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こうして、読者への挑戦状が挟まれることもなく、唐突に始まる解答編。
場所を変えようと言われ、吉見さんと彩夏に連れられてきた場所は、豪華客船のデッキだった。
一面、陸一つ見えない海原が広がっていた。風が強く、高波が船体を打ち付けている。
ぼくは転落防止用のフェンスを背に立ち、目の前には吉見さんと彩夏が囲むように立っていた。
「どうして、こんな所に来たんです?」
やっぱり、人目の付かない所へ連れ込んで、ぼくを誘拐するつもりじゃ……。
「何度も言ってるだろ、そんなことはしない。それにここへ連れてきたのは、……雰囲気が出るからだ。断崖絶壁の海岸が理想だが、この際しかたがない」
意味が分からない。ただ、吉見さんと彩夏が目を輝かせていて、きっと何か重要な理由があるのだろう。
吉見さんが神妙な様子で説明を始めた。
「寺崎先生の研究を奪おうとしていたのは私たちじゃない、本当は財団の方だよ」
その一言に、天地がひっくり返ったかと錯覚しそうになった。
「はっ? 何を言って……」
「まずは私の話を最後まで聞いてくれ。……財団は表向き慈善活動や科学技術振興という名目で、様々な分野へ多額の資金を提供しているが、その裏では、いたずらに軍備を拡大し世界から要注意対象と見なされている国々や、非合法な手段に訴えるテロリスト集団と結びついた巨大な諜報活動集団なのだ。彼らは時に産業スパイとして他国の技術を奪い、また時に優秀な研究者やエンジニアを金で買収し、兵器開発に協力させたり、場合によっては拉致することすらある。奴らが前々から日本で活動していることは掴んでいたが、寺崎先生と彩夏の友人である尾野くんが標的にされたと聞いた時は驚いたね。彩夏は君たちの高校に財団の工作員が現れたと教えてくれたのだ」
彩夏は何故かVサインをぼくへ向けていた。
「どうして彩夏がそんなことを? ……そもそもどうしてここにいるの! 今までのこと、ぼくは君に色々説明を求めたいところなんだけど」
「えっと……バイトだから」彩夏はあっけらかんと言ってのけた。「結構、悪くない収入なんだよね、これ。……ケンちゃん、今度隣町のアウトレットモールへ行こうよ。昼ご飯ぐらいな奢ってあげられる」
いやいや、コンビニバイトと同じようなノリで話すようなことじゃないでしょ。それ以前に、交通量調査でもあるまいし、警察でバイトなんてやれるものなの?
「私たちの仕事は警察と言っても少し特殊な分類でね。公安警察と言った方が分かるかな。普通の犯罪ではなく、テロとか過激な思想集団の調査をしていて、仕事の性質上、それぞれの地域で起こった些細な事件や情報をも逃さず収集していく必要があるのだよ。……彩夏は私の親戚だから信用できるという理由もあって、情報収集の一員として手を貸してもらっている」
これにはただ驚くしかない。こんな間近にスパイがいただなんて……。彩夏を見ると、彼女はニシシと笑っていた。
吉見さんが説明を続ける。
「順を追って説明しよう。彩夏からの報告を聞いて、まずは財団の意図を探った。狙われた原因は分かるだろ?」
「えっと……、博士の研究、《ファウストの永久機関》ですか?」
「そう、財団は研究成果を奪おうと寺崎先生と尾野くんを研究会と称してこの船に誘ったのだ。この船で行われる研究会を奴らは公表するつもりはない、自分たちで独占するつもりなのだ」
なんてことだろう、ぼくや博士に向かって《権益者たち》の支配から世界を解放し、自由な未来を作るために技術を公表すると言っておきながら、本当は《権益者たち》に成り代わろうとしていただけだったなんて。
「それだけじゃない。彼らの取引先であるテロリストや無法者国家に永久機関の技術が渡ったら、世界のパワーバランスは大きく変わってしまう。それは絶対に阻止しなければならない。そこで私たちは寺崎先生と尾野くんに研究会の出席を断念してもらおうと画策した」
「それが、ぼくに対する脅迫、嫌がらせだったんですね」
「その通り。君には申し訳ないことをしたと思っている。補償は必ずさせてもらうよ」
「でも酷くないですか。そのせいでぼくの姉なんて大した怪我じゃなかったとはいえ、入院までしたんですから。お金で済む話じゃないです」
