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炎の魔女  作者: 御留守
第一章 業火を宿した少女
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第九節「黒き祝福」

「はあっ……! はああッ……!」


 黒い染みの上にしゃがみ込みながら、私は息を整える。

 額から汗が止め処無く流れて来るが、そのどれもが途中で蒸発した。血に染まった両手も既に乾燥し、どす黒い染みがこびり付いているだけだ。

 だが、それも全てどうでもいい。今を生き延びるには些細な事だ。

 息を整えた私は立ち上がり、油断なく振り返る。

 ……そう、まだあいつが残っている……!


「はあっ……次は、あんたよ……! 許さないんだから……ッ!」


 ギリリと歯を食い縛りながら、仮面の男を睨み付ける。

 己の内の激情の炎は未だに燃え盛っている。このまま衝動のままに殴り付けに行きたかったが……寸での所でそれを押し留めた。


「……ふむ……一体など軽く退けるか……」


 男は未だに家の中から動かないまま、こちらを値踏みするかのように見つめ続けている。顎に手を当てながら、興味深そうに一つ息を吐くと、言葉を放つ。


「……お前のその炎は、やはり私にとって脅威となり得るようだ」

「……? 何を言って――」

「なればこそ、今この時を以て全力で狩り獲らねばならぬ」


 男は私を無視すると、直剣を構え、一歩二歩とこちらへと歩き始める。


「……私の、私達の生存の為に」


 次の瞬間、私は目を疑った。

 男の後ろからは先の黒影が三体。列を成して音も無く出現したのだ。


「んな……!?」

「傀儡の出し惜しみはしない。仕込みも済ませた。……ならば、最早残るはただ一つ……」


 ダンッと地面を踏む音。それが耳朶に届いた時には、血に濡れた直剣が真正面から突っ込んで来た。何とか反応し、首を捻って躱す。


「ぐっ……!」

「コァァッ!」


 勢いを殺す事無く男は地に足を付けると、半身をずらしながら弧を描くように横薙ぎの斬撃を繋げてくる。即座に後ろへと飛び退って回避。だが男もこちらへと跳躍し、今度は叩き付けるように兜割りを放ってきた。


(こいつ……速過ぎる……ッ!)


 何とか再度横へと跳び、これも辛うじて避ける。叩き付けられた直剣は硬い音を立て、土くれだった地面へと深々と突き刺さった。

 叩き付けた姿勢のまま見上げる猛禽の仮面。澱んだ目穴がこちらを冷えた視線で見据えてくる。……一瞬でも遅れれば、死ぬ。

 振るわれる斬撃はその全てが触れれば即死へと繋がる程の技量だ。本来であれば十五の小娘には到底躱しきれるものではない。だが――


(見える。本当にギリギリだけど、躱せる……ッ!)


 ひり付く死の予感に総身が震え、激情の炎は否が応にも昂っていく。思考は既に限界寸前までに総動員され、視界で動くものは泥のように緩やかな時間の中で動いていた。


「……! ……そこっ!」


 そうして限界を超えて高まった感覚が、音も無く襲い掛かって来ていた黒影の一体を捉えた。伸ばされる腕に焼け付く手刀を叩き込み、左腕を半ばから引き千切る。


「炎よ! 疾く走れッ!」


 好機と判断した私に呼応したのか、我知らず言葉が紡がれる。同時に地を蹴り跳躍。地面に焦げ付いた足跡を残しながら、炎纏う左足を黒影の顔面に叩き込む……!


「てぇりぁあッ!」

「――――!!」


 振り抜かれた左足を喰らい、黒影は無様にその場に倒れて仰向けになった。起き上がる前に近付き、容赦無く顔面を踏みつける。

 二度、三度と踏み躙ると、黒影は肉の焼ける臭いを立てながら動かなくなった。


(気色悪いったらないけど、相手が死体で良かったわ……っと!)


 嫌悪感を露わにしながらも、最後に一つ、渾身の力を込めて頭を蹴り飛ばす。ブチリと音がしたと思うと、頭だった何かは何処かへ飛んで行った。残されたのはビクビクと震える肢体のみ。


「まずは一つ……ッ!?」


 一体を始末して安堵したのもつかの間、仮面の男が引き抜いた直剣を振るい、再度襲い掛かってきた。

 袈裟懸け。横薙ぎ。フェイントを交えた刺突。その全てを何とか見切り、紙一重の所で躱していく。


「……っ!」

「なるほど。身を燃やしての身体強化か。器用な真似を……」


 血濡れの直剣は既に振るわれた事でその血を霧散させ、代わりに澱んだ黒泥を軌跡と共に周囲へと飛び散らせた。


(これ、絶対に触れちゃ不味いものよね……!)


 降りかかる黒の飛沫を燃え立つ炎で蒸発させながら、私は冷静に分析する。

 あの黒影も手足から黒泥を垂らしていたし、これがこいつ由来の何かなのは間違いない。その何かってのがなんなのかは皆目見当が付かないけど……


「…………?」


 そこで私ははたと、ある事に気が付いた。


 (何故、化け物は一体だけしか向かって来ていない?)


 斬撃を躱しながら辺りを油断なく見回す。

 ……いない。何処にもいない。何処に行った……!?

 困惑する私を見て、直剣を振るう仮面の男は言葉を発する。


「……他の傀儡が気になるか?」

「……!」

「……簡単な事だ。増やしに行ったのだよ(・・・・・・・・・・)

「なっ……」


 驚愕する私を嘲笑いながら、男は振るう直剣を止めてある場所を指差した。


「あれは……っ!」


 指差す先の、それなりに離れた路地の入口を見る。

 そこでは黒影が道端で眠りこけている浮浪者に近付き、今まさに襲い掛かろうとする最中だった。浮浪者は酒でも飲んでいたのか、近寄る異形に気付くことも無く、呑気にいびきをかきながら眠りこけている。


「ちょっと! そこの――」


 見かねた私は声を張り上げて呼びかける。だが――


「もう遅い」


 仮面の男が呟いた直後、黒影は眠れる浮浪者の額に手刀を突き刺した。


「っぎ!? あ、あ……!?」

「――――」

「暗い、黒……あ、た、まが……」


 何事か声を漏らした後、浮浪者は現実を理解する暇も無く絶命した。全身を痙攣させながら、顔面からはどくどくと鮮血を迸らせている。黒影は手刀を引き抜くと、その様をぼんやりと見つめていた。自分でやった事だというのに、その佇む姿は何故かひどく余所余所しく感じられた。


「――――」


 やがて再び動き出した黒影は漏れ出る血液を両手で掬い上げ、洗礼するかの如く浮浪者の頭上から注いでいく。その血には黒泥が入り混じり、憐れな死体の顔面をどす黒く染め上げていった。

 黒影は注いでは掬い、注いでは掬いといった動作を何度もなぞるように、丹念に繰り返している。


(あれは、一体なにを……)


 突如始められた奇怪な儀式に私の視線は釘付けになる。目の前で起きた惨殺に頭が殴られたかのように痺れ、鮮烈な血の赤色は拭い難く脳裏にこびり付いた。そして何よりも、目の前で行われている異常事態に足が竦んだ。

 ……こんな隙だらけな状態なのに、仮面の男は斬りかかって来る素振りさえ無い。相変わらず澱んだ目穴で私を見つめている。

 だが、今の私にそこまで気を払う余裕はない。嘲笑う仮面を横目に見ながら、悍ましい光景をただただ見届けていた。


 ……しかし、後になって思い返せば、これからの事を知っていたからこそ。

 何もせずに、ただ嘲笑っていたのか。


 私に絶望を叩き付ける為に――


「…………?」


 ……変化は何の前触れも無く訪れる。

 びちゃびちゃと血を注がれ続けた死体の顔面に、黒い斑点が浮かび始めた。ぼつぼつと浮かぶそれは瞬く間に顔面を蹂躙し、日に焼けた肌を黒く染め上げていく。

 すると間もなく力無く垂れた四肢が震えだし、物言わぬ口はガチガチと歯を鳴らして洗礼を受けた喜悦に咽び泣いた。

 そして――


「……うそ……」


 確かに絶命したはずの死体はずるりと身をもたげると、四肢を地に這わせながら獣のように動き始めた。生まれ出づる祝福に身を震わせながら、一歩、また一歩とこちらへと近付いて来る。

 全身はいつの間にか黒泥に覆われ、生前の衣装や体格の面影は消え去っている。顔面ものっぺりとした影に包まれて、最早そこに個を見出すことは出来ない。


 ……この男が傀儡と言った意味が、ようやく理解出来た。

 これは人形だ。

 人を素材にし、作り変え、使役する。

 最も簡易な拡散の尖兵。悪魔の御業……!


「ふん。傀儡の傀儡ではあの程度が限界か……」


 男の言葉に我へと帰る。次の瞬間、直剣の切っ先が私の胸へと向けられた。

 即座に距離を取るも、忌まわしい光景を見たために、全身から冷や汗が滂沱の如く拭き出て来る。


「…………っ!」

「……余興は終わりだ。さあ、狩りの続きといくぞ」


 猛禽の仮面はそう言い放つと、飛ぶように私へと襲い掛かって来た。

 ……動かぬはずの仮面の口の端を、喜悦でぐにゃりと歪めながら。


【洗礼】

・キリスト教の入信に際して行われる秘蹟。中世以降では殆ど幼児洗礼の事を指す。

・洗礼を行うのはもっぱら牧師や司祭といった聖職者で、受けた者は原罪や自罪が全て赦されるとされている。

・彼の者は清き水ではなく、黒き血によって洗礼を受けた。なれば、赦されるはずの罪は何処へも行くことは無く、抱えたままに現世を彷徨い続けるしかないのだろうか。

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