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転校生は、ぼくが想像する大人の美しさというものを見事に体現したような美人だ。
今日来た転校生とは、実は昨日の時点で既に出会っていた。
そしてその転校生から話があると、声をかけられた。
これらから何が言えるか?
博士の真似じゃないけど、与えられた手がかりから導かれる論理的帰結、それは、『彼女はぼくに惚れている』と、いうことだ!
ぼくのような、ちょっと冷めててクールな人間が持つ魅力は、高校生になったばかりのまだ子供心が抜けないような連中には伝わらない。神宮寺さんという、一足先に大人への道を進んだ人にだけ分かるのものなのだ。
きっと、昨日のぼくの姿を見て一目惚れしたに違いない。だからこそ、朝のホームルームの時も人目に憚らず声をかけてきたのだし、昼休みの時もわざわざぼくたちの座っている席にやってきたのだ。
先に席にやってきたのは本田さんだったような気もするが、まあ細かいことにはこだわるまい、それが男のたしなみってやつだ。
ぼくにも遂に春が来た。そう考えて間違いない。
そんなことを考えつつ受けていた午後の授業は全く記憶に残っていない。まあ、山ジイの授業だったから、平時もほとんどは夢の中にいて、どのみち記憶に残らないのだが。
ただ気になって、斜め後ろにいる神宮寺さんの様子をこっそりと何度も確認したことは覚えている。彼女は女子たちと話している時に見せるような緩みきった笑顔を見せることもなく、また真剣な表情で授業を受けているわけでもなく、眠そうに黒板と教科書を交互に眺めていた。お経の山ジイの力は転校生に対しても遺憾なく発揮されているようだ。
山ジイの授業後の休み時間も、気になって神宮寺さん見たけれども、気付いていないのか、気付いたとしても無視したのか、ぼくの方を向くことはなかった。周囲に集まっていた女子たちとキャッキャと楽しそうに会話していた。
そんなぼくのそわそわした様子に気付いたのは森川だった。
「お前、転校生に興味があるのか?」菓子パンをかじりながら、森川が言った。「……やめとけやめとけ。お前を相手にしてくれるような子じゃないって。ああいうタイプはきっと、超体育会系のムキムキマッチョが好みなんだって。付き合った女性は数知れず、付いたあだ名が恋愛研究家、そんな俺が言うんだから間違いない」
「……そうだろうね」
素っ気ない口調で言いながら、内心は腹を抱えて笑っていた。先に声をかけてきたのは彼女なんだぜ。
「なんだ、信じてないのか? だったら教えてやろう、かつて北中の光源氏と呼ばれた、俺の崇高な恋愛論を」
「はいはい」
と、言って聞き流す。中学時代、森川は女子の前に立っただけで貧血をおこすほどの奥手だったことを、森川と同じ中学に通っていた本田さんから聞いたことがある。付き合っていた女の子とはギャルゲー世界の話だ。
そんな森川とのやり取りの最中、今度は彩夏からメールが届いた。昼食時間中の出来事について、突然席を立ってごめんなさい、というものだった。結局昼休み中は、神宮寺さんの言葉に舞い上がってしまい、とても彩夏のところに行く状態ではなかったのだ。
メールに返信する。
〈大丈夫? 体調が悪いのか?〉
すぐにメールが返ってきた。
〈うんちょっと。でももう大丈夫。じゃあ、放課後にね〉
指が止まる。放課後も彩夏と帰ることが多い。しかし昼休みに、神宮寺さんと約束をしてしまった。少し考えてから、返事を出した。
〈今日は用事ができたから、先に帰っていいよ〉
〈何の用事? 待つよ?〉
〈無理しなくていいよ、バイトあるんだろ?〉
彩夏はバイトをしている。決して裕福とは言えない家を少しでも助けたいという理由らしい。しかしバイトの詳細は教えてくれない。まさか、水商売? 職業不明、怪しさ満点の同居人のおじさんにそそのかされたのか! と思って昔問い詰めたことがあるけど、「ケンちゃんが想像するような仕事じゃないから」と言われただけで、はぐらかされてしまった。人のことは根掘り葉掘り聞いてくるのに自分のことは話さない。これは不公平だと思う。
間髪入れずにメールが返ってきた。
〈用事って、転校生に関係すること?〉
女の直感ってこんなに鋭いのか? 寒気を感じた。
それにしても彩夏は転校生にこだわるなあ。何かあるんだろうか? 確かに、昼休みの彩夏の様子は、神宮寺さんが現れた頃からおかしくなった……。
しかし、森川がまたちょっかいを出してきたせいで、ぼくの思考は止められてしまった。
「メール? また遠山さんと? 相変わらず熱いねえ。そんな中、転校生にも興味があるなんて、尾野、お前見かけによらずなかなかアグレッシブだな」
メールを作成する手を止めて、森川の方へ振り返った。
「だから、彩夏とはそんなんじゃないって。ただの腐れ縁だよ」
「腐れ縁で、昼飯一緒に食ったり、毎日一緒に登下校するか?」
「彩夏はぼくのこと、弟だって思ってるみたいだから、……心配性なんだろ」
「そんな馬鹿な」森川は何も分かってないなあと言わんばかりに肩をすくめた。「弟だなんて方便だろ、もっと単純に考えろよ。遠山さんはお前が好きなんだ。恋愛研究家である俺が言うんだ間違いない」
ギャルゲーで培った恋愛経験からならそう推論するだろう、しかしぼくと彩夏の関係に限っては残念ながら間違いだ、自信を持って論破できる。
「違うよ、だって彩夏、別に好きな人いるし」
森川はポカンと口を開け、くわえていた菓子パンが落下していった。「マジで?」
ぼくは首肯する。「うん、正確には片思いと言うか、憧れと言うか、とにかく、三年の杉上先輩が好きなんだって。ほら、やたら声がデカい柔道部主将の。あいつの携帯の待ち受け画面は先輩の写真だよ」
「嘘、だろ」森川は頭を抱えて、「そんな、まさか。遠山さんの趣向が全く理解できん。いや、それよりも長年培ってきた俺の恋愛則体系が……」などと呟いていた。
少し前に、帰宅途中で彩夏からその話を聞かされた。自分の恋愛について話すなんて剛胆な奴だな、それほどぼくは彩夏から異性としてみられていないのか、なんてその時感じたことを覚えている。
だからぼくにとって彩夏が幼馴染の腐れ縁であると同時に、彩夏にとってもぼくは弟みたいな感覚なのだろう。
ここでふと小さな疑問が浮かんだ。家が近いから一緒に登校するのはわかるとしても、無理して一緒に帰ろうとするのはどうしてだろう? 時に家族愛は恋愛よりも偏狂的だと言われるけど、彩夏は本当にそこまでぼくのことを弟だと思っているのだろうか?
チャイムが鳴って、次の授業の教師が入ってきた。
彩夏へメールを返しそびれてしまった。