1秒先の未来予知ー老人版
一秒先の未来予知―老人版
いま、わしは痛切に未来予知ができぬかと真剣に考えておる。一秒先だけでもよいのである。
若いときには、外乱がわしの未来を閉じてしまわないかと恐怖におびえて、未来予知装置を渇望した。しかし、いまとなっては、わしは、外乱より自身の内乱により、あの世に往く確率が格段に上がっているのだ。いま、こうしていても、プチとどこかの血管に亀裂がはしるとか、心臓がピクと停止するといったことは、国中の水道管の亀裂が破裂する確率や、信号機故障で電車が停止する確率よりも格段に大きいのだ。
一秒先でも予知ができれば、すくなくとも、大福を咥えたまま倒れるといった無様な死に方はしないですむだろう。1秒後を予知して、厳かに身仕舞を整え、大福を皿にもどすことができる。大福はわしの好物ではあるが、おとこたるもの威厳が大事じゃ。
ばあさん達は、こういった心配を感じないのか、ぽっくり往きたいと願をかけて、ほうぼうの神社仏閣に出歩いている。従って、いたって元気だ。「うちの主人は入れ歯をはずした瞬間だったわ」と、とひとりが言えば、「うちなんか、こっそり見ていた雑誌の袋とじを開けた瞬間だったわ」、と解放記念日か革命記念日かのごとく嬉しそうに話しておる。愚かなものだ。
おやじどもも、ばあさんに劣らずおしゃべりだ。退職したサラリーマンOB達が、ほろ酔い加減の電車の中で、ズボンに片手で反り返り、「あの人は、たいそう威張り散らしていたが、最後はモチを咥えたまま倒れたそうだよ。」、「うちの部長はモチではなくタバコを咥えたままだったそうだ。」「そうだな、あの人もやり手だったが、最後の場所がベランダとはな。」と大きな声ではなしている。そして、最後にこれもばあさん達と同様におきまりの「気の毒に」と付け加えるのだ。
うちのばあさんもご願をかけに神仏参りし奔走しておるが、親切にも、「旦那をぽっくり往かせてください」と願をかけていまいか、と心配になる。ぽっくりは困る。これは神さんの領域だから、科学では歯がたたん。ばあさんの満願達成する前に何とかせねばならぬ。
今、わしはある若い研究者を尋ねているところだ。彼は大学の未来予知技術研究所を設立しようとしていることを新聞で読んだのだ。まだ、彼は未来予知の方法を確立しておらず、そのため、自身の大学研究費不正が発覚することも予知できず、彼の研究所は未来永劫実現しないだろうとも予知できていない。
彼が私に話ところによると、長年の研究により、つい最近、未来予知は不可能ということを論理的に証明したという。また、タイムマシンにより未来を見ることも不可能であるということだ。つまり、時間軸上にまだ存在していないものは、この世の神様だって見れないというのだ。わしはがっかりした。
しかし、彼は続けて、時間軸上の負の方向、すなわち過去に行くことが不可能とはまだ証明できてないという。これは希望が持てそうだ。1秒先の未来予知ができないならば、過去の方に常に数秒でも戻っておれば、数秒後のわしの姿を予知することができる。いや、既知かな。まあ、どちらでもよい。最後の瞬間が来る前に猶予時間を作れれば、対処もできるというもんだ。
そこで、わしは彼の事業計画を詳しくきき、この研究プロジェクトに資金を提供することにした。一種のお布施のようなものだ。
彼は、「我々の存在は時間から切り離すことはできません。どこにいくにも、何をするにも時間がかかる。よって、何かしらの行為をすることに、必ず時間をともない、過去からどんどん遠ざかるのです。」と説明する。
それならば、何も考えず、じっとしていればいいのか。と尋ねると、すこし身ををらし、ボケているんじゃないかといった顔をして、「何もせずに、ボーとしていても、呼吸しているし、細胞は活動しているから、時間は経過しますよ。」という。そのあと、しばらく考えこんで、「つまり、生きているという自体が、時間から自由になれない一番大きな原因なのです。」と言い、「死も一種の時間からの解放ですな。いやー、うらやましい。」とわしを見て言う。そして、「歳を経た方のお言葉には、叡智がしみ出ている。」と、あわてて繕った。わしは、彼の研究に少し疑問をもった。
とにかく彼は、物質がある静的場に変化すれば、時間軸を負の方向に進めることを証明しようとしていた。「過去に行く、負の方向に行くというより、我々は、時間軸上のある点にとどまれればいいのです。すると、時間が進むにつれて、我々は相対的に過去の方に移動していくはずです。」
