第一節「焚刑」
――どうしてこうなっているのだろう。
浴びせられる罵声。怒号。歓声。
私を見つめる彼らの視線には、理性というものが欠如している。
そこにあるのは、これから起こる事への熱烈な期待。
何かに飢えた数多の瞳が、私を見つめてくる。
――どうして、こうなっているのだろう。
見つめられる私はというと、打ち立てられた柱に縛られ磔にされていた。
……朝の支度をしていたら、突然沢山の人が家に押し入って来て、訳も分からず村の広間へと連れて来られたのだ。呆気にとられていた私にはロクな抵抗も出来なかった。
「どうかっ! 私はいいから、どうかこの子だけは……っ!」
……隣の柱では私と一緒に連れて来られた叔母様が、涙を流しながらそんな事を叫んでいる。両親を亡くした私を実の娘のように育ててくれた、とても優しい人。こんな時まで私の身を案じているなんて……
けれど、そんな願いも聞き届けられることは無く――
「これから、この罪深き魔女共を焚刑に処す!」
修道服に身を包んだ村の神父の言葉により、断罪の宣言が為された。
……そこにはあるべきはずの、釈明や申し開きをする余地や、真偽を調査する時間など無い。
ふと目を逸らすと、神父の隣には見た事も無い人が腕を組んで立っていた。同じ修道服に身を包んでいるが、顔には異様な仮面を付けている。腰には剣を帯びており、鍛え抜かれた体をしている事がゆったりとした服の上からでも分かった。
あんな人、この村にいただろうか――
「殺せっ!」「殺せえっ!」「汚らわしい魔女共め!」「魔女に断罪を!」「炎の断罪を!」
宣言を皮切りに、私達を取り巻く群衆から容赦の無い罵倒の言葉が浴びせ掛けられる。
その面々は見た事のある顔ばかり。
……当たり前だ。彼らは同じ村に住まい、昨日まで一緒に生きてきた人達なのだから。
だが、そこには隣人に対する憐みなど欠片も無く。
あるのは昂揚、熱狂、非日常を見る喜悦のみ。
これは腐った日常から逃れる、一時の享楽。
……そう、娯楽なのだ。
断罪という名の娯楽。
人を殺す。禁忌を侵す。
……仄暗い悦び。
「ああっ、ああああっ……! なんで……っ!」
叔母様が嗚咽を漏らし、力なく項垂れた。
……それも仕方の無い事だ。
私達には告白すべき罪など、何一つ無いのだから。
明日も分からぬ日々を、必死に生きてきただけなのだから。
「火を! 火を放て! 娘は後だ! 育ての親が燃える様を見届けさせよ! 異端者に絶望を刻み付けろ!」
神父の次の言葉によって、何処からか火種が持って来られる。
……その行く先は藁の束――叔母様の足元だ。
「あああ!? ああああっ! どうか! どうか! 御慈悲を……っ!!」
火の恐怖に叔母様は身を捩るが、固く縛られた体はピクリとも動かない。
……火種の入った藁は見る間に燃え広がっていく。
火は炎となり、叔母様の足を舐め、股を焦がし、全身へと這い回っていった。
「あ、あああっ!? ああああついっ!! ぐぎぃっ、ああああ!!」
身を焼かれる叔母様が、聞いた事も無いような絶叫を上げる。
……周囲には絶望を焚べたような、悍ましい悪臭が満ちていく。
「おおおおおおッ!!」「焼け死ねッ! 魔女めッ!」「惨たらしく死ねッ!」
それと同時に、周囲からも絶叫とも歓喜とも取れる声がドッと溢れた。
「あつ、あついいいっ!! か、かひっ……!?」
頭まで到達した炎が喉を焼き、絶叫を塞ぐ。
それでも尚、ぱくぱくと口が開け閉めされるが、言葉を発する事など出来ず、ただただ炎に為されるがまま蹂躙されていく。
しかし、叔母様は焼かれながらもこちらに顔を向けて、何かを必死に伝えようとしていた。
「……! …………っ!!」
「……お、ばさ……っ」
そこまで来てようやく、自分の口から言葉らしきものが出てくれた。だが、零れ出た呟きは眼前の炎の前には為す術も無く、儚い泡沫の如く消えていってしまう。
……私は呆けたように燃える叔母様を見続ける。
ああ、何とかしないと。
私の、たった一人の家族が。
燃えて、燃え尽きてしまう……
けれど、私に出来る事なんて……なんにも……
……何も、無い。
今を生きるのに必死だった小娘に出来る事なんて、何も……っ!
