25
メイドとアサルトライフル!
一瞬、昔セーラー服の女子高生がマシンガンを打っ放す話があったよな、なんて全然関係のないことを考えてしまうくらい、現実とは思えない光景だった。
「ケンちゃんから離れなさい! 転校生」
と言って、彩夏はライフルを構え、銃口を江麻へ向けた。銃のサイズが身長の半分以上もあるにも関わらず、その姿は戦争映画を見ているかのように様になっていた。
「ええっと、彩夏……、それ本物なのか?」
「もちろんでーす、ご主人様!」
……ですよね。この状況で実は縁日のくじ引きで当たったモデルガンでした、なんてオチはないですよね。まさか人生の中で、幼馴染みに銃を突き付けられる日が来ようなんてさすがに予想もしていなかった。……って、なんで妙に甘ったるい声で返事をするの、彩夏?
「さっ、転校生。両手を挙げて、おとなしくケンちゃんから離れて。……この辺りの客室はみんな空室だから、銃声の一つや二つ、誰も気付かないから。むしろそうなるように客室乗務員を相当数買収したし」
どうりでさっきの二人の男はのんびり酒飲みみたいな会話ができたわけだ。
ぼくは死にたくないので、素直に諸手を挙げた。
「ケンちゃんは手を挙げなくていいから。あたしが要求してるのはそっちの転校生」
今度は冷たい声で彩夏に言われてしまった。
挙げた両手をおずおずと降ろしながら隣を見ると、江麻は腕を組んで不敵な笑みを浮かべていた。
「手を挙げなさい、転校生。これが見えないの!」
彩夏が声を荒げた。しかし江麻は微動だにしなかった。それどころか、
「子犬がギャンギャンと五月蝿い。撃てるものなら撃ってみなさい」
などと、のたまいやがりました。
「な、何に挑発してるんだよ! 江麻」
これ以上状況を悪くしてどうするんだ! ここはおとなしく従う振りをして、相手の出方を見るべきだろう。
しかし江麻は挑発を止めない。
「健吾、大丈夫。あの女に、わたしたちは撃てない。銃が撃てる人間とそうでない人間の区別ぐらいつくから」
「えっ、そうなの? ……とても、慣れた手つきで銃を操っているように見えるんだけど」
「持つことと撃つことは別。この世界でどれだけの経験を積んできたと思ってるの、わたしの目に狂いはないから安心して」
なんだ、そうなのか。確かに彩夏が銃で人を撃つなんて全く想像がつかない、せいぜい軽く頭を叩くのが関の山かもしれない。
すると突然、パパパパンッと何かが爆ぜるような音がして、天井に飾られていた装飾照明が粉々に砕け、ガラスの破片が光の粉のように舞い散っていった。
彩夏の銃口からは微かに煙が漂っていた。
「撃ったよ! ちょっと、彩夏が本当に撃ちやがったよ! 江麻、君の見立てはどうなってるの!」
「あれ、おかしいなあ……」
と言いながら、江麻はぽりぽりと頬を掻いていた。
あれ、じゃないよ! それに、どうしてこんな状況でまだ冷静でいられるの!
「ちょっと、あたしを無視して二人で話さないで。……ケンちゃん、その女から離れなさい!」
今度は銃口をぼくへ向けてきた。
「ま、待て待て、こっちへ向けるな!」
慌ててぼくの方から江麻と距離をとろうとしたら、あろうことか、江麻はぼくの手首をぎゅっと握り締めてきた。そのため、距離をおくどころか更に密着することになってしまった。
……何考えてるんだ、江麻!
