幼馴染、アラン・ベイトリア
「そんなに我儘ばかりなさっていますと塔の上のお嬢様のようになってしまわれますよ」
雇ったばかりの行儀見習いの家庭教師は、そう言って癇癪を起すわたしの娘を窘めた。
ハッブス侯爵家の令嬢レイシアは、我儘な上に傲慢で性格が悪く、こともあろうか王太子妃に様々な嫌がらせを働き、怒った有力貴族達によって塔の上の牢獄に閉じ込められて亡くなった。
巷で語られる物語にはレイシアが元々はその王太子の正式な婚約者であった事実は省かれ、家族によって閉じ込められたのちの衰弱死なのだが、一部のセンセーショナルな部分が強調される。
王都ばかりか地方の小さな領地でも、レイシアの物語は面白おかしく、少しばかりの悪意をもって語られる。
『貴族の娘が傲慢な行動によってむくいを受けて亡くなった』
それは面と向かって貴族に物言いのできない平民にとって、日ごろの鬱積をはらすような胸のすくような話だ。
『侯爵令嬢は王太子妃様の身分が低いのをあげつらって苛めたそうだよ』
吟遊詩人が、王太子とその妃の身分違いの苦しい恋を美しく至高の物として歌いあげるその裏で、悪役令嬢たるレイシアのふるまいは悪意を持って伝えられ拡散していく。
それゆえに、王国の民は子供の我儘を窘める時にそう言う。
「そんな我儘をしていると侯爵令嬢のようになってしまうよ」と。
だが、わたし、ベイトリア伯爵のこの家では、子どもの我儘を窘めるために、レイシアの話を引きあいに出すことは赦さない。
「ノーリィ・ワット女史、我が家ではそんな叱り方は止めて欲しい。
叱るなら、悪い事は悪いと、きちんと道理を説いて欲しい」
ハッブス侯爵領は我がベイトリア伯爵領の隣であり、レイシアはわたしの幼馴染でもある。
小さな時は彼女の弟を含め一緒に遊んだ事もある。
わたしは、少しの胸の痛みをごまかすために大きなため息をついて家庭教師に伝えた。
「わたしの家では、その話は二度としないでくれたまえ」
知らず、怒ったような口調になっていた。
新任家庭教師のノーリィ女史は青い顔をして謝罪を口にし、妻は怪訝な表情でわたしの顔色を窺っていた。
年齢差のあるまだ若い妻は、あの頃はまだ子どもで、あの時何が起きたのか、真実を知らない。
「嘆かわしい。高貴な身分の者が下々にそのような引きあいに名前を出されるとは」
レッスン用の部屋の続き間で、孫の習い事のおさらいの様子を見に来ていたわたしの母は眉毛をひそめたが娘には甘い声で言った。
「よいのです。その髪型が気にいらなくて気が乗らないだけなのよね。おばあさまの侍女は腕がいいのよ。彼女に直してもらいましょう」
そもそもその髪型になったのは娘が寝坊したせいだ。
断じて妻が実家から連れてきた侍女の腕が悪かったせいではない。
「下の子が生まれると上の子は不安定になるものです。あなたたち、この子に対して配慮が足りないのではなくて?」
「母上、そんなに甘やかしては困ります。…ははうえ!」
諌めるわたしの言葉も聞かず、娘を伴って部屋から出てしまう母。
「少し頭を冷やしなさい」
冷たく言い捨てるのにため息が出る。
かっかしてるのは母の方なのに。
「…どうしましょう」
若い妻は母の言う事に逆らえずおろおろとするばかりだ。
結婚したばかりの頃は、そんな妻が愛しく庇護欲がそそられた物だが、最近では苛立ちを覚える事もある。
泪で目を潤ませた妻の顔を見る。その目の下には隈が出来ている。
妻は二人目を出産したばかりだが、赤ん坊の世話を侍女まかせにせず、夜も起きているようだ。
そのことにも「貴族らしくない」と母には含む事があるのだろうが
もう子どもを二人も産んだのだからしっかりしてくれよ、と思ってしまう自分は薄情なのだろうか。
歳を得た最近になって思う。
レイシアの傲慢さは自分の母にも通じるものがある。というか母くらいの年代の貴族の女性はわりと普通に持ち合わせている感覚だ。
庶民を見下し立場が下のものを顎で使う。
本人が偉いわけではなくその夫や父親や家柄が高貴とされているだけなのに、自分こそが法であるかのようにふるまう不遜さ。
すべての貴族女性がそうだと言う訳ではないが、そういった鼻もちならない人間も多い。
そしてわが娘の我儘っぷりも、思えばレイシアに通じる物がある。
無責任に可愛がる母のせいで最近の娘は増長し我儘で要求が通らないと癇癪を起す。もちろん母の言うとおりに下の姉妹が出来て寂しいのもあるだろうが目にあまる。
その度に妻はおろおろするだけなので、わたしが出張って注意することになるのだが、母が口出しをしてきて娘の我儘が通ってしまう事も多い。
レイシアも…寂しかったのだろうか。
頻繁に茶会で出入りする癖に、母はハップズ侯爵家の事が好きではなく、私にレイシア姉弟とあまり仲良くしないように言い含めていた。
まだそんな事も知らない頃は私達3人、じゃれる子犬の兄弟のように楽しく遊んだものだ。
レイシアは母に言われて距離をとりはじめたわたしに哀しげな顔をして 物問いたげであったが、社交界で会った際にも幼馴染として慣れ慣れしくふるまう事もなく礼儀ただしく完璧な「令嬢」っぷりだった。
こっちはレイシアの美貌で美人に免疫が出来てしまって、ずっとどんな美人とお付き合いをしてもビビビッとこなくなってしまっていたのに。
わたしにとってレイシアは「酸っぱいぶどう」だった。
伯爵家のわたしが侯爵家のレイシアに手が届くはずもなく、「あの令嬢は美人だが性格がちょっとね」と仲間達と言い合った。
決して世間で言われるほど酷い性格の令嬢ではなかった。
だけど今となっては、彼女のために不名誉な噂をどうにかしてあげる事もできない。
それが胸の痛みとなっていつまでもわたしを苛む。
あのかわいそうな侯爵令嬢を貶めて話す事は、今後も、せめてわたしの前では赦さないだろう。