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プルルルルー、と内線電話の呼び出し音に気付いて目が覚めた。
重たい体を起こして、周囲を見渡す。床に投げ捨てられたブレザーが目に留った。もちろんぼくの客室だ。再びどこかへ拉致されてはいない。
窓へ目を遣ると、レースのカーテン越しに、日光が部屋に降り注いでいた。眩しくて目を細める。
朝……、だと!
客室に戻って、そのまま寝てしまったらしい。なんて事だ!
江麻は? ……リビングルームへ行ってみたが、もちろん誰もいない。
……ぼくが熟睡してしまって、江麻が来たことに気付けなかったのか!
何たる失態! ぼくの馬鹿馬鹿!
プルルルルー。
まだ内線電話は鳴り止まない。しかたなく電話に出た。
『やっと出たか、助手よ』
今一番聞きたくない声、博士だった。このジジイのせいで、ぼくは……ぼくは……。受話器を持つ手が自然と震えてきた。
『こんな大事な日にいつまで寝ておるんじゃ。……折角、この船の朝食はうまいからすぐ来いと、教えてやろうと思ったのに』
「朝食……? いらないよ」
『そうか、紅茶もまあまあの出来映えじゃぞ』
少し考える。食べ物は口にする気分じゃないけど、喉はカラカラで、紅茶は飲みたい。
「うん、時間があれば行くよ」
『そうじゃ、さっきコーネリウス氏に会ってな。どうやら研究会の時間を早めるらしい。朝食をとりたかったら急いで準備するんじゃぞ』
と言って、博士は電話を切った。
さてと、準備するか。紅茶は飲みたいし、江麻に会って事情も説明しないと……。
ベッドルームに戻ろうとした時、トントンと客室扉をノックする音がした。
まさか、江麻? だとしたらなんてタイミングだ。心が通じ合っているに違いない。
入口に駆け寄って、特に警戒心も持たず、扉を開けた。
そこには客室乗務員の格好をした大男が立っていた。彫りの深い顔に頬には大きな傷があり、街中で出会ったら、間違いなく道を譲りたくなる雰囲気を発していた。
大男の脇には、女性の客室添乗員がワゴンを押した格好で立っていた。顔を下げ、ワゴンの上に載ったフードカバーをじっと見つめている。
「ルームサービスです」
大男の低い声が響いた。
「……た、頼んでないですけど」
しかし、大男は何も言わず、肩で開いた扉を押さえつけると、女性がその脇を通り抜け、ワゴンを押して部屋の奥へ進んでいく。
「ちょ、ちょっと……」
ぼくの声を掻き消すように、大きな音を立てて、入口の扉が閉められた。大男がぼくを睨みつけるように見下ろしていた。
その姿を見て背筋が凍る。どう見ても接客する態度じゃない。
大男はゆっくりと口を開いた。
「……私、吉見といいます」
男の名前にぼくはすぐに思い当たった。昨日ぼくを監禁していたアンパンとカマメシの上司の名前だ!
じゃあこいつらは《権益者たち》の手先の残党。まだこの船に残っていたのか!
扉を開ける前にドアスコープで確認しておけば良かったと、後悔するも後の祭りだ。
どうする? 逃げたくても扉の前には大男、部屋の奥にも仲間の女性がいる。完全に囲まれてしまっている。逃げたくても前と後ろから挟まれては難しい。それ以前に既に足が震えて動けそうになかった。
「いい加減に目を覚ましてよ、ケンちゃん!」
聞き慣れた声。振り返るとさっきまで頭を下げて顔が見えなかった女性客室乗務員が、今や顔を上げ、ぼくを見ていた。
やっぱり、彩夏だった。
江麻とそのお仲間さんたちの追っ手を逃れ、再びぼくを捕らえに来たに違いない。なんて執念深い。あの時、一瞬でも彩夏を心配していたぼくが馬鹿馬鹿しい。
「よ、寄らないでよ、《権益者たち》の手先!」
と叫んで、犬のように歯をむき出しにして前後から近づく大男と彩夏を威嚇する。すると二人は同時に首を傾げる仕草をした。
「ケンちゃんが怒っても、全然恐くないんだけど……」
と、とても悲しいことを彩夏は言ってきやがった。しかしめげずに言い返す。
「し、知ってるんだぞ。彩夏たちが《権益者たち》の手先で、博士の永久機関が世に出ることを恐れて、研究を闇に葬ろうとしてるんだろ。そのためにぼくや博士を消そうとしてるんだ!」
一瞬、彩夏たちの動きが固まった。
そして突然、大男と彩夏が大笑いした。
「違う違う」と、彩夏は目に涙を浮かべ腹を抱えて、首を左右に振った。「あたしたちはケンちゃんと寺崎先生を保護するために来たの」
「……えっ?」
何を言っているんだ? ほんの少し前にぼくを拉致しようとしたじゃないか。スタンガンで気絶させ、ライフルで脅して。彩夏たちは《権益者たち》の手先だと、江麻が……。
「あの、これを」
大男は、体格と顔つきからはとても想像できないほど丁寧な物腰で、懐から名刺を取り出し、ぼくの目の前に差し出してきた。
まず目に入ったのは大きな字で書かれた男の名前〈吉見義彦〉だった。そして名前の脇に書いてあった単語にぼくは文字通り目玉が飛び出そうになった。
〈〇〇警察 警備部〉
警察!
思わず名刺から仰け反り、男の顔を見た。……どうみても、暴力団の幹部面の男が警察だって!
「あの……、ケンちゃん覚えてない? 一度か二度会ったと思うんだけど。遠い親戚で、色々あってあたしの家に居候してる、……吉見のおじさん」
「いつも彩夏がお世話になっています」
と言って、吉見さんが深々と頭を下げた。