彩夏は釣り上がった目でぼくを睨みつけてきた。
「離れなさいよ、二人とも!」
再び彩夏の銃が火を吹いた。今度は壁にかけられていた印象派の高価そうな絵画が穴だらけになってしまった。
「こ、これは不可抗力だ。だから、撃たないで。彩夏、彩夏さん、彩夏様!」
しかし、土下座して謝ろうにも、江麻は離してくれなかった。それどころか、ぼくの手を掴んだまま彩夏に一歩近づいた。
「ちょっと、動かないで」
彩夏はぼくと江麻交互に銃口を向けるが、江麻は微笑したまま、悠然と更に一歩——引きずられる形でぼくも一歩——歩み寄った。
江麻はさカミソリのように鋭くそして冷たい声で言い放った。
「好きな男を取られたからって、ギャーギャー叫んでみっともない。これを負け犬の遠吠って言うんでしょうね」
「な、何を……」
彩夏の体がびくりと震え、一歩退いた。
「……いや、江麻。彩夏が好きな人はぼくじゃなくて、柔道部の……」
ぼくが訂正しようとすると、江麻がものすごい剣幕でぼくを睨みつけてきた。「健吾は黙ってて」
「あ、……はい」
ぼくは反射的に頭を下げてしまった。……なんか妙に肩身が狭くないか?
江麻は彩夏の方へ顔を向けた。
「好きな人を取られたくなかったら、ちゃんと首輪でもつけて管理することね。……あ、貴女の場合、締め過ぎて嫌がられちゃったんだっけ」
と、言って、クスクスと江麻は笑った。
「ち、違う!」彩夏は顔を真っ赤にしてブンブンと左右に激しく振った。「ケケケケケケ、ケンちゃんのことは、決して、れれれれれ、恋愛の対象じゃなくて、かかかかか、家族みたいなもんなんだから。そう、ケンちゃんはあたしの弟で、こ、これは、家族愛なの!」
「そう、家族なんだ。じゃああたしが健吾のこと貰っていいのね」
「え、そ、それは……」
江麻が更に体を密着させてきた。彼女の柔らかい肌の感触と息づかいが伝わってくる。そして、子供が罪の意識を感じることなく小動物を痛めつける時のような残忍さを秘めた笑みを浮かべた。
「わたしたち、これから健吾の客室へ行って、あんなことやらこんなことやらで楽しい一時を過ごす予定だから」
ブハッ!
唐突な大胆発言とその後に浮かんだ妄想に、ぼくの顔がかっと熱くなった。
一方、彩夏も今にも顔から湯気が出てきそうなほど真っ赤になり、目を大きく見開いた。
「そ、そんなこと、ケンちゃんのお姉さんとしてあたしが許すわけないでしょ。……ケンちゃん。その女に騙されないで!」
再び銃口がこちらへ向けられる。反射的に「ごめんなさい」と言葉が出かかった瞬間、別の思いが頭をよぎった。
……騙していたのはどっちだ?
体の奥底から、沸々と怒りが溢れ出てきた。
ぼくは銃口には目もくれず、彩夏の顔を凝視した。
「騙してたのは彩夏、そっちの方じゃないのか? ……ずっとぼくを気にかけてくれていて、こき使うだけ使って乱暴な姉ちゃんの代わりに、本当に彩夏がぼくの姉だったら、なんて思う時もないわけじゃなかった。でも何だよ、《権益者たち》って。そんな連中のために、ぼくに嫌がらせしたり、誘拐までして。それに姉ちゃんにまで怪我を負わせて!」
「ちょ、ちょっとケンちゃん。何を言ってるの……」
彩夏の表情が歪み、銃口が力なく下がった。
江麻の冷めたような声が聞こえた。「貴女は本当に負け犬ね」
江麻はぼくを突き飛ばす。ぼくはよろける。彩夏が顔を上げる。江麻が腰を落とす。彩夏が銃を江麻へ向ける。
江麻の手にも拳銃が握られ、真っ直ぐ彩夏に向けていた。
本当に一瞬の出来事だった。その間、ぼくの記憶に残っていたのは、江麻がスカートの裾をわずかにまくり上げ、隠していた拳銃を取り出した時に露になった、真っ白な太ももだけだった。
「健吾に嫌われていい様ね。……でも可哀想だから、特別に今回だけは見逃してあげる。さっさ尻尾を振ってここから立ち去りなさい、負け犬さん」
「転校生、アンタのせいでしょ! ……ケンちゃんをたぶらかす悪魔め、これ以上、アンタの好きにはさせないから」
「たぶらかすなんて人聞きの悪い。真実を言っただけだから」
「何が真実よ。嘘と妄想ばかりじゃない。……じゃあ聞くけど、こんなへたれのケンちゃんのどこがいいのよ、言って見なさい!」
「おいこら彩夏、へたれって何だ、へたれって!」
どさくさに紛れて、ぼくを罵るのは止めてくれ。
「ケンちゃんは黙ってて、いまあたしはこの女と話をしてるの!」
「は、はい。すいません」
反射的に謝ってしまった。……って、話がだいぶ逸れてるぞ。ぼくの怒りの一言はどうなった!
