ハップズ侯爵家の事情
「そんな子は家にはいらない!出てけ!」
ちょっとした事で口答えをした娘に苛立って、俺は声を荒げて言った。
言ってしまった後でしまったと思ったが親のプライドが邪魔をして謝れない。
娘は、ニーナは大きな泣き声をあげながら部屋から走り出していた。
違う、こんな事考えていない。これじゃぁまるで、まるであの親父と一緒だろうが。
デジャブが襲った。
亡くなった姉が、あんなに傲慢でどうしようもない性格になる前の事だった。
同じセリフ…いやもっと酷い言い方だったが父が姉に怒鳴っていたのをたしかに聞いた。
違うのはそのあとの母親のセリフか。
「あなた。そんなにニーナに辛くあたらなくても」
幸いにして妻であるエレクトラは穏やかな気性で傷ついた娘を心配していた。
「そうね。そんな子は侯爵家に相応しくないわね。どこぞの馬の骨の血がそうさせているのね」
母は貴族至上主義のプライドの高い女だった。傷ついた幼子に平気で追い打ちをかけるのような人でなしだった。
父の母は身分の低い家の娘だった。それが母には気にいらず、わが子といえどもどこか突き放したような態度を常々と見せつけていた。
そんな母に父は何も言えず不満や怒りのはけ口はいつも弱いところに向かって噴出されるのであった。
今さら知った事だが、姉が王子の今の正妃にした嫌がらせには、母が裏で糸をひいていた事も多かった。
老いた母は父とともに、娘があんな非業の死をとげたというのに平均をはるかに上回る年月を生き、老いた頭で罪の意識もなく、いかに娘を操って小汚い泥棒猫ー(不敬にも今の王子妃)を貶める罠を巧妙に張ったか手柄自慢のように語って聞かせたのだ。
同じように腹を痛めた姉弟である俺達であるのに、姉と俺とでその愛情が違う理由も。
父が徘徊先で湖にはまって死んだ朝、晴れ晴れとした表情で言ったのだ。
俺はさる貴族との間の不義の子であると。
いつ父にばれるかと冷や冷やしていたが、親父が死んだので肩の荷がおりたと。
母には同じ人間の血が流れているのであろうか。
もっと早く、姉が死ぬ前にそのことがわかっていれば…。
俺には侯爵家を継ぐ資格がない。
正統な父と母の子どもであった姉こそが侯爵家を継げる権利があったのだ。
俺が姉から奪い取ったものは侯爵家の地位だけじゃない。暖かな愛情も穏やかで安らかな暮らしも、本当は姉が当然受け取るべきものだったはずなのだ。
俺が生まれなかったとしても、あの母と父のことだ。
そんな幸せな子供時代を姉に与える事はなかったかもしれないが。
母が老衰で死んだあと、俺は侯爵家の領主館を姉に捧げる事にきめた。
あれは姉のものなのだ。
王都にささやかな別邸を購入し、領地に戻った時は別の小さな館に滞在した。
そして王都の別邸で暮らしはじめたのだが、娘であるニーナに王弟殿下の息子との婚約話が持ち上がった。
気が付くとうまくいかない領地経営や中央での仕事の軋轢などのストレスから貴族教育がはじまっていた子どもにあたっている自分がいた。
しかも子どものためだと思っていたのだから始末に悪い。
「俺は、何をやっているんだ。これじゃぁ最低な親と一緒じゃないか」
親父の種じゃない事を誰かに知られるのが嫌で、親父をまねているうちに、マネしてはいけない所まで似せてしまったのだろうか。
「あなた。ニーナの事はまかせて。あなたは少し疲れているのよ」
恋い焦がれたあの少女とは添い遂げられず、政略結婚で結ばれた妻だったが
いい女と結婚できたと思う。
何よりも優しく母親らしい。
「すまない。どうかしていた」
妻の顔を見ているうちに邪魔していたプライドを下げて反省することができた。
「あなた、それはニーナに言ってあげて」
ああ、最低な俺にお前はなんでそんなに優しいのか。