「ああ、うああああっ……」
己の無力さに涙が零れた。
縛られた身では涙を拭う事も出来ず、溢れる涙が止め処無く頬を伝う。
「――!」「――――!!」
そんな私の様子に気付いたのか、群衆の熱狂は更に高まっていく。
……だがもう良く聞こえない。いや、聞かない方がいい。
……だって、聞いても更に絶望するだけなのだから。
重税に苦しみ。空腹に苦しみ。
労働に喘ぎ。それでもささやかな幸せで心を慰めて。
……けれど、最後には魔女の嫌疑をかけられ、燃やされる。
この世には救いは無いの……? 神は全てをお救い下さるのでは無いの……?
なんで、私の人生には苦しみしかないの……?
誰でもいい。助けて……
助けてくれないのなら、もう……
(どうか、楽に殺して下さい……)
――その時だ。
「ぎひぃ!? ぎあああああああっ!!?」
新たな絶叫が広場に木霊する。……何事かと、広場にいた全員が声の方を向く。
「あああああっ! あづい゛っ! おでのからだがああっ!!?」
そこでは燃え盛る人型の何かが、狂ったように叫んでいた。
「ぎあ、ああっ! ぐひあ、ああっ……!!」
服を燃やし、皮膚を燃やし、悪臭を撒き散らす人型。
無様に足掻き、たたらを踏む様はさながら死の舞踏の具現のようだ。
「あぐああ……! だ、だへか、だづげ……」
人型は手を伸ばし踊りの同伴者を求めたが、その手を取る者などいない。虚空を掴む手はふらふらとあても無く彷徨うばかり。
「あっ? ああああっ……」
……そこで何かに躓いたのか、突然バランスを崩した。そのまま転倒してしばらくのた打ち回った後、
「ひう……ふっ、ひぃ……」
……やがて動かなくなった。
後に残されたのは黒い染みだけだ。
「……ひっ……!」
その光景を間近で見ていた女性は、小さく悲鳴を上げるとそのまま失神してしまった。
「――――」
……数秒前にあった狂騒は霧散し、静寂がじわりじわりと広がっていく。
誰も状況に付いていけず、唐突に起こった不可解な現象に、ただただ圧倒されていた。
裁判を取り仕切っていた神父とその付き添いさえも、互いに顔を見合わせながら困惑している。
誰一人として――今まさに燃やされそうとしている私も含めて――何も分からなかった。
「……皆様こんにちは。ごきげんよう」
……そこへ、凛とした声が響いた。
その場の全員が、声の主を注視する。
「あらやだ。そんなにみんなして見つめられると、照れてしまいます」
そこにいたのは、すらりと伸びた身体を修道服で包んだ女性だった。黒い染みの傍に立ち、穏やかな笑みを浮かべている。
突然現れた闖入者に、私は自身の危機も忘れて見入ってしまう。
……年の頃は十代か二十代。女性にしては小柄な方だろうか。頭には修道女として被るべき頭巾は無く、長くぼさぼさに伸びた金髪が露わになっている。着ている修道服は所々が擦り切れ、異様なまでに黒ずんでいた。……だが、そこには不潔さや汚らしさといった印象は微塵も感じられない。むしろ、ある種の清らかさすら纏っているようにさえ感じられた。
……しかし、見る者が見れば気付けたであろう。
そこには元あった鮮やかな色調が最早見る影も無く、ただただ徹底的に、冒涜的なまでに黒く焼け焦げ、塗り潰されていたのだと。
……まるで。
そう。まるで、神の恩寵を否定するかのように。
「き、貴様っ!? 何者だ!? いつからそこにいた!?」
「いつからって……最初からここにいたんですけど」
「ぐぬっ……!?」
呆れたように女性が返す。この場に似つかわしくない、ひどくのんびりとした口調だ。ややもすると先までの惨劇を忘れてしまいそうになるくらい。
