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ファウストの永久機関  作者: 三好ひろし
4 ドクターファウストの考察
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 昨日レセプションが開かれた会場で博士の講演が行われる。

 誰もいない廊下を、ぼくと吉見さんと彩夏が駆け足で会場へ向かう。その間に、残った疑問を吉見さんと彩夏が答えてくれた。

「彩夏……、最初に江麻と高校のカフェテリアで会った時に、あんな態度を取ったのは、もしかして、彼女のことを知ってたの?」

「……うん、まあ。写真でしか見たことはなかったけど、財団の関係者らしいって。それに、向こうもあたしのこと知ってたみたいだし」

「なんですぐに教えてくれなかったの?」

「その時は……、ケンちゃんを狙ってるだなんて知らなかったから。関係ない人に不用意に正体を教えるのは良くないんだよね、敵対するとはいえ、基本は信頼の世界だからさ。……転校生もあたしのことはすぐに言わなかったでしょ」

 不思議なルールもあるんだなあ……。しかし、この秘密主義のおかげでぼくは酷い目に会ったわけだ。このことにより、情報公開は積極的に推進されるべき、オープンガバメント最高! という、ぼくの政治的主張が一つ定まった。

 今度は吉見さんに向かって尋ねた。

「もし、ぼくたちが吉見さんに助けられなかったら、研究会が終わった後、どうなってたの?」

 吉見さんはこの船に乗ったが最後という態で話をしているが、財団は最終的にぼくたちをどうするつもりだったのだろうか?

「そうだな」吉見さんは顎に手を当てて考え込む「……きっとこのまま、財団と関係の深い某国へ連れ去られ、研究三昧の生活を送るんだろうな」

 おっと、そんな話を聞かされたら、たとえ相手がテロリストと繋がった組織だと知っても博士は喜んで彼らに付いて行くかもしれないぞ。……だとすると博士を説得するのが難しくなりそうだ。

「もちろん、彼らに利するような研究だ。例えば兵器開発とか……」

 だったら博士も嫌がるだろう。博士にとって自由な研究こそ生き甲斐だから、強要されることは決して望まない。そういえば、昨日レセプションの会場で、財団のおかげで自由に研究ができると、自慢げに話していた男がいたが、彼も実は財団に強要されて研究しているのか、それとも自由だと思い込まされているだけだろうか?

「もし、拒否したら……?」

「海でサメの餌になるんじゃないか?」

 ……聞かなきゃ良かった。

 あったかもしれない悲惨な末路は忘れることにしよう。

 今度は、逆に吉見さんから尋ねられた。

「ところで尾野くん……、一つ聞いておきたかったのだが、その、寺崎先生のいう永久機関は、本当に存在するのかい?」

「へっ?」予想しない質問に、思わず間の抜けた声をあげてしまった。「……財団はそれが目当てで、吉見さんたちもそれを阻止しようとしてるんでしょ。何を今更……」

 吉見さんはばつの悪そうな表情で言った

「まあそうなんだが。……実は私も分からないんだ」

「ええっ! じゃあなんで財団を追っかけてるんですか!」

「それは……、財団が血眼になって寺崎先生を追っていた以上、永久機関はある、と想定して私たちは行動しているだけだ」

 あまりに衝撃的な告白に、開いた口が塞がらなかった。

 ……他人依存ですか! 今さっき彩夏がもう少し物事を疑えって言いましたよね、いいんですか、その態度、ぼくと変わりなくありません?

「そんな呆れたような顔で私を見ないでくれ。……予測不能な状況に陥った時は、よりリスクが高い事態を想定する。人々を守る側の人間として、予防処置原則は妥当な考え方だと思うが?」

 そりゃそうかもしれないけど……、どうも納得がいかない。

 そうこうするうちに講演会場が見えてきた。

 しかし入口前に屈強そうな男が二人立っていた。いずれも真っ黒なスーツに身を包んで、サングラスを掛けている。一人は見覚えがあった。昨日彩夏たちのところから逃げ出した後、江麻から指示を受けていた男だ。男たちは誰も通すまいと、入口を見張っているようだった。

 吉見さんと彩夏が立ち止まった。力ずくで押し入ろうとしたらたちまち仲間を呼ばれてしまうに違いない。そうすれば数で劣るこちらに勝ち目はなさそうだ。

「ど、どうします?」

 ぼくは小声で吉見さんに聞いた。すると親指を突き立て、「任せろ」と、実に頼もしい感じで言ってくれた。

 ぼくにその場から動くなと言い残し、吉見さんは彩夏を連れ立って黒服男の前に向かって歩いていった。

 大柄で頬に傷という、悪役プロレスラーの如き雰囲気をまとった客室乗務員の登場に、黒服男たちは一瞬体をびくつかせたが、それでも威勢良く胸を張ると、吉見さんたちへ声をかけた。「な……何の用だ?」