軽い冗談で済ませられるような嫌がらせから、下手すると命に関わることまであった。簡単には許せる話じゃない。ごめんで済めば警察は要らない。
しかし、吉見さんが示した反応は予想外なものだった。
「待ってくれ、尾野くんのお姉さんを襲ったのは私たちじゃない。私たちがやったことは、まず高校への匿名の電話」
匿名の電話は確か、ぼくがラブホテルに行っただとか、小学生に対してカツアゲしただとか……、社会的評価へのダメージが大きい攻撃だった。
「それから、食堂での卵祭り。あれは効いたでしょ。準備する大変だったんだから。卸業者へ片っ端から連絡して卵を大量に出荷させて、カフェテリアのおばちゃんたちに色々握らせて……」
と、自慢げに語る彩夏。
「それも彩夏たちの仕業なのか! それのおかげで、ぼくはどれだけひもじい思いをしたことか!」
「でもあの時、ケンちゃんがやせ我慢なんかせず、さっさとあたしのところにお弁当貰いに来れば良かったのに。そうすればもっと話は簡単に決着したんだけど」
「……なんで、彩夏に弁当を貰いにいくんだ?」
弁当は姉が作って、ぼくに持たせると不安だからっていう、弟の尊厳を傷つけるような理由で、迎えに来た彩夏に渡していた。彩夏が迎えに来なくなったら、当然、弁当はぼくに渡されるわけだ。
……あれ、姉はぼくに弁当を渡してくれなかったよな? 受け取ったのは五百円玉だけだ。
「あ、そっか。ケンちゃんまだ信じてたんだね。……は、恥ずかしいから、美咲子さんに口裏合わせてもらってたんだけど」急に彩夏は目を忙しなくあっちへこっちへと動かし始めた。「……ケンちゃんのお弁当、実はあたしが作ってたんだよね」
「なっ!」
彩夏が警察でバイトしていると聞かされた以上の衝撃だった。
ぼ、ぼくの弁当を、あ、彩夏が!
これはどう考えればいい? 手がかりが少な過ぎる。しかし、ここからでも導け出せる仮説が幾つかあるはずだ。……例えば、彩夏は料理を勉強していて、その毒味役としてぼくを選んだのか? それとも……。
頭をひねり腕を組んで必死で考えていると「あのう……尾野くん」と吉見さんが心配そうな表情で声をかけてきた。「船酔いかい、顔色が悪いけど?」
「そんなことないです。どうぞどうぞ、先を続けてください」
彩夏の弁当のことは、また後でゆっくり考えることにしよう。
「先に進んでいい、のかな? ……とにかく、私たちがやったのはその二つ、それに脅迫状だよ。こんな感じの」
吉見さんは携帯電話の画面に表示された写真をぼくに示した。新聞紙や雑誌の活字を切り貼りして作った脅迫状が写っていた。
「その脅迫状、かなりの力作でしょ。作るの苦労したんだから」
と、ない胸を張る彩夏。
……とても妨害工作楽しんでますよね? 彩夏さん。
その辺りを問いつめたいのはやまやまだけど、今は置いておいて、吉見さんにもっと重要な点を尋ねた。
「じゃあ、姉ちゃんを襲ったのは誰?」
「少なくとも私たちではない。きっと財団の工作員の仕業だろう。高校の上履きに画鋲が入っていたり、机に落書きされていたり、あれも財団の仕業だと考えている」
財団め、ぼくや家族を守っていると言いながら、本当は脅迫する機会を狙っていただけなのか!
「……でも、どうしてそんなことを?」
財団自らが脅迫したら、ぼくや博士の心が折れて、研究会への参加を諦めてしまうかもしれないのに。
「おそらく君に反抗心を抱かせるためだと思う。邪魔されればされるほど燃え上がる人間っているだろ。そして彼らの思惑通りだった。私たちの作戦は大失敗。尾野くんも工作員のおかげでますます意固地になるし、寺崎先生も早々にとんずらするし……、しかし、あの先生は相当な手練だな」
かつて誰かが博士に対して述べた感想を吉見さんも口にした。
「で、結局私たちは方針転換をせざる得なかった。君たちを保護しつつ、ついでに……まだまだ謎の多い財団を調査するため、今回私と部下、それに彩夏を連れてこの船に潜入したわけだ」
「部下って、アンパンとカマメシのこと?」
「私たちのあだ名をよく知ってるな。ちなみに私のことはボスと呼んでくれても構わないよ。むしろそう呼んでくれ!」
「吉見さん」ガン無視して質問を続けた。「……二人の部下が潜入したことは分かるとして、どうして彩夏までいるの? さっき彩夏は情報収集を手伝っていると言ってたけど、普段の情報収集と潜入は全然別でしょ、どうしてこんな、……敵だらけのところまで来たの?」
