第44話 メイドの本分
目の前を死神が覆った瞬間、ノートは両眼をつぶり、すぐに訪れる死を覚悟した。
ドゴッ
鈍い音がノートの耳に入る。しかし、体には先の当身による腹部の鈍痛の他に痛みはない。
「かはっ!」
ノートが目を開けると、ノートの命を断とうとしていた彼女は、ノートから見て左方向に大きく吹っ飛ばされていた。
「そこまでです、ジュンさん」
「メイド長…様…!この力は…」
ジュンが手刀を振り下ろす直前に、それまで傍観していたメイド長が横からジュンに強烈な掌底撃を喰らわせたのだった。
「ジュンさん、あなたが自分で言ったでしょう?一流のメイドは戦闘すらも万能にこなすと」
初老のメイド長はさながら舞のような流麗な動きで手を動かし、精神統一するように呼吸を大きく吸い、ゆっくり吐き出した後にしっかり芯の通った体幹を思わせる構えを取り静止した。
「はわわ、仕方ないですねぇ…メイド長様まで殺さないとじゃないですか~」
吹っ飛ばされたジュンはゆっくりと立ち上がる。
「その腕で、ですか?」
「!」
立ち上がったジュンは、メイド長の指摘により自分が左腕をぶらぶらさせていることにようやく気が付いた。
「先の接触の際に左腕の腱を切断しておきました。さあ、お嬢様をどこにかどわかしたか…吐いていただきましょうか」
『一体…どういうことなの…』
ノートは地面に臥せりながら唖然としている。
「いやあ、メイド長さんがあんなに強いとは驚きましたね。ノートさん、お薬をどうぞ。僕が調合した霊薬ですからよく効きますよ」
マクスウェルが這いつくばっているノートを介抱しに物陰から出てきたのは、身の安全を確信したからだろう。
「メイド長様…まさかメイド長様がこんなに強いとは思いもしませんでした…」
「仮にも公城を預かるメイドの長ですからね。それなりの心得はございます」
「ですが~…足を狙わなかったのは手落ちじゃありませんか?」
ジュンはにやり、とした笑みを浮かべ力強く地面を蹴り、対するメイド長から遠ざかるべく後方に飛び上がった。
「逃走とは的確な判断ですね、ジュンさん」
不意を突かれる形になったメイド長は微動だにせず、ただ、かけているメガネの位置を左手で調節した。
「さようなら~メイド長様~。おかげで楽しいメイド生活が送れました~」
公城の中庭の塀を勢いよく飛び越えるところで、ジュンは空中で振り向いて別れの挨拶を言葉にした。
しかし、飛び上がった影はジュンの他にもう一つあった。そして、もう一つの影が飛び上がった高さは、ジュンよりもわずかに高い。
「逃がすかよ、バーカ」
「なっ…メイさん!?」
ジュンに付いて飛び上がった二番目に自己紹介したメイド、メイは拳を振り下ろし、左腕を庇って無防備となっていたジュンを地面に叩き落した。
「ジュンさん。この場に居る私を含めた「一流のメイド」四人から無事に逃げおおせるとでも思いましたか?」
ジュンが飛び越えようとした壁方向には、先ほどジュンを叩き落したメイが金属製のナックルガードを装着し通せんぼをしている。
ジュンを挟んだ逆方向には、今ジュンに言葉を投げつけたメイド長が、まだ起き上がれていないジュンにゆっくりと歩み寄っている。
「逃がしませんよ、ジュンさん!」
そのメイド長から見て左方向には、一番目に自己紹介したメイド、リルがいつの間にか両手にサイを持ち構えている。
「ウホッウホホッ!」
その反対、メイド長の右方向には、ゴリラがバスト170cmの豊満な胸をぽこぽこと叩くドラミング行動をしてジュンを威嚇していた。
「逃げ場はありません。観念なさい、ジュンさん。さあ、これ以上の痛い目に遭う前にお嬢様を返しなさい」
「はわわ~絶体絶命です~どうしましょう」
ジュンは口ではそう言っているが、その表情はまだ余裕の色を残している。
『あの表情…まだ何か策を隠している顔だ…!何をする気だ…?』
ノートのその言葉にマクスウェルはピンと来たようだった。
「メイド長さん気を付けて!ジュンさんは胸に何かを隠しています!」
ジュンがまだ動く右腕を胸に差し入れるよりも早く、瞬きする一瞬で距離を詰めたメイド長がその右腕をガシッと握り、その自由を奪った。
「抜け目がありませんね、ジュンさん。隠しているのは逃走用の煙玉といったところでしょうか?」
言いながらメイド長はジュンの手首をギリギリと捻り上げ、動きを拘束した。
『どうやら…勝負あったようだな。マクスウェル、よく胸に物を隠しているのに気が付いたな』
「簡単ですよ。バストサイズ72の割には胸が膨らみすぎていましたから」
そんなのわかるかよ、とノートは呆れた。
「はわわ…いいんですかメイド長様、私に危害を加えると公女の身が…ぐっ」
メイド長はジュンを握る手を強めた。
「おや?あなたこそそんな態度をとっても良いのですか?あなたもご存じのはずですよ。一流のメイドは拷問術も修めていることを…。リルさん、メイさん、すぐに拷問の準備を整えなさい」
「承知しました」
「いつもの拷問室だな!」
指示を受けた二人のメイドは上品さを損なわず、急ぎ足で城の中に消えていった。
『いつもの…?』
「さて…マクスウェル様。ご協力くださいましてありがとうございました。この娘がお嬢様の所在を吐くまで、しばしの間おくつろぎください。案内はこのゴリラにさせますので」
「ウホゥ」
ゴリラは任せろとばかりに胸をポンと叩いた。
「さて…どのくらい耐えられるか…楽しみですね…」
そんな言葉をつぶやきながら、メイド長とジュンも城の中に消えていった。
ゴリラと共に残されたマクスウェルは、城の中に消えたメイド長を見送って一つのことを想った。
「はっはっは、ノートさん。」
『なんだ?マクスウェル』
「僕は、将来妻にする女性は、メイドさん以外にしようと思いましたよ」
『ああいう手合いのメイドは俺もごめんだが…ああいったメイドは特殊だと思うぞ。少なくともグランディアナ王国にはああいうメイドも、ゴリラのメイドも居なかったしな…』
かくして、公城の中庭で繰り広げられた戦いは幕を降ろした。