それでは、わしは、この老人のままに留まり、一足飛びに自分の若い頃に戻るってことは、できないということだ。若い時分に戻って、人生やり直そうというのは、やはり虫が良すぎるらしい。残念であるが、まあ、わしの本来の目的は満たせるだろうう。それに、若いときに戻ったとしても、今より辛い目に会うかもしれず、それも御免被る。
「どうやれば、そのような状態になれるのですかな。」とわしが聞くと、
「私の開発中の装置に入ってもらって、一度イオンレベルに分解されます。それだけでは、イオンに質量や運動量がありエネルギーをもちますから、まだだめで、アンパシー状態になるまで待つ必要があります。イオンの運動エネルギーが消滅した状態がアンパシー状態で、一種の場に変化します。位置エネルギーはわずかに残りますが、それらはしだいに拡散し、過去への時間操作におおきな影響を与えないと私は考えています。」と彼は力説した。
アンパンだかなんだか、訳が分からんことはどうでもよい。それより、「そういう状態になったとして、わしは、まわりが見えますかな。」これが大事じゃ。みなが、わしを追いして先を急ぐ姿を見るのは、興味深々じゃ。
彼は、「もちろん見えます。ちょうど、定点で足踏みをしているような状況です。同じところで足踏みをしたながら、通り過ぎていく周りを見ていいる感じでしょうか。まさに、神が見下ろしているような視点です。」
彼は、装置が完成すれば、体験型テーマパークの宇宙旅行体験ブースと双極のタイムトラベル体験ブースにとして売り出すことができると力説した。そして、わしも、投資を回収できると強調した。
最後に、もう一つ大事な質問をした。「もとの時間にもどれますかな。」
彼は、「もちろん、あなたが、ある時点に存在していたのは確かですから、理論上戻ることができるはずです。私の考えでは、装置内のアンパシー状態を解除して、場から再度イオンを活性化すればよいのです。それには、この装置を内包するより大型の装置をつくり、外部からエネルギーを与えます。まあ、湯煎するような感じでしょうか。湯のかわりに、一定密度の宇宙線が必要なのですが、100光年さきにある恒星が、まもなく活性周期に入ることが予測されており、そのときに生成された宇宙線は十分な密度をもっているはずです。周期は100年ですから、、確実に100年以内には地球に到達しますよ。」
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わしは、話を聞きながら、ある時点で、ずっと足踏みを続けているという自分の姿を想像し、少々疲れを感じておったが、最大100年もの間、先に進まぬウォーキングマシンのベルトの上で歩いていなければならないような気がして、どっと疲れがでた。杖だって必要になるだろう。
なお悪い事には、わしは元に戻ったとしても、わしが過去にとどまっている間に時間は先に行ってしまっており、皆が存在している時間にわしは存在しないのであるから、けしって追いつけない訳だ。これでは、周りは見知らぬものばかりで、大福をくわえて往生しようが、なにしようが、葬式すらしてもらえんことになる。
仕方がないから、うちのばあさんも連れて行こう。わしは、古い神社仏閣ばかり回っているのではなく、たまには新しい技術のイオン浴などもどうだと、ばあさんを誘った。岩盤浴やら森林浴やらの何とか浴というのに目がないのを知っておったからな。研究所に着き、内部が虹色に輝く透明な装置を見て、ばあさんは大いに喜んだ。そして、二人で装置に入った。してやったりだ。
しかし、強力なエネルギーを持つばあさんのイオンがあるせいで、わしらはアンパン状態になれなかった。結局わしらは、もとの姿のまま装置を出て、ばあさんは、「体の隅々まで風が通り抜けたようで、とてもすっきりしたわ。」と喜んだ。わしのイオン エネルギーまで吸い取ったせいか生気が倍増しておった。
研究者は、出て来た生気満々のばあさんを見て、装置によって時間軸を前に戻し、ばあさんが若返り、そのまま今の時間に戻すことができたという、誤った結論を導き出した。研究発表するそうだ。
エネルギーを奪われて、前より年寄のようになって出てきた、わしの場合をどう説明するのかと聞くと、「あなたは未来の時間軸上に一度達し、その状態のまま再び現在に戻ったのです。」と言う。なんだか彼が前に力説した理論とは矛盾しておるように思える。