「どうなの、転校生!」
彩夏が江麻に向かって問いつめる。
「全てよ」江麻はキッパリと言った。「そっちこそ、へたれで意気地なしの健吾のどこが気に入ってるのよ」
「ヘタレで、意気地なし。それはあんまりだよ、江麻!」
「だから、健吾は静かにしてて」
「あっ、ごめんなさい……」
江麻に一喝され、また平謝りしてしまった。……この辺りがへたれで意気地なしと言われる所以なんだろうか?
……って、待て待て、話がどんどん変な方向へ行っていないか?
「どう、負け犬ちゃん?」
江麻が彩夏に詰め寄った。
「何もかもに決まってるでしょ」彩夏ははっきり答えた。「そんな彼だから守ってあげたくなるんだから」
そして唐突に、二人がぼくの方へ振り向いた。
二人とも目が吊り上がっている。……とても怖かった。
「ちょっと、ケンちゃん! あたしとこの百面相女、どっちが大切なの? どっちが信じられるの? ……当然あたしよね!」
……彩夏さーん、銃口をこっちへ向けて同意を求めないでください。それを恐喝って言うんだよ。
「健吾、当然苦楽を共にした、わたしでしょ?」
……江麻さん、貴方も銃口をこっちへ向けないでください。
ここにきて、ハードボイルドとソープオペラを足して二で割ったような展開になってきたぞ。さしずめ、暴力とクスリが蔓延る殺伐としたスラム街で銃を向け合う嫁と姑、そして二人に挟まれるひ弱な亭主……。
何故か分からないが、虚しさが込み上げてきた。
ゴトリと、背後から音がして、続いて唸り声が聞こえてきた。ぼくが監禁されていた客室で、江麻にやられたアンパンとカマメシの二人が目を覚まそうとしていた。
まずい、このまま二人が起き上がったら……、敵は三人になり、ぼくは再び窮地に立たされる。
「え……江麻」
そう声をかけても、江麻は反応しなかった。完全に意識が彩夏へ向いてしまい、二人の様子にも気付いていないようだ。
ここは自分が何とかするしかない。二人が完全に意識を取り戻す前に、もう一度金的を喰らわせるか……。しかしいくら敵とはいえ、同性としてその必殺攻撃にはためらいを感じる。
だとすれば手は一つ、逃げる!
この客船はあくまで財団の管理下にある。《権益者たち》の手先が多少忍び込んでいたとしても、財団関係者がいる所まで逃げてしまえば安全だ。……いや、もっと手っ取り早く、なんとかして人を集められないだろうか?
