにとって今最優先で守るべきもの。それはこのぬるま湯に浸かったような平穏である。

 色々な国を巡り、数多の職に就き、あるいは面倒事に巻き込まれ、そうして流れ着いたこのヴェネツィア本土。

 この町で教職という、レオンにとっては最上に近い仕事に就けたのは、奇跡以外の何物でもなかった。


 子供に簡単な勉強を教え、親からは有難い事だと感謝されながら、のんびりと過ごす日々。

 終わらせた後は町をぶらぶらして、ああ今日も平和だなと確認するだけのそんな毎日。

 今までの自分の人生を思えば、破格の境遇といっても過言ではなかった。


 ……シスターの監視が無ければもっと良かったのだが、それは望み過ぎというものだろう。

 何より彼女は流れ者の自分を教師へと抜擢してくれた、いわば命の恩人である。鬱陶しいなどと感じても邪険にする事など出来るはずが無い。


「あいつにはああ言っちまったが……あんまりにもヤバかったら手を引く――」


 ……そうして結論付けようとしたレオンだったが、不意に先の光景を思い出してしまう。


 “はい。では私はもう帰りますので。……明日また、学校で”


 それは何でもない別れの挨拶。普通だったら軽く流すような日常の一幕。

 はいさようならと言えばそれで打ち切られるような、とても簡単な言葉。


 ……だったはずなのだが。


「……」


 そうして話した少女は、今まで見た事が無い顔をしていた。

 ……ふわりと、野に咲く花のように、極々自然に、微笑んでいた(・・・・・・)のだ。

 ああして微笑む顔が、どうしても脳裏から拭えない。


「…………」


 ……それとなくあいつの事は見てきたつもりだったが、あんな風に笑うのは初めて見た。

 いつも勉強に熱心に打ち込んでいたかと思えば、誰かとつるんで遊びに行くような事は全くせず。

 誰かが話しかけても適当な相槌を打つばかりで、気が付いたら話の輪から外れ何処かへ行っていて。

 そうかと思えば異様に熱心に教会へと足を運ぶし、図書館の閲覧許可だって、教室の誰よりも申請していた。


 そうして日々を過ごす少女はいつも仏頂面で。

 大人にする愛想笑いもどこか固くて。

 ……時折、押し殺している感情を密かに表情に出して。


 そんな風に己を押し殺す様子が、昔の自分に……とても似ていたのだ。

 実際は似ても似つかないものだろうが、今の自分にはそう思えて仕方がない。

 ……だから、そんなあいつが初めて見せてくれた笑顔は、想像以上に――


「ああ、くそっ……調子が狂う……」


 ばりばりと頭を掻く。本当にあいつには掻き回されっぱなしだ。二日酔いの脳味噌に面倒な事を叩き付けて行かないで欲しい。ただでさえ気分が悪いってのに……


「はぁ……うん?」


 ひとしきり悩み抜いたレオンは、そこでようやく町の方が騒がしい事に気が付いた。

 潮の混じった風に乗って運ばれて来るのは……人々の悲鳴。命乞いの声。何かが焦げるような異臭。


「催し物……って訳じゃなさそうだな」


 手すりから離れて町の方へ目を向けたレオンは、立ち上る黒煙や慌てて走り去っていく人々を見て険しい顔を作る。すぐさま事情を知っていそうな相手がいないかと通りに飛び出して辺りを見回すが……


「げっ、あれは昨日のジジイ……」


 人の縁とは奇妙なもので、レオンは行き交う人々の中から昨日散々酒を奢らされた老人の姿を真っ先に発見してしまった。ひいひいと息を切らしながら、それでも死に物狂いで走る老人の姿は大変滑稽で、財布を空にされた溜飲の下がる光景ではあったが……そういう事を考えている場合ではない。

 あの様子であれば何か知っているに違いないと踏んだレオンは、駆け寄りながら声を掛ける。


「おい、そこのじい――」


 ――だがそこに、彼よりも早く老人へと殺到する何かが現れた。


「ひぃ!? いああああぁぁぁああ!?」

「――――!?」


 その何か――黒い人型は老人を後ろから押し倒すと、絶叫を無視しながらその腕を振り上げる。

 破城鎚の如く掲げられた両腕は過たず老人の眉間を捉え、それを叩き割らんと動き始め――


「なに人の前でやらかしてくれてるんだオラッ!」


 振り下ろされるその寸前で、人型は腹部をレオンに強かに蹴り飛ばされた。横槍が入るとは露ほども思っていなかったのか、人型は蹴られるままにゴロゴロと転がっていく。全く受け身を取らずに転がるに任せる様は、どこかレオンに違和感を覚えさせた。

 違和感と聖衣を乱暴にはためかせながら、レオンは呆けたままの老人へと声を掛ける。


「おう、じいさん。昨日振りだな。生きてるか? んん?」

「ひーっ……ふうあああぁぁぁ……」

「……おいおい。ビビったからって漏らしてるんじゃねえよ……」


 失禁し股間を濡らす老人に眉を顰めながらも、レオンは油断無く視線を投げかけた。

 蹴り飛ばした先では人型が四つん這いのまま、こちらを値踏みするかのように眺めている。その表情は影に隠れたかのように読み取る事が出来ず、また全身も同様に黒に染まっていたため、老若男女の判別が酷く難しい。

 個を消し、無言でこちらに襲い来る獣じみた存在……

 そういった手合いにレオンは少なからず覚えがあった。


(昔こういう手合いは見た事があるな……確かアサッシン、ハッシシ、いやフィダーイー……? 東の方に行った時の事だったか……薬で痛みを感じないとか何とか……)