「…………」
……そこで何かに気付いたのか、にやりと笑いながら女性は言葉を継いでいく。
「まあ大方、火達磨に目を奪われていて、私になんて目もくれていなかったのでしょうけど? ああそれと、何者かー! なんて言うのなら自分から名乗るべきでしょうに……仮にも聖職者だというのに、そんな事も出来ないなんて……」
「ぐっ! ぐぎぎぎっ! なんと無礼な……!!」
「まー、こんな辺鄙な村でお山の大将しているくらいですからー? その程度の知性でやっていけるのかも知れませんがー?」
「…………!!?」
恐ろしく挑発的な物言いに、空気が震えた。
……あれではこの場にいる全員へ宣戦布告をしたようなものだ。群衆からも当惑したようにざわざわと声が上がり、静寂が追い払われていく。
「――! ――――っ!!」
……言葉を受けた神父は、それはもう怒髪天を衝く勢いで怒り狂っている。神の怒りを体現したかのような凄まじい形相だ。怒り過ぎているのか、ガチガチと口を鳴らして言葉を吐き出そうとしているが、上手く行っていないように見える。
……だが、私にとっては彼らなどどうでもいい。
今は、そう、今はただ――
(どうにかしてここから逃げないと……それに叔母様も……!)
焦燥感に駆られ、反射的に横を見る。すると――
「…………!?」
「――――」
……もう一人、知らない誰かが叔母様を解放しようと躍起になっていた。
適当な布で頭をぐるぐる巻きにした、旅装束の男(?)だ。体格は中肉中背で、身長は先の女性と同じく大人にしては少し低い位。それが縄をナイフで切ろうという直前でこちらを見ている。いつの間に消したのか、既に燃え盛る炎は何処かへ行っていた。
「…………」
「……(しーっ)……」
しばしお互いに見つめ合った後、男は口に指を立てて、黙っているようにジェスチャーしてきた。こくこくと首肯して返す。すると男は即座に叔母様を抱え、姿を消した。
(助けてくれた……?)
広場の誰もこれに気付いた者はいない。皆、女性の言葉に乗せられていて、こちらはもう意識に無いようだ。
(ついでに私も助けてくれてもいいのにな……)
助けられた叔母様を見て、安堵した私は現金な事にそんな事を考えていたのだけれど、
「誰かッ! 誰でもいいッ! この者をひっ捕らえよッ!!」
そんな言葉が聞こえたので、再び女性の方へ目を移す。
そこではやっとのことで言葉を吐き出した神父の命令で、広場の全員が動き出そうとしていた。
先の火達磨に怯えながらも、ゆっくりとではあるが距離を詰めていく群衆達。
「……よし、時間稼ぎは終了っと。それじゃ――」
だが、それまでにやにやと笑っていた女性は、突如表情を引き締める。
……次に片膝をつくと、両手を組み、目を閉じる。
そして、何事か呟き始めた。
「――地に伏したるは我らが同胞」
……それはまるで祈りを捧げるかのように。
「煉獄に至れども尚、贖いきれぬ罪の為に」
敬虔な信者の如き、完璧な姿勢。言祝ぐは贖罪の言葉。
その美しさの前には、纏った襤褸も、伸び散らかした髪も関係無かった。
「――――」
近付いていた者達は思わず呆けたように見惚れてしまう。
「なればこそ、我は炎の腕を用い、此処に為さん――」
そして次の瞬間――
「――この世の不浄を焼き祓いましょう」
――言葉と共に、広場は爆炎に包まれた……
【魔女狩り】
・魔女または妖術の被疑者に対する訴追、裁判、刑罰。
・多くの場合は濡れ衣。狂える民衆のスケープゴート。
・鬱屈とした日々から一時的に逃れるための、中世における一種の娯楽。