先ずはスマートフォンを取り出す。しかし、今は海の上、圏外表示だった。無線LANの電波はあるけど、認証方法が分からない。
残るは……、客室に内線電話があった。それを使えば! ……しかし、今にも二人の男は立ち上がりそうだ、のんびり電話をしている余裕はない。
何かないか? 他に何か、簡単に人が呼べそうなもの……。
廊下を見渡す。『あれ』が目に止まった。
『あれ』は船にもあるのか……。
迷っている暇はない。意を決して、彩夏の後ろを指差し、大声をあげた。
「あっ、あそこに大門堂刑事役の渡別哲郎が!」
「「どこ!」」
ぼくが指した方向に、犬歯むき出しで睨み合っていた江麻と彩夏が、一斉に振り返った。
しまった、彩夏だけ注意を逸らすはずが、この俳優、江麻も好きだったんだ。
しかしそんなことは構っていられない。慌てて、江麻の腕を掴んだ。
「ちょ、ちょっと……。渡別様はどこに?」
普段、教室で女子たちの前で出しているような乙女チックな声だった。
「いるわけないでしょ、こんなところに! そんなことより……」
ぼくは彼女を引っ張って、反対方向へ走り出した。
そして、すぐ脇にあった手動火災報知器のボタンを力一杯押した。
ジリリリリーーーッと、けたたましいサイレン音が鳴り響いた。
ぼくたちを追おうとしていた彩夏の足がピタリと止まる。一瞬、悔しそうな表情を見せた後、踵を返して、さっきまでぼくが監禁されていた客室の中へ走り去っていった。
報知器が鳴れば、さすがに誰かがここに来るだろう。そうなれば、もう彩夏たちは逃げるしかないのだ。
助かった……。
とは言え、一歩でもここから遠ざかるため、江麻の手をひいて、廊下を早足で進んだ。
「余計なことしなくても良かったのに。あんな負け犬女、わたしの敵じゃないし」
不服そうな声で、江麻が言った。
「そんなこと言っても、さっきの男二人も目を覚ましそうだったし。……争って怪我するところなんて、見たくなかったし」
そもそも、あのまま放っておいたら、怪我で済まなかったかもしれない……。
でもこんな弱腰発言じゃ、「意気地なし」と文句を言われそうだな。
江麻の顔色を窺うと、彼女は怒る、というよりも驚いたような様子だった。
「そ、そう……。心配してくれたんだ」
「そりゃ、心配するよ」
「心配したのはわたし? それとも幼馴染ちゃん?」
「はっ?」
突然、何を聞いてくるんだ?
「さっきの話、……わたしと、健吾の幼馴染ちゃん。どっちが大切で、どっちが信用できるの?」
えっと……、その昼ドラ的水掛け論争、まだ続くんですか?
しかし、顔を上げた江麻の唇は硬く結ばれ、細い目を真っ直ぐにこちらへ向けていた。
冗談で聞いているわけではなさそうだ。
元々何を考えているか分かりにくい人だけど、今の状況は輪をかけて理解不能だった。
うーん、どうしよう……。
少し考えて、素直に答えた。
「……そりゃ、両方とも心配するよ」
「相手が、《権益者たち》の仲間でも?」
「……まあ、そうなんだけど。でも小さい頃からずっと一緒だよ。心配はするよ」
本当なら彩夏を取っ捕まえて、どういうことなんだ! と、小一時間でも問い詰めたいし、この溜まりに溜まった憤慨した気持ちをこれでもかと、ぶつけてやりたい気分だ。でもそれとは関係なく、ぼくは彼女が誰かを傷付けたり、傷付くところを見たくはない。もちろん、江麻に対しても同様だ。
「……甘いってのは分かってるけど」
江麻の表情が、ふと和らいだような気がした。
「そんなことない。……助けてくれて、心配してくれてありがとう」
と言って、江麻はぼくに抱き付いてきた。
そして、戸惑うぼくの頬に、温かく柔らかいものが触れた!
しばらく記憶がない。色んな意味で気持ちが高ぶり過ぎていたせいかもしれない。気付いたらラウンジに戻っていた。
もう日付が変わりかける時刻だ。レセプションが終わった直後と比べると、ラウンジに残っている人たちは大分減っていたが、それでも、幾人かは話題が尽きることなく談笑を続け、またトランプに興じていた人たちも今や麻雀に変わり、洗牌の音とざわめきが聞こえてきた。
「博士、寝ちゃってるよ」
博士は一人ソファーを占領し、大いびきをかいていた。周囲に空になったウィスキー、日本酒瓶、ワインのボトルが何本も転がっていた。
ぼくたちがさっきまで命の危険に晒されていたことも知らず、そして博士自身も拉致されていたかもしれないというのに、なんと暢気な。