 吉見さんは乗務員らしく丁寧な口調で言った。

「会場に用意したお飲み物を取り替えさせていただきたいのですが、通していただけないでしょうか?」

 黒服男たちは、一応吉見さんたちを客室乗務員だと信じ切っているようだ。

「もう講演が始まっている。それが終わってからにしてくれないか」

「そう言われましても。……どんな状況であろうと最善のサービスを提供するのが、我々乗務員の仕事ですし」

「いいからいいから、さっさとここから去れ」

 黒服男は面倒に感じ始めたらしく、虫を追い払うように手を動かした。

「仕方ありません……」

 吉見さんが残念そうに肩を落とした瞬間、彩夏が素早く一方の黒服男の脇に移動した。そして懐から封筒を取り出し、男の袖口に押し付けた。

「お、おいこれは?」

 もう一人の男が驚いて彩夏を見つめると、吉見さんもその男の袖口に封筒を押し付けた。

「通していただけますか?」

 吉見さんは再び丁寧な口調で尋ねる。男たちは顔を見合わせしばらく思案していたようだが、やがて「しようがねえな」と言って、入口を離れ廊下の奥へ去っていった。

 彩夏が手招きしてぼくを呼んだので、二人のもとに駆け寄った。

「今、何を渡したんです?」

 吉見さんは平然と予想通りの回答をした。

「買収したんだよ」

「おおっ、国民の平和と安全のために身銭を切る刑事、格好いい!」

「まさか」と、吉見さんは首を振った「後できっちり清算して経費処理するよ」

 うあっ、お役所くせえ……。

 誇り高き熱血刑事のイメージが一瞬にして崩れ去った。ぼくらの両親が汗水垂らして働いて納めた血税は、こういう所にも使われているのか……。

 手段はどうあれ、障害を取り除き、一安心したのも束の間、扉の向こうから大きな拍手が聞こえてきた。

「しまった、もう講演が始まるぞ」

 すぐさま、吉見さんは扉を開けて会場内に踏み込み、ぼくも続いた。


 昨日レセプションが行われた会場はたくさんの椅子と机が並べられ、ほぼ全て埋まっていた。盛大な拍手の音に埋もれて、誰もぼくたちが会場へ入り込んだことに気付かなかった。

 会場内は薄暗く、前方だけが明るく照らされ、そこに博士が立っていた。研究会の真の企みを知らない博士は、たくさんの拍手に包まれ満足そうな笑みを浮かべていた。

 博士が手を掲げると、波が退くように拍手が鳴り止んだ。

 いつも研究所で謎のうんちくを披露する以外はあまりぱっとしない雰囲気の博士だったが、今は生き生きとして、光り輝いているようにさえ思えた。その姿にぼくはしばらく言葉を失ってしまった。

「早く、止めないと」

 吉見さんの声にはっとして、今すべきことを思い出す。

 しかし、ぼくが「博士!」と、呼びかけるよりも一歩早く、博士が喋り出す方が早かった。

「では諸君、今日はアトランティス大陸消滅と世界の洪水伝説の共通性を精神心理学的観点から解説していこうと思う」

 博士の朗々とした声が会場に響き渡った。

 その瞬間、会場内の空気はスノーボールアース仮説が証明されたかのように、凍り付いてしまった。

「……」

 誰一人身動きするものはいない。

 吉見さんも、彩夏も口をぽかんと開けて、呆然と博士の姿を見ていた。

 当然ぼくも、あまりに右斜めな展開に、頭が真っ白だ。

 マイクを持った博士一人だけがキョロキョロと会場を見渡している。

「うむ……、実に革新的なテーマに誰もが度肝を抜かれたようじゃな。ま、仕方あるまい。じゃが今日のワシの話を聞き終える頃には、全員涙が止まらんはずじゃ。それくらい歴史学にも心理学にもインパクトを与えるテーマだからの、心して聞くがいい。ではまず、近年のアトランティス伝承研究のおさらいから……」

 一人テンション高く説明を始める博士。置いてきぼりを喰らい静まり返る会場。

 ……ちょっと待て。アトランティスが云々と、今博士が話していることと、本来の問題である永久機関と何の関係がある?