すると彩夏は「えっと……」と口を濁して顔を伏せてしまった。
「まっ、私たちも人手不足だったり、色々あるから」何故か吉見さんはにやりと笑った。「……ともあれ、客室乗務員に扮して私たちはこの船に乗り込んだ。私が財団関係者と出席者の調査を、残りの三人が尾野くんと先生の保護を担当した。後は知っての通りだよ。尾野くんはすんなり保護できたけどその後が大変だった……」
「ちょっと待って、ちょっと待って。あんなの保護じゃないでしょ。スタンガンで気絶させられたり、手足を縛られたり、ライフルで脅されたり。どう考えても拉致か監禁じゃないか!」
彩夏がばつの悪そうな表情を浮かべた。
「いやあ、なんか雰囲気に飲まれちゃってさあ。周囲は敵だらけ、しかも海上で逃げ場なし。ケンちゃんも好きなステルスアクションゲームっぽいじゃない。そんなところへあたしをもう一人の姉だと慕ってくれているケンちゃんを助けにいくんだから、テンションが上がらなきゃおかしいでしょ!」
「弁明になってない。しかも、姉だなんて慕ってないし!」
「またまたー、ケンちゃんは照れ屋さんなんだから」
「照れてないし! って話を逸らさないでよ。彩夏たちのやってたことは、人質を助けるヒーローじゃなくて、悪の組織の方に近いじゃないか!」
彩夏を睨むと、彼女は親にイタズラがバレた幼い子供のような表情で、
「てへぺろ♪」
と、言ってはにかむような表情を浮かべた。
待てこら、何甘えた声で誤摩化そうとしとるねん。……不覚にもちょっとだけ可愛いと思っちゃったじゃないか。
改めて二人を順に見た。吉見さんは唇を堅く結んでいて、ぼくと視線を合わせてきた。一方、彩夏はぼくの視線に気付くと、見る見るうちに、元々小さい体が更に萎れるように小さくなった。
はあっ、と思わず溜息が出た。
「大体二人の話は分かったけど……、とにかく、説明が省略され過ぎなんだよ。最初からちゃんと説明してくれれば良かったのに」
初めにちゃんとした説明があればここまですれ違うこともなかったのに。そうすれば、姉が怪我することもなかったかもしれないし、彩夏に銃を向けられることも、気持ちが昂っていたとはいえ、彩夏に向かって怒りをぶつける必要もなかったのに。
「確かに、説明が足りなかったことは謝る」吉見さんが頭を下げた。「だが私たちも様々な事情があって説明できなかった。尾野くんに私の正体を明かしたのも異例中の異例だ。今回のここでの話は他言無用でお願いしたい」
「それはつまり、ぼくたちのことより、自分たちの身や財団の情報を得ることの方が重要だからですか?」
つい強い口調になってしまった。
「……」
吉見さんは初めてぼくから目を逸らした。彼の考えを知るにはそれだけで十分だった。
「ぼくも姉ちゃんも博士もこんな辛くて危ない目にあって。それでも頑張ろうって、ぼくが少しでも頑張れば《権益者たち》が牛耳るこの世界を変えられるって思っていたのに。みんなで寄ってかかってぼくを騙して、馬鹿みたいじゃないか。吉見さんもさぞかしいい情報が手に入ったんでしょうね。それに……」
「ケンちゃん」
彩夏の声に、ぼくは途中まで出かかった言葉を詰まらせた。
彼女は怒っているようにも悲しんでいるようにも見える不思議な表情だった。
「そう、あたしたちはケンちゃんを騙して、そしてケンちゃんは騙された。……確かにケンちゃんは被害者。騙す方が悪いんじゃない騙される方が悪いんだ、なんて詭弁を言うつもりはないから、ケンちゃんは怒ってもいいし賠償を請求してもいい。……でも、これだけは言わせてもらうから。ケンちゃんはあまりにもホイホイと物事を信じ過ぎ、受け入れ過ぎだよ。少しは疑う、……ちょっと言葉が悪いかな、自分でちゃんと何が正しいか考えないと。だからあの転校生の色香で、簡単に惑わされる」
「ぼ、ぼくは江麻に騙されてなんかいないよ!」
「……うーん、重症だね、こりゃ」彩夏が顔をしかめた。「さっきから吉見のおじさんが言ってるでしょ。財団が全て仕組んだことだって。だから転校生もグルだってこと、まだ分からない?」
「違う、そんなことない。……そ、そうだ。江麻だって財団に騙されてるんだよ。じゃ、じゃあ彼女も救ってあげないと」
財団が全て仕組んだことだということは分かった。でも江麻までがそれに加担しているだなんて、信じられない。
……やっぱり彩夏たちはぼくを言いくるめて博士の研究を奪う道具にしようとしてるんじゃないか?
「あの転校生にどんなこと言われたか詳しくは知らないけど、きっと聞いてて心地よくなるような言葉を聞かされたんでしょ」
「そ、それは……」
彩夏は小さく溜息をついた。
「この世界じゃ常套手段なんだから。情報を引き出したい人物や仲間に引き入れたい人物に対してエージェントが近づく時、エージェントはターゲットを心地よくさせる言葉を使うの。例えば承認欲求の強いターゲットに対しては『誰も見てないかもしれないけど、あたしだけは貴方を応援してる』とか、色欲の強いターゲットには『あたし、男らしい貴方が好き、これが終わったら一緒に……』なんて言うと、ターゲットの心なんて簡単に奪えて、意のままに操ったり、情報を吐かせたりするわけ。……これって、凄く効果的で、それでいてターゲットは自分が操られているなんて全く思わない。催眠術やマインドコントロール並の危険度を持ってる。きっとケンちゃんには『あたしや世のため人のために頑張って』なんて言うと効果的なんだろうな」
彩夏にそう言われると、心当たりが……あり過ぎた!
江麻が今までぼくに対してとってきた行動は、全部ぼくを操るため?
「ケンちゃん、ちょっとスマホ貸して」
突然、彩夏が手を差し出してきた。
「ど、どうして」
「いいから、早く!」
有無を言わせぬ口調に、ぼくはポケットからスマートフォンを取り出し、彩夏に渡した。
「……しゃ、写真とかブラウザの履歴とか絶対見ないでね」
「ケンちゃんの性癖なんて全部お見通しだから、そんなの今更見なくても大丈夫」と、さりげなく恐ろしい台詞を吐いて、彩夏はぼくのスマートフォンを弄り出した。「……ああ、やっぱり」
彩夏の脇でスマートフォンを覗いていた吉見さんも、「ああ、なるほど」とうなずいた。
「ケンちゃん、転校生にちょっと特殊なアプリ入れられたでしょ」
「う、うん」
盗聴器を探すためにぼくの家に江麻がやってきた時、二人の会話やメールが外部から読み取られないようにするために入れてくれた。その後何度もそのアプリを使って連絡をし合っていた。
「このアプリ、ケンちゃんのスマホの情報を外部へ漏らしてる。あの転校生とのやり取り以外にも他の人との通話やメール、アプリの使用記録、GPS信号。どうりで転校生、すぐにケンちゃんの監禁……ごほん、保護してた場所が分かったわけだ。……それに、あたしがケンちゃんに送ったメールを勝手に削除してる。……これもあたしをケンちゃんから遠ざける策略かぁ」
彩夏は手際よくぼくのスマートフォンを操作して、江麻が入れたアプリを削除した。
「これで大丈夫……っと、ケンちゃん、これでもまだ転校生が財団に騙されてるだけって信じる?」
首を横にも縦にも振れなかった。理性では分かっている。それでも心の奥深いところではまだ認めたくないと、言っているような気がした。
ぼくの態度を見て彩夏は苦笑した。
「ま、いいけど。そこがケンちゃんらしいっていうか。……でもしかたないなあ、ちゃんとあたしがお姉さんとしてちゃんと見張っててあげないと! ケンちゃんはやっぱりあたしがいないと駄目なんだから、ね」
と言って、小悪魔のように釣り上がる彩夏の口角を見て、体中に寒気が走った。
ぼくは、彩夏から一生逃れられないんじゃないか、そんな予感がした。
吉見さんが「ごほん」と咳払いした。
「尾野くん、まだまだ聞き足りないことがあるだろうけど、あまり時間がない。そろそろ寺崎先生の講演が始まってしまう。その前に保護しないと」
「あっ! 研究会の開始時間、早まるんだった!」
ぼくは、先ほど内線電話で博士から聞かされた研究会のスケジュールを吉見さんたちに伝えた。
「なんてことだ! もう始まってるじゃないか。調子に乗って話し込んでいたら……。すぐに行かないと。……尾野くん、君は先に逃走用の小型船のあるところへ行きなさい。そこにアンパンとカマメシがいる。彩夏は小野くんを護衛しなさい」
……良いのか? ぼくだけのこのこ先に逃げて。こんな複雑な展開になってしまったのはぼくが一因でもある。であれば、せめて最後まで見届ける義務があるんじゃないだろうか? 誰かに強要されたわけでもなく、自分のチキンっぷりをこれ以上見せたくないという後ろめたい気持ちでもなく、ただ単純に行って決着を見届けるべきだと思うのだ。
「ちょっと待って、ぼくも行きます」
「だめだ、何があるか分からない、危険だ」
吉見さんが諭しても、ぼくは首を左右に振って頑として拒否した。
「ぼくも行かせてください。それに吉見さんだけで行っても博士はきっと警戒するはずです。でもぼくが一緒に行けば博士もすぐに何が起こっているのか理解してくれます」
ただし、博士がぼくのことを信じていれば、という大前提は言わないでおいた。
「……確かに。尾野くんがいれば博士も黙って私たちに従ってくれるかもしれない。よし一緒に来てくれ。ただし私と彩夏から絶対に離れるな」
ぼくは吉見さんと彩夏の後に続いて、研究会会場へ向かった




