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ファウストの永久機関  作者: 三好ひろし
2 遠山彩夏の主張
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8

 ぼくは神宮寺さんを連れて、博士の研究所にやってきた。神宮寺さんから聞かされた話を博士にも伝え、今後の対策を考えるためだ。

 結局、彩夏は先に帰ったらしく、校内でも下校路でも姿を見かけることはなかった。ほっとしたような寂しいような……。

 博士はよく来てくれたと、珍しく柔和な表情で神宮寺さんを迎え入れた。そしてぼくに対しては、「助手に彩夏ちゃん以外の知り合いがおったとは、信じられん」と言ってきやがった。

 なんて失礼な、ぼくだって片手で数えられるくらいの友人はいる……。


 台所でぼくが紅茶を淹れている間に、リビングで神宮寺さんは博士に校舎の屋上でぼくに話したことと同じ説明をしていた。

「……以上が、わたしの話になります。どうでしょうか?」

 今の神宮寺さんの口調は、教室で見せたような軽いものではなく、屋上で見せたようなきついものでもなく、まさに彼女の容姿から想像できる、冷静で大人びたものだった。

 一方、今日の博士も染み一つない白衣を着て、窓際のロッキングチェアに座っていた。話の間中、ずっと静かに目を閉じて、達磨のように一言も発せず静かに揺れていた。

 ぼくは頃合いをみて、神宮寺さんの目の前にティーカップを置いた。濃厚に淹れたアッサムにたっぷりのミルクを注いで乳白色になった液体から、甘く優しい匂いが漂ってくる。

 博士のところへもカップを持っていくと、博士は待ちきれないといった様子でぼくの手からカップを奪うと、すぐさまぐいっと飲み干した。

「……ふん。茶葉の分量が少ないぞ、助手。この種類でミルクティーを淹れる時は、もっと葉を入れろと、何度言わせるのじゃ」と文句を垂れながら、博士は視線をぼくから神宮寺さんへと移した。「……ところでお嬢さん。お話はそれだけかのう?」

「は、はい……」

 神宮寺さんは緊張した面持ちで博士を見返した。

 一方、博士は口元を隠そうともせず大きなあくびをした。

「やれやれ、助手が珍しく真面目な表情でやってきたと思えば、そんなことか……」

 最初の一言に引っかかりを感じたが、この際どうでもいい。博士は神宮寺さんの話を信じなかったのだろうか? 確かに最初は荒唐無稽だと思ってしまうのも仕方がない。でも実際に脅迫状も受け取っていて、狙われていることは事実なのだ。ぼくを巻き込んだ張本人とはいえ、博士が殺されてしまうのは嫌だ。早く博士を説得してこれからのことを考えないといけない。

「わたしの話を信じてくださらないのですか?」

 博士はボリボリと白鬚と掻いた。「いや、そういうわけではない」

「じゃあ」神宮寺さんが身を乗り出す。

「お嬢さんの立場も、状況もよく分かった。その年で重いものを背負って世界のために活動するなんて立派なことじゃ。どこぞの助手とは大違いじゃ」

 どうして一言一言、ぼくの機嫌を損ねる単語を付け加えたがるんだ、このジイさんは。

「じゃが……」博士は大きな窓から見える、朱く映える夕空へ視線を移した。「むしろ、よくあることで、正直、聞き飽きたわ」

「んっ?」

 ぼくと神宮寺さんは目を点にしてお互いの顔を合わせた。

 ……今、なんと?

「その手の話はもう聞き飽きた、と言ったんじゃ。別に珍しくもない」博士は気怠そうに語り始めた。「ワシの研究はどれも科学界のみならず、社会へのインパクトも大き過ぎてのう。ちょくちょく同業者やら、宗教家やら、政治結社のなれの果てやら、有象無象の連中が研究の妨害工作や脅迫をしてくるんじゃ。研究成果を寄越せ、と言ってくる奴もいれば、研究から手を引け、と言ってくる連中もおる。この前も精神分析に関する研究で、某A国の軍事関係から、発表を慎んでくれって、暗に脅しをかけられたのう。本当に鬱陶しくてかなわん。だから、今回もまたか……、と思ったのじゃ」

「そ、そうですか」

 これには神宮寺さんも困惑気味だ。ぼくも驚いている。博士がしょっちゅう脅迫を受けてただなんて初耳だった。……またいつもの誇大妄想じゃないよね?