 こめかみをトントンと叩きながら、レオンは己の知識を引き出そうとしばし黙考する。

 だがそれを隙があると判断されたのか、人型は四つん這いのまま地を蹴りこちらへと駆け出した。

 レオンはその姿を見て本能的に嫌悪感を抱くも、動揺はおくびにも出さずに老人へと声を投げかける。


「おい、どうやら向こうはまだやる気満々みたいだが……どうするね?」

「こ、こ……」

「こ……?」

「腰が抜けて、立てぬ……」

「…………」


 こちらが折角助けてやっているというのにこのジジイは……

 剣呑極まる相手と守るべき人間とのギャップに辟易としつつも、レオンは迫り来る人型と対峙する。そして、だらだらと何か黒い物を垂らしながら走る相手へと、レオンは駆け出した。

 次の瞬間――


「……うん。遅いな」


 レオンは一瞬で距離を詰めるとすれ違い様に跳躍し、人型の頸部へと懐に隠しておいた短刀を深々と突き立てる。

 ビクンと痙攣して動きを止める相手に対し、続けて突き立った短刀の柄へと容赦無く肘打ちを叩き込む。それが致命傷になったのか、そのまま人型は力無く崩れ落ちた。


「一丁上がりっと。いやぁ、久し振りに体を動かしたなぁ……」


 突き刺した短刀を無造作に抜き取ったレオンは、こびり付いた黒い血にうへぇと声を漏らしながら、あっけらかんと間延びした感想を言い放つ。そのまま刃先の血を身に纏った聖衣でごしごしと拭うと、未だ腰を抜かしたままの老人へと向き直った。


「おう、爺さん。片付けたぞ」

「お、おお……」

「お……? まったく、今度は何だよ……」

「おぬし……」

「あー?」

「おぬし、ちょうつよいんじゃな……」

「……おう。あんがとよ」


 老人からの意外と素直な賛辞を受け取ったレオンは、そのまま事のあらましを聞き出していく。

 曰く、この騒動は突然先の化け物達が街中に現れた事に端を発する。

 曰く、化け物には何か目的があるのか、騒ぎを聞いて駆け付けた衛兵などまるで相手にする事も無く、老人や浮浪者ばかりを襲い回っている。襲われた者はしばらくすると同じように黒く染まり、化け物の仲間入りを果たしていった。

 曰く、更に一部の化け物は全てを一顧だにする事無く走り続け、職人街の方へと一目散に走り去っている。


「……何だそりゃ? 訳がわかんねーというか、聞いた事も見た事もねぇぞ……」

「う、嘘はいっとらんぞ! 儂も危うく死にかけたのじゃからな!」

「……んじゃ、何でそんなに詳しく知ってるのかも、教えてくれると嬉しいんだが?」

「家の窓にもたれかかって酔いを覚ましておったらのぅ。広場が何か騒がしいな、っちゅー事で眺めておったのじゃ。儂の家は広場に面した所にあってな……鐘の音も良く聞こえるし、パン屋も近い。それに隣の御婦人が別嬪さんで――」

「ああそうかい。好立地で羨ましいこった!」


 レオンは老人の脱線しかかった話をぶった切ると、そのままある方へと走り出した。

 自身の直感を信じるならば、どうにも悪い予感しかしない。

 ……それもとびきりの、最悪と言っていい程の。


「おい!? まだ話は終わっておらんぞ!?」

「うるせーよ! 全部終わったらまた聞いてやるし、何なら酒だって奢ってやる!」

「お、おう……? そりゃまた豪気な……」

「だから! くたばんじゃねーぞッ! あんたみたいなクソジジイでも、死なれると寝覚めが悪いからなッ!」

「……はっ。ほざくな若造が! そっちもくたばるんじゃねーぞ!」


 背中に老人の言葉を受けながら、黒煙に煙る町をレオンは駆け抜ける。

 正直言ってあの老人を放り出していく事には大分抵抗感があるが……背に腹は代えられない。あいつらの性状を今正しく理解している戦力は自分くらいのものだろう。

 だから、俺は今ここで頑張らないといけない。

 そうしないとこの数年で染み付いたこの町への愛着が、信頼が、自分の居場所が無に還ってしまう、そんな気がした。


「…………」


 ……ああ、そうだ。こういう時は気の利いた事でも言っておいてやろう。そうすればちょっとは後腐れも無くなるだろう。

 そう思い付いたレオンは自身を納得させるように、振り向いてこう叫んだのだ。


「――神の御加護を! 主の導きがあらん事を!」

「……おう! おまえさんにも、神の御加護を!」


 意気揚々と返事をする老人を目の端に捉えながら、にやりと微笑み今度こそ振り替える事無く駆け出した。

 ……向かう先は己が自宅。相手が相手だ、事を鎮静化させるにも装備をちゃんとする必要がある。自宅までの距離はそう遠くはないが、装備を整える手間を考えるとあまり悠長にしている訳にもいかない。


(まごついている間に全部終わってないと良いんだが……)


 苛立つ思考を斬り捨て努めて無感情を装い、レオンは家路へと急ぐ。

 ……何故か脳裏に、無邪気に笑う少女を思い浮かべながら。

【アサッシン】

・暗殺者。暗殺団。刺客。それらを指す言葉。

・元々は十一世紀から十四世紀にかけ、大シリアで十字軍などに対して暗殺を対抗手段として用いたイスラム教ニザール派を指していたが、後世これらの逸話は誤解や偏見によって歪められていく。

・故にその実情は不明。だが、戦場に生きた者は何かを知っているのかもしれない。

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