もう一人の弟
「ハッブス侯爵家の元の領主館はこちらでしょうか?」
突然訪ねてきたのは、金色の髪をしたどこかで見た事のある青年だった。
平民にしては小奇麗ななりをしている所を見ると、近頃増えた平民の裕福な権力者だろうか。
庭の手入れをしていた老人は作業の手を休めてその青年を見た。
「そうだが…何か用かね」
レイシア様が亡くなってから、レイシア様の霊が見えるとか言って肝試しを試みる不心得者も多い。
こいつもそんな不心得者の一人なのだろうかと、疑って見る。
「…かつて、母がこちらに勤めていた事がありまして、死の際に頼まれました」
そういって青年は花束を見せる。
「墓はここにはないぞ」
「そちらにも参りましたが、こちらに是非お参りをしたくて。最後の場所ですから」
そう言って目を伏せる顔に面影を見だして、老人は叫んだ。
「お、お前はケリーの息子か?びっくりしたな。そっくりじゃないか」
青年は幼少の頃のレイシア付きの侍女、ケリーの縁の者だった。
ケリーは寡婦だった。フィリップの祖父に仕えた家臣の縁のものとして、生活に困っているところを拾ってもらったレイシア付きの侍女の一人だった。
愛情深く、幼いレイシアが一番懐いていたのを老人は覚えていた。
身分は平民で、他の侍女達に見下されていた。
よく夜泣きをするレイシアの相手を押し付けられたりもしていた。
「途中でお屋敷を辞して、母は気にしておりましたから」
なぜか、前の侯爵夫人にもいびられて、退職に追い込まれてしまった。
いなくなったケリーを探してレイシアが屋敷中を探していた事を老人は思い出した。
「ああ、お嬢様はケリーによく懐いておられたからなぁ」
そもそもがそこが分かれ道だったような気がする。
今となっては。
お嬢様が変わられたのはその後からだったような気がする、と老人は思った。
「まぁよく訪ねてくれたなぁ。お嬢様もケリーの縁のものが来てくれたとあっちゃぁ草葉の陰で喜んでおられるだろう。さぁ、こちらへ」
老人は門の扉の鍵をあけて青年を招き入れた。
「見てくれ、今年もお嬢様の好きだった花が満開じゃ。今じゃこの館と庭そのものがお嬢様の碑みたいなものじゃ。お嬢様はここにおられるとわしは思っておる」
「塔へ行っても?」
「他の者はともかく、ケリーの縁の者であるお前さんを止めやしないさ。
存分にお嬢様と話してくれ」
老人は青年の顔に、もうひとりの面影を見出し、静かに言った。
「わしゃぁ何も気がつかんかったし、聞いてもおらんで」
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塔の階段を昇ってくるその青年の纏う空気を、私は思い出していた。
血が繋がっていると歩き方まで似るものなのかしら、と。
青年の歩き方は、どこか父と似ていて懐かしさを覚える。
(よく来てくれたわ。)
私は見えないだろうけど侯爵令嬢としての礼節をつくした挨拶をした。
やはり青年の目には私は映っていないようで、彼は塔の中の私の部屋をぐるりと見渡した。
「俺の部屋よりやっぱり広いや」
青年はリビングだったテーブルの上に花束を置くと椅子に腰をかけた。
「椅子も俺のよりすわり心地がいい、さすが侯爵家…なのかな。ここが牢とは到底思えないな」
彼は独り言を言いながら赤い子ども用のケープを出した。
「これ、あんたのだろ。返しにきた」
私が子どもの頃に着ていたものだろうか?まるで覚えていないものを「返しにきた」と言われても困惑する。
「子どもの頃、俺はあんた達を妬んでいた。同じ父親の血を引いているはずなのに、あんた達はお貴族様、俺は平民でしかなかったからな」
ああ、やっぱり彼は父の…。
父譲りの私と同じ金色の髪、ケリーと一緒の碧色のやさしそうな瞳。
貴方は私の腹違いの弟なのね。
「あんたが死んでも俺は別に何も感慨がわかなかった。あんた達はどこか遠い場所の人達だったんだ」
彼は目を伏せた。
「父は婿養子であんたの母親には逆らえなかった。父が愛人である母のために持ち出せる程度の金では贅沢は出来なかったが、俺は母と滅多には会えないが父に愛されて育った、そのことはあんたにはすまないとは感じている。
あんたは幸せじゃなかったらしいからな。…
母は最期まであんたに詫びていたよ。俺は謝らないけど」
ケリーはよく笑う明るい女性だった。
私が彼女に惹かれたように、父も彼女に惹かれたのだろうか。
(生きているうちに、言葉が通じるうちに会いたかった)
ケリーのことはよく覚えている。育児をしない貴族である母より私に近しい人だった。
優しく明るく、そして強い人だった。
(あなたにも生きている内に会いたかった)
生きていたころの私では、こんなに穏やかに会う事は叶わなかったかもしれないけれど。
ケリーも貴方も父も私も、なぜこんな生き方を、あり方をしてしまっていたのだろうか。
惜しい。本当に惜しい生き方をしてしまった。
もっといい関係でいる事が出来たかもしれないのに。
違う未来があっただろうに。
「言葉や態度には出さなかったけど、父はあんたの事を愛していたと思う。
何故、あんたを死なせるまで追い込んでしまったのかわからないが。
このケープは、あんたが死んでからだんだん子どもに帰っていった父が俺の家に持ち込んだものなんだ。『レイシアが妻に怒られて裸足のまま上着も着ずに外に出ていってしまったから、庭で泣いているあんたに着せてくれ』って母にな」
子どもの頃にそれは実際に起こった事だった。
子どもの頃は貴族には必須の作法とかお稽古事が苦手だった。
出来ないと母に扇子でぴしゃりとやられるのだ。あれは辛かった。
庭で泣いているとケリーが必ず探し出してくれた。
父はケリーにお願いをしていたのだろうか。
「なぁ、最後は何を考えたんだ?恨んでいたか?運命を、…周囲のしうちを」
彼は…もう一人の弟は、項垂れて言った。
「せめて一度でも会えていたなら、俺はここにあんたを一人にしなかっただろうな。もう取り返しもつかないことだが」
わたしは彼を抱きしめた。
(わたしも貴方のことを知らなくてごめんね)
そうしてから塔を降り、彼とわたしは、館の中もいっしょに散策してた。
彼は一人で歩いていると思っていたと思うが、私は弟に寄り添っていた。
絵姿を見つけた彼が「あんたって綺麗だったんだな」と言った。
私はその言葉をとてもうれしいと感じた。
彼も充分ハンサムだったから。