「何か言いたそうじゃな、助手よ」

 博士がぼくを睨み付けてきた。慌てて顔を左右に振る。「べ、別に……。博士も大変なんだなって」

「無論じゃ」博士はゴホンと咳払いした。「ワシぐらいの偉大な研究者になると恨みや妬みを持たれることなど日常茶飯事。その結果、ワシの研究成果を無視しようとする。研究ではワシに勝てんからといって、本当に心の狭い連中じゃ」

 それは、博士の普段の研究があまりに怪しさに満ちているから、と、口から出る寸前でなんとか押しとどめた。

「心中、お察しします」

 一方、神宮寺さんは神妙な表情で聞いていた。

「ふむ、今回の件も、科学の真実を力によってねじ伏せようなど言語道断。一社会人としても、なにより科学に携わる者として許してはおけん。必ずや、研究会に参加しよう」

「ありがとうございます!」神宮寺さんはさっと立ち上がって恭しくお辞儀をした。「財団の代表である、リヒャルト・フォン・コーネリウスは博士の論文の詳細をお聞きしたいと切望しておりました。この技術が実用化できれば、世界のエネルギー事情は大きく改善し、食料危機や紛争も減らすことができるだろう、と」

「そうであろう、そうであろう。そのくらいのインパクトがある研究じゃ」

 博士は威厳たっぷりにうなずいてみせたが、口元が緩んでいるのをぼくは見逃さなかった。博士も女性にほめられて悪い気はしないのだろう。

「しかし雑誌に投稿された論文では、永久機関の存在だけを論じていて、実現方法は書かれていませんでした。実装法については近日公開と書かれていましたが? その部分を特にお聞きしたい、と」

「ああ、そこは紙面の関係で書ききれんかったが、ワシの頭の中には構想が既に出来上がっておる」

「その成果を、是非今度の研究会で発表していただければ、代表も喜びます」

「……考えておこう」

 と言って、博士は椅子からゆっくりと立ち上がった。そのまま黙ってリビングから出ていこうとする。慌ててぼくは博士を呼び止めた。

「は、博士。どこ行くの? まだ話は終わっていないよ。 ……もしかしてトイレ?」

 博士は振り返って言った。

「いや、違う。……助手よ、今日はもう帰れ。ワシは大切な用事を思い出した」

「博士?」

 ぼくは時計を確認する。いつもだったらまだ帰る時間じゃない。この後いつも通り宿題をここでやるつもりだったし、それよりまだ肝心の今後どうするか、についての話が残っていた。

「ドクターファウスト、もう少しお時間を。ドクターと尾野くんを、今後どうやってお護りするか相談させてください」

 神宮寺さんも引き止めようとしたが、博士は首を左右に振った。

「お嬢さん、それには及ばん」

「しかし……」

 彼女は明らかに狼狽していた。

「こういったことは初めてではないと言ったじゃろ。だから対処方法も心得ておる。……助手よ、ワシはしばらく旅に出る。後のことは任せた。連絡は時々入れる。じゃあ、研究会当日に」

 そう早口で言うと、博士はその体格からは想像できない迅速さでリビングから出て行ってしまった。

 取り残される、ぼくと神宮寺さん。

 研究所は沈黙に包まれる。

 ……まさか博士、逃げた?


 博士はまるで神隠しにでもあったように、姿を消した。

 研究所内をくまなく探したが、博士はもう何処にもいなかった。寝室には衣類や身の回りのものが残されていたが、台所の紅茶葉コレクションと、研究室の研究ノートだけがなくなっていた。

 一応、博士の携帯電話へかけてみたが、反応はなかった。まさに疾風の如く、研究所から逃げ出したのだ。

 ぼくと神宮寺さんは、残された研究所でしばらく唖然と立ち尽くしていたが、もはやどうしようもないと分かると、鍵をかけて研究所を後にした——ぼくは研究所の合鍵を博士から預かっているのだ。

 研究所からの帰り道、非常に気まずい雰囲気だった。彼女は先ほどからとても困ったような表情を浮かべている。

 そりゃそうだろうなあ、護るべき対象は制止する間もなくスタコラサッサと逃げていったのだから。これで明日の朝刊に、博士の変死体が見つかったと記事が出たらやりきれない。

「何と言っていいのか……」この場を何とか取り繕おうとぼくは必死に言葉をつなげる。「あ、あの、本当に困った博士でごめんね。普段はとっても温厚な博士なんだけど、興奮してくると周りが見えなくなるって言うか、自分勝手と言うか。だからあの年で独身だし、近所付き合いもほとんどないし、学会からもつまはじきされるし……」

「わたしは大丈夫。ドクターファウストのことは、……むしろ立派だと思っている」

「えっ?」

 てっきり「余計な手間を増やしやがって」と、愚痴でも言ってくるかと思っていたので、予想外の反応だ。

「危機が迫る前に身を隠す、素人にはなかなかできない芸当よ。将棋の早逃げ、戦争における戦略的撤退、どちらも非常に難しい技術と決断を必要とされるんだから。常日頃から怪しい人たちに狙われているって話も、どうやら本当みたい」

 ……そういう評価になるのか? 素人のぼくには分からない。

「でも神宮寺さん、どうするの? 一番守らないといけない人って博士でしょ?」

「ドクターについては別のエージェントに任せるつもり。元々その予定だったし。わたしのドクターに対する役目は話を伝えるだけ、だから」

「じゃあ、これからどうするの?」

 神宮寺さんはぴたりと歩みを止めた。そしてぼくに向かってビシッと人差し指を突き付けてきた。

「わたしは、当初の予定通り、尾野くんの護衛に専念します。たとえ論文の中身を知らないと言っても、貴方も保護対象だから」

「なっ……、なんだってー!」

 美人転校生がぼくのボディーガード!

 この展開、いかにも海外ドラマなんかにありそうだ。犯罪の重要な証拠を握っている証言者を法廷が開かれるまで敏腕ボディーガードが守る、そんな感じだろう。そして、四六時中行動を共にすることで、必然的にアレやコレやとお約束的な展開も……。

「なに、変な目でわたしを見ているの?」

 神宮寺さんに睨みつけられ、ぼくは頭を縮こめた。……やっぱり怖い。

「さすがにわたしが二十四時間、貴方に張り付くわけじゃないから。家から高校までの日中帯だけ。夜は別のエージェントが尾野くんの家を見張っているから」

 なんだ、残念。夜の護衛もちょっぴり期待していたのに……。


 それから、幾つかの注意点を受けた。いつ狙われてもおかしくないから、夜の外出は厳禁。日中帯も必ず神宮寺さんの目の届く範囲にいること、などなど。

 神宮寺さんだけではなく、財団の諜報組織が全力でぼくを守ってくれる体制になっているらしい。完全に神宮寺さんたちの監視下に置かれるというのは窮屈だが、狙われている以上しかたがない、と諦めるしかなかった。

「……何か質問は?」

 と、注意事項説明が終わった後、神宮寺さんに聞かれたので、まだいろいろ疑問は残っていたが、校舎の屋上で話していた時からずっと感じていたことを口にした。

「神宮寺さん……今更だけど、教室のときとずいぶん雰囲気が変わってません?」

 教室で女子たちと話している時は、いかにも今風女子高生な口調でしゃべっていて、博士と話すときは落ち着いた様子だったのに、ぼくと話している時は、冷たいというか怖い雰囲気が発せられていた。

「えっ、そんなこと?」くだらない質問だと捉えられたのがありありと分かるような口調だった。「人に合わせて喋り方や態度を変えるのは普通のことだと思うけど?」

 ……まあ、そうかもしれないけど、さすがにあからさま過ぎるような。

「それに、わたしみたいな諜報の仕事をしていると、いろんなタイプの人と会うことが多いから、周囲から目立たず上手に溶け込むためには多少の演技も必要だから」そして神宮寺さんは、ぐうっと背伸びをした。「いやあ、それにしても今日は疲れた。あんな女子高生言葉、滅多に使わないから」

 やっぱり……演技だったんですね、容姿からは想像つかないあの軽い雰囲気は。……逆に目立ってたじゃないか!

「じゃあ、ぼくと話してる今この時も演技なんですか?」

「まさか……。基本は素に決まってるでしょ」

 あっさり否定された。

 ……そりゃそうですよね。演技だったらもう少しぼくが心地よくなるような態度をとってくれないと困る。凄まれて喜ぶような属性をぼくは持っていない……多分。

 じゃあ、今目の前にいる辛口美人が神宮寺さんの基本属性、というわけか……。

 そうこうするうちに、ぼくの自宅に到着した。駐車場には自動車もバイクもなかった。母親も姉もまだ帰ってきていないようだ。

 分かれる前、最後に神宮寺さんは付け加えた。

「じゃあ、明日からわたしが家と学校の間を送り迎えするから」

 なんと、美人転校生と登下校するなんて夢のようではないか。実に素晴らしい展開。護衛万歳!

 ……あれ、一緒に登校? 何かを忘れているような。

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