「うへえ、園子ちゃん。かわええのう……。その帯でぐるぐるっと、回してもええかのう、むにゃむにゃ」
と、博士は寝言を言いながら、トドのように体をゆっくりと揺らした。……その顎と区別のつかない首をこの手で絞めたくなる衝動に襲われた。
と、ここへ、タッタッタッと幾つもの足音がラウンジ奥の廊下から聞こえてきた。そして三人の黒服、黒いサングラスをつけた男たちがぼくたちの方へ近づいてきた。江麻のお仲間さんたちだ。
男たちがぼくと江麻を取り囲んだ。その中の一人、スキンヘッドの男が動揺した様子で言った。
「ご、ご無事ですか、お二人とも」
「ええ、この通り、わたしも彼も無事です。……ドクターファウストも大丈夫なようですね」
「なに! 岬の祠に伝説の紅茶葉が眠っているじゃと、是非調査せねば……、むにゃむにゃ」
再び博士の寝言が聞こえてきた。……何の夢を見ているのやら。
「しかし迂闊でした。この船にまで《調査員》が忍び込んでいたなんて。すぐに船を調べてください。客室従業員も何人か買収されているようです。そちらも確認を……」
江麻は男たちにてきぱきと指示すると、彼らはうなずいて、足早にラウンジを去っていった。
「す、凄いね、江麻」
てきぱきと厳つい大人たちに向かって指示を出す姿に感動すら覚えた。
「大したことないよ、……それよりも、もう大丈夫だと思うけど、ちゃんと脇目も振らず客室に戻って、必ず鍵を掛けて。じゃ、わたしも行かないと」
「えっ、まだ仕事……、江麻も休んだ方がいいんじゃない?」
「ありがと、でも大丈夫」
と言って、江麻はラウンジの出口へ向かった。
ぼくは彼女の後ろ姿に声をかけた。
「気をつけてね」
江麻は立ち止まって、こちらへ振り返った。
「……」
何か小声で喋ったようだけど、ぼくのところまで声が届かなかった。
江麻は再びぼくに背を向け、廊下へ出て行ってしまった。
何を言っていたのだろう。……首を傾げて考える。そして、思い出した。
レセプションの時、江麻は後でぼくの客室へ行く、そう言っていた。
ドタバタですっかり頭の中から抜け落ちていたけど、そもそもの発端が、江麻のその一言だ。忘れていた自分が恥ずかしい。
江麻は、「ちゃんと待ってて」とでも言って、念押ししたに違いない。
さっき彩夏に銃を突き付けられた時よりも緊張してきた。それに大分疲れた。でも、女の子に待っててと言われた以上、男として当然待ってますから!
善は急げ、自分の客室へ行こうと廊下へ足を向ける。その時、三度博士の寝言が聞こえてきた。
「おお、閃いた、閃いたぞ! 風邪の特効薬の製造法を! これでワシもノーベル賞、……むにゃむにゃ」
だから、さっきから何の夢見てんだよ、博士は!
でも、博士をこのままここに放っておくわけにはいかないよなあ、本当に風邪ひいちゃうし。
ぼくは大きな溜息をつくと、博士の元に近づいた。
「起きてよ博士。客室に行こうよ」
大きな巨体を揺すってみても、長い鬚を引っ張ってみても目を覚まさなかった。「うーん、もう飲めん」とか「あの分からず屋!」とか寝言を繰り返すばかりだった。
起こすのは諦めて、寝たままの博士を部屋まで担いでいくことにした。
熊を狩った猟師よろしく、博士の巨体を担ぐというよりも引きずって、何とか博士の客室に到着した。博士のズポンのポケットからカードキーを引っ張り出して扉を開き、転がるように室内に入った。明かりを点けて、リビングを通り抜け奥のベッドルームへ移動する。最後の力を振り絞り博士をベッドに転がした時には全身汗だらけで、腰もギリギリと痛かった。
「じゃあ、博士。おやすみ」
高いびきをかく博士を残してベッドルームを出ようとする。
「それにしても、散らかり過ぎでしょ……」
博士の大きなトランクが開いていて、中の荷物が辺り一面に散乱していた。しゃがみ込んで散らかっているものを拾い上げる。整髪料に歯ブラシ、それにどこかのキャバレーのレシート……。
元々整理が得意とは言えない博士だが——博士の研究所のリビングはいつもぼくが片付けている——、これは酷い。今すぐにでも整理したいところだが、さすがにそんな気力はなかった。そのままにして、博士の客室を出た。
そして、今度こそぼくの客室へ戻った。
ベッドに腰を下ろして、制服のブレザーを脱いで適当に放り投げた。
……それにしても疲れた。少し休みたい。
体をばたりとベッドに横たえる。まぶたがだんだんと重くなっていく……。