 ようやくそこに気付いたのは、博士がラスコー壁画とオリハルコン製造法の関連について語っている頃だった。

 ほぼ同時期に同じ考えに達したのだろう、聴講席の一番先頭に座っていたコーネリウス氏がゆっくりと手を挙げた。

「あのう、ドクターファウスト。講演中に申し訳ない。しかしちゃんと確認しておきたいのだ。ドクターの今の講演と永久機関の関係について……」

「あるか、そんなもん」

 博士はあっさりと答えた。

 ……そりゃそうだろう。少なくとも博士の論文に、洪水伝説やら水生類人猿説って単語は出てこなかったことぐらいは覚えている。……って、質問の回答としては正しいけど、コーネリウス氏の質問の意図はそういうことじゃない。

 コーネリウス氏は狼狽した様子で言った。

「今日の講演は、ドクターが論文に示した《ファウストの永久機関》の具体的な製造法についてお願いしていたはずです」

「そうじゃったかのう? 考えておくとは言ったかもしれんが、その話をすると言った覚えはないのう……」

 博士は首を傾げた。その姿はすっとぼけているようにも見て取れたし、本当に思い出せないとも見て取れた。

「まさか、寺崎先生は既に財団の意図を知っていたのか……?」

 ぼくの横に立っている吉見さんは前者と思ったのか、驚愕した様子で講壇に立つ博士を見つめていた。

「もちろん最初は、ワシの考案した偉大な永久機関の仕組みについて話すつもりじゃった」

 博士の言葉に、吉見さんの膝が力なくガクリと崩れ落ちた。

「では、是非その話をお聞かせ願いたい!」

 コーネリウス氏は力強い口調で博士に詰め寄る。しかし博士の返事はつれないものだった。

「そうはいかん。……実はこの前、祇園で舞妓さんたちとお座敷遊びをした後、とある知り合いの家で三杯目のぶぶ漬けをごちそうになったのじゃが、その時、まさに悟りを開いた仏陀の如く、気づいてしまったのじゃ。天才の閃きと言い換えても良かろう。……とにかくワシのような優秀な人間には時々あることじゃが、今説明しているような新しい仮説が突如として思い浮かんだのじゃ。これは人類の歴史を根底からひっくり返しかねん重大な問題じゃ。この場にいる優秀な学者諸君も、たかが技術的なお遊びに過ぎん永久機関のことよりも、知りたいに違いないと思ったのじゃ」

 どこに逃げてたかと思ったら京都で何やってるんだよ! などと心の中で突っ込んでいる間に、今度はコーネリウス氏が博士に向かって捲し立てていた。ここから氏の表情は見えないが、怒りを必死に抑えているだろうことは容易に想像がついた。

「確かに貴重な話かもしれませんが、そんなことよりも私たちは永久機関の開発手法を説明していただきたいのです!」

 聴講席に座っている人たちはコーネリウス氏に同意するように一斉にうなずいていた。会場の様子に、博士はやれやれといった様子で肩をすくめた。

「全く、ロマンのない奴らじゃ。ちょっとばかし自分の専門分野から離れただけですぐに興味を失うとは。これだからたこ壷学者どもの研究はどれもつまらんものになってしまうのじゃ、実に嘆かわしい。しかし、今日のワシの話を聞けばそんなことは言ってられまいて」

 あくまで洪水伝説の仮説を説明しようとする博士に対して、コーネリウス氏はとうとう我慢できなくなったのか、机をバンと激しく叩いて立ち上がり、丁寧な口調で話すことを忘れ、博士に向かって怒鳴りつけた。

「さっさと永久機関の説明をしろ、くそジジイ! 俺たちはそのためにお前をここに呼んだんだ」

 博士は顔をしかめると、大きな溜息をついた。そしてしばらく会場を右から左へと見渡し、最後にぼくと目が合った。

 ぼくはチャンスとばかり、博士を見つめ返し、必死に念を送った。

 喋るな、喋るな、喋るな! 負けずに頑張ってくれ、永久機関の話をしちゃ駄目だ! 博士が我を張って、このまま珍説を力説し続けることを願ったことなんて、これが初めてだ。

 念なんて、非科学的かもしれないが、博士との長年の付き合いがあれば、ぼくの思いはきっと通じるんじゃないか。

 博士はしばらくじっとぼくのことを見続けていた。そして最後に、小さくうなずいたような気がした。

 博士はゆっくりとコーネリウス氏へ顔を向けると、意気消沈したように小さな声で言った。

「大変言い難いことなんじゃが……、ワシが投稿した永久機関の論文、実は致命的な不備が見つかってのう」

 コーネリウス氏が振り上げていた拳がぴたりと止まった。「ど、どういうことだ、ドクター?」

「あれは確か昨日、五杯目のウィスキー水割りを飲んでいた時じゃった。そこで今更ながら論文の重大な欠陥に気付いたのじゃ。いやあ、コーネリウス氏があの酒を勧めてくれなかったら、今日この場でとんだ赤っ恥をかくところじゃった。深くお礼申し上げる」

 博士は、珍しく丁寧にお辞儀した。

「つ、つまりそれは……」

 コーネリウス氏の声は震えていた。

 応えるように、博士の口角がつり上がった。「少なくとも、ワシが考案した永久機関は実現不可能。本当のことを言ってしまえば、今話していることは永久機関が発表できない分の穴埋め、というわけじゃ。ハッハッハッハッハーー!」

 分子一つ動けないような絶対零度にまで凍り付いた会場に、博士の馬鹿笑いだけがいつまでも響いていた。

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