第七節「暗転」
機嫌良く、心軽やかに。
「ふっふーん。ふんふーん」
気を抜くとスキップを始めてしまいそうなくらいに。鼻歌を歌いながら。
「ああ、駄目よ。ベアトリーチェ。駄目なのに……」
家への道を歩く私は、これ以上無いくらいに浮き立っておりました。
行き交う人はそんな私が珍しいのか、すれ違うたびに暖かな笑顔を向けてくれます。
……まあそれも無理のない事。いつもはなるべく他人と関わらないように、顔を伏せて足早に歩いているものですから、突然機嫌が良くなって気色悪いと思われていないだけマシというものでしょう。
きっと、こういう時に顔の良さが出てしまうのでしょうか。それなりの美人に生まれた事は神と両親に感謝してもしきれない程です。
「ああ、でも本当に、先生が良い人でよかったわ……」
改めて先程の奇跡のような出来事を思い出します。
先生に秘密を打ち明けてはいないものの、協力してくれる言質を取ったという事。
これを特に余計な詮索もされずに勝ち取ったというのは、まさしく天から降れる果実と言ったところでしょうか。相談する前はどうなる事かと思いましたが……上手く行って本当に良かった。
「少しヒヤッとするところはあったけど、これで母さん達以外にも相談できるようになったのよね……何だか夢みたいだわ……」
しみじみと呟きながら家への曲がり角を通り抜けます。ほんのりと潮の乗ったそよ風が、スカートをふわりと揺らしました。
……これまで私は自分の炎を恐れるあまりに、同年代の子達と遊ぶ事も、ましてや大人達に関わる事も出来ず、ただただひたすらに家事や勉強に打ち込んできました。
嗚呼、何という青春の浪費。人生の投げ売り。
対価としてそれなり以上の知識と完璧な家事技能は身に付きましたが……私はそんなものは欲しくなかったのです。
あ、別に勉強も家事も嫌いという訳ではないのですがね。
……ただ。
ただ、私も、遊びたかったのです。
学校では私と同年代の子供達が、わいわいと楽しくやっているのを間近で見せられて。
町に出れば、昼間から酒を飲み馬鹿な事を言い合っている大人達が沢山いて。
家にいても、両親が仲睦まじく談笑しながら肩を揉み合ったりしていて。
……羨ましかった。
あんな風に触れ合えたらと憧れた。
誰かと仲良くなれたらと思うと、夢想するだけで幸せになれた。
……でも、私が触れたら燃えてしまうかもしれない。
友達が、隣人が、両親が、ふとした拍子に燃えて、灰になる。
……そんな事、出来る訳が無かった。
そんな事、私には耐えられる訳が無かったのです。
だからなるべく目立たないよう、今まで必死に我慢してきたのです。
羨望を殺しながら。あれは私には過ぎたものだと言い聞かせながら。
自分の炎を知ってから、ずっと。……ずっと。
ですが――
「……それも今日でおしまい。になるといいなぁ……」
路地を抜け、通りを横切り、複雑に入り組んだ家々の合間を縫い歩きます。
生まれて初めて身内以外の協力者が出来たという事実は、私に想像以上の安息をもたらしていました。
この調子で行けば、ゆくゆくはもっと色んな人と触れ合えるかもしれない。
私を異端だと認めながらも、それでも仲良くしてくれる人がこの世界にはいるかもしれない。
そんな希望的観測を抱くのも無理もない事だったのかもしれません。
「ああそうだ。今日あった事、ちゃんと伝えないと……ふふっ」
それにしても、両親には何と報告したものでしょう。貴方達以外にも私の事を理解してくれる人がいた、なんて信じてもらえないかもしれませんね。……やっぱり直接引き合わせるしかないのでしょうか。でもそれだと何だか誤解されそうな気がします。
こう、何と言いますか。彼氏出来ましたー、的な報告に受け取られたらと思うと……
「いやいやいやいや。ないわー。あの先生だけは無いわー」
あっはっはと笑いながら、詮無き妄想を頭から振り払います。流石に冗談もここまで来ると笑えません。先生と両親とは今後機会を見計らってどうにかするとしましょう。
……そんな風に思考に耽る私を余所に、道行く先には愛しの我が家が見えてきました。
(取り敢えず、今日の料理を作らないと……全部はそれから――)
そう思考した次の瞬間。
ギィと扉が開きました。
(あれ……? 開いてる……?)
もう両親が帰っているのかと、すぐに思いました。
ああ、今日は早いんだなぁ、たまには母さんと一緒に料理をするのも良いな、なんて呑気に考えて、知らず頬が緩みます。
……ですが、そうでは無かった。
ギィィと更に音を立てながら、扉は家の中を外界へと開け放つ。
西に傾きかけた陽光が室内に入り込み、暗く冷えた内を白日の下に晒していく。
「……え……?」
家の中が見えた刹那、私の思考は全て消し飛びました。
凍りついたように足が止まり、呆けたように口は半開きのままに。
……家の床をしどとに濡らすは鮮血。赤い血潮。生命の残滓。
ごとりと力無く倒れているのは……見間違えるはずも無い。私の両親。
「……え……」
そしてその傍らに立つ、血塗れの直剣を携えた、黒衣の外套を纏った男。
「星詠みの業は外れたか。ならば、何処に……」
澱んだ声音で一つ呟くと、男はこちらへと首を巡らせる。
そこで見つめる私に気付いたのか、そのまま向き直り私を真正面から見据えた。
その顔には……鳥を模した仮面。
「……そうか。お前か」
「――お前が私の天敵か」
【天から降れる果実】
・造語。和風に言うと棚からぼた餅。
・旧約聖書「出エジプト記」第十六章にて、モーゼの祈りに応じた神は天から食物を降らせた。これによってイスラエルの民は四十年間飢えを凌